1623年から翌年にかけて、ルイ13世はサン・ジェルマンの森での狩に興じた後、身を休めるためにヴェルサイユの地に小さな館を造らせた。王は館を大層気に入りフィリベール・ル・ロワに命じて1631年から3年かけて段階的に増改築させた。後、ルイ14世がヴェルサイユの造営活動を本格的に開始した。
〓ヴェルサイユ宮殿の沿革〓
≪ルイ13世時代≫
1623年~24年 ルイ13世の狩りの為の館として建築した。
1631年~34年 フィリベール・ル・ロワによる増改築
現、大理石の前庭まわりの城館の原型
≪ルイ14世時代≫
1661年~63年 ル・ヴォー 城館の両翼棟前面に付属棟2棟を建築
(召使い宿舎と調理場を含むサーヴィス棟 )
1665年ごろ テティスのグロットを建設
1668年~70年 大運河の堀削
1668年~70年 旧城館を囲むような形で「包囲建築」と呼ばれる新城館を建築
1670年 国王付 首席建築家 ルイ・ル・ヴォー没す
1670年 陶器のトリアノンの建設
1670年 ラトーヌの泉水の設備
1671年 アポロンのン戦車の泉水の設備
1671年~国王付 首席画家ル・ブランによる新城館の内装工事
1671年~79年 ドルべとル・ブランによる大使の階段の造営及び内装工事
1678年~84年 アルドゥアン=マンサールとル・ブランによる鏡の間の建設
1679年~88年 マルリー宮殿を建築
~1680年 新城館北棟1階に御湯殿のアパルトマン完成
~1680年 ルイ13世の小城館のファサード改装
~1680年 閣僚の翼棟の建設
1678年~82年 南の翼棟の建築
1679年~82年 大厩舎と小厩舎の建築
1681年~86年 新たなオランジュリー建築
1682年~ 新たな国王のアパルトマンの整備
1682年~84年 大サーヴィス棟の建築
1685年~89年 北の翼棟の建築
1687年 大理石のトリアノンの建築(後の大トリアノン)
1689年 新たな宮廷礼拝堂の着工(中断になる)
1699年~1710年 新たな宮廷礼拝堂の建築
1701年 牛眼の間と新たな国王の寝室の整備
1712年~15年 エルキュールの間の設備(王の崩御で中断する)
≪ルイ15世時代≫
1725年~36年 エルキュールの間の設備
1738年 ビリヤードの間を国王の寝室に改装
1750年 ガブリエルによりトリアノン庭園内にフランス亭が建設される
1752年 大使の階段の取り壊しとアデライード姫のアパルトマンの設備
1755年 閣議の間とテルメ柱の間を結合して新たな閣議の間を整備
1761年~68年 ガブリエルによる小トリアノンの建設(寵妾ポンパドゥール侯爵夫人の為)
1765年~70年 ガブリエルによる宮廷歌劇場の建設
1771年~72年 ガブリエル棟の建設
≪ルイ16世時代≫注:フランス尾曜日ナヴァールの王としての在位期間にかぎる
1774年 メダル収集室の全面改装
1774年 アデライード姫の寝室を図書室に改装(※カブリエルのヴェルサイユ最後の仕事)
1778年 小トリアノンの庭園に愛神の神殿を建設
1781年 午睡の間のミックによる改装
1782年~86年 ミックによるル・アモーの建設

右側の写真は、【鏡の間】長さ73m、高さ25m、面積770平方mのギャラリー。使用されたガラスは357枚にも及ぶ。2004年から2007年5月まで1200万ユーロを投じて約100人の専門家たちの手によって修復工事が行われた。
左側の写真は、 【戦争のギャラリー】ルイ・フィリップ1世は、ヴェルサイユをフランスの栄光に捧げる博物館とするために、フランス革命後はじめて大事業を行っている。戦争ギャラリーには、5世紀のメロヴィング王朝のフランク王クローヴィスからナポレオンに至るまでのフランスの主な戦勝を描いた大絵画が陳列されている。

【王妃の階段】新城館北翼には、大使の階段という宮殿のメイン階段であったが、1752年に取り壊されてしまった。新城館南翼にある王妃の階段の規模は、大使の階段の規模の半分程度だが、色大理石をふんだんに用い、2階部分にトロンプ・ルイユ=だまし絵=の技法で奥行きある空間を演出するなど、大使の階段の豪壮な雰囲気を伝えている。

右側の写真は14世 1701年にイアサント・リゴーにより描かれた肖像画。
左側の写真は、マリー・アントワネット王妃 女流画家ヴィジェ・ル・ブランを気に入り数々の肖像画を描かせている。

右側の写真【メルキュールの間の盛儀寝台】ルイ14世が1715年に崩御したとき、遺体が安置された寝台。ルイ14世の孫アンジュー公フィリップは、スペイン国王カルロス2世の次代の王として指名をうけ出発にさきがけ用いた。祖父王と同格であることを示す。
左側の写真は、【アルドゥアン=マンサールの新礼拝堂内装】コリント式の円柱が立ち並ぶ新古典主義を予感させるインテリア。

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右側の写真【リュクサンブール宮殿】1613年~庭園側のファサード:ルネサンス建築のファサードは三層構成が多い。下からトスカナ式、ドリス式、」イオニア式の順にオーダーが重ねられている。
左側の写真は【ラトーヌの泉水】ラトーヌ群像を頂点とするプラミッド状の形態である。ヴェルサイユに初めてあらわれた彫像群でもある。1686年にジュール・アルドゥアン=マンサールによって現在のように改められた。
【ルイ14世がつくらせた寝室】1738年に真の寝室として、ルイ14世のビリヤードの間を改装して出来たもの。
【ラトーヌの泉水 アポロンの戦車の泉水 大運河へと連なる朓望】ルイ14世自ら編纂したヴェルサイユ宮殿案内法の第2段で指定されている眺望点からの眺めである。ルイ14世は、此処から眺望できるものをこと細かく列挙している。この眺望点からは、「ラトーヌ泉水」「とかげ泉水」「斜路」「彫刻」「国王の散歩道」「アポロン泉水~大運河」「花壇と城館」
【ロココ内装:第2の控えの間(牛眼の間)】1701年にバッサーノの間と呼ばれた第2の控えの間と寝室を統合して一つの広間に改装したもの。天井周辺の湾曲部に子供たいが遊んでいる姿が金色の浮彫で表現されている。晩年のルイ14世の嗜好をもっとも表している。
【閣議の間】閣議の間は、国王の寝室の北隣にあったが1775年、北隣の広間と結合して装いも新たに拡張された。時計はアンジュ・ジャック・ガブリエルで、ロカイユ装飾はアントワーヌ・スローが鏨をいれた。
【ヴェルサイユの天井画に先鞭を付けたバラッツォ・ビッティのジョーヴェの間の天井画】ジョーヴェ(ラピテル)から公正などの美徳を授かるメディチ家の君主という主題。メディチ家の君主はエルコレ(ヘラクレス)に導かれている。
【ガブリエル棟側面ファサード】ガブリエルはルイ13世時代以来の赤レンガとクリーム色の石材からなる賑やかなツートンカラーのファサードをすべて取り壊し、このデザインで前庭側のファサードを統一するつもりであった。実現していれば、絶対王政の殿堂としての威厳はより増しただろうが、全体に単調なトーンになってしまっていたかもしれない。
ブルボン王朝200年 そのたたずまいの多彩な力 ヴェルサイユ宮殿
1685年の国家予算1億335万リーヴル弱の約8%を占めた。
現在まで続くフランスのソフトパワーの源となったことを考慮すれば高すぎる投資であったとはいえないだろう。


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右側の写真は14世 1701年にイアサント・リゴーにより描かれた肖像画。
左側の写真は、マリー・アントワネット王妃 女流画家ヴィジェ・ル・ブランを気に入り数々の肖像画を描かせている。

右側の写真【メルキュールの間の盛儀寝台】ルイ14世が1715年に崩御したとき、遺体が安置された寝台。ルイ14世の孫アンジュー公フィリップは、スペイン国王カルロス2世の次代の王として指名をうけ出発にさきがけ用いた。祖父王と同格であることを示す。
左側の写真は、【アルドゥアン=マンサールの新礼拝堂内装】コリント式の円柱が立ち並ぶ新古典主義を予感させるインテリア。

>右側の写真【リュクサンブール宮殿】1613年~庭園側のファサード:ルネサンス建築のファサードは三層構成が多い。下からトスカナ式、ドリス式、」イオニア式の順にオーダーが重ねられている。
左側の写真は【ラトーヌの泉水】ラトーヌ群像を頂点とするプラミッド状の形態である。ヴェルサイユに初めてあらわれた彫像群でもある。1686年にジュール・アルドゥアン=マンサールによって現在のように改められた。
【ルイ14世がつくらせた寝室】1738年に真の寝室として、ルイ14世のビリヤードの間を改装して出来たもの。
【ラトーヌの泉水 アポロンの戦車の泉水 大運河へと連なる朓望】ルイ14世自ら編纂したヴェルサイユ宮殿案内法の第2段で指定されている眺望点からの眺めである。ルイ14世は、此処から眺望できるものをこと細かく列挙している。この眺望点からは、「ラトーヌ泉水」「とかげ泉水」「斜路」「彫刻」「国王の散歩道」「アポロン泉水~大運河」「花壇と城館」
【ロココ内装:第2の控えの間(牛眼の間)】1701年にバッサーノの間と呼ばれた第2の控えの間と寝室を統合して一つの広間に改装したもの。天井周辺の湾曲部に子供たいが遊んでいる姿が金色の浮彫で表現されている。晩年のルイ14世の嗜好をもっとも表している。
【閣議の間】閣議の間は、国王の寝室の北隣にあったが1775年、北隣の広間と結合して装いも新たに拡張された。時計はアンジュ・ジャック・ガブリエルで、ロカイユ装飾はアントワーヌ・スローが鏨をいれた。
【ヴェルサイユの天井画に先鞭を付けたバラッツォ・ビッティのジョーヴェの間の天井画】ジョーヴェ(ラピテル)から公正などの美徳を授かるメディチ家の君主という主題。メディチ家の君主はエルコレ(ヘラクレス)に導かれている。
【ガブリエル棟側面ファサード】ガブリエルはルイ13世時代以来の赤レンガとクリーム色の石材からなる賑やかなツートンカラーのファサードをすべて取り壊し、このデザインで前庭側のファサードを統一するつもりであった。実現していれば、絶対王政の殿堂としての威厳はより増しただろうが、全体に単調なトーンになってしまっていたかもしれない。ブルボン王朝200年 そのたたずまいの多彩な力 ヴェルサイユ宮殿
1685年の国家予算1億335万リーヴル弱の約8%を占めた。
現在まで続くフランスのソフトパワーの源となったことを考慮すれば高すぎる投資であったとはいえないだろう。
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