『徳川家康』13巻は小田原攻め。
各人が根性を見せる場面が多く、燃える。
『妻ならぬ母』
朝日御前パート。義理の息子、秀忠への愛情が描かれる。
『頂上』
秀吉パート。茶々が懐妊したかもという有楽の話を真に受ける秀吉。嘘からでた誠か、本当にそうなる。
『人生のトゲ』
寧々パート。秀吉との現在。
『北野の風』
北野の大茶会。茶会の様子はあんまり詳しくなく、脇道に逸れて現在の大まかなまとめみたいな。
『立正夜話』
光悦と家康の話し合い。
『小田原算用』
北条氏政・氏直親子に随風が忠告。
『開戦前夜』
家康の腹を探りに来た大谷吉継。関東国替えの話が出る。
『小田原進撃』
家康と本多作左衛門、作左と大久保彦左衛門の会話。作左の深謀。
『朝日のままに』
朝日御前、喉に腫瘍が。正月に息子・秀忠が遭いに来るまで生き永らえようと努力する。秀忠に織田信雄の娘との婚礼を決死の思いで用意してやり、仮祝言の盃ごとの稽古をつけてやりながら息絶える。泣ける。
『生まれ来し搭』
作左、最大の見せ場。この時の作左の諫言が後も家康の助けになる。
『日蔭の陽射』
淀君と呼ばれるようになった茶々と息子・鶴松丸。
『人みな醜く』
本阿弥光悦パート。ここが実に良かった。この章だけでも読むようお薦めしたいほど。秀吉に正宗の紛い物をバンバン世に出せと言われて腹を立てる光悦。刀の鑑定士に対しこれほど人を馬鹿にした話もなく、光悦の怒りも当然。同じ武将でも家康なら北条親子を救おうとしているに違いないと会いに行くが、家康は家康で北条を滅ぼした後の関八州の治め方に執心していた。世の中の汚さにウンザリした光悦、利休に遭いに行き、カウンセリングが始まる。利休と光悦の丁々発止、刀での斬り合いみたいなやり取りが面白い。
「こなたが、どのように逸っても関白を思いのままには出来ぬものじゃ。若ししてみても、それで終りなどというものではない。一人の関白の次には又別の関白が、その次にはまた別な……と、決してこの世は果しはない」
と利休が語る、これは同意。私が物事を我慢をするとき、いつもこう思う。
その後も憤懣やるかたない光悦は次々に思う所をぶつけていくが、真理みたいなものに当たり、次第に諭されていく。
「異なことではない。人間はの、怒った時に、特に相手を見失うものじゃ。こなたは秀吉が嫌いなのではなく関白という権力が嫌いなのじゃ。いや、ただ嫌いというよりも、二つのものをきびしく見分ける眼を持たぬ……そこが若さじゃ。権力をきらって秀吉に怒りをぶちつける、そのあおりで利休までが叱られたが……」
許せぬぎりぎりの一線は誰もが持つ、と利休は言う。そこまで見極めずに怒り散らす愚は避けるべきだと。
その後、二人はご飯を食べるんだけど光悦がいきなり箸を投げ出して泣きじゃくり、給仕の人がビックリする辺り、どこまでも真剣な光悦の人柄が出ていてスンバラシイ。
これよりずっと前に書かれた吉川英治の『宮本武蔵』にも光悦は登場している。武蔵が光悦の作った茶碗をみて、本人の前でそうとは知らず製作者の人柄を評する場面があり、その時は確か、
「ただ者ではない、鋭い、切り口が見事、人を人とも思わぬ尊大な王侯」
とか述べていた。利休とのこうしたやりとりが在ってそうなったのかも。
利休の場合は逸話で「へちかん」の落とし穴にはまる話があるが、落とし穴に落ちる時の気持ちを考えてみると、一切の虚飾が剥ぎ取られ、素の自分が出るというか、怒るにはあまりに馬鹿馬鹿しくてそうなるしかないんじゃないかと思う。そうした体験の有無はでかいんじゃないかな。
『北条崩れ』
北条攻め。石垣山の一夜城、現る。氏直、松田憲秀に促され降る決意。
『東への星』
秀吉と家康と黒田官兵衛孝高。北条方の処遇を聞かされる家康。ここは秀吉のスケールのデカさが表されていて、秀吉ってのはスゴイ奴だと。
『常勝関白』
秀吉、人生で最高潮、我が世の春、な話。
『江戸の本心』
江戸へ入る前の家康と家臣達。城のボロさ、未開の土地ぶりを聞く。家康、家臣達に天下取りの野心を漏らし、みな発奮。秀吉にはこんな良い家臣が何人もいないだろうと思った家康、目に涙。
『不吉な秋』
利休と娘のお吟。利休、茶道を生かす為には関白に屈することは出来ぬと逆らう道を選ぶ。これは確かにこうするしかないな、自分が利休でも。
けがさじと思う御法の
ともすれば
世をわたるはしとなるぞ
かなしき
その歌から利休は一歩出ようというのだ。身すぎの茶から有と無の対比を去った「物皆自得」の自性の茶へ驀進しようというのだ。
「お父さま、それではあまり……」
凄まじすぎると言おうとして、それさえ声にはならなかった。
と、書いてある。いい……。
『徳川家康』、13巻でちょうど半分まで来た。ここから折り返しか。長いな。でも13巻は非常におもしろかった。