1年に1度の誕生日です。桜は満開のようですね。 | アラカンおかんの「思い立ったが吉日」

アラカンおかんの「思い立ったが吉日」

年齢も、性別も、容姿も言い訳になんかしない。

笑って、泣いて、感動して

「思い立ったが吉日」

生きてるって素晴らしい!

今年もまた誕生日がやってきました。

 

アラカンおかん、いよいよ50代最後の年に突入です。

 

感慨深くしちゃおうかと、googleフォトで過去の写真とか見直していました。

いやはや色々とやっております。

 

ざっと10年を写真で振り返っても面白い(私がですが)と思いました。良かったらお付き合いください。

 

2014年 まだゴスペルを歌っていました。JGC(自由が丘ゴスペルクワイア)に所属して松谷麗王先生に指導してもらっていました。麗王先生が2020年夏に51歳の若さで急逝された時にはもうOGになっていた私ですが、あの日の訃報を聞いた時の震えは忘れられません。麗王先生の歌声は今でもずっと胸に耳に残っています。

 

そしてお芝居を始めて数か月、初舞台を踏んだのもこの年でした。所属していた事務所が立ち上げた劇団ブルーローズの第一回公演「ロンド」で主演の百合役を無我夢中で演じたのを覚えています。初めて「つけまつげ」つけました笑

 

2015年 ブルーローズの第二回公演「スケアクロウ」ではダニエルと言う10歳の意地悪な男の子の役を。初めて胸をぺったんこにする「胸つぶしサポーター」を使用チュー髪の毛も近所の美容院にかつらを持って行ってカットして調整してもらってます。

 

2015年のもう1本の舞台は(年に2回公演してました)「もっと灯りを!」関西のおばちゃんの役だったのでこちらもかつら爆  笑

雰囲気出てたと思ったんだけど、鶴瓶さんとピグモンに似てるってw

 

2015年は、石原さとみさん、山下智久さん主演の月9ドラマ「5→9~私に恋したお坊さん」に英会話教室の生徒役でレギュラー出演もさせてもらいました照れ出番があっても無くてもほぼ毎日お台場に通った日が懐かしいです。生徒役の楽屋はいつも賑やかで。その反面スタジオでの撮影はピリッと緊張感があって、舞台以外にあまり興味が無かった私に新しい発見をくれた機会でした。

 

2016年 当時通っていた殺陣の道場、「魂刀流志伎会」のイベントでパフォーマンスをしました。袴を履くと気持ちが引き締まります。今はやめてしまってますがまた出来たら再開したいですね。

 

そしてこの年の夏、思い出いっぱいの大好きな舞台を上演する事に。「Father Christmas, Don't Cry」で10歳の少女、ももこの役をやります。この作品は、下北沢で上演されているのを見て以来ほれ込んで、いつか自分でもやりたい!という夢を強引に叶えた作品です。それまでのブルーローズの公演と違って、諸々費用がかかったにもかかわらず公演をサポートしてくれた当時の事務所「ミューズ」には感謝しかないです。役に臨むにあたりダニエル役で使った胸つぶしサポーターをして、ツインテールをして、衣装は下北沢の古着屋さんで揃えました。近くで見ると「しわが!」って感じになっても舞台の上では子供にしか見えなかったみたいです。劇団しゅうくりー夢の松田環さんの脚本が本当に素晴らしくて、公演に来てくれた人たちは、目に涙を浮かべて舞台を楽しんでもらえました。

 

この年の暮れには、新しい劇団の門をたたきました。舞台の事、芝居の事何も知らない自分に欲が出てきたんだと思います。劇団フルハウスという所でお世話になり、舞台を1つ回すための制作のやり方を学びながら、同時に舞台にも出演しました。劇団フルハウス第14回公演「あの雲の向こうは青空だった」元々の台本にはなかった役、主演の演歌歌手のマネージャーという役にトライしたんですが...。本当に何から何までNGの連続で...。今まで楽しく舞台をやるという世界に身を置いていた私がいかにぬるま湯にいたか思い知らされました。それでも懸命に出来る事はしたつもりですが、舞台最終日、舞台裏で「終わった!」とバンザイした自分がいました爆  笑

 

2017年 年末の舞台で燃え尽き症候群になりしばらく呆然としていた私ですが、春になるとまた動きたい欲が出てきて、今度はCorneliusCockBlue(s)の第9回公演「そんなはずじゃなかったんだよ」に出演する事になります。お芝居を始めた時に、とにかく全く知らない世界である事、でも耳にするのは「役者は年齢の数だけ経験がないと」という言葉。焦ってばかりいました。ワークショップはあれこれがむしゃらに参加し、この年また新しく参加したのがCorneliusCockBlue(s)のワークショップオーディションでした。CorneliusCockBlue(s)は、芸人のルート33マスダヒロユキさん主宰の演劇ユニットで、下北沢で舞台を見てからその面白さにハマっていました。ある日の舞台でワークショップオーディションがあると言うので、無謀にも参加したんです。緊張で心臓が口から出そうな経験でした。その時確か、脈略もなくでんぐり返しをしたような。それで「変な小さいおばちゃん」と印象に残してもらえたのかもしれません。

という事で「そんなはずじゃなかったんだよ」で水道屋の社長の役をやるんですが...。これはもう徹底的に打ちのめされました。

演出家の方に嫌われてるのかと思うほどでした。これじゃあかんと思うものの、稽古場に入るだけで委縮していた自分がいました。稽古終わりは泣きながら駅に向かう自分がどれだけ情けなかったか。そんな時、ちょうど4/5の誕生日を迎える私に子供たちが言ってくれたんです。「その年になって、そんな風に叱られて泣ける人生なんて最高やぞ」って。

今思えば、どうせ経験も技術もない自分なら「上手くやろう」とか「よく見せよう」でなくもっと思い切ってやってしまえば良かった。と後悔の残る経験でした。

 

そしてまた燃え尽きちゃうんです。「自分、よわっ」て思いますけど。でもその燃え尽きをばねに、次は今まで一緒にやって来た仲間と1から舞台作ろうよと立ち上がるわけです。台本は「イノリの声」フリーで脚本を使用できるサイトの中から選んだお話しです。オリジナルの台本では主演が男性だったのを女性に変えて、それによる細かい脚色を加えて作ったものです。私は、夫と娘を事故で亡くし抜け殻になった女性が、家に住み着いた座敷童によって生きる力を取り戻すという、その女性役をやりました。

今回は、過去に劇団フルハウスで学んだ制作に加えSEを全て用意したり、やる事がてんこ盛りだった上に稽古中にもめ事が起きたり。この舞台の稽古の最中に、猫のななが空に旅立った事もあり、舞台を終えた頃にはまた燃え尽きちゃったんです。

 

やれる事はやった。と本当に燃え尽きちゃったんですね。その後はお芝居から離れてしまいました。

 

子供たちとUSJ行ったり

 

TDL行ったり

 

北海道行ったり

 

楽しい事だけ散々パラしていたら、時は2019年になっていました。笑

 

2019年 何を思ったか、映像の芸能事務所に所属します。芝居や歌や声優やレッスンをしながら映像の仕事の機会を狙うというものです。今思えば、こう言うのど頭にしないかなぁ普通と思ったりします。レッスンはそれなり...でした。映像のお仕事をする上での勉強としては新しく学ぶものもあったり、週に1度ですが一緒にレッスンする仲間と会うのは楽しいものです。やっぱりもっと早くに経験しても良かった気がします。そこではいくつかドラマのエキストラの出演どまり。それでも現場は楽しいですね!

この事務所にいて良かった事は、半年に1回ごとにレベル分けオーディションがあって、それに向けて「自己PR」やパフォーマンスに取り組んだことですね。出来の完成度はともかく、かなり真剣に打ち込んだ経験は悪くないぞ~なんて思います。

剣舞をやったりね~。

 

その頃には、また芝居に対して意欲的になり始めていました。新しく芝居の稽古が出来る場所として、「ヴォイス&アクターズ道場」に1年いました。顔見せの芝居と、声優・ナレーションなどのアテレコの勉強ができる道場でした。毎週セリフを覚えるだけで精一杯でしたが、周りの人の演技を肌で感じるだけでも刺激的で、とても有意義な時間でした。今更ですが、こういう場所ももっと早くから入門できていたら良かったなと思う訳です。

 

2020年 3月に2人舞台を予定していました。

でもコロナでやらない事に。。。

 

コロナに突入してからは、暫く気持ちの落ち着きどころがありませんでした。仕事はリモートにならない種類の事務職なので、マスクやクリアボードをした上で、神経質なまでの消毒をしながら、それでもいつ感染するのかという危機感がぬぐえない毎日でした。お芝居の事なんて、本当、もう考えられなくなっていました。

 

そんな中、十分に注意しながら少しずつ外出を始めて外の空気を吸うようになり思い始めます。

あれ、私ってお芝居本当に好きなのかな。なんて。そう思った根底にあったのは自分の過度な緊張しいな性格です。

自分に自信がない所に緊張が加わると、いいものなんて出せやしない。そもそも楽しむ気持ちを阻んでしまうのです。

散々やってきたよなぁ。結構十分なレベルかもなんて。そっか。無理してやらないでもいいんだ。なんて思い始めたのはコロナという太刀打ちできない状況があったからかもしれません。そんな気持ちも手伝って、この期間はただひたすら家族と楽しい事をする時間にあてました。

 

2022年 お芝居からすっかり離れた私は、お芝居に対する興味もほとんど無くしていました。でも人の前に立ちたいんだなぁ。さあて、バンドだ~!と動き出すわけです。そう決意する私の背中を押すように、直ぐに一緒にやるギターさんが見つかりました。暫く2人で練習をし徐々に4人編成のバンドが出来た時には2023年になっていました。

 

2023年 バンドでレコーディングをしたり

 

ケイオンR40でライブをしたり

 

初孫が出来ておばあちゃんになったり

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今改めて振り返ると、私のこの10年の中には主にお芝居に向き合ってあがいていた自分の頑張りがあった気がします。

では自分に何が残っているか???全く分かりませんが。それでもこうして振り返る事が出来る思い出がたくさんあるって、きっと私はかなり幸せ者なのだと思います。

 

2024年 現在

 

孫が可愛くて、新しく出会ったボイトレの先生が素晴らしくて、崩壊してしまったバンドの後新しく動きがありそうでワクワクしている。そんな私です。いつまでも「もっともっと」と楽しい事への欲は止まらないかもしれません。でも、今が一番最高!そう思える人生だといいなと思います。

 

長々と読んでくださった方、本当にありがとうございます。

誕生日なんて機会がないと、なかなか振り返る事もしませんね。でも1つ1つ振り返ってみたらどの経験も無駄にはなってない。そんな気がしてきちゃうから不思議です。

 

あぁ生きてるって素晴らしい!