■【建国記念日】紀元節(きげんせつ)について | ⋆

祝・日本建国。

 

独立記念ではなくて、建国を祝えるというのは、

素晴らしいと日本人は分かっていないというのをどこかで知りました。

 

さて。

しゃべりたいのですが(笑)、建国の起源になった神武東征の地の映像を二本。

 

あとは、過去の記事です↓↓

 

 

 

◇◇過去の記事◇◇

 

◆昔のウィキhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%80%E5%85%83%E7%AF%80より

 

国民の祝日に関する法律 (祝日法)第2条では、「建国記念の日」の趣旨を

 

「建国をしのび、国を愛する心を養う」と規定。


S i n g - O N  『 え ん 』

 

「建国記念の日」と定められた2月11日は、かつて

 

紀元節(きげんせつ)という祝日であった。

 

◇◇

 

紀元節は、『日本書紀 』が伝える神武天皇 が即位した日に基づき、

 

紀元の始まりを祝う祝日として、1872年 (明治 5年)に制定

 

8世紀初めに編まれた『日本書紀』によれば、神武天皇 の即位日は

 

「辛酉 年春正月、庚辰 朔 」であり、日付は正月朔日、すなわち1月1日

 

紀元節は旧暦1月1日、旧正月 を祝う祝日との誤解が国民のあいだに広まった。

 

国民のこの反応を見て政府は、

 

 

紀元節は神武天皇即位日を祝う祝日である

 

 

という理解が広まらないのではないかと考えた。

 

◇◇

 

2月11日という日付は、文部省 天文局が算出し、

暦学者の塚本明毅 が審査して決定。

 

その具体的な計算方法は明らかにされていないが、

当時の説明では「干支 に相より簡法相立て」としている。

 

実際、干支 は暦法に依存せずに60の周期で単純に繰り返すので簡易に計算できる。

 

神武天皇 の即位年の「辛酉年」は、

『日本書紀 』の編年(720年 (養老 4年)に成立)を元に計算すると

 

西暦 紀元前660年 に相当し、即位月は「春正月」であることから立春 の前後であり、

 

即位日の干支 は「庚辰」である。

 

そこで西暦 紀元前660年 の立春 に最も近い庚辰の日を探すと、新暦2月11日が特定

 

 

その前後では前年12月20日と同年4月19日も庚辰の日であるが、

 

これらは「春正月」になり得ない。

 

したがって、

「辛酉年春正月庚辰」は、紀元前660年 2月11日以外には考えられない。

 

◇◇

 

なお、『日本書紀』はこの日が「朔 」、新月の日であったとも記載しているが、

 

朔は暦法に依存しており「簡法」では計算できないので、

明治政府による計算では考慮されなかったと考えられる。


また、現代の天文知識に基づき当時の月齢を計算すると、

偶然ながら、この日は天文上の「朔」に当たる

 

(昔のウィキ転載終わり)

 

↑上記、見直していたら、偶然じゃなくてやっぱり

 

「これは天文上の朔にあわせるため、庚辰の日を即位日としたと考えられている」

 

と追記されていました(笑)。

 

そりゃ和暦は「月メイン」なのだから、合わせるよね( ̄ー☆

元日は、本来新月です。


S i n g - O N  『 え ん 』

 

新月は始まりの日。

 

新しく始めるのに、とても佳き日といわれています