■開成山の櫻~日本最古級のソメイヨシノ | ⋆

✦下記2017年に少し追記して、
自分の記録として、テンションあれこれそのままで揃えます✦


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去年行きました。

気になっていました、実は福島が「最古の桜」なのではって。

 

けれど、そういう発表もしないし…調査とかしていないのかなぁ、しないのかなぁともどかしく。

これが長老!とか、わたしの感覚でやろうかと本気で考えてましたけども(笑)、

遅ればせながら、今年はこんな発表がありました。

 

◆福島民報 4/13(木) 9:20配信
 
 福島県郡山市の開成山公園にあるソメイヨシノの植樹時期が日本最古級であるとの調査結果を市や観光、商工、文化団体でつくる「日本遺産『一本の水路』プロモーション協議会」が12日までにまとめ、発表した。これまで明治15(1882)年植樹の青森県の弘前公園のソメイヨシノが最古とされていたが、樹齢測定調査などから文献の通り明治11(1878)年に植えられた可能性が高いと結論付けた。市はPR動画やパンフレットを作り、観光誘客につなげる。 

 開成山公園のソメイヨシノについては、安積開拓の礎を築いた開成社が明治11年3月、かんがい用の沼の堤に苗木千本を植樹したとの記録が県の文献に残っている。ただ、この時期に植えられたソメイヨシノが現存しているかどうかは分かっていなかった。 
 安積開拓・安積疏水開削事業の日本遺産認定を受け、協議会は今年1月、国の補助金を受け樹齢調査に乗り出した。公園内で最古とみられるソメイヨシノ一本を選定。空洞化した幹の中から木片を採取し、「放射性炭素年代測定」「音響波測定」などの科学的手法で調べた結果、樹齢は推定149年で、文献と照らし合わせると明治11年に植樹された可能性が極めて高いとしている。 
 調査を請け負った同市の造園業者社員で樹木医の三瓶保之さん(56)は「学識者から助言を受け一流の機械を持つ業者と協力して調査した。補足調査も行っており、精度は高い」と話す。 
 開成社の代表社員を務める斉藤久之丞さん(74)は「先祖の魂が開成山に生きていることを実感した」と感慨深げ。市観光協会の菅野豊会長(69)は「郡山観光の目玉の一つとして全国に発信できる素材になり得る」と期待を寄せている。 
......

 

けど、最古とは言わない(笑)。

 

最古級ってのが、控えめというか「福島県中通り」っぽい?なんて思いました?!

頑固ですけどね(* ̄Oノ ̄*)いや勝手なイメージです。失礼しました。

 

話が逸れますので戻しますが、勿論こっちが古いから…とかではないし、

うつくしさは変わらないし。けども、歴史も記録も塗り替えられますので、

事実としてばーーーんと!とは思います。

 

 

安積(あさか)開拓について書きたいのだけど、

ここでまとめるには勉強・時間不足なので、少しだけ。

 

戊辰戦争後の奮起というか、この土地を開拓するにあたって、

この開成山公園の桜や、開成山大神宮は「こころのなぐさめ」で作ったという

テレビでお話がありました。

 

お花見やお祭りで鼓舞するというのは、今も変わらないと思います。

こんなに素晴らしいお花見を見られて、本当にありがたいことです。

 

 

写真はあまり撮れていないのですが、こんな雰囲気。

学生軍団が「愛は勝つ」を肩を組んで歌っておりました(ノ´▽`)ノ ⌒(愛)

信じることさ 必ず最後に 愛は勝つ!!

 

 

↓お開きに、この発表前に知った記事を。

 

◆開成山の櫻

http://www.osakatree.jp/tree-doctor/%E9%96%8B%E6%88%90%E5%B1%B1%E3%81%AE%E6%AB%BB


 仕事の関係で福島県郡山市を訪ねた時のことです。市街地に素晴らしいサクラの大木が並ぶ公園に気がつきました。開成山公園です。平成27年3月末の段階ではサクラのつぼみは未だ膨らんでいませんでした。開成山公園は1972年(昭和47年)3月31日に開設した総面積約30.3ヘクタールの都市公園です。園内には開成山総合運動場、隣接地には郡山総合体育館があり、福島県内では福島市のあづま総合運動公園と並ぶスポーツの拠点であり、福島県を代表する桜の名所でもあります。
 この公園のサクラがあまりに立派だったので、少し調べてみましたので紹介します。
 このあたりは、昔、大槻原(おおつきはら)と呼ばれ、江戸時代には二本松藩の狩場として利用されていました。私の姓と同じだったのに少し驚きました。
 明治初期、地元の中條政恒らがこの辺りの開墾を意図し、地元の富商に呼びかけ、「開成社」を組織しました。
 明治9年の明治天皇の東北巡幸に先んじて下検分に訪れた大久保利通に、中條政恒が福島県と開成社による大槻原開拓事業の成功と国営安積開拓の必要性を力説しました。その熱意を受け、明治政府は、高校の日本史の教科書にも載るぐらい有名な「安積開拓」と猪苗代湖から水を引く「安積疏水」事業に乗り出しました。
 この付近には、昔から上ノ池と下ノ池というため池がありましたが、開拓事業では灌がい用の池としてこれらの池を改修し、五十鈴湖と開成沼がつくられました。
 古いサクラの木は、1873年(明治6年)、開拓を始めるにあたり「開成社」の人々によって、ため池の堤防などに植えられたものだと伝えられています。
 郡山市のホームページによると、当時、山桜2,856本、ソメイヨシノ・八重桜1,036本など4千本近いサクラの木が植えられました。
 サクラの植栽記録としては、開成社百年史(以下、百年史)によると、開成社は明治6年の結社社則に花木苗木購入の金額を具体的に掲げ、明治8年11月14日、社員集会し開墾地周辺に桜苗木の植栽を決定しています。また、「池の周辺には数万本の桜苗木が植えられ、これが生育して花開き、郡山の名勝となった」ともあります。
 さらに百年史によると、遥拝所規則の第五条には「春秋参拝日毎に梅桜、桃、梨等の花木一村二木づつ献納開成山に植付可申こと」とあり、開成社は果物の成る木ではなく、「花木」の植栽に力を入れたことが伺えます。
 この桜にはこんなエピソードも紹介されています。開成社長であった阿部茂兵衛が自らの手で桜の苗を植えている姿を見た人が「あなたは、この桜の花を見られますか。」と尋ねました。茂兵衛は「桜は孫子の時代のもの。必ず町の名所として賑わいを見せる。」と平然と答えたといいます。
 この地の桜の多くは、その後も順調に育ったようで、昭和9年には国から名勝天然記念物の指定を受けています。しかし、昭和35年、運動公園の整備(開成沼の埋め立てなど)に伴って指定が解除されましたが、今でも公園の東西2か所に「名勝及天然紀念物開成山 櫻」碑が残っています。
 これらの記録からすると、公園内の古いソメイヨシノの樹齢は、長いもので約140年を数えることとなります。
 開成山公園の説明によると、現在、公園内には、ソメイヨシノ約860本、ヤマザクラ約70本、カンザン約65本など、公園全体で合計1300本の桜があります。
 現在、日本最古のソメイヨシノは明治15年(1882年)に植えられた青森県の弘前公園の桜とされています。そのソメイヨシノは、弘前城の二の丸与力番所と東内門の間にある、旧藩士「菊池楯衛」により植えられたソメイヨシノ1000本のうちの1本だと言われているものです。しかし、開成山の方が早く植えられたと思われ、当初のものが残っていれば、日本最古、長寿日本一は開成山公園のソメイヨシノであると推察されます。
 ソメイヨシノが比較的短命であることは否定しませんが、「ソメイ60年寿命説」は必ずしも正しくはなさそうです。
 弘前城公園のソメイヨシノは手入れで長寿を保っていますが、開成山のソメイヨシノはどのように守られてきたのでしょうか。見るところ、公園内のソメイヨシノの大木の多くは老朽化しており、ひん死の状態のものも少なくありません。しかし存在感は圧倒的です。
 開成山のソメイヨシノが何故このように、通常言われている寿命の倍以上の樹齢を重ねながら花を咲かせ続けられるのか、その理由を知りたいと思うのは私だけではないと思います。そしてこれからも1年でも長く花を咲かせて欲しいものだと思います。
(大槻 憲章)