<前回の続き>

前編:https://ameblo.jp/omw2610022/entry-12451352762.html

 

その翌年、当時栃木県に住んでた高校時代の親友(バレー部と大学受験期を一緒に過ごして、遠距離になってもお互いファンの矢沢永吉の武道館コンサートに何度か一緒に行って、最近は数年に一度会う感じ。鹿児島県在住)から、これまた半年後に高校受験を控えた甥(親友の姉の息子でヤンキーで、同じ市内に住んでた)の家庭教師を頼まれた。

その彼にはかなり手を焼いたが、5教科全部教えて志望校に合格。それから、その妹(中1)も半年ほど英語と数学を教えた。

 

当時高卒だったから(41歳の時に通信教育で大学卒業)、高校受験の家庭教師ができるような身分じゃなく、あくまでも「なんちゃて家庭教師」だったけど、誰かの人生の岐路に携われて、多少なりとも力になれて嬉しかった。

 

 

そういう経験があるから、40歳の時に母校でした教育実習の授業で全力勝負できたんかもしれへん。

(教務主任をはじめ、教師や実習生が何人も来て、教室の後ろにいすを並べて授業を見てたから、そのプレッシャーもあって必死やった)

 

指導教諭ではないですが、唯一中年の実習生である自分に目をかけてくださって、自分にだけと言っていいほど特に熱く接してくださる先生が、「授業は戦いや!勝負や!」とおっしゃっていたので、「全力で勝負する」という気概を持って挑みました。

 

10代の人へ。(見てないだろうけど)

実習中はどの生徒も真剣に授業を聞いていましたが、そうでない学校も中にはあるようです。たとえ授業が分からなくても、つまらなくても、最低限のマナーは守って、大きな声でしゃべったりして授業の進行を妨げないでほしいと切に願います。

 

全力で挑んだ授業ですが、実習なので当然評価され、指導で厳しいことを言われる時もあるわけです。

自分は頭が悪いというか、精神年齢が19歳で止まったままと感じることがあるから、年下の教師がずいぶん大人に見えた。

ちなみにその授業は、1年生に日本国憲法の制定過程と基本原則について教えたけど、失敗を恐れず思い切ってやれた。もちろん反省点や改善点は多々あるけど・・・。

 

(教育実習記録簿を見ながらこれを書いています。当時の記憶がよみがえると同時に、俯瞰で観ている自分がいます)

 

ホームルームは3年4組の担当で、最終日に別れのあいさつがあって、確か「世の中には本当に色んな職業があるから、周りに惑わされずにどれを目指すかを探して、高校時代にしかできない準備をして、自分に必死になってください。それが今後の自分を支えます」みたいなことを言った気がする。

 

ただ、空気を読まずに時間を忘れてかなり熱く語ったのは今でも覚えてる。

(これは記録簿に書かれてない。当たり前ですが)

 

教育実習で気づいたことがあって、教師が生徒を指導するだけの一方通行的な関係ではなく、教師と生徒の関係は双方向であることが大切で、それにより教師は技量を高め、生徒は多感な時期に大きく成長する

これは教師と生徒の関係のみならず、他にも当てはまる関係はたくさんあって、お互いが与え、享受するものである。そこに真の信頼関係が生まれる。

 

40代で二度、大阪府立高校教員採用試験を受けたけど、合格できなかったから教師の実際は分からないが

人生で大切な時期の生徒と関わって、何かを教え、また、教えられることが教師の最大の喜びなんじゃないかと思う。

 

教員採用試験は年齢制限や受験科目等が各都道府県で異なる。

大阪府公立高校の場合は、45歳まで、筆記試験(一次)は、教職教養(学校組織や職務に関する知識)と、英・国・数・社・理の主要5教科+音楽・美術・保健体育(実技なし)。

 

 

桜満開の母校

 

 

Aqua Timez 「虹」(2008)

 

別々の空を持って生まれた 記憶を映し出す空
君には君の物語があり 僕の知らない涙がある
もしかしたら僕が笑う頃に 君は泣いてたのかもしれない
似たような喜びはあるけれど 同じ悲しみはきっとない
「約束」で未来を縁取り コトバで飾り付けをする
君は確かな明日を きっと誰より欲しがってた

 

「涙のない世界にも その橋は架かりますか?」
壁に刻まれた落書きは ダレカの字によく似てた
悲しみを遠ざけることで 君は橋を架けようとした
けれど 今 傘を捨てて 目をつぶる・・・