私が変わっただけで、
あの人たちは
いっこも変わってない。
今日は主に
私の父親の話を
したいと思います。
さっそく父親を
擁護するようなことから
話を始めますが、
あの人は本当に
ピュアです。
昔から
変わってません。
人として
けがれがありません。
父親は何も変わらず
自分の部屋をどんどん
汚部屋の極みに向けて
進化させています。
行動も考え方も
5歳児のまま
なんにも変わっていません。
結婚しようが
私が生まれようが、
なんにも変わりません。
子育てなんてしません。
独身の頃と
同じように、
夜は飲みに行きます。
休みの日は
遊びに行きます。
ただまわりの環境が
ちょっと変わっただけ。
おばあちゃんがいる限り、
おばあちゃんがごはんを
作ってくれる。
おばあちゃんが
認知症だろうと、
炊事、掃除、洗濯、
カバンの中身の準備まで、
おばあちゃんが全部
やってくれる。
おやつも買ってくれる。
お金も出してくれる。
書類も書いてくれる。
すべて放置しておけばいい。
靴下も
脱ぎ捨てておけばいい。
食べた後の食器も
置いておけばいい。
食べ残しも
置いておけばいい。
ゴミもそのまま
置いておけばいい。
みんなが食事をするキッチンで、
パンツの中に手を入れて
ボリボリ掻きむしる。
何か食べたときに
服にそれをこぼしたけど、
その服は1ヶ月以上
そのまま着てる。
洗った方がいいほどの
汚れなら、
おばあちゃんが
判断して
洗ってくれる。
自分は関係ない。
何も知らなくていい。
なにもできなくていい。
子どもの頃から
なんにも
変わってないのです。
ついでに言うと
おばあちゃんも、
何も変わらず
60年前と同じように
家事をしています。
ただ
勝手に時代が変わったから
適応してないだけ。
おばあちゃんの承諾なしに
勝手に変わっていった
時代が悪いのです。
おじいちゃんだって
何も変わらず
バブルの頃のままでいます。
何もしなくても
経済がまわっていた
あの頃と同じ感覚でいます。
何も変わっていない。
世の中の景気が
変わっているだけ。
商売がうまくいかないのは
景気が悪いせいだし、
年齢を重ねてれば重ねるほど
人は偉いんだと信じています。
とにかく3人とも、
それぞれ
自分の見たいものを見て
信じたいものを信じて
幸せに生きようと
しています。
ただそれだけの話。
それを
他人である私が
とやかく言う筋合いは
本来ありません。
口を挟みたくなることは
たくさんあるし、
実害もたくさんあるけど、
父親からしたら、
気が食わんのなら
お前が家を出て行け!
ってだけの
話なんやろうな。
相手の気持ちになったり
相手の立場に立ったら
すぐにわかることです。
立場や考え方が
違いすぎるだけ。
いろんな人がいるから、
合わない人がいて当たり前。
真逆の人だっている。
まじで理解できない人もいる。
でもそれでいい。
一般常識において
正しいか間違ってるかじゃない。
その人の中で
それが正しいから
そうなってる。
たとえば私が
その人に何か
してあげたときに、
もしも
その人にとって
それが正解なら、
感謝されるはず。
されないのならそれは
私の関わり方が
間違ってる。
その人の正解から見たら
私は間違ってる。
人の気持ちに
正解も間違いもない。
ただ事象があって、
その捉え方があるだけ。
あの3人からしたら、
変わってしまった私が
極悪人なんだよね。
あの3人からしたら、
世間一般の考え方が
間違ってるんだよね。
自分たちは
間違っていない。
世の中がおかしい。
変な人たちがいる。
それだけの話。
誰も悪くない。
誰もおかしくない。
誰も間違ってない。
みんなそれでいい。
それを受け入れる器を
私は少しずつ
そして強制的に
作っています。
なかなか
険しい道のりですが、
私はこの人生で
頑張ると決めて
生まれてきたわけだから、
少しずつ
少しずつ、
成長していきたいと
思っております。