一昨年のバレエコンサートで頂いた蘭、今年も咲いてくれました。
今日は青空も見えて暖かく、ホッとするひととき。
自粛期間だ、我慢の時が言われて長いけれど、こうして季節が巡れ
>> おんぷ音楽館ホームページ
一昨年のバレエコンサートで頂いた蘭、今年も咲いてくれました。
今日は青空も見えて暖かく、ホッとするひととき。
自粛期間だ、我慢の時が言われて長いけれど、こうして季節が巡れ
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この所、オンラインで色々な講座を受講している。色々と言っても、資格を取る為とか、趣味でこちらからあれこれ講座を選ぶというものではない。その対象がある程度絞られたものだ。
主に音大生や音大を卒業した人が、これからどの様に音楽家として自分を知ってもらい、自活の道へ結び付けて行くか?が、そのベースになっている。その為のウエブサイト、ユーチューブの活用法等、様々なノウハウを授けてくれる。
その前段階として、会員になる必要もあるし、ウエブ面接もあって、それなりに大変だったけれど、会員になったからにはそういうチャンスは活かそうかと。正直、私の場合と演奏家としてプロの道を目指しているであろう若い方々とは、ちょっと意識も違うかもしれない。
が、今年はいろいろと「広げてみたい」と思っている。とにかく黙々と手探りながら一人で作曲を続け、それなりに楽しんだり、作品を楽しんで頂いて来たけれど、やはり「今」の流れを知る事も大切かと。さすがにオンライン、「若い顔がいっぱい並んでいるこの画面に参加するの?!」ではあるけれど、「いささか気恥ずかしい・・・」なんて言っていたら一歩も始まりませんからね。
それに最初思っていたより、オンラインでは様々な意見も聞けて面白く、家に居ながらにして出来るのが何より!
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昨日のブログ、阪神淡路大震災とピアノ曲「ラメンタービレ アーメン」、大勢の方々に読んで頂き、心より感謝申し上げます。
それで、もし宜しければ私のホームページ、おんぷ音楽館http://www.omp-office.jpの方にもどうぞ遊びにいらして下さい。私はバレエが好きで、一昨年は自分の作曲したバレエ音楽で「ダーナの泉」というバレエ公演をプロデュースしてみたり、はたまたサッカーの応援歌を作ってみたりと、とにかく色々な事をやっています。
普段はパソコンを使い、自分のホームページから入ってブログを書いているので、ブログから誰でもホームページに行けるものだと不覚にも思い込んでいました。
が、これはあくまでもAmebaブログなので、ブログから入った方には、ホームページの存在をちゃんとお知らせしなければ、そういう事をやっている事自体わかりませんよね。
スマホで自分の書いた記事をチェックしていたら、そんな何でもない事に気づいて、あらら・・・と思ってしまいました!
「ダーナの泉」では4曲程、バレエ曲が聴けます。本当はパソコンにスピーカーをつけて聴いて頂きたいけれど、スマホでも聴けますよ。難解でなくわかり易い、小編成のオーケストラ曲です。
ダンサーのステキな写真も沢山アップしています。私はハイキングや山登り、旅も好きなのですが、昨年はコロナで殆ど出られなかったので、一昨年の公演の整理に時間を費やしました。
オケと出会い、バレエ公演に辿り着いた経緯や、思ったり感じた事など、文も結構沢山書きましたので、ご興味あればどうぞご一読下さい。
阪神淡路大震災は1995年1月17日に発生、今年で26年目になるという事です。その後2011年には、未曽有の大惨事、東日本大震災が発生、その記憶もまだ新しいと感じているのに、もうあれから10年・・・年月はどんどん経ってしまうものなのですね。
ただ、私にとってこの阪神淡路大震災の出来事は、自分の作曲・演奏(活動)の中で、特別の意味を持つものとなって今日まで来ています。震災後の炊き出しの湯気から一つの旋律が生まれ、曲になりました。「ラメンタービレ アーメン」です。この曲はその後、全音楽譜出版社から、「母(ママ)の情景」というピアノ小曲集10曲中の終曲として出版されました。
非常にシンプルな曲なのですが、その後の私の企画するコンサートの中では、必ずと言って良い程、演奏して来ているものです。一昨年のバレエコンサートの第1部でも、この曲は私が演奏しました。
以下、「ラメンタービレ アーメン」が演奏された主な記録です。(この他にも友人宅、我が家等でも演奏されています。)
1995 「岡本由利子オリジナルアルバム'95 」(東京都世田谷区)
1996 用賀中学校PTA研修会(東京都世田谷区)
1997 ピアノ小曲集「母(ママ)の情景」全音楽譜出版社より出版
1998 「岡本由利子の世界」(静岡)、「花とピアノのコンサート」(横浜)三鷹市立第六中学校一日家庭学級(東京都三鷹市)
1999 静岡大学附属静岡中「附中夢講座」(静岡)、「花と夢コンサート」(東京都世田谷区)
2001 「ピアノ&トークin 栃木」(栃木)
2002 「灯を囲んで」(東京都世田谷区)*混声合唱によるラメンタービレアーメンを発表
2004 「神戸メモリアルコンサートin KOBE」(神戸・兵庫)*神戸レクイエム発表
2010 ピアノ伴奏&アレンジ講座クラス交流コンサート 杉並公会堂(東京都杉並区)
2012 かさねがさねの想い(仙台・宮城)
2019バレエコンサート「ダーナの泉」
何故この曲を演奏し続けて来ているかと言えば、いつの間にか、この曲が自分にとって、切っても切れない曲になっているのですね。アンケートの中でも、こういう言い方が良いかはわかりませんが、反応が一番高い曲なのです。
何度もコンサートにいらして下さっている方には、もう旋律を覚えて下さっている方もあります。混声合唱用に編曲し、ドイツ語歌詞で歌って頂いたり、たまたまコンサートにいらしていた神戸出身の方が歌詞をつけ、「神戸レクイエム」として2004年に神戸で発表させて頂いた経緯もあり、かけがえのない1曲になって来ている事は確かです。
忘れられない出来事がありました。私のコンサートを楽しみに来てくれる一人の友人がいて、この曲を演奏した後で客席を何気に見た時、偶然その友人の姿が目に入り、ハッとしました。彼女は涙してくれていたのです。自分の何某かの想いと重ね合わせていたのでしょうか、ハンカチで目頭を押さえていて・・・が、それから数ヶ月後、彼女の訃報が届き私は言葉を失いました。後に、彼女が重いものを抱えていた様だ、と人づてに聞くにつれ、「自分に何かもっと出来た事があったのではないか?」「こちらから働きかけ、一緒に話して過ごす時間を持っていたら・・・」と。
ただ、どんなにそう思ってみても、もうどうする事も出来ない、時を戻す事だけは出来ないのです。この事は、そのまま震災で突然大切な人を亡くされた方と、状況は違うけれど、残された者の思いが何処か重なるとも感じました。この曲に「鎮魂」という言葉は、いささか重過ぎると思いますが、心を込めてこれからもこの曲を弾き続けようと思っています。
実は昨年初め、阪神大震災後25年になる事を知り、神戸の方に何らかの企画はないか?と検索していました。
すると、ひょうご安全の日推進県民会議という組織で「阪神・淡路大震災25年 震災を風化させないー「忘れない」、「伝える」「活かす」、「備える」として”記念事業”を募集していました。が、これは兵庫県内で実施される事業との条件があり、一応活動記録の書類は送りましたが、具体化させるのは難しかったです。ふだんの私ですと、それでも諦めずにもう一歩踏み入るのですが、コロナもどんどん深刻になって来てしまい、無理な状況になりました。
ただ、上記の様に、私自身も震災後からずっと関わり、「忘れない」「伝える」活動は東京方面でこの25年続けて来た事でもあるので、自宅で出来る形として「ラメンタービレ アーメン」の配信に挑戦してみる事にしました。
若い方ならサッサとその手続きも出来るのでしょうが、これが行ったり来たり・・・試行錯誤の末に何とか漕ぎ着けました。チューンコアジャパンにアーティストページという所があって、「ラメンタービレ アーメン」が流れております。
下の画像の入った部分をダブルクリックして頂けば直接入れます。
ご承知かと思いますが、配信というのは、無料ではなく200円程度かかります。
昨年のバレエコンサートにご来場下さった方々には、小さな「母(ママ)の情景」のCDをプレゼントしました。その最終曲になりますのでどうぞお聴き下さい。ただ、配信しているものは、それよりもっと後の演奏のものです。
新年おめでとうございます!
昨年はコロナで始まり、終わった年でした。が、更にコロナは又勢いを増し、東京をはじめ1都3県に緊急事態宣言が出る瀬戸際です・・・今週7日にも発令されるとか。
全く困ったものです。家庭では、うがい手洗い、換気、マスク、もうそれ位しか出来ませんしねぇ、無自覚の場合もある、と言われるともうどうしようもない・・・
それでも年賀状の中に、(不自由さばかりが言われるけれど)戦時中、4年以上耐え忍んだ人達の事を思えば・・・のくだりがあって、かなりグサリと来ました。いえ、その方、戦火を潜り抜けた年代の方ではないんですけどね。
確かに一方では誰の身に降りかかる災難かわからない恐怖がコロナにはあります。今日も医療従事者の方々は患者さんの命を救うべく闘って下さっているでしょう。本当に頭が下がります。
今の所、難を逃れている私の様な家庭の多くは、いろいろ制約はありつつも、それぞれのお家でお正月を迎えた事でしょう。我が家は年末年始は基本、何処かに出掛けたりしないので、いつもと変わらずおせち料理も作りました。
家に居る、居られる幸せ。家族と過ごしたり、食べられる事の有難さ。戦争だったらその全てが木端微塵(こっぱみじん)。ステイホームの不自由さも、「通勤ラッシュは何だったのか?」「オフィスはそもそも必要だったのか?」とかを改めて考えさせられ、別の角度、視点から物事を見る事に気づかされました。でもその思考だって前向きな部分もあって、それもこれも大きく見れば平和であるというベースがあってこそ。
約100年前のスペイン風邪の恐ろしさが、本当の意味で後世に伝わらなかった事を以前、書きました。
私は戦後派と言うより、戦無派。10以上歳の差がある姉兄の様な戦争の記憶は全くありません。父母もあまり戦争についての多くは語りませんでした。でも、聞いた事のわずかでも、若い世代に伝えて行く必要も感じています。
お正月の割にいささか硬い話になってしまいましたが、どうぞ本年も宜しくお願い致します。
今年はコロナで始まりそして暮れ、しかもまだ収束のメドも立たないままで、しんどい日が続きますね。幸い、私も私の周りは誰も罹らず元気にしております。
ただ親戚の一人が秋から不調で、コロナでは無いものの、かなり重い病気である事がわかり、入院となり、心配しましたが幸い無事退院出来ました。
昨年のバレエのまとめをしようと取り掛かり、それなりにこなして来たのですが、最後のあと一息が、そんなこんな急坂で、なかなか進みませんでした。それも書き上げ、翌年に宿題を残す事無く終わる事が出来てホッとしております。
そうですね、今年は在宅中心ではあったのですけど、自分としてはネットワークを広げる事を意識した1年でした。
主に2つあり、1つは「日本作曲家協議会」の会員になった事です。
バレエコンサートが終わってしばらく経ってから、作曲の先生に今後の自分の活動についてご相談した折、この会の話をして下さいました。先生からのご推薦を頂き、入会する事が出来ました。
30年程前、「母の情景」を全音楽譜出版社から出版した折に、一度そういう組織があるお話をお聞きした事がありました。けれど、その時は入会しませんでした。でも今回はこの機会を大切にしたいと思っています。
もう一つは音楽家(主に演奏者)向けのオンライン講座を何度か受講した事。
Zoomとか、最初はドキドキでしたし、時には「それについてどう思いますか、岡本さん?」と質問も飛んで来るので、ボンヤリも出来ず、老いて行くばかりの脳の活性化には良いかも。
ただ、どう見ても若い顔がズラリと並んでいますね~
でも歳なんていいのです、ただ「もっと知りたい」・・・の好奇心だけ(笑)
「サブスク」というもはや我々世代には別世界の様に思えるものにも、1曲トライしてみましたので
来年、そのご案内もさせて頂きますね。
これから恒例のおせちの準備です。
年末年始は寒波も来るとか、お身体お大事に、皆様、どうぞ良いお年をお迎え下さい。
孫が小学生になり、図書館でこんな本を借りた、という話が出る様になった。
自分にもその頃を思い出すと、忘れられない大切な1冊の本があって、今日はその事について書いてみようと思う。
もう半世紀以上も経つ昔の本を、いまだに持っている人なんているのだろうか?勿論私もおおかた子供の頃の本は処分してしまった。けれどこの1冊だけはあたかもバイブルの様に、数回の引越しの際も決して捨てずに今日までに至っている。それ程、想い入れの深い本だと言って良いのかもしれない。それは「アルプスの少女」、つまり誰もが知る「ハイジ」の本だ。
でも、写真をよく見て下さい!定価180円。現代ならペットボトルでも高い物ならこんな値段のもありますね。貨幣価値もそんな時代だったのです。
(*写真の絵本を見て、見覚えのある方はきっと同世代でしょう。話がそれるので末尾にそんな”同世代”に当たるヒントをあげておきますから後でごゆっくり!)
さて、話を元に戻そう。私の母も、そんなに頻繁に本を買って来てくれていた訳ではない。
ただ、字が読めたり書ける様になって来た小学1年生の頃、それなりに厚みのある、なかよし絵文庫の「アルプスの少女」という本を初めて手渡された時は、ドキドキとワクワクでいっぱいになった!
本のページをめくると、新書独特の匂いがプーンとして、それは今も記憶に残っている。
勿論、物語の内容は昔と今と変わらないと思う。が、それは子供向けにカラフルに彩られた、わかり易い本と言うより、児童文学書とでも言うのか、ちょっと堅い雰囲気のものだった。色のある挿絵はわずか・・・それだけに文字を読むからこそ広がる想像の世界は、はかり知れない。そしてたまに出会うその挿絵は本当に美しくて、食い入る様に眺めていると、スイスという見知らぬ世界へのあこがれがどんどん強くなって行った。
枯草をくるりとシーツでくるんだベッド、寝ながら窓からのぞめるアルプスの山や谷、夜になるとささやく3本のモミの木、そういうシーンが一字一句沁み込んでくる・・・きっとそれはすきま風も吹き込む粗末な小屋に違いないだろうけれど、ハイジの明るさとそれを見守るおじいさんの温かさが家中を包み込んでいた。
ハイジは6歳という事だ。5歳の時に両親と死別してデーテおばさんに育てられていたが、そのおばさんが遠い町に働きに行くので(後に出て来るクララの家)、おじいさんに預けられる事になった。一方おじいさんは昔ひどい目にあわされて以来、人嫌いのがんこものになり、多分それで人里離れて一人暮らしをする様になっていたのだろう。両親を亡くしながらも無邪気で、おじいさんに真っすぐ飛び込んで行く元気なハイジ、でもまだまだ幼くて無力。その子の為にベッドを作り、チーズを切り、パンやミルクを用意してあげるおじいさん。歳の差も違う孤独な二人が、それぞれの持ち味で、お互いの心の隙間を埋め合っている。多分、直感で気の合った二人が暮らし始める所から物語は始まる。
先日読み返してみたのだが、アルプスの自然の美しさだけでなく、そういった人物設定や状況設定といったベースが、とてもしっかりしている物語だと思った。それはその後に繋がるペーター、クララとの出会い、そこには19世紀のヨーロッパの貧富の差もはっきり描かれていると感じる。都会のお屋敷に暮らすクララは、病弱で一人で歩けないので、デーテおばさんは話し相手にと、半ば強引にハイジを山から連れて来る。幸い二人はすっかり仲良しになるが、山に早く帰りたいハイジは夢遊病になり、結局山に帰る事になる。子供心にも、夜中にお化けが出ると言われたこのシーンはドキドキして「むゆうびょう」という言葉はこの時初めて覚えた。翌年、クララはアルプスの自然の中でハイジと暮らす事で元気になり、最後はペーターのクララへの軽い嫉妬が、車椅子を崖下に突き落とさせるという事件を引き起こすが、その結果、クララが歩ける様になるという結果オーライをもたらす。都会で物質的には豊かな暮らしをしていても、友達もおらず食欲も無く、寂しかったクララが、自然の持つ治癒力と、友達を得た事で息を吹き返して行く様子が描かれ、一方で山で暮らすハイジやペーターの様な幼い子には、字を覚えたりと教育も必要なのだという事もきちんと言っている。さり気無くきめ細やかに、とても大事な事も伝えているのだ。
よーく考えてみると、いつの間にか私も山に登る様になって、ヒューヒューと吹きすさぶ風の音を凍える思いで聴いたり、息を飲む程真っ赤に染まった西の空をただ見つめていたり。道中で、具合の悪い人が出れば、山仲間は誰もが持っているものを出し合い助け合う。くたびれ果てて、ようやく山小屋に辿り着けば、温かいストーブが待っていて、思わず身を温める。食事は地上にいる時より、どれも美味しく感じる・・・
「何故苦労して汗をかいて山に登るの?私は絶対イヤ。」なんて言う人もたまにいるけど、自分の場合は、幼い頃の心の原風景をどこかなぞっている様な気もする。
戦後生まれ、高度経済成長期時代に幼少期を過ごし、幸い恵まれ育った。
でも、山に登ってみると、人は余分なものをそぎ落として初めて有難さにも気づき、人間らしくなれるものなのかもしれないと思ったりもする。最低限の持ち物で、ややこしい言葉は要らず、自然に包まれているだけ。勿論自然は厳しい事もあるけど。でも、次々流れて来る雲を眺めていると、それを様々な動物の追いかけっこの様に感じて嬉しくなったりする!この歳ではいささか浮世離れしているかもしれないし、子供っぽいかもしれない。けれど、かなり幸せな瞬間だ。
話は飛ぶが、実はバレエ「ダーナの泉」の「村の風景」の曲は、このアルプスの風景が原点にあって、自然に生まれた音楽だ。ホルンが響き、よくあるパストラーレ(牧歌的)風の音楽だね、と言われるかもしれないが、私にとって書かないではいられない、真っ先に書き上げた曲だった。
ところで、この「アルプスの少女」のお話の舞台となったと言われているのが、スイスのマイエンフェルト(Maienfeld)という、人口2,500人程の小さな村。一生の内に是非その村を訪ねてみたいと思っていた。もう15年以上前になるのかな?主人がスイスに仕事で行くと聞き、チャンス到来!とばかりに一緒に行かせてもらい念願が果たせた。
休日、列車を下りると、そこはスイスらしい風景の広がる村、雨上がりだったので霧かモヤの様なものが山には立ち込めていて幻想的な雰囲気がした。けれど、いざ観光名所であるその場に行ってみると、いささか拍子抜けした。
「アルプスの少女ハイジ」はあまりにも世界的に有名になってしまっていた。「これがお話に出て来る小屋。」とか言われても、フンフンと、いささか観光地化されてしまっていて、興ざめの感は拭えない。
どんな良い所でも、観光客が相手になり商売に向いてしまえばこれも致し方ないか・・・
それでも此処まで来たからには、と結局、思うツボにはまる。
記念のTシャツをゲット。もう何年も着てヨレヨレになったが、これまた捨てられない症候群の私の事、「さようなら!」と何度か古着リサイクルの袋に入れてはみるものの、見事?!その都度カムバック。
結局、子供心の想像力がかきたてた、自分なりの「アルプスの少女」の世界に勝るものは無いんだと妙に納得しつつも、きっとこの古着を抱きしめ一生過ごすんだろうなぁ。
*「あなたが私と同世代の方かどうか?」
は以下の言葉の幾つかが通じる、ああ知っている、わかるならば同世代!
更に詳しい同世代の中でも分かれ目を示すのは脱脂粉乳か
*見ていたTV番組:スーパーマン、月光仮面、ラッシー(コリー犬の話)、お笑い三人組、チロリン村とくるみの木(バナーヌ夫人)等
*音楽:怪傑ハリマオの旋律がちょっと口ずさめる
*駄菓子屋:
おせんべいは醤油煎餅が高めで1枚10円だった。それらをばら売りで買えた。
菓子類は瓶か木の縁のガラスケースにザックリ無造作に入っていた。
確か黄色い縦長パッケージのミルクキャラメルはもうあった。
三角ジュースと言う、多分添加物入りの黄色いジュースを売っていた。
*おもちゃ:ホッピング、フラフープ、抱っこちゃん人形、ミルク飲み人形
*給食:脱脂粉乳のミルクを飲んでいたが、確か小学3年生頃牛乳に変わり、とても嬉しかっ
た。小学生時代は脱脂粉乳だけだったと言うあなたは私より多分年上です(笑)
*路面電車が走っていて、乗り物の切符に、はさみを入れる時代だった。
*お祭りの時、その頃から、「ろくろっ首」はあって、ものすごく不思議だった。
*遊園地に”ビックリハウス”という乗り物があって、怖がりながらおそるおそるいつも乗った。
今年も梅の季節が来て、梅ジュースを作りました。毎年、同じ時期に同じ様な内容をアップしている気もするけれど、それはそれで変わりなく過ごせているという有難い事かもしれません。
昔は梅干しや梅酒、いろいろ作って、今も沢山採れれば作る年もありますけど、孫達には梅ジュースが一番、今年は全部梅ジュースにしました。真夏の暑い日、お風呂上りに冷えた炭酸で割って、氷を浮かべれば最高!疲れが取れる気がします。梅は身体にいいんですよね。
左側は透明度が高く、綺麗に出来ました。これは毎年、義母へ献上?!するもの。割れや傷の無い梅を選び、一つ一つに竹串で細かく穴を刺して漬けます。やはり気合を入れると言うか、丁寧に心をこめると出来上がりが違う気がします。きっとお料理も同じなんでしょうけどね。
でも、家で採った梅は地面に落ちたり、傷のあるものも結構あるので、それはそれでナイフで傷んだ部分だけを取って漬け込みます。右のものは今、香りも良く飲み頃で、どんどん飲んでいます。
採り切れず落ちて来た梅や、採ってもすぐ処理できなかった梅は、熟してどんどん黄色っぽくなってしまいます。梅干しなら、黄色梅も良いけれど、ジュースとなると大変!香りはあるけれど、シュワシュワ発酵した様に気泡が上がって来るので、慌てて飲んだり、ジャムにしてみたり。追われる様に忙しい日もあるけれど、楽しくもあり、そんなこんなで6月が過ぎて行きます。
いつもこの時期になると、「そろそろどう?」「そろそろ来てくれる?」と、どちらからともなく声を掛け合う友人(子供の小学校時代のお母様)がいて、毎年、梅採りに参戦してくれます。ただ買って来た梅を漬けるなら、今の所そんなに大変では無いけれど、採るのはなかなかなので。
我が家が引っ越して来たもう35年以上前、前の住人は余程梅が好きだった様で、複数本の木が植えてあったのです。その時から既に木はかなり大きく、梅の実は手の届かない高い場所についていました・・・今や幹の中は空洞の老木となり、うろこの様になった表皮一枚だけで生きている木もあります。でも健気に今年も実をつけて・・・
高枝バサミを最高に長くしても、全く届かないので、脚立を立てて一人が押さえ、一人が上って近くの塀の上に乗り移るんです。それから塀の上で、木につかまりながら高枝バサミを持ち上げて採るんですが、これがかなりの重労働の体力勝負。ずっと上を見上げているので首が疲れるし、光線の加減で、青梅は緑の葉の中に何度か姿をくらますんですよ。最初は丁寧に採っていますが、次第にもう言っていられなくて叩き落としています。下にいるもう一人が実を拾い集めますが、これを交替しながら。実が割れない様に傘で受け止めた事もあったなぁ(笑)
でも、綾小路きみまろじゃないけれど「君は若かった、あれから何十年・・・」なのですよね。
昨年も、私が塀の上で高枝バサミを振り回していたら、通りかかった知らないおじいさんが、
ジーっと私を見上げて、心配そうに声を掛けて来るんです。
「奥さん、もう止めた方がいい、止めた方がいいよ。」
って。
わかっています。でも、お願いだから今、声掛けないで・・・集中力が切れるともっと危ないんです。何せ塀はそれなりの高さ、160cm位はありますし、道路側はコンクリートで、落ち様ものなら大変な事態になるので、相当慎重を期してやっているんです。
でも、ご忠告は有難く。今、「おじいさん」とまるで自分が若い様に書きましたが、単に「おじいさん」が「おばあさん」に注意しただけの話ですからね。
はい・・・けれど、やっぱり何処かで「わかっちゃいるけど止められない。」のよね。
まぁ、これ、高齢ドライバーの免許返納と同じかな?
「年貢の納め時」そしていずれは「老いては子に従え」で周囲からストップがかかるか?
色々、脳裏に浮かんだけれど、今日もなんだかんだ「負けましぇん!」と、スクワットをちょっとだけしてしまうのでした。