えっとこのブログを読んで下さっている方々は、私の友人始め、比較的同世代の年配の方が多いと思います。そんな方々に、私の体験をお話する事で、少しでも参考にして頂いたり、役に立てて頂きたい事があります。もし読んで下さっている方が、ずっと若い方であったとしても、あなたにとって、ご両親、ご親戚、先輩や先生等、少し年配の大切な方が何人かいらっしゃるでしょう?もし身近でそんな事があるのか?!と感じたら是非お伝えくださいね。

 

もう、タイトルから感づかれたと思いますが、我が家にも特殊詐欺電話がかかって来ました。

でもご心配なく。すぐ気づきましたので、被害は全くありませんでしたが、今、在宅を狙って被害が急増しているそうですよ。別の意味の緊急事態のお知らせです。

 

丁度その時のメモが残っていますので、どんな内容だったかお伝えしましょう。

それは区の保険年金課を語る男からの電話でした。携帯電話ではなく固定電話からです。

「以前、一世帯に対し、お戻し出来る累積医療費のご通知を差し上げたのですが、そのお返事をまだ頂いておりませんが・・・」と始まったのです。はっ?えっ?と思うじゃないですか、そんな通知来ていたかな、もしや見逃していた?いや、来た覚えはないけど・・・すると続けて

「26年~30年の5年間の、累積医療費計23,368円をお戻し出来るご通知を、以前差し上げてありますが、その回答の期限から半月経っております。それで『期限外手続き』扱いで、同様にお返事を頂けなかった方々にご連絡させて頂いております。つきましては明日以降、お手続きの上、お戻し出来ますので、明日改めてご連絡させて頂きます。手続きには4点程、通帳、キャッシュカード、身分証明証、認印が必要ですのでご用意下さい。それでは失礼します。」

と、電話を向こうから切る方向になりました。

 

後でゆっくり考えれば、ああ、これが還付金詐欺か、と思います。でも、その時はすぐこれが還付金詐欺とは気付きませんでした。オレオレだったらピンと来たと思いますけど。ただ、何と言ったらいいかわかりませんけど、どことなく感ずる違和感というものが拭い切れず、とりあえず確認してみようと、役所に電話してみました。

 

すると窓口の担当者が、答えるのには「こちらでは累積医療費のご案内など一切しておりません。それは今流行りの詐欺の手口だと思いますので十分お気を付けください。」

ほーら来た!やっぱり、と。

 

実は数ヶ月前にも警察から一本の電話があったのです。「最近、詐欺電話が横行しており、被害も急増しております。ご注意下さい。」これだけです。はい、わかりました、と思うじゃないですか。でも、これ、詐欺電話でした。この時は、たまたま相手が所轄というんですか?

私の住んでいる地域を管轄する警察署の名前を間違えていました。それと話していて、やはり何となく感じる違和感があり、多少勇気が要りましたが、警察に電話してみました。すると

「個人のお宅にその様な注意喚起のお電話は特に差し上げておりません。」との答え。それどころか、「必ず又電話をかけて来て『先日の件ですが、お宅のクレジットカードが不正に使われている事がわかりました。つきましては直接お伺いし、確認をさせて頂きたい。』と言ってスキミングに及びます。」との事。くわばら、くわばら、油断も隙もありゃしません。

 

つまり最近の傾向として、①まず固定電話からかける事で信用させる。②最初の電話でいきなり怪しい動きをかけない。後日改めて電話する事で、あの時の人だと安心させて本題に入る。中高年は特に警察、役所からの電話は信じ易い所、ありますからね。

 

それで最初の還付金詐欺電話の話に戻りますが、この時も私は警察に電話しました。すると対策は「留守番電話にしておいて下さい。」とのアドバイス。

うーん、留守番電話・・・こうなると、そもそも固定電話は要るの?と思ってしまいます。固定電話が必要か否か。子供が小さかった頃、携帯はまだ無く、幼稚園や小学校の連絡の必需品だったし、その後、携帯が普及してからも、電話代は固定電話からの方がずっと安かった。けれど時代も変わったし、もう必要無いかも・・・と主人に話すと、いまだに中高年世代には、固定電話を持っている事が、ビジネス上の信用の一つにもなっているそうなのです。

 

若年層ならスマホは当たり前、固定電話は不要ときっぱり言い切れるかもしれない。でも想像してみて下さい。あなたが歳をとってその子供達世代に「スマホはもう古いんだよ!」と言われたら?!絶えず好奇心を持って、新しいものに乗り換えて行く人ばかりではないでしょう。むしろスマホの良さや愛着すら感じ、又は何かを変える面倒くささでそのままとか。繰り返しです。

 

先日「ためしてガッテン」で、特殊詐欺被害について取り上げていました。(2020.4.15NHK)ある地域の住民に、特殊詐欺を防ぐ為に留守番電話を呼びかけるんですね。すると「はいわかりました。」と皆さん留守電にするのですが、後で電話をしてみると、留守電は解除されてしまっている。その理由を聞くと「掛けて下さった方に失礼だから・・・」と。確かに逆の立場になると、せっかく電話してみたのに無機質な留守電の応答が返って来て、ちょっとガッカリ・・・はあるものです。この場合、更に在宅でありながら留守電にするという申し訳なさは、わからないでもありません。

別から聞いた事ですが、お年寄りの中には独りぼっちで寂しくて、電話が鳴るだけで嬉しくなるという話も聞いた事があります。そんな心理を突く、卑劣な犯行ですよね。

 

「ガッテン」では別な実験もしていました。制限時間の中で、何か細い物を机に立てる、という課題です。「残り時間、あと1分!」というような声を室内での放送で流すと、人は比較的落ち着いて対応し、かなりの数を立てられる。ところがイヤホンで流されると、たちまち冷静さを失い、何本も倒して立てられない。耳元で言われると人間は焦り、平常心を保てなくなる、と。

この心理的な追い込みも犯人は巧みに利用しているのだそうです。まさにあの手この手ですね。私に来た還付金詐欺犯も、「返答期限が遅れていますよ。」とドキッとさせ追い込んでおいて「遅れてもそういう方は他にもいらっしゃるので、まだ大丈夫です。」と優しい声で安心させる。全くそこまでの演技をするなら役者になって、人を感動させる人間になれば良いのに・・・

 

さてはて我が家も「常に留守番電話を設定しておいて下さい。」と言われたのですが、それは納得するものの、何だか消極的だな~・・・と思ってしまいました。昨今、自粛要請で在宅が多いので、刑事もののTVの見過ぎ?!警察に詐欺犯からの固定電話番号を伝えたので、いずれ警察が我が家に来て逆探知で踏み込むのかも、と緊張していたんですけど・・・尤もこれ又時代は進んでいて、私が番号を伝えた瞬間に犯人を追い詰めているのかもしれないですが。

 

特殊詐欺被害総額平成30年12月末で都内約85億円。昨年1年間の日本全体の被害総額は約301億5000万円。それだけの金額が詐欺グループに奪われているのだそうです。

 

被害の無い人も警察に通報を、と私は思います。「詐欺電話が掛かって来た。」で終わりでなく、何月何日何時に、この電話番号からどの様に掛かったという情報提供を。その数、ものすごくなると思いますが、それがより本当の実態です。被害者からだけでは全容は掴めません。

 

今、日本のコロナの致死率は分母のPCR検査数が少なくて確かじゃないって言われていますよね。そもそも何人が感染しているかわからないというこの話、どことなく重なるんです。

今回、私も「何か変。」という直感と確認の一歩で難を逃れましたけど、先述の様に、向こうも変容しては襲いかかりますからね。免疫があるつもりでも、いつ何処からすり抜けて入り込むかわからない。ここは保健所ならぬ警察に少しでも情報提供して相談しましょう。

 

それとこの話、決して固定電話だけでなく、メール、SMS、あらゆる手段で偽の宅急便のホームページにアクセスさせようとしたり、10万円給付を語って悪さをしたりと、枚挙にいとまがありません。十分お気を付け下さい。前回志村さんの笑いの話をしたばかりなのに残念です。

 

長くなりましたが、最後に私からの対策お勧め器具をお伝えして終わりにします。

それは「自動通話録音機」です。実は留守番電話設定を警察から勧められた時、私は先述の様に、何かが物足りない様な気がしていました。そうしたら対応した婦人警官の方が「それではこれはご提案ですが・・・」と、自動通話録音機設置を勧められました。知人で、もう使っている人がいるので「あ、あれか。」と思いました。

 

結論から言うと我が家では設置しましたが、とても有効だと思います。何より、自宅電話の呼び出し音が鳴る前に「この電話は振り込め詐欺等の犯罪を防止する為、自動録音します。」と先方に伝えている為に、声紋を残したくない犯人はこの時点でかなり切ってしまう様です。

固定電話に掛けて来る数人の知人、友人には、事前にこういう器具を取り付けてある、と伝えておけば良いですしね。”絶対に大丈夫”とは言えないそうですが、今の所、電話の呼び出し音が鳴った時には、知人しか掛かって来ないので、本当に気が楽になりました。

この自動通話録音機、無償貸与=(無料で貸し出し)です。区外に出る時は返却する必要があるそうですが、設置費用も無料。大きさは12×9.5×3cmと小さめ。婦人警官の方が来て、10~15分で取り付けて行きましたよ。区でなくても市町村にも備えてあるのでは?と思います。

志村けんさんがコロナに感染したニュースはかなりショックだった。

本当に急坂を転げ落ちる様に、というのだろうか、病状は悪化、誰もの心の準備も待たずに逝ってしまった。

 

「八時だョ!全員集合」は当時良く見ていて、荒井注さんが活動休止を宣言、志村けんさんが舞台にウロチョロと?!でもかなり目立って初登場した時の事も覚えている。

毎週見ていたかどうかは記憶に無いけど、舞台上の火事、停電騒動の時は私も丁度見ていた。生放送だからこそ起こるハプニングにドキドキ、でも「どうなる?どうなる?」とも、興奮したものだ。

 

一番記憶に残っているのは「ヒゲダンス」で、あれはまだ、結婚して間もなく位だったのではないかな?主人、ヨチヨチ歩いていた子供と私とで、列を作ってペンギンの様に手をピン!とさせて家中を行進した記憶も。若かったなぁ~ あの頃はまだ主人の転勤で関西にいた頃じゃなかったかな?知り合いもいなくて、一人子育てに奮闘していた頃、あのノリの良い、何処かユーモラスなリズムと旋律を、ウキウキ心から楽しんだ!

 

先日、共演者だった研ナオコさんと優香さんが志村さんの事を語っていて面白かった。

コントをする時、リハの時には素振りも見せないのに、本番になると共演者が吹き出す様な事を影でやって笑わせていたらしい。TVを見ている私達は、その共演者の、思わず笑い出す姿に、つい一緒になって笑ってしまう。それは台本に書かれた作った笑いではないから・・・

 

でもそれには志村さんの計算があった。彼は、カメラワークを利用して、コントの相手にちょっとした仕掛けをしていたのだ。カメラは共演者の研ナオコさんや優香さんの表情はとらえていても、向き合っている志村さんの表情は映さない。多分とんでもない変顔でもやっていたのだろうけど、そこにはカメラのスタッフとの綿密な打ち合わせがあったのだ。

 

自宅には山の様な外国のコント等の映像や、レコード、CD等の音源があって、その数、お店でも開けるんじゃないか、という程だったそうだ。「笑い」をとことん追求していた人だったのだ。

そして、仕事以外の時は寡黙でじっくりお酒を飲むタイプだったそうで・・・

私の知り合いが、昔、渥美清さんと新幹線で乗り合わせた事があったそうだ。渥美清さんと言えば寅さんのイメージだが、もの静かな雰囲気で、難しい本をいっぱい読んでいらしたという。

 

ちょっと面白い人、人を笑わせる事の出来る人は、その性格を活かしてそういう仕事に就いているものだと思いがちだけど、本当はいろいろなのだろう。根っから面白く、そのまま地が出て自然体で変わらない感じの人もいるが、実は違う顔を持っていて、非常に慎重に詰めて行く人も・・・志村さんは笑いの才能と緻密さの両方を持っていたという事の様だ。


だけどそもそも「笑い」って何だろう?あらゆる病気にも、笑う人程、免疫があって強いという話も良く聞くが。

話は飛ぶが、「ダーウィンが来た」は好きな自然番組で、映像も素晴らしいが、動物の子育て辺りがいつもウズウズと落ち着かなくなる時間帯になる。例えば鳥。親の子育ての必死さとヒナの可愛さの一方で、その卵やヒナを狙い、生き残る為に襲って来る動物がいる。し烈な闘いには奪い取ろうとする「必死さ」と、守ろうとする「怒り」が渦巻いている。こんな構図、人間社会にも同じ様に無いとは言えないが、それでも人間は恵まれ、優しさや思いやりという、かけがえのないものも持ち合わせている。更に笑いまでも・・・

 

その昔、年配の男優さん、誰だったか名前を忘れたが、「笑い」について語っていた事がある。正確ではないが、ざっとこんな事を言っていらした。

「悲しんだり、怒ったり、力強さや優しさ、恐れ、喜び・・・私達は演技を通して、見て下さる方に感動を届ける事が出来るかもしれない。けれどね、人を笑わせるってこれ、本当に難しいですよ。」

 

志村さんの訃報の出て間もなくのある朝、昔の志村さんのコントをTVでちょっと流していたのだが、あまりにもそれが可笑し過ぎて、私は思わず爆笑してしまった。何だか不謹慎かもしれないけど、とことん馬鹿になり切れるって凄い!時代もあるかもしれないけど、昨今、カッコつけたものが多い感じで、声を上げて笑い、涙が出る程笑ったというのも本当に久し振り!!

 

彼にとって、今回の事は突然過ぎ、きっと不本意な死だったに違いない。でもコロナでこんなにも深刻で沈鬱な日が続く中、あなたの芸で、思い切り心から笑わせてもらった!

志村さん、きっとあの青い空の上から、ちょこっと下界を覗いて「してやったり。」と、にんまり笑い、お酒をすすっているかも・・・

 

ご冥福をお祈り致します。そして沢山の笑いをどうもありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まずは先日散歩で撮ったお花見の写真を。

 

 

 

 

 

先に断っておきますが、これ、自粛要請が出る前です。素通りのお花見ならOKって言われていた時に近所に住む友人とサッと行って来ました。最後の写真は「源平桃」と言うそうです。

 

春の訪れと共に、きっとオリンピックで盛り上がり始め、明るい話題が届いていたであろうこの頃に、相変わらず辛抱の毎日ですねー

別にオリンピックでなくても、メジャーの大谷クンの溌剌とした姿も見られないし、高校野球もそうだったけれど、サッカーその他、春到来を感じさせるスポーツが一つも動かない・・・切ない~

 

「3密」(密閉、密接、密集)がコロナ感染に悪いと言われていますね。当たり前の事かもしれませんが、「3密」って裏返すと、楽しい場が多いのかと。日常生活は普通にしていて良いとの事だけれど、時々そこから飛び出して音楽を聴きに行ったり、観劇に行ったり、レストランで友達と時間を忘れて喋ったり、列車で旅に出たり、区のスポーツ施設を利用して汗を流してみたり。ライブや小劇場の楽しさは演者と観客の一体感かと思うけど、今回ばかりはドツボにまずい状況・・・こうしてみると、人は人との中で如何に楽しんでいる事が多いのかとも改めて思う。

 

こういう「とんでもない事」は本当に起こって欲しくはない事。だけど物事をいろいろな角度から見る事にもなる。どんな軍事費をかけたって、「あの国には負けたくない。」とか張り合ってみたって、こんな目にも見えない敵の前に、人間の命は一瞬なんだって事も思い知らされてしまう。

ある意味、幸いにして今、罹っていなくても、上に書いた様な「閉じ込められ」感で精神的に追い詰められて行く人は増えるだろうし、「いつ私が?」と心配し始めたらキリはなくて、心の面も蝕む恐ろしさがある。

 

まだ真っ最中で検証は後になるだろうけど、マスクはもっと国産で出来なかったか、とか、あまりに外国人頼みにして来た事がもたらした事もいっぱい見えて・・・と言ってもそれにはそうせざるを得ない事情もある訳だ。少子化がもたらすもの、社会はどんどん変化して行く。

日本はこれからどうして行ったらいいのだろう?

 

それはさておき、少し前までは、この事態が起きても、自制の念のきく日本人であった事にホッとしていた。災害が多い国、誰もが災害が自分に起きてもおかしくないと捉え、「自分が、自分だけは。」をむき出しにしない国民性は、やはり民度が高い国なのだと誇りすら感じて。

 

それが、ある日スーパーに行くと紙類は全て無くなっていた。マスクは勿論すぐ無くなったけれど、紙類も?と思っているうちにアルコールを含んだ手拭きや石鹸も、どんどん無くなって、ある日はラーメン類がかなり棚から消えた。その後、紙類も日常の食品も十分に在庫がある話がTV等でも繰り返し流され、ティッシュやトイレットペーパーはある日も増えたが、この週末の自宅待機を求める宣言で又消える速さに拍車が・・・

いえ、それで民度が下がったとか言う訳ではない(笑)我が家の近くのドラッグストアでも、別に何パックも抱え込んで帰る人はいなくて、皆一つずつ程度。でも普段と違い、ひっきりなしに客が入れ替わり入っては足早に帰って行く。だから当然の行動をしているのだけど、誰もがするから品物が無くなる→不安になる→慌てて買う、の繰り返しになるのよね。

 

ところで、この写真、な~んだ?!

 

おっ、ケーキの上に抹茶マカロン?!

なんちゃって、誰でもわかるでしょう、固形石鹸!

そう、固形石鹸って、最近全く使わなくなった。最初に出たのは液体せっけんで、容器からピュッと出るのが便利で、そのうち泡のモコモコがプッシュすれば出回るようになってからは、専らそればっかり。でも、泡の詰め替え容器まで売り切れているのを見て決めた。「お前の出番じゃ!」と眠っていた固形石鹸を取り出した。昔なら、固形石鹸で手を洗うのが普通だったじゃない。「一つがすり減って小さくなったら、新しい石鹸にちょっとお湯をつけて、そこに小さくなった石鹸をつけて(コバンザメ状態にして)大事に使うのよ。」なんて母親に言われたものだ。

引き出しを開けたら出て来るわ~いささか断捨離苦手な私なので、若干カピカピになってしまった物もあったけど、取っておいたのが意外な所で役に立った。当分私はこれで行く!!

 

皆さんどうぞお身体お大事に!

コロナウイルスの蔓延で、日本中、1億数千万人ジッと我慢の子、の日々が続いている。

 

見えない敵と闘う難しさ・・・私も2月3月に予定していた計画はほぼ取り止めて、在宅の日々が続いている。とは言え、時にはやや遠くまで出掛けなければならない日もあるし、買い物に、スーパー等に行くのは今まで通り。感染を防ぐと言っても、TVで言っている、マスク着用や帰宅後の手洗い位しか出来ないなぁ。まぁ、なるべく食べて寝て、こんな時だから気持ちはなるべくゆったりと、と思っているけれど。

 

それでも救われるのは、あんまり小さな子供達に甚大な被害が今は及んでいない事だ。

裏返せば、自分も含め、年代が高い程危険な訳だが、やはり小さい抵抗力の無い子供達は無事であって欲しいと思わずにはいられない。

 

密閉した空間でなければ、そこまで神経質にならなくて良い、というのを知ってか、先日、スーパーに行った帰り、いつになく、にぎやかな声がするので何だろうと見たら、公園に子供達がいっぱい!男の子達が大きな声でワイワイ遊んでいて、笑い声が聞こえる。いいなあ!急に元気が出た。孫を連れて、この小さな公園に何度か行く事はあるが、いつもまず、人のいた事がない。砂場はあっても、猫が入る為かネットが掛けられているし、いつ行ってもシーン。久々、昔、遊び回っていた頃の懐かしい、子供達同士の弾んだ声を聞いた。

 

私はTVでのスポーツ観戦も楽しみにしているので、世界フィギュアを心待ちにしていたのに、これも中止になってガックリ・・・あーこれは無観客でもTV放送して欲しかったなー

フィギュアは特にその演技だけに集中してカメラワークで追っていくので、出来なくもない様な気もしていたのだけれど。せっかく此処に合わせて調整して来た選手たちの、シーズンラストの集大成の演技を見たかったなぁ、と残念で仕方ない。

けれどそれは観客の立場。主催者の立場になったらこの決断も致し方ないか。

 

そこに行くと今場所の相撲はまさに神事の如く。観客がいない静なる空間が、如何に多くの発見をもたらしているか。朗々と響き渡る呼び出しの声、力士の息遣い、ぶつかり合う音・・・

観客の応援の熱気の中で、格闘技の様に勝ち負けを競う、それも相撲。けれど、この、今まで見た事も無い世界も、私は興味深くて、この場所はついつい見てしまう。

「あー 音というものは静かな所から生まれて初めて聴き取れるものなのだ。」

と、その静けさに感動したりもする。

 

とは言え、話は元に戻るが、ずーっと子供が家にいて、しかも遊びに行こうにも、何処もかしこも休園、休館、これじゃ本当に親も大変だ、ストレス溜まるだろうなー 勿論子供もだけど。

 

今回は断水、停電という類の問題ではないけれど、別な意味の深刻な問題。

それだけに文化的なもの、劇場、音楽会をはじめテーマパークの閉鎖、エンターテイメント的な催し物が次々に中止になってみると、私達はそういうもので如何に潤っていたかもわかる。

 

ま、ちょっととりとめもない話にもなったけれど、気分晴らしにお花の写真を少し。

 

 

一つ目。これは去年もアップしましたね。私の大好きな土佐水木です。私流に、この花を逆さに、上が頭、下の方をドレスに見るんですねー するとほら、ドレスを着た女性達が、いそいそと出掛ける所みたい。(え?そうは見えない?!)

この色も春らしくて好きですねー グリーンがかった黄色の小花が日、一日と大きくなって行くのは、毎日見ていても飽きない。何だかこちらもウキウキして来るのです!

 

 

 

後の二つはラン。これは昨年のコンサートで頂いたもの。正直、あんまりランの扱いには自信が無くて、枯らしてしまうかも~ と思っていたのですが、蕾をつけてくれた時は嬉しくて!

特に白い胡蝶蘭(コチョウラン)は今が見頃になって来ました。

新しい年に繋がってくれた事に感謝。こんな時でも家の中がパッと明るくなるのです!

 

 

正直、もうこの写真を撮ってから時間が経ってしまったので、今はだいぶ花弁は散ってしまっている。でも2月中にアップしようとギリギリ!

 

冬の寂しい庭に梅の花が咲き出す頃が好き。前にも書いたと思うが、もう35年以上前に此処に引っ越して来たのだが、前に住んでいた人は梅の木が好きだったらしい。おかげで花、実と楽しませてもらえる。本当の所、実は木の高い所についているので採るのが大変!だが、その時期に必ず現れてくれる友人がいて、彼女がかなり収穫上手で助かる。しかしお互い歳を取った、気を付けよう、が合言葉。

 

けれど同じ様に梅の木も歳を取った。こんなに白いきれいな花をつけてくれるけど、もう幹は割れ、倒れそうなのを植木屋さんが何とか支えを作ってくれて持ちこたえている。本当に、うろこの様な固い皮だけで水を吸い上げて頑張っている状態・・・えらいなあ、こんな風に歳を重ねられるだろうか。一度梅の実があまりにつかなかったので、「あーいよいよ終わりかな?」と、つい口にしたら、翌年、狂った様に実をつけたっけ。木は耳を持っているに違いない、うかつな事は言ってはいけないと思った。ま、現実的な友達にそういう話をすると、「あら、当たり年と不作は周期的に来るものよ。」と。わかっています。でも、そう言ったらつまらないでしょう?!

 

目下の悩みは、鮮やかなグリーン色のインコのつがいが、この梅の木が気に入って、花をついばみに来る事。バッサバッサと花の塊が地面に散らかっている・・・

引っ越したばかりの頃はウグイスも来て、まさに夢の世界だったのが、弱肉強食か・・・

あーこれも人間社会と同じ?何処か風情は無くなってしまった。とはいえ、梅の花が日々見られるなんて有難い事です。

今年が始まって、もう4週目に入ってしまった!

ブログを書き始めたのはかなり古く、ブログという言葉がまだ無かったか、日常的でなかった頃から何がしか書いていた。ブログも頻繁には書かないのに、このコンピューターになってからでも、もう結構溜まっている。

 

という事は、もう我が家で作る定番おせち料理の写真は、載せても繰り返しになるので省くとしても、まあ、いつもの様に慌ただしい年末とお正月の中にも、少しずつ変化が出て来た事を感じている。孫達が成長して来た事だ。今までは授乳があったり、お腹が空きだしたら、もう追われる様なおさんどんだったが、もう一番大きい孫で小学1年生、皆少しずつ成長し、いろいろな事がわかって来た。

 

我が家では年末、恒例の二色卵作りをするのだが、これが卵を茹で、白身と黄身を分けて裏ごすという、手間のかかる作業だ。それでも孫達がやってみたいと、裏ごし器に黄身や白身を載せて悪戦苦闘。単純な作業なのだけれど、力を入れるコツがあって、子供にはなかなか難しい。それを見ていると、スーッと自分が何十年も前に戻って、同い年の頃に悪戦苦闘していた事を思い出す。裏ごし器の上で、黄身は散らかるばかりで、上手く裏漉せない。

年上の姉や大人達は、今置いたばかりの一つの黄身をたちまちに消す(裏漉す)事が出来るのに、何故上手く行かないだろう?とヤキモキしたものだ。それでも、裏ごし器をそっと持ち上げた時の黄身の美しさや、張り付いた黄身を漉し器からこそげ落とす感触とか、1年にたった1度しかしない事なのに何十年間、染みついている。

実家では昔は3日3晩年始のお客があって、50個もの卵を茹でて裏ごしを手伝っていたものだ。

前回のブログでも書いたのだけれど、そこまでするの?面倒、と言えばそれまでだけど、ああだ、こうだと言いながら、年末、みんなで一つの作業をするのも、悪くないと私は思っている。

 

ところで、年明けに山仲間と御岳山に行った。東京の、そう遠くない山だ。

ただし・・・が入った。普通に登るなら、ケーブルもあるし、そういう意味では高尾山の様な感覚で、全部徒歩でない方法も取れる。

でも、今回はサルギ尾根から何時間もかけて登るという話。それだけならともかくも、前日に雨が降り、かなり寒かったので、奥多摩は雪が降ったのではないか?という話になり、最初はチェーンを持って来て、だったのが6本爪アイゼンも持参、の連絡に変わった。

 

果たして当日、養沢の登り口から急斜面を上ると、雪が積もり別世界!たまたま前を歩いた人の踏み跡が残っていたので、それを追いながら、先頭を交代しながら進んだ。途中、チェーンをつけたら滑らなくなってホッとしたけれど、アップダウンもあるし、やはり時間はかかった。

 

奥の院に着いて、お参りをして、ふと見上げたら不思議な木の形。

「おーい、くもよ!」と言っても今日は「雲」でなく、こちらの「蜘蛛」を呼んでいるつもり。

ここに糸を張って、ハープの弦を作って!

風がそよいだら、やわらかい音楽が舞い降りるかな?

小さなこの和の祈りの場に。

世界中が平和であります様に。

 

 

 

 

もうあと1週間程で令和元年が終わる。
今年を振り返ってみると、この5月の初めまでは、長年の想いの詰まったバレエ・コンサートの実現に向けて、馬車馬の様に走った日々だった。
その時は公演日に向けて、決してぶれずに日々、進む事しか考えていなかったけれど、何とか成し遂げて日が経つと、自分も周囲も大きな病気や怪我も無く、よく乗り切れたものだとホッと胸を撫で下ろしてしまう。

12月前後になれば届く喪中葉書・・・若い時なら届かない年もあれば、届いても数枚だった。

それが私の年代になると二ケタの枚数が届く年もある。親がそういう年代に入っている事も多いのだが、もうそれだけでなく、友人のご主人や、時には友人本人の悲しい知らせが
ご主人から突然届き、思わず葉書を落としそうになる事もあるのだ。

だから全てを含め、本当にどうしても生きているうちにやっておきたい事があるのなら、もしある程度やれそうな時期や環境であれば、もうやるしかないとも思っている。

私も数年前の親を介護していた時期には「コンサート」は全く「不可能」の一語しかなかった。

先日も学生時代の友人数人と会ったのだが帰り際、「又来年もね。」と言ったけれど
同学年なら、誰もが「一期一会」を感じる年齢になっている。
だからこそ、皆わかっていて、その時間は思い切り、笑い喋り楽しんだ。
歳を重ねるとはこういうものなのだとヒシヒシ思う。

さて初秋にもう一つ、自分なりに大きな計画を立てた。
出羽三山を巡る旅、その中でも月山登山がメイン。
山仲間の一人から以前、月山の草紅葉が良かったという話を聞いていて、数年前からどうしても行ってみたく、またしても企画屋になってしまった!
数人行きたい仲間がいたので、親友に手伝ってもらい計画を立てた。
詳しい計画を此処でお伝えする、というのではなく、絶好の日和に恵まれたので、頂上からの景色と紅葉ドンピシャの写真を一緒に味わいましょう!
この色や山の空気は、何だかそのまま自然に私の身体の中に入って沈み込み、音の色となってくれる気がする。
平成から令和へ。大きな事を成し遂げる事の出来た年となった。
 


 

ところで若者の間では年賀状スルーと言って、58パーセントの人が年賀状を出さないとか。

時代は変わり、プライバシーを守る為に住所も伏せる現代では、その流れも致し方ない事なのかな?とも思う。何より、メール、ライン、いろんな手段を使って、あえて年賀状を出すまでもなく、日常的に絶えず友人とお喋りをしているのかもしれない。

ただ昔、もっと寒く不便だった時代に、父も母も忙しい中で百数十枚、いや、父は仕事柄もっと多く数百枚もの年賀状を、墨を擦って筆で丁寧に一枚一枚書いていたのを思い出す。

もっこりとした布団の掛かった炭の掘りごたつに皆であたりながら、私も姉と版画を彫っては刷って、年末の行事だったなぁ。
正直私は今、もうそこまで出来ない。便利な印刷機能に多々お世話にもなっているのだが、

それでも年毎にその作業も大変に思うのが本音だ。
だから、ただただ親世代のエネルギーに脱帽する。

だが率直な話、コンピューターというものが出現しなければ、それはそれで、もっとゆっくり別なものを見ながら世界は回っていたのかもしれない。

でも、初めの一歩はインターネットを通じて、私は長年の想いを形にして行く事が出来た。
私達世代は今、その両方を知り、とまどう事も多いのではないか?!

「今年で年賀状は失礼します。」
という文言を見ると、「おやおや私より若いのにもう止めてしまうの?」
と、寂しいような、確かに楽になるでしょうね、の微妙な気持ち・・・

それでも、一年間、よく会った人も、会わなかった人も、一人一人の顔を思い浮かべながら、親しい人には自分の文字で一言したためてお正月のご挨拶とする。

この日本の文化はいいものだとも思う。
何よりお正月に郵便配達の人が郵便受けに配達してくれるのがいつも気配でわかり、自分宛に届いた年賀状を一枚一枚めくりながら見るのは年頭の楽しみ!
あはー やはりアナログ世代なんでしょうか。

 

年末は今年も大忙し。
どうぞ皆様良いお年を!

今日は朝から一日中、台風情報に明け暮れた日だった。

「命を守る行動を。」という言葉をどれだけ繰り返し聞いたか!

数時間前は一時、ヒュウヒュウーバンという風の叩きつける様な音にゾッとしたが、我が家の周りは停電も無く、あまり大きな事も無く過ぎた様だ。昨日は外に出ているものを片付けたり大忙しだったが、やはりそれをやってあると何か安心だった。

 

ところで今回の台風、かつての狩野川台風、いやそれ以上の経験した事のない台風、という様な表現が繰り返し使われていたと思う。

狩野川台風という言葉は、子供心にはっきりとした記憶がある。特に静岡県生まれの私にとっては・・・狩野川とは静岡の東部、伊豆を流れる川の名前。

 

「大きな台風が来るよ。」 それがどういう事なのか、当時、まだ良くわからない子供だった。

ただその日、大人達はいつになくテキパキと忙しく動いていた。断水に備え、大きな鍋や、やかん、ボール一杯に水が張られていった。ペットボトルなんて無い時代だったから。

一体何が起こるんだろうという緊張感・・・そして夕方早めにガラガラと家中の雨戸を閉じ、やはり早めにお風呂に入り、夕飯を食べた様な気がする。それは何故か?というと、いつ起こるかわからない”停電”に備えていたのだ。今、思えば台風と停電はセットで当たり前だった。

茶の間のテーブルに、太めのローソク数本とマッチ箱、懐中電灯が用意される。

テーブルの周りに家族で集まっていると、いよいよ台風が近付いて、日本家屋はカタカタ・・・

いよいよ風がひどくなって来るとプツッと電燈が消える。

「早く、懐中電灯!」

すぐ点けるけれど、基本、懐中電灯は電池が勿体無い、その灯りでマッチをすってろうそくに火を灯し、皆、その灯りを頼りにして時を過ごす。

ポッと電気が点くと、「あっ点いた!」

と、皆、和んでその頃には台風も峠を越えている・・・

そんな思い出がある。

でもその後、新聞を読んでいた母から「この間の台風で大勢の人が亡くなったようだよ。」

と聞くと何か重苦しい気持ちになったものだ。

 

これを機に狩野川台風を調べてみたら、伊豆で大きな被害を出しただけでなく、東京でも46名の死者を出したと書いてあった。今回の台風でも、いわゆる0メートル地帯の江東、墨田区等の浸水を懸念していたが、狩野川台風でも東京に被害を出していたらしい。更に台地といわれて被害がなさそうに思える世田谷、杉並、中野も被害にあったそうで驚いた。

その理由は、今まで中小河川や水田だった所を次々埋め立てて住宅を開発して行った時期で、行き場の無くなった雨水が被害を起こし、問題になったとか・・・当時三船敏郎さんがモーターボートを持っていて、孤立した人達を救った事も書いてあって、これにはビックリした!

偶然か・・・今回多摩川が決壊して、やはり世田谷区が被害を受けたのは・・・

 

そう、昔は今の様に台風19号という呼び方というより、地名で台風を呼んでいた気がする。

続いてやって来た伊勢湾台風も同じ様に記憶している。

が、もっと昔に、室戸台風、洞爺丸台風という台風もあった。今は青函トンネルで本州と北海道は繋がっているけれど、昔は連絡船で渡っていた。そんな中、台風接近中に出航した洞爺丸が沈没して千名以上の犠牲者が出た話も母から聞いた。台風が近付いている時に、いくら気象の事を良く把握しているとはいえ、船長の判断に任せて出航したのが良かったのかどうか、という責任を問うのはせつない話だ。今なら気象衛星で全てが把握出来る。無かった時代の話だ。かと言って、残された者はどこに悲しみをぶつけてよいかわからないだろう。

でもはっきり言えると思うのは、この事故が教訓となり、台風が迫っている時には、船も飛行機も必ず欠航になる。

室戸台風ではなんと3000名以上の死者が出たと聞く。差し迫る危険を一刻も早く知らせる事が出来れば、そこまでの犠牲者は出なかったかもしれない、と過ぎ去ればこれ又、誰の責任だと追及が起きるのだろうが、携帯どころか電話だって各家庭にある訳ではない時代だ・・・

ただ恐るべきは過去の台風におけるその犠牲者の数・・・防げるに越した事はなかった。

 

そうしてみると私達は恵まれている。TVを一日中つけて台風情報を注意していたら、いささか反復も多いし、疲れた所も無きにしもあらずだが、情報はきちんと届けられている。

それも試行錯誤をしながら。ダム放水で死者が出た前回を教訓に、放水の早めの伝達を徹底したり、何処で何が起きているかリアルタイムで見る事が出来る。明るいうちの早めの避難も、過去の失敗の経験から徹底して伝達されている。計画運休も。途中で新幹線に閉じ込められて一夜を明かす位なら、前もって予定が立てられる方がずっと良い。

何より、緊急を要する区のメールが朝から晩までスマホにピーピーと届きまくっていた。

いつも「便利」が良いのか?と考えさせられる事が多いのだけれど、こういう時はやはりこういう時代に生まれて有り難いと思う。

 

 

 

 

 

今年は5月の公演までバレエに明け暮れた毎日でしたが、それも一段落、夏山に行って来ました。

西穂独標へ。独標は写真一番上、右側にこんもり台形の岩山がありますね、此処です。

よーく見ると、この台形の上に何人か人がいるのがわかりますか?座っている、小ちゃい右から2番目が私です(笑) これは独標まで行かなかった同行者が撮ってくれたものです。

 

この日は西穂、奥穂、前穂、吊り尾根が望める最高のお天気でした。

険しい穂高連峰・・・行った事のあるのは数年前の奥穂高岳。

西穂の先は遭難事故も多い危険なルートなので、その手前まで。

 

今日書くのはどんなルートで登った、とかの話ではなく、「自然」の話。

 

今でこそ子供の手も離れ、こうして好きな事もやっていられるけれど、40~50代初めは、

今よりもっと身体にいう事があった様に思う。わからない頭痛(偏頭痛?)が止まらなかったり、腰の痛みで整形外科に通ってみたり、突然フラフラして塀伝いに病院に行ったらひどい貧血で「あなた、よく此処まで一人で辿り着きましたね。」といきなり太い注射を打たれたり・・・

 

それらの原因はよくわからない。加齢も勿論あるだろう。それから子供達も、小さいときは小さいなりに、大きくなればそれなりにいろいろと抱える事はあるし、自分の親兄弟も入院したりと、いろいろな事が変わり目に入る。肉体的にも精神的にも負担が増えて来るけれど、一日の時間枠の中ではおさんどん、洗濯等、家事は普通にある訳で、かなりキツイ日もある。

でも、今思えばそれも乗り越えられたのは、それでもまだ若くて、基本健康だったからだろう。

でも更に私の場合、作曲にはまり出したのがその時期と重なっていて、これが身体には相当良くない・・・パソコンに向かうと、つい長時間同じ姿勢、どんな小さな曲でも、作るのにはそれなりのエネルギーが要るのに、つい”適度”を忘れる。

 

腰の辺りの痛みが消えずに整形外科に行った時の先生の答え

「骨が磨り減って行く事、それは加齢で仕方ないんです。それを支える筋肉を強くしないと。」

 

そんな折、姉達が皆、山に登っていた事もあって、誘われるまま山に登る様になって。

何年もの間に、いつの間にか痛みはなくなって行った。それは勿論、山に登れば1万歩以上はザラに歩く、という事もあるけど、特に平地より腿を上げる(登る)という事にあるらしい。

「ルームランナーとかで歩くのもわかるけど、時々山に登る方がどれだけいいかわからない。歩くだけじゃなくて、この自然が・・・」

とつぶやいた山のリーダーの言葉。「時々は山へ。」なるべく実行する様にしてここまで来た。

 

そうなのだ、空、風、岩、滝、森林 花、夕焼け、雪・・・山に入ればどれだけ多くのものに出会えるかわからない。

今回私が一番感動したのは、独標から丸山、西穂山荘に下るガラガラ石の道の両側に広がる緑。森と言ったらいいのだろうか?森林限界というのがあるので、高山に行けば、上の方は当然岩や石ばかり。そこから下りて来ると、森林との境目がある訳で。

その緑の中から、あふれる様に鳥の歌が聴こえて来た!

ああそうか、私は飛んだ事がないけれど、パラグライダーをする人は、こうして俯瞰して地上を見おろしているんだな、と。いつも私達は森の中に入ったら、高い木を見上げているけど、全然違った見え方なんだ。

見ていると、空からフワーッと舞い下りて、次々に羽を緑のクッションにうずめて行く鳥達。

青い空の下でどれだけのびやかに歌っていることか!

 

家に帰り日常が始まれば、私達はスマホを絶えず見たり、テレビや、もう、電気、電気に頼る人工的な世界にどっぷり。便利な事もある。けれど勘違いにも気をつけなくちゃ。

TVの自然の素晴らしい映像は、滅多に見られないものも見られて私は大好き。

アニメだって本当に効果音と映像で、時にそよ風、時に爆風が吹いている様にも見える。

その世界も美しくて、それはそれで見る度に楽しんでいる。けれど、それは見て、そのつもりになっているのであって、実際に自分で感じて、自身の五感がリアルに動いている訳じゃない。

そう、見る、聴こえるだけじゃなくて、嗅覚、触覚、味覚を含め、山では全部発動している!

春の花、動物の糞の匂い、掴んだ岩の冷たさ、うっかり触った植物の棘(トゲ)の痛さ、摘んだ苺の甘酸っぱさ、冷たい水の美味しさ・・・

 

前の記事でウインドマシーンの事を書いたが、私が”風”で一番忘れられないのは八ヶ岳の、硫黄小屋で味わった体験。その日、風速35mという風が吹いていて、それでも私達はリーダーについて外に出たのだ。見ると、先に小屋を出た一群の人達が、山道のあちこちの岩陰に張り付いている。行ったものか、引き返した方が良いか、どうしたら良いかわからない、というより動けない状態。さすがにリーダーはヒョイ、ヒョイと岩から岩へつたって前に行くものだから

必死に後を追うのだけど、身体ごと吹き飛ばされるという風がどういうものか、身を持って知らされた体験。後方から「無理で~す。」の声が掛かり、リーダーが「じゃ、下りますよー!」と宣言した途端、先に行っていたグループの誰もかれもが下りだして。でも、下るって言っても、まともに歩けやしない。二人でスクラムを組んで歩くと良い事もその時知った。本当に一人よりずっと楽に歩ける。勿論、これ、踏み外したら谷底へ、という様な危険な場所でやった話ではないけれど

「こういう事も知っておいてもいいと思ってね。」とのリーダーの言葉。

はい、身をもって忘れません。

 

先日のコンサートに来てくれた山の仲間の一人が話してくれました。

「10年以上前かな?あなたが鍋割山の小屋にあった小さなおもちゃの様なピアノをポロロン、と弾いて、”いずれこんな風に曲を作ってバレエで踊ってもらいたいんです。”って言っていたのを良く覚えているわ。その時はへぇーフンフンって聞いていたけど、この間、本当に実現したのを見て驚いたのよ。山に来ている時ってそんな事、している様に見えないもの。でもね、きっと、こうして自然に触れている事が、どこかで作曲に結びついているのね。」

本当に嬉しい言葉でした。私自身はその時、彼女が一緒だった事も、そんな話をした事も、申し訳ない事にすっかり忘れていたのですが・・・

 

これからも身体が続く限り、曲作りと山登り、両方の皿回しは続けるでしょう。

 

長い事、書いていませんね~ 書けば凝り性なので長いんですが~

 

先週の連休7月14日、久々1泊で京都に行きました。

目的は2つ。先日私の公演の振付と指揮をして下さった江藤先生から、かなり以前にバレエ「ジゼル」のチラシを頂いていて、先生がオケの指揮をされると伺っていたからです。

もう1つは、私の5月の公演に尽力してくれた、関西に住む友人に会う為です。

 

今回のバレエは、パリ・オペラ座のエトワール、カール・パケットの引退公演との事で、会場は満員。京都バレエ団は十数年に渡り彼を招き、パリ・オペラ座と深い絆を結んでいるのだと感じました。バレエ通の方ならそんな事は、当たり前にご存知なのでしょうが、東京でも年に数回しかバレエを観に行かない私が、ここまで遠出したのは初めてです。

でも行った甲斐がありました。

 

知らない方の為に、「ジゼル」の筋をざっと書きましょう。

<1幕>中世、ドイツの農村。主人公は身体が弱いけど踊りの好きなジゼルという若い娘。

ジゼルに言い寄るヒラリオンという男がいるが、ジゼルは家の近くに住み着いた若者アルブレヒトが好きで恋に落ちる。だが、実はこのアルブレヒト、実は公爵で身分を隠し村人になりすましており、バティルド姫という婚約者もいる。ヒラリオンはアルブレヒトを怪しみ、彼の家の中にあった剣の紋章から素性を突き止める。たまたまバティルド姫が父親と狩りの一行と現れ、ジゼルの家で休息する事になった。ヒラリオンはジゼルに剣を見せ、騙されていると伝えるがジゼルは信じない。が、バティルド姫が、自分が紛れも無くこのアルブレヒトの婚約者だと言い、アルブレヒトが姫の手を取ると、ジゼルは裏切られていたと知り、気がふれ、走り回った挙句に息絶える。

 

<二幕>場面はジゼルの墓のある森。そこにウィリーという精霊が棲んでいる。ウィリーは結婚前に死んだ若い娘が精霊となり、夜中、通りすがりの男を誘い、死ぬまで躍らせるという。ジゼルもウィリーの女王に迎えられ仲間入りをする。ヒラリオンはジゼルの墓の前にやって来るが、ウィリーに捕まり、踊らされた挙句息絶える。アルブレヒトも又悔いて、花を捧げようと墓の前に現れるが、同じ運命を辿りそうになる。が、ジゼルはこの人だけは助けて欲しいと女王に懇願する。が、女王の命令には逆らえず、アルブレヒトは踊らされ(此処の踊りが見せ場)、精根尽き果てそうになった時、夜明けの鐘が鳴り、精霊は消えて行き、間一髪、命が助かる。ジゼルも消えて行くが、アルブレヒトは自分が裏切ったにもかかわらず、命を守ってくれたジゼルの愛を感じながら、静かに墓を後にする。

 

バレエの中ではもしかしたら1,2に好きな演目かも。バレエの筋って大体シンプルだと思いますが、ドラマチックな内容が好みの私としては、いろいろな要素が見事に集約されているバレエだと思います。音楽はフランスの作曲家アドルフ・アダン。旋律がシンプルで美しい・・・

実はこの1週間、まだ毎日ジゼルの何処かのフレーズが頭の中を駆け巡っています!

あのチャイコフスキーが、アダンの音楽を素晴らしいと言っていたそうです。

この日の本番のオケは「びわこの風オーケストラ」の生演奏でした。わぁ!打楽器4人ですって!すごい・・・金管もいっぱい。いいなー やっぱり迫力が出ます。何より、見つけた~ウインドマシーン!!ヒラリオンが踊らされる時なんか、ヒューヒュー唸っていて、私、二階席だったので、もう滅多にお目にかかれないマシーンを奏者がグルングルン回すのを、バレエそっちのけで見ていました(笑)

 

ところで本番の舞台。バレエ素人の私ですが、印象に残った箇所、2つ挙げます。

 

まずは、やはり演技・・・パケットさん、さりげない動きが上手だなぁ、と。演技している、と言うより、今そこで本当に起きているかの様な自然な動作に見えました。

1990年代頃かな?私が最もバレエをよく観に行っていた時期だと思います。やはりパリ・オペラ座のエトワールだったモニク・ルディエールさん、イザベル・ゲランさん辺りが活躍していて来日、その人間的?!なリアルな演技に引き込まれました。それが、やはりこのバレエ団に脈々と引き継がれている「表現力」なんでしょうか?!

ちなみに、その頃、夢の舞台の主人公だったルディエールさんが、今回指導者としていらしていて、偶然、本番前、私の横を通られたので、思わず身震いしそうになりました・・・

「えっ?!」とビックリした私の顔から察したのか、本当に気さくな笑顔を見せてスッと部屋に入って行かれましたけど・・・この出来事、忘れられないでしょう。


それと、2幕でジゼルとアルブレヒトが踊る場面が印象的でした。彼が身をかがめてジゼル(ビアンカ・スクダモアというオペラ座の若いダンサー)を支え、本当にジゼルが暗闇に浮遊する霊の様に見えるシーンがあったのです。半円弧を描く様に‥
それは文楽の人形使いの様でもあり、黒い衣装の彼が黒子に徹し、白い衣装のジゼルを浮き立たせているかの様で、とても興味深かったです。

結構ゆっくりめのテンポの所なのに、軽々と重さを感じさせなくて。ダンサーがよく音楽を聴いている事、それに応じて鍛えられた身体のコントロールが成せる技とでも言うのでしょうか?!すごいと思いました。

 

バレエを満喫した翌日は友人と一日、思いきり話し帰京、充実の時間でした。