今年も梅の季節が来て、梅ジュースを作りました。毎年、同じ時期に同じ様な内容をアップしている気もするけれど、それはそれで変わりなく過ごせているという有難い事かもしれません。

 

昔は梅干しや梅酒、いろいろ作って、今も沢山採れれば作る年もありますけど、孫達には梅ジュースが一番、今年は全部梅ジュースにしました。真夏の暑い日、お風呂上りに冷えた炭酸で割って、氷を浮かべれば最高!疲れが取れる気がします。梅は身体にいいんですよね。

 

左側は透明度が高く、綺麗に出来ました。これは毎年、義母へ献上?!するもの。割れや傷の無い梅を選び、一つ一つに竹串で細かく穴を刺して漬けます。やはり気合を入れると言うか、丁寧に心をこめると出来上がりが違う気がします。きっとお料理も同じなんでしょうけどね。

でも、家で採った梅は地面に落ちたり、傷のあるものも結構あるので、それはそれでナイフで傷んだ部分だけを取って漬け込みます。右のものは今、香りも良く飲み頃で、どんどん飲んでいます。

 

採り切れず落ちて来た梅や、採ってもすぐ処理できなかった梅は、熟してどんどん黄色っぽくなってしまいます。梅干しなら、黄色梅も良いけれど、ジュースとなると大変!香りはあるけれど、シュワシュワ発酵した様に気泡が上がって来るので、慌てて飲んだり、ジャムにしてみたり。追われる様に忙しい日もあるけれど、楽しくもあり、そんなこんなで6月が過ぎて行きます。

 

いつもこの時期になると、「そろそろどう?」「そろそろ来てくれる?」と、どちらからともなく声を掛け合う友人(子供の小学校時代のお母様)がいて、毎年、梅採りに参戦してくれます。ただ買って来た梅を漬けるなら、今の所そんなに大変では無いけれど、採るのはなかなかなので。

 

我が家が引っ越して来たもう35年以上前、前の住人は余程梅が好きだった様で、複数本の木が植えてあったのです。その時から既に木はかなり大きく、梅の実は手の届かない高い場所についていました・・・今や幹の中は空洞の老木となり、うろこの様になった表皮一枚だけで生きている木もあります。でも健気に今年も実をつけて・・・

 

高枝バサミを最高に長くしても、全く届かないので、脚立を立てて一人が押さえ、一人が上って近くの塀の上に乗り移るんです。それから塀の上で、木につかまりながら高枝バサミを持ち上げて採るんですが、これがかなりの重労働の体力勝負。ずっと上を見上げているので首が疲れるし、光線の加減で、青梅は緑の葉の中に何度か姿をくらますんですよ。最初は丁寧に採っていますが、次第にもう言っていられなくて叩き落としています。下にいるもう一人が実を拾い集めますが、これを交替しながら。実が割れない様に傘で受け止めた事もあったなぁ(笑)

 

でも、綾小路きみまろじゃないけれど「君は若かった、あれから何十年・・・」なのですよね。

昨年も、私が塀の上で高枝バサミを振り回していたら、通りかかった知らないおじいさんが、

ジーっと私を見上げて、心配そうに声を掛けて来るんです。

「奥さん、もう止めた方がいい、止めた方がいいよ。」

って。

わかっています。でも、お願いだから今、声掛けないで・・・集中力が切れるともっと危ないんです。何せ塀はそれなりの高さ、160cm位はありますし、道路側はコンクリートで、落ち様ものなら大変な事態になるので、相当慎重を期してやっているんです。

 

でも、ご忠告は有難く。今、「おじいさん」とまるで自分が若い様に書きましたが、単に「おじいさん」が「おばあさん」に注意しただけの話ですからね。

はい・・・けれど、やっぱり何処かで「わかっちゃいるけど止められない。」のよね。

まぁ、これ、高齢ドライバーの免許返納と同じかな?

「年貢の納め時」そしていずれは「老いては子に従え」で周囲からストップがかかるか?

色々、脳裏に浮かんだけれど、今日もなんだかんだ「負けましぇん!」と、スクワットをちょっとだけしてしまうのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
5月があっという間に過ぎ、載せようと思っていた新茶の写真も遅れ、もう梅の季節に移っています。
 
バタバタと慌ただしく過ぎる日々の中では、食後、耐熱の急須等にお茶を注いで済ませてしまう事も多いものですが、新茶の季節には、時にゆっくりお茶を淹れて味わうのも良いものです。
 
静岡生まれの私としては、今年も、いとこが送ってくれた新茶を楽しみました。
 
昔、信州で買ったものの、小ぶり過ぎてあまり使う事のなかった急須を、今年は自分用に出して来ました。
お気に入りの六角形のゆのみにお湯を注ぎ、その湯を新茶に注いで待つ事しばし。私の好みで濃いめ。家事の合間の至福の時です。そして季節のものを頂くと元気が出る様な気がします。この所溜まっていた疲れが、少し取れて行く様な気がしました。
 
それにしても、最近、茶筒も昔とだいぶ変わりましたね。お茶缶は幾つか取って置くのですが、昔ながらのオーソドックスなのが一番左。若草色に新茶と書かれている定番。
 
でも今は見て下さい!今年、届いたのは一番右。華やかな花柄!
昨年か一昨年の物は真っ赤。
しかも日本語だけでなく、横文字も並んでいて、どうも外国の方々にもだいぶ日本茶が浸透して来ている様で、それを意識しての事かもしれません。でも、多分これはお店も世代交代、若い世代の感覚でしょうねー
 
近所の和菓子屋さんも、何十年と変わらなかった味、スタイルが少しづつ変わって来ています。う〜ん、昔の味と大きさ‥と思うお菓子もあったりするのですが、何処も代がわり、自然な流れでしょう。お店が若い人で賑わっているのを見ると、又一つ、自分が高齢層に押し上げられていると感じざるを得ません‥
 
年齢を重ねると、とかく保守的になりがちなので、それには気をつけようとは思います。
が、それでも私には真っ赤なお茶缶、という発想は無いなぁ‥この空缶にはウーロン茶を入れてみようか?!
 
 
今のホッとなごむ時間と言えば、まずこれです。3月16日にトサミズキと一緒に、昨年のコンサートで頂いた胡蝶蘭の花をアップしましたけれど、その時はまだ堅い蕾だったピンクの花も咲き出して、今や満開です!
普段、こんな豪華なお花は買った事は無いのですが、頂いたお花がもし又、咲いてくれたら‥と思っていたら見事に。このステイホーム期間中に、どんなに楽しませ、和ませてくれているかわかりません。花は下へ下へ下がるので、棒で支えてアップしてみても良いけれど、窓際に丁度良い高さの台があるので、垂らしてみています。
 
よく考えてみると、3月16日に白い方の花はもう幾つか咲いてくれていた事を思うと、もう2ヶ月以上でしょう?!そういう意味でも花期が長くてお値打ちのある花ですね〜
 
えっ相当手をかけてあげたのかって?それが全然なのです。あんまり水をやり過ぎると駄目だと聞き、気づいて土が乾き出したと感じる頃、お天気の良い日にジャーと根元にかけるだけ。それとたまの肥料を少しだけ。そこまでマメに手をかけられないタイプの私にはピッタリなのかも。
 
知人が言っていました。手をかけ過ぎると駄目なのよ、腐ってしまったりで‥過酷な環境の方が、種の保存の為に必死に美しい花を咲かせるんだって。フーム、含蓄のある話だわ‥
日本海の荒波で育った魚が美味しいとも聞きますしね‥
本当に何が良いんだか?!
 
この話、幾分子育てに重なるかも。手をかけ過ぎても、かけなさ過ぎても駄目ですしね〜
この蘭みたいに育てれば良いのかーと、神妙に眺めてみるのでした。
でも、もう我が家の子供達はとっくに成人して、今更ながらの話です。
 

えっとこのブログを読んで下さっている方々は、私の友人始め、比較的同世代の年配の方が多いと思います。そんな方々に、私の体験をお話する事で、少しでも参考にして頂いたり、役に立てて頂きたい事があります。もし読んで下さっている方が、ずっと若い方であったとしても、あなたにとって、ご両親、ご親戚、先輩や先生等、少し年配の大切な方が何人かいらっしゃるでしょう?もし身近でそんな事があるのか?!と感じたら是非お伝えくださいね。

 

もう、タイトルから感づかれたと思いますが、我が家にも特殊詐欺電話がかかって来ました。

でもご心配なく。すぐ気づきましたので、被害は全くありませんでしたが、今、在宅を狙って被害が急増しているそうですよ。別の意味の緊急事態のお知らせです。

 

丁度その時のメモが残っていますので、どんな内容だったかお伝えしましょう。

それは区の保険年金課を語る男からの電話でした。携帯電話ではなく固定電話からです。

「以前、一世帯に対し、お戻し出来る累積医療費のご通知を差し上げたのですが、そのお返事をまだ頂いておりませんが・・・」と始まったのです。はっ?えっ?と思うじゃないですか、そんな通知来ていたかな、もしや見逃していた?いや、来た覚えはないけど・・・すると続けて

「26年~30年の5年間の、累積医療費計23,368円をお戻し出来るご通知を、以前差し上げてありますが、その回答の期限から半月経っております。それで『期限外手続き』扱いで、同様にお返事を頂けなかった方々にご連絡させて頂いております。つきましては明日以降、お手続きの上、お戻し出来ますので、明日改めてご連絡させて頂きます。手続きには4点程、通帳、キャッシュカード、身分証明証、認印が必要ですのでご用意下さい。それでは失礼します。」

と、電話を向こうから切る方向になりました。

 

後でゆっくり考えれば、ああ、これが還付金詐欺か、と思います。でも、その時はすぐこれが還付金詐欺とは気付きませんでした。オレオレだったらピンと来たと思いますけど。ただ、何と言ったらいいかわかりませんけど、どことなく感ずる違和感というものが拭い切れず、とりあえず確認してみようと、役所に電話してみました。

 

すると窓口の担当者が、答えるのには「こちらでは累積医療費のご案内など一切しておりません。それは今流行りの詐欺の手口だと思いますので十分お気を付けください。」

ほーら来た!やっぱり、と。

 

実は数ヶ月前にも警察から一本の電話があったのです。「最近、詐欺電話が横行しており、被害も急増しております。ご注意下さい。」これだけです。はい、わかりました、と思うじゃないですか。でも、これ、詐欺電話でした。この時は、たまたま相手が所轄というんですか?

私の住んでいる地域を管轄する警察署の名前を間違えていました。それと話していて、やはり何となく感じる違和感があり、多少勇気が要りましたが、警察に電話してみました。すると

「個人のお宅にその様な注意喚起のお電話は特に差し上げておりません。」との答え。それどころか、「必ず又電話をかけて来て『先日の件ですが、お宅のクレジットカードが不正に使われている事がわかりました。つきましては直接お伺いし、確認をさせて頂きたい。』と言ってスキミングに及びます。」との事。くわばら、くわばら、油断も隙もありゃしません。

 

つまり最近の傾向として、①まず固定電話からかける事で信用させる。②最初の電話でいきなり怪しい動きをかけない。後日改めて電話する事で、あの時の人だと安心させて本題に入る。中高年は特に警察、役所からの電話は信じ易い所、ありますからね。

 

それで最初の還付金詐欺電話の話に戻りますが、この時も私は警察に電話しました。すると対策は「留守番電話にしておいて下さい。」とのアドバイス。

うーん、留守番電話・・・こうなると、そもそも固定電話は要るの?と思ってしまいます。固定電話が必要か否か。子供が小さかった頃、携帯はまだ無く、幼稚園や小学校の連絡の必需品だったし、その後、携帯が普及してからも、電話代は固定電話からの方がずっと安かった。けれど時代も変わったし、もう必要無いかも・・・と主人に話すと、いまだに中高年世代には、固定電話を持っている事が、ビジネス上の信用の一つにもなっているそうなのです。

 

若年層ならスマホは当たり前、固定電話は不要ときっぱり言い切れるかもしれない。でも想像してみて下さい。あなたが歳をとってその子供達世代に「スマホはもう古いんだよ!」と言われたら?!絶えず好奇心を持って、新しいものに乗り換えて行く人ばかりではないでしょう。むしろスマホの良さや愛着すら感じ、又は何かを変える面倒くささでそのままとか。繰り返しです。

 

先日「ためしてガッテン」で、特殊詐欺被害について取り上げていました。(2020.4.15NHK)ある地域の住民に、特殊詐欺を防ぐ為に留守番電話を呼びかけるんですね。すると「はいわかりました。」と皆さん留守電にするのですが、後で電話をしてみると、留守電は解除されてしまっている。その理由を聞くと「掛けて下さった方に失礼だから・・・」と。確かに逆の立場になると、せっかく電話してみたのに無機質な留守電の応答が返って来て、ちょっとガッカリ・・・はあるものです。この場合、更に在宅でありながら留守電にするという申し訳なさは、わからないでもありません。

別から聞いた事ですが、お年寄りの中には独りぼっちで寂しくて、電話が鳴るだけで嬉しくなるという話も聞いた事があります。そんな心理を突く、卑劣な犯行ですよね。

 

「ガッテン」では別な実験もしていました。制限時間の中で、何か細い物を机に立てる、という課題です。「残り時間、あと1分!」というような声を室内での放送で流すと、人は比較的落ち着いて対応し、かなりの数を立てられる。ところがイヤホンで流されると、たちまち冷静さを失い、何本も倒して立てられない。耳元で言われると人間は焦り、平常心を保てなくなる、と。

この心理的な追い込みも犯人は巧みに利用しているのだそうです。まさにあの手この手ですね。私に来た還付金詐欺犯も、「返答期限が遅れていますよ。」とドキッとさせ追い込んでおいて「遅れてもそういう方は他にもいらっしゃるので、まだ大丈夫です。」と優しい声で安心させる。全くそこまでの演技をするなら役者になって、人を感動させる人間になれば良いのに・・・

 

さてはて我が家も「常に留守番電話を設定しておいて下さい。」と言われたのですが、それは納得するものの、何だか消極的だな~・・・と思ってしまいました。昨今、自粛要請で在宅が多いので、刑事もののTVの見過ぎ?!警察に詐欺犯からの固定電話番号を伝えたので、いずれ警察が我が家に来て逆探知で踏み込むのかも、と緊張していたんですけど・・・尤もこれ又時代は進んでいて、私が番号を伝えた瞬間に犯人を追い詰めているのかもしれないですが。

 

特殊詐欺被害総額平成30年12月末で都内約85億円。昨年1年間の日本全体の被害総額は約301億5000万円。それだけの金額が詐欺グループに奪われているのだそうです。

 

被害の無い人も警察に通報を、と私は思います。「詐欺電話が掛かって来た。」で終わりでなく、何月何日何時に、この電話番号からどの様に掛かったという情報提供を。その数、ものすごくなると思いますが、それがより本当の実態です。被害者からだけでは全容は掴めません。

 

今、日本のコロナの致死率は分母のPCR検査数が少なくて確かじゃないって言われていますよね。そもそも何人が感染しているかわからないというこの話、どことなく重なるんです。

今回、私も「何か変。」という直感と確認の一歩で難を逃れましたけど、先述の様に、向こうも変容しては襲いかかりますからね。免疫があるつもりでも、いつ何処からすり抜けて入り込むかわからない。ここは保健所ならぬ警察に少しでも情報提供して相談しましょう。

 

それとこの話、決して固定電話だけでなく、メール、SMS、あらゆる手段で偽の宅急便のホームページにアクセスさせようとしたり、10万円給付を語って悪さをしたりと、枚挙にいとまがありません。十分お気を付け下さい。前回志村さんの笑いの話をしたばかりなのに残念です。

 

長くなりましたが、最後に私からの対策お勧め器具をお伝えして終わりにします。

それは「自動通話録音機」です。実は留守番電話設定を警察から勧められた時、私は先述の様に、何かが物足りない様な気がしていました。そうしたら対応した婦人警官の方が「それではこれはご提案ですが・・・」と、自動通話録音機設置を勧められました。知人で、もう使っている人がいるので「あ、あれか。」と思いました。

 

結論から言うと我が家では設置しましたが、とても有効だと思います。何より、自宅電話の呼び出し音が鳴る前に「この電話は振り込め詐欺等の犯罪を防止する為、自動録音します。」と先方に伝えている為に、声紋を残したくない犯人はこの時点でかなり切ってしまう様です。

固定電話に掛けて来る数人の知人、友人には、事前にこういう器具を取り付けてある、と伝えておけば良いですしね。”絶対に大丈夫”とは言えないそうですが、今の所、電話の呼び出し音が鳴った時には、知人しか掛かって来ないので、本当に気が楽になりました。

この自動通話録音機、無償貸与=(無料で貸し出し)です。区外に出る時は返却する必要があるそうですが、設置費用も無料。大きさは12×9.5×3cmと小さめ。婦人警官の方が来て、10~15分で取り付けて行きましたよ。区でなくても市町村にも備えてあるのでは?と思います。

志村けんさんがコロナに感染したニュースはかなりショックだった。

本当に急坂を転げ落ちる様に、というのだろうか、病状は悪化、誰もの心の準備も待たずに逝ってしまった。

 

「八時だョ!全員集合」は当時良く見ていて、荒井注さんが活動休止を宣言、志村けんさんが舞台にウロチョロと?!でもかなり目立って初登場した時の事も覚えている。

毎週見ていたかどうかは記憶に無いけど、舞台上の火事、停電騒動の時は私も丁度見ていた。生放送だからこそ起こるハプニングにドキドキ、でも「どうなる?どうなる?」とも、興奮したものだ。

 

一番記憶に残っているのは「ヒゲダンス」で、あれはまだ、結婚して間もなく位だったのではないかな?主人、ヨチヨチ歩いていた子供と私とで、列を作ってペンギンの様に手をピン!とさせて家中を行進した記憶も。若かったなぁ~ あの頃はまだ主人の転勤で関西にいた頃じゃなかったかな?知り合いもいなくて、一人子育てに奮闘していた頃、あのノリの良い、何処かユーモラスなリズムと旋律を、ウキウキ心から楽しんだ!

 

先日、共演者だった研ナオコさんと優香さんが志村さんの事を語っていて面白かった。

コントをする時、リハの時には素振りも見せないのに、本番になると共演者が吹き出す様な事を影でやって笑わせていたらしい。TVを見ている私達は、その共演者の、思わず笑い出す姿に、つい一緒になって笑ってしまう。それは台本に書かれた作った笑いではないから・・・

 

でもそれには志村さんの計算があった。彼は、カメラワークを利用して、コントの相手にちょっとした仕掛けをしていたのだ。カメラは共演者の研ナオコさんや優香さんの表情はとらえていても、向き合っている志村さんの表情は映さない。多分とんでもない変顔でもやっていたのだろうけど、そこにはカメラのスタッフとの綿密な打ち合わせがあったのだ。

 

自宅には山の様な外国のコント等の映像や、レコード、CD等の音源があって、その数、お店でも開けるんじゃないか、という程だったそうだ。「笑い」をとことん追求していた人だったのだ。

そして、仕事以外の時は寡黙でじっくりお酒を飲むタイプだったそうで・・・

私の知り合いが、昔、渥美清さんと新幹線で乗り合わせた事があったそうだ。渥美清さんと言えば寅さんのイメージだが、もの静かな雰囲気で、難しい本をいっぱい読んでいらしたという。

 

ちょっと面白い人、人を笑わせる事の出来る人は、その性格を活かしてそういう仕事に就いているものだと思いがちだけど、本当はいろいろなのだろう。根っから面白く、そのまま地が出て自然体で変わらない感じの人もいるが、実は違う顔を持っていて、非常に慎重に詰めて行く人も・・・志村さんは笑いの才能と緻密さの両方を持っていたという事の様だ。


だけどそもそも「笑い」って何だろう?あらゆる病気にも、笑う人程、免疫があって強いという話も良く聞くが。

話は飛ぶが、「ダーウィンが来た」は好きな自然番組で、映像も素晴らしいが、動物の子育て辺りがいつもウズウズと落ち着かなくなる時間帯になる。例えば鳥。親の子育ての必死さとヒナの可愛さの一方で、その卵やヒナを狙い、生き残る為に襲って来る動物がいる。し烈な闘いには奪い取ろうとする「必死さ」と、守ろうとする「怒り」が渦巻いている。こんな構図、人間社会にも同じ様に無いとは言えないが、それでも人間は恵まれ、優しさや思いやりという、かけがえのないものも持ち合わせている。更に笑いまでも・・・

 

その昔、年配の男優さん、誰だったか名前を忘れたが、「笑い」について語っていた事がある。正確ではないが、ざっとこんな事を言っていらした。

「悲しんだり、怒ったり、力強さや優しさ、恐れ、喜び・・・私達は演技を通して、見て下さる方に感動を届ける事が出来るかもしれない。けれどね、人を笑わせるってこれ、本当に難しいですよ。」

 

志村さんの訃報の出て間もなくのある朝、昔の志村さんのコントをTVでちょっと流していたのだが、あまりにもそれが可笑し過ぎて、私は思わず爆笑してしまった。何だか不謹慎かもしれないけど、とことん馬鹿になり切れるって凄い!時代もあるかもしれないけど、昨今、カッコつけたものが多い感じで、声を上げて笑い、涙が出る程笑ったというのも本当に久し振り!!

 

彼にとって、今回の事は突然過ぎ、きっと不本意な死だったに違いない。でもコロナでこんなにも深刻で沈鬱な日が続く中、あなたの芸で、思い切り心から笑わせてもらった!

志村さん、きっとあの青い空の上から、ちょこっと下界を覗いて「してやったり。」と、にんまり笑い、お酒をすすっているかも・・・

 

ご冥福をお祈り致します。そして沢山の笑いをどうもありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

まずは先日散歩で撮ったお花見の写真を。

 

 

 

 

 

先に断っておきますが、これ、自粛要請が出る前です。素通りのお花見ならOKって言われていた時に近所に住む友人とサッと行って来ました。最後の写真は「源平桃」と言うそうです。

 

春の訪れと共に、きっとオリンピックで盛り上がり始め、明るい話題が届いていたであろうこの頃に、相変わらず辛抱の毎日ですねー

別にオリンピックでなくても、メジャーの大谷クンの溌剌とした姿も見られないし、高校野球もそうだったけれど、サッカーその他、春到来を感じさせるスポーツが一つも動かない・・・切ない~

 

「3密」(密閉、密接、密集)がコロナ感染に悪いと言われていますね。当たり前の事かもしれませんが、「3密」って裏返すと、楽しい場が多いのかと。日常生活は普通にしていて良いとの事だけれど、時々そこから飛び出して音楽を聴きに行ったり、観劇に行ったり、レストランで友達と時間を忘れて喋ったり、列車で旅に出たり、区のスポーツ施設を利用して汗を流してみたり。ライブや小劇場の楽しさは演者と観客の一体感かと思うけど、今回ばかりはドツボにまずい状況・・・こうしてみると、人は人との中で如何に楽しんでいる事が多いのかとも改めて思う。

 

こういう「とんでもない事」は本当に起こって欲しくはない事。だけど物事をいろいろな角度から見る事にもなる。どんな軍事費をかけたって、「あの国には負けたくない。」とか張り合ってみたって、こんな目にも見えない敵の前に、人間の命は一瞬なんだって事も思い知らされてしまう。

ある意味、幸いにして今、罹っていなくても、上に書いた様な「閉じ込められ」感で精神的に追い詰められて行く人は増えるだろうし、「いつ私が?」と心配し始めたらキリはなくて、心の面も蝕む恐ろしさがある。

 

まだ真っ最中で検証は後になるだろうけど、マスクはもっと国産で出来なかったか、とか、あまりに外国人頼みにして来た事がもたらした事もいっぱい見えて・・・と言ってもそれにはそうせざるを得ない事情もある訳だ。少子化がもたらすもの、社会はどんどん変化して行く。

日本はこれからどうして行ったらいいのだろう?

 

それはさておき、少し前までは、この事態が起きても、自制の念のきく日本人であった事にホッとしていた。災害が多い国、誰もが災害が自分に起きてもおかしくないと捉え、「自分が、自分だけは。」をむき出しにしない国民性は、やはり民度が高い国なのだと誇りすら感じて。

 

それが、ある日スーパーに行くと紙類は全て無くなっていた。マスクは勿論すぐ無くなったけれど、紙類も?と思っているうちにアルコールを含んだ手拭きや石鹸も、どんどん無くなって、ある日はラーメン類がかなり棚から消えた。その後、紙類も日常の食品も十分に在庫がある話がTV等でも繰り返し流され、ティッシュやトイレットペーパーはある日も増えたが、この週末の自宅待機を求める宣言で又消える速さに拍車が・・・

いえ、それで民度が下がったとか言う訳ではない(笑)我が家の近くのドラッグストアでも、別に何パックも抱え込んで帰る人はいなくて、皆一つずつ程度。でも普段と違い、ひっきりなしに客が入れ替わり入っては足早に帰って行く。だから当然の行動をしているのだけど、誰もがするから品物が無くなる→不安になる→慌てて買う、の繰り返しになるのよね。

 

ところで、この写真、な~んだ?!

 

おっ、ケーキの上に抹茶マカロン?!

なんちゃって、誰でもわかるでしょう、固形石鹸!

そう、固形石鹸って、最近全く使わなくなった。最初に出たのは液体せっけんで、容器からピュッと出るのが便利で、そのうち泡のモコモコがプッシュすれば出回るようになってからは、専らそればっかり。でも、泡の詰め替え容器まで売り切れているのを見て決めた。「お前の出番じゃ!」と眠っていた固形石鹸を取り出した。昔なら、固形石鹸で手を洗うのが普通だったじゃない。「一つがすり減って小さくなったら、新しい石鹸にちょっとお湯をつけて、そこに小さくなった石鹸をつけて(コバンザメ状態にして)大事に使うのよ。」なんて母親に言われたものだ。

引き出しを開けたら出て来るわ~いささか断捨離苦手な私なので、若干カピカピになってしまった物もあったけど、取っておいたのが意外な所で役に立った。当分私はこれで行く!!

 

皆さんどうぞお身体お大事に!

コロナウイルスの蔓延で、日本中、1億数千万人ジッと我慢の子、の日々が続いている。

 

見えない敵と闘う難しさ・・・私も2月3月に予定していた計画はほぼ取り止めて、在宅の日々が続いている。とは言え、時にはやや遠くまで出掛けなければならない日もあるし、買い物に、スーパー等に行くのは今まで通り。感染を防ぐと言っても、TVで言っている、マスク着用や帰宅後の手洗い位しか出来ないなぁ。まぁ、なるべく食べて寝て、こんな時だから気持ちはなるべくゆったりと、と思っているけれど。

 

それでも救われるのは、あんまり小さな子供達に甚大な被害が今は及んでいない事だ。

裏返せば、自分も含め、年代が高い程危険な訳だが、やはり小さい抵抗力の無い子供達は無事であって欲しいと思わずにはいられない。

 

密閉した空間でなければ、そこまで神経質にならなくて良い、というのを知ってか、先日、スーパーに行った帰り、いつになく、にぎやかな声がするので何だろうと見たら、公園に子供達がいっぱい!男の子達が大きな声でワイワイ遊んでいて、笑い声が聞こえる。いいなあ!急に元気が出た。孫を連れて、この小さな公園に何度か行く事はあるが、いつもまず、人のいた事がない。砂場はあっても、猫が入る為かネットが掛けられているし、いつ行ってもシーン。久々、昔、遊び回っていた頃の懐かしい、子供達同士の弾んだ声を聞いた。

 

私はTVでのスポーツ観戦も楽しみにしているので、世界フィギュアを心待ちにしていたのに、これも中止になってガックリ・・・あーこれは無観客でもTV放送して欲しかったなー

フィギュアは特にその演技だけに集中してカメラワークで追っていくので、出来なくもない様な気もしていたのだけれど。せっかく此処に合わせて調整して来た選手たちの、シーズンラストの集大成の演技を見たかったなぁ、と残念で仕方ない。

けれどそれは観客の立場。主催者の立場になったらこの決断も致し方ないか。

 

そこに行くと今場所の相撲はまさに神事の如く。観客がいない静なる空間が、如何に多くの発見をもたらしているか。朗々と響き渡る呼び出しの声、力士の息遣い、ぶつかり合う音・・・

観客の応援の熱気の中で、格闘技の様に勝ち負けを競う、それも相撲。けれど、この、今まで見た事も無い世界も、私は興味深くて、この場所はついつい見てしまう。

「あー 音というものは静かな所から生まれて初めて聴き取れるものなのだ。」

と、その静けさに感動したりもする。

 

とは言え、話は元に戻るが、ずーっと子供が家にいて、しかも遊びに行こうにも、何処もかしこも休園、休館、これじゃ本当に親も大変だ、ストレス溜まるだろうなー 勿論子供もだけど。

 

今回は断水、停電という類の問題ではないけれど、別な意味の深刻な問題。

それだけに文化的なもの、劇場、音楽会をはじめテーマパークの閉鎖、エンターテイメント的な催し物が次々に中止になってみると、私達はそういうもので如何に潤っていたかもわかる。

 

ま、ちょっととりとめもない話にもなったけれど、気分晴らしにお花の写真を少し。

 

 

一つ目。これは去年もアップしましたね。私の大好きな土佐水木です。私流に、この花を逆さに、上が頭、下の方をドレスに見るんですねー するとほら、ドレスを着た女性達が、いそいそと出掛ける所みたい。(え?そうは見えない?!)

この色も春らしくて好きですねー グリーンがかった黄色の小花が日、一日と大きくなって行くのは、毎日見ていても飽きない。何だかこちらもウキウキして来るのです!

 

 

 

後の二つはラン。これは昨年のコンサートで頂いたもの。正直、あんまりランの扱いには自信が無くて、枯らしてしまうかも~ と思っていたのですが、蕾をつけてくれた時は嬉しくて!

特に白い胡蝶蘭(コチョウラン)は今が見頃になって来ました。

新しい年に繋がってくれた事に感謝。こんな時でも家の中がパッと明るくなるのです!

 

 

正直、もうこの写真を撮ってから時間が経ってしまったので、今はだいぶ花弁は散ってしまっている。でも2月中にアップしようとギリギリ!

 

冬の寂しい庭に梅の花が咲き出す頃が好き。前にも書いたと思うが、もう35年以上前に此処に引っ越して来たのだが、前に住んでいた人は梅の木が好きだったらしい。おかげで花、実と楽しませてもらえる。本当の所、実は木の高い所についているので採るのが大変!だが、その時期に必ず現れてくれる友人がいて、彼女がかなり収穫上手で助かる。しかしお互い歳を取った、気を付けよう、が合言葉。

 

けれど同じ様に梅の木も歳を取った。こんなに白いきれいな花をつけてくれるけど、もう幹は割れ、倒れそうなのを植木屋さんが何とか支えを作ってくれて持ちこたえている。本当に、うろこの様な固い皮だけで水を吸い上げて頑張っている状態・・・えらいなあ、こんな風に歳を重ねられるだろうか。一度梅の実があまりにつかなかったので、「あーいよいよ終わりかな?」と、つい口にしたら、翌年、狂った様に実をつけたっけ。木は耳を持っているに違いない、うかつな事は言ってはいけないと思った。ま、現実的な友達にそういう話をすると、「あら、当たり年と不作は周期的に来るものよ。」と。わかっています。でも、そう言ったらつまらないでしょう?!

 

目下の悩みは、鮮やかなグリーン色のインコのつがいが、この梅の木が気に入って、花をついばみに来る事。バッサバッサと花の塊が地面に散らかっている・・・

引っ越したばかりの頃はウグイスも来て、まさに夢の世界だったのが、弱肉強食か・・・

あーこれも人間社会と同じ?何処か風情は無くなってしまった。とはいえ、梅の花が日々見られるなんて有難い事です。

今年が始まって、もう4週目に入ってしまった!

ブログを書き始めたのはかなり古く、ブログという言葉がまだ無かったか、日常的でなかった頃から何がしか書いていた。ブログも頻繁には書かないのに、このコンピューターになってからでも、もう結構溜まっている。

 

という事は、もう我が家で作る定番おせち料理の写真は、載せても繰り返しになるので省くとしても、まあ、いつもの様に慌ただしい年末とお正月の中にも、少しずつ変化が出て来た事を感じている。孫達が成長して来た事だ。今までは授乳があったり、お腹が空きだしたら、もう追われる様なおさんどんだったが、もう一番大きい孫で小学1年生、皆少しずつ成長し、いろいろな事がわかって来た。

 

我が家では年末、恒例の二色卵作りをするのだが、これが卵を茹で、白身と黄身を分けて裏ごすという、手間のかかる作業だ。それでも孫達がやってみたいと、裏ごし器に黄身や白身を載せて悪戦苦闘。単純な作業なのだけれど、力を入れるコツがあって、子供にはなかなか難しい。それを見ていると、スーッと自分が何十年も前に戻って、同い年の頃に悪戦苦闘していた事を思い出す。裏ごし器の上で、黄身は散らかるばかりで、上手く裏漉せない。

年上の姉や大人達は、今置いたばかりの一つの黄身をたちまちに消す(裏漉す)事が出来るのに、何故上手く行かないだろう?とヤキモキしたものだ。それでも、裏ごし器をそっと持ち上げた時の黄身の美しさや、張り付いた黄身を漉し器からこそげ落とす感触とか、1年にたった1度しかしない事なのに何十年間、染みついている。

実家では昔は3日3晩年始のお客があって、50個もの卵を茹でて裏ごしを手伝っていたものだ。

前回のブログでも書いたのだけれど、そこまでするの?面倒、と言えばそれまでだけど、ああだ、こうだと言いながら、年末、みんなで一つの作業をするのも、悪くないと私は思っている。

 

ところで、年明けに山仲間と御岳山に行った。東京の、そう遠くない山だ。

ただし・・・が入った。普通に登るなら、ケーブルもあるし、そういう意味では高尾山の様な感覚で、全部徒歩でない方法も取れる。

でも、今回はサルギ尾根から何時間もかけて登るという話。それだけならともかくも、前日に雨が降り、かなり寒かったので、奥多摩は雪が降ったのではないか?という話になり、最初はチェーンを持って来て、だったのが6本爪アイゼンも持参、の連絡に変わった。

 

果たして当日、養沢の登り口から急斜面を上ると、雪が積もり別世界!たまたま前を歩いた人の踏み跡が残っていたので、それを追いながら、先頭を交代しながら進んだ。途中、チェーンをつけたら滑らなくなってホッとしたけれど、アップダウンもあるし、やはり時間はかかった。

 

奥の院に着いて、お参りをして、ふと見上げたら不思議な木の形。

「おーい、くもよ!」と言っても今日は「雲」でなく、こちらの「蜘蛛」を呼んでいるつもり。

ここに糸を張って、ハープの弦を作って!

風がそよいだら、やわらかい音楽が舞い降りるかな?

小さなこの和の祈りの場に。

世界中が平和であります様に。

 

 

 

 

もうあと1週間程で令和元年が終わる。
今年を振り返ってみると、この5月の初めまでは、長年の想いの詰まったバレエ・コンサートの実現に向けて、馬車馬の様に走った日々だった。
その時は公演日に向けて、決してぶれずに日々、進む事しか考えていなかったけれど、何とか成し遂げて日が経つと、自分も周囲も大きな病気や怪我も無く、よく乗り切れたものだとホッと胸を撫で下ろしてしまう。

12月前後になれば届く喪中葉書・・・若い時なら届かない年もあれば、届いても数枚だった。

それが私の年代になると二ケタの枚数が届く年もある。親がそういう年代に入っている事も多いのだが、もうそれだけでなく、友人のご主人や、時には友人本人の悲しい知らせが
ご主人から突然届き、思わず葉書を落としそうになる事もあるのだ。

だから全てを含め、本当にどうしても生きているうちにやっておきたい事があるのなら、もしある程度やれそうな時期や環境であれば、もうやるしかないとも思っている。

私も数年前の親を介護していた時期には「コンサート」は全く「不可能」の一語しかなかった。

先日も学生時代の友人数人と会ったのだが帰り際、「又来年もね。」と言ったけれど
同学年なら、誰もが「一期一会」を感じる年齢になっている。
だからこそ、皆わかっていて、その時間は思い切り、笑い喋り楽しんだ。
歳を重ねるとはこういうものなのだとヒシヒシ思う。

さて初秋にもう一つ、自分なりに大きな計画を立てた。
出羽三山を巡る旅、その中でも月山登山がメイン。
山仲間の一人から以前、月山の草紅葉が良かったという話を聞いていて、数年前からどうしても行ってみたく、またしても企画屋になってしまった!
数人行きたい仲間がいたので、親友に手伝ってもらい計画を立てた。
詳しい計画を此処でお伝えする、というのではなく、絶好の日和に恵まれたので、頂上からの景色と紅葉ドンピシャの写真を一緒に味わいましょう!
この色や山の空気は、何だかそのまま自然に私の身体の中に入って沈み込み、音の色となってくれる気がする。
平成から令和へ。大きな事を成し遂げる事の出来た年となった。
 


 

ところで若者の間では年賀状スルーと言って、58パーセントの人が年賀状を出さないとか。

時代は変わり、プライバシーを守る為に住所も伏せる現代では、その流れも致し方ない事なのかな?とも思う。何より、メール、ライン、いろんな手段を使って、あえて年賀状を出すまでもなく、日常的に絶えず友人とお喋りをしているのかもしれない。

ただ昔、もっと寒く不便だった時代に、父も母も忙しい中で百数十枚、いや、父は仕事柄もっと多く数百枚もの年賀状を、墨を擦って筆で丁寧に一枚一枚書いていたのを思い出す。

もっこりとした布団の掛かった炭の掘りごたつに皆であたりながら、私も姉と版画を彫っては刷って、年末の行事だったなぁ。
正直私は今、もうそこまで出来ない。便利な印刷機能に多々お世話にもなっているのだが、

それでも年毎にその作業も大変に思うのが本音だ。
だから、ただただ親世代のエネルギーに脱帽する。

だが率直な話、コンピューターというものが出現しなければ、それはそれで、もっとゆっくり別なものを見ながら世界は回っていたのかもしれない。

でも、初めの一歩はインターネットを通じて、私は長年の想いを形にして行く事が出来た。
私達世代は今、その両方を知り、とまどう事も多いのではないか?!

「今年で年賀状は失礼します。」
という文言を見ると、「おやおや私より若いのにもう止めてしまうの?」
と、寂しいような、確かに楽になるでしょうね、の微妙な気持ち・・・

それでも、一年間、よく会った人も、会わなかった人も、一人一人の顔を思い浮かべながら、親しい人には自分の文字で一言したためてお正月のご挨拶とする。

この日本の文化はいいものだとも思う。
何よりお正月に郵便配達の人が郵便受けに配達してくれるのがいつも気配でわかり、自分宛に届いた年賀状を一枚一枚めくりながら見るのは年頭の楽しみ!
あはー やはりアナログ世代なんでしょうか。

 

年末は今年も大忙し。
どうぞ皆様良いお年を!