これは、本の章題。

 

効率的市場仮説に対する皮肉である。

 

子供を塾に入れて中学受験、高校受験、大学受験と

 

大人たちが必死に戦っている。

 

高学歴であれば金が稼げて、金が稼げれば幸せになれるはずというわけだ。

 

確か年収はある一定までは上がるにつれて幸福度が上がるらしい。

 

貯蓄も然りだ。

 

問題は高学歴でも金は稼げないということ。

 

東大を出たあいつより、植木屋のアイツの方が年収がいい。

 

早稲田のあいつより、農家のアイツの方が貯蓄が多い。

 

教育熱心な親たちは学習塾のカモに過ぎないのか。

 

とすれば、教育熱心なのではなく、いかがわしい宗教の信者と

 

彼らはなんら変わらないのかもしれない。

これが資本主義の現実か。

 

これだけ状況が悪化しているにもかかわらず、

 

株価だけは最高値を更新している。

 

株式にとっては極めて状況がいいわけだ。

 

資本主義にとっては最高の環境ということになる。

 

実体経済が疲弊しているという。

 

しかし、金融経済がいかに実体と解離可能であっても

 

まったく無関係とはいかないはずだ。

 

ということは、実体も決して悪化しているわけではない。

 

むしろ、好調であるのか。

 

つまり、

 

労働者の疲弊がそのまま資産家の利得となるという

 

資本主義の本質が顕著に表れているにすぎない。

 

教育、才能、努力はもはや化石である。

経営も資産運用も学問も続けていくことが大事なのだろう。

 

継続は余が最も苦手とするところである。

 

 

経営とはすなわち売上であり経常利益である。さらにはキャッシュフローであろう。

 

この15年、何も変わらない。多少の上下はあっても結局同じ。

 

おそらくこれからも同じであろう。おそらくではあるが。

 

 

資産運用とはすなわち経済成長である。鈍化しながらも成長は続く。

 

貨幣とは何かを知れば、資産が増殖することは間違いない。ただ速度の変化があるのみ。

 

すなわち、何も変わらない。

 

 

学問はどうか、これは年につれて寂しさを感じる。

 

余にとって最も大きな問題である。

 

経営と資産運用がマンネリ化しだしてきていて、これからもそうであろうことを思えば

 

学問は唯一の望みである。

 

来年は学問についてあれこれ考える年でありたい。

 

 

蓋し、継続に耐えられるのは学問をおいて他にないのではないか。

 

 

 

 

 

ファイナンシャルプランナーによる資産運用のアドバイスは

 

40年以上前の投資理論をそのまま引きずったものだった。

 

アクチュアリー試験に出てくる投資理論も

 

証券アナリスト試験に出てくる投資戦略も

 

みな1980年代ごろに盛んに妄信されて、

 

リーマンショックやクウォンツ危機で砕け散ったものばかりだ。

 

しかし、

 

今でも血液型占いや星占いを真剣に信じている人たちがいることを

 

鑑みれば、至極自然なことかもしれない。

 

相変わらず、テクニカルやファンダメンタルズなどと声高に宣っている。

 

まず、彼らは利益をあげていない。その方法では運に頼る以外にないからだ。

 

市場がどこまで効率的であるか、行動経済学がどこまで実践応用できるかはともかくとして

 

確かにアルファーは存在する。

 

 

2000万もあるのにまるで貯金がないとはどういうことか。

 

以前はそんな人たちのことが不思議でならなかった。

 

しかし、最近になって彼らのことが漸く分かってきたのだ。

 

次の仕事を頑張るためにどうしても多大な消費が、つまり浪費が

 

必要なのだそうだ。

 

それを止めてしまっては労働意欲を失うという。

 

2000万の消費と引き換えに2000万を稼ぐわけだ。

 

つまり、労働者としての燃費が非常に悪いのだ。

 

こういった燃費の悪い連中は多々ある。

 

彼らは金融リテラシーがないのではない。

 

未来に対して極めて楽観的なだけだ。

 

健康も収入もいつまでも維持されると錯覚してるのかもしれない。

 

もし、このことが金融リテラシーであるというならば、

 

金融リテラシーとは、将来についての悲観的観測のことかもしれない。

投資のコメンテーターがよく使うフレーズである。

 

大統領選もいよいよ大詰めとなり、

 

これまでのアメリカも風が変わろうとしている。

 

そうなれば当然我が国も同じであろう。

 

首相も交代し、長らく続いた右傾も今度は左側に振り始めた。

 

さて、問題は株価である。

 

これまでは日米ともに右傾で儲けさせてもらったわけだが、

 

左傾となったら一体どうなるのか。

 

日経は最高値を付けたが、これは左傾を好感してと捉えてよいのか。

 

われらにとっては左右に関係なく金融資本主義が繁栄すればそれでよい。

 

というより、金融資本主義はそんなことにはもともと頓着しないのかもしれない。

諸行無常とはよく言ったものだ。

 

目立つものはいつまでも力を維持してはいられない。

 

しかし、この諸行無常が当てはまらない人たちがいる。

 

ひっそりと力を蓄えている人たちだ。

 

じっくりと生きている人たちだ。

 

こいつらはいつまでたっても盛者のままだ。

 

必衰しないのだ。

 

煩悩から解放されているとでもいうのか、

 

祝福されているとでもいうのか、

 

世の中に頓着しないし、世の中もそいつらを相手にしない。

 

周りを貧乏神やら死神やらがうろついているのだけれど、

 

寄って来ようとはしない。

 

つまり、本当の盛者は必衰ではない。

 

 

 

 

 

 

一年くらい前から

 

働かなくなってきた。

 

ここ数か月はほとんど働いていない。

 

余は働きたい。

 

しかし、余は働きたくないのだ。

 

 

 

 

他人と調子を合わせることが嫌になっているからか。

 

仕事そのものに飽きたのか。

 

世界が小さすぎると思ったからか。

 

どうもそうではないようである。

 

働きたいから働きたくないのだ。

世の中には働くことが大好きな人たちがいる。

 

一方で働くことが性に合わない人たちもいる。

 

余の周りはみんな働くことが大好きなように見える。

 

余は働きたくない。