歴史について

 

 私は物心ついた頃から祖父母が毎日時代劇を見ておりましたので、自然と時代劇ファンになり、朧気ながら日本の歴史はこうなんだなあと認識するようになりました。

 成長してからは日本史の特に戦国時代の書籍を見つけては読むことが楽しみになりました。

 段々と年を重ねてくると、本当に信用できるのは一次資料(同時代に書かれた資料)に記述されていることであり、二次資料(その時代より後に書かれた資料)以降の資料はフィクションもかなり入っており、一般的に知られている"歴史"は真実とは言えないことを知りました。

 そしてもう一つ、日本史は勝者が作ったものであり、敗者についての真実はそこからは一部だけしかわからないことも知りました。

 そこで私の楽しみは敗者がどんな計画を持っていたか、どういう手段で勝とうとしたか、なぜ負けたか、また悪者とされている人は本当にそうなのかを調べることになりました。もちろん歴史はひっくり返すことなどできるものではないことは百も承知ですが、歴史のifを想像することも楽しみの一つです。

 例えば"関ヶ原の戦い"です。

 もし、上杉景勝が自国の軍備を増強せず、上洛を拒否しなかったら、その時点で家康は大阪城にいたのですから、会津征伐など起きなかったし、家康は豊臣家の大老として征伐しようとしたのだから、上杉に勝って論功行賞を豊臣家の蔵入地(直轄領)を分配するのではないかという石田三成の心配も起きなかった。だから関ヶ原の戦いもなかったと思います。(いずれ豊臣と徳川の戦は起こったとは思います)

 最大のifは豊臣秀頼が関ケ原に行っていたら、いくら三成が嫌いな細川忠興や黒田長政や福島正則、加藤清正も西軍に属さざるを得なかったと思います。近年の調査で西軍は秀頼の玉座を作っていたことが分かったと聞いております。私は三成ほどの有能な人がそれを考えなかったとは思えず、きっとそうしたに違いないとずっと思っておりました。玉座に秀頼が座っていたら、絶対西軍は勝ち、徳川幕府は無かったかもしれません。

 もう一つ、赤穂浪士は本当の忠臣か、吉良上野介は浅野内匠頭が刃傷に及ぶほど悪人だったかと疑問を持っておりました。

 あの時代は武士は大義名分に生きなければなりませんでした。どんなにアホな主君に対しても忠誠を誓わなければならず、命をかけてまで守らなければならなかったのです。でなければ誹りを受けます。

 内匠頭がアホだったという一次資料はないと思いますが、叔父さん(内藤忠勝 母の弟)がやはり刃傷に及んだことは歴史好きなら知っています。内匠頭も叔父さんも多くの家臣を抱えていることを忘れ、自分を抑えきれない人であったので、人の上に立つ器でなかったことは明白です。

 そして高家肝煎役だった吉良さんは勅使饗応役の指導責任者ですので、違うことを教えるいじわるをするはずがありません。自分が責任を取らされますから。そして吉良さんは知行地では名君として知られていた人です。吉良さんには色々と悪く言った資料があるようですが、時代がずっと後で書かれたものだったり、ありえない事をさも事実のように言ったりしたものがあるようですが、はっきりしたことはわからないでしょう。内匠頭が襲ってきた時はきっと"なぜ自分が襲われるのか"と疑問に思ったことでしょう。

刃傷の後浅野家の家臣は仇討ちをしなければ、武士として失格と侮られること必定!

討ち入りをやるしかなかったと思います。

 対して吉良方は守らなければなりません。大昔から攻める方が守るより易しと言われています。浅野の家臣も吉良の家臣も必死で策を講じたのですが、ご府内から松坂町に屋敷替えを命じられた時点で吉良さんは幕府から見放されたので、吉良さんの勝は無くなったのではないでしょうか。吉良さんが幕府からも江戸市民からも討ち入られろと思われていたのが不憫でなりません。何も悪いことはしていない常識人で教養の点でも当時のトップクラスの人だったのに。

 たとえどんな主人であっても、もし討ち入られたら、自分の命が無くなるだけでなく、子孫も世の中から誹りを受けて、どこへも仕官もままならないだろう事が分かっていても吉良さんの家臣は主君のため、戦って死んでいきました。

 対して赤穂浪士の子孫は誰もが厚遇され仕官できました。忠臣の鏡の義士の子供だからと。

 なので私は吉良さんの家臣が真の忠臣だと思います。

 皆さん、このような楽しみ方はいかがですか。