日本における安楽死の議論の必要性 | 細田智也のつぶやき

細田智也のつぶやき

元市議会議員
政治は優しさでなければならない。
30歳で脳出血で緊急入院 
当たり前が当たり前でない事を改めて痛感
退院時にドクターから言われた一言
「生かされた命です」
その生かされた命 政治という場で活かしていきたい

【安楽死カプセル、年内にも初の実用へ スイス】 


賛否両論あると思うが、個人的には日本も安楽死カプセルとは言わないが

“安楽死”については議論を進めていくべきだと思ってる。

安楽死に対する意見は、世界中でさまざまな形で表明されており、日本でもこの問題を無視することはできないと考えている。もちろん、安楽死に関する議論はデリケートであり、深い倫理的な問いを含んでいるのも事実。しかし、だからこそ、日本もこのテーマについて真剣に向き合い、国全体で議論を進めるべきだと思います。

まず、現代の日本社会では、”2025年問題”と言われている2025年があと数ヶ月で幕を開ける。超高齢化社会が急速に進行しており、終末期医療のあり方について今まで以上の多くの方々が、“当事者”に立たされて、課題が浮き彫りになっていくと予想されます。

延命治療の選択や、患者の尊厳をどのように守るかといった問題は、もはや一部の人々だけの問題ではなくなってきます。繰り返しになるが、これからの日本社会で、社会全体が直面していく課題です。

また、医療技術の進歩により、命を延ばすことができる一方で、患者や家族が過度な負担苦痛を強いられるケースも増えているのも現状です。例えば、現在の日本では、男性の2人に1人、女性の3人に1人ががんに罹患、他にも脳血管疾患など多くの病気が存在し、人は亡くなります。そんな時、自分自身の人生をどのように終えたいのかというのも考える必要があると思います。このような現状において、安楽死という選択肢がどのような意味を持つのか、またそれを認めるべきかどうかを真剣に議論することは、“人”としての権利や尊厳を守るために不可欠です。

もちろん、安楽死に対する反対意見も尊重するべきであり、宗教的、倫理的な視点から反対する声は無視できません。しかし、これらの意見を含めた上で、社会全体が安楽死についての理解を深め、適切な法整備や医療体制の整備を進めるべきではないでしょうか。

“今”は自分には関係ないと先送りにしたり、考えたくないことに蓋ばかりしていると、いざとなった時に苦しむのは自分自身であり、貴方の側にいる大切な人かもしれません。