何も言わない人を見ると、
私たちはつい、こう考えてしまいます。
関心がないのだろうか。
考えていないのだろうか。
もう諦めてしまったのだろうか。
声を上げない。
意見を言わない。
態度をはっきり示さない。
沈黙は、ときに
無関心や諦めと同じ意味で
受け取られてしまいます。
けれど、私は最近、
その受け取り方に
少しだけ引っかかっています。
声を荒げる人よりも、
何も言わずに話を聞いている人の方が、
長くその場に残っていることがあります。
すぐに意見を言わない。
簡単に賛成も反対もしない。
ただ、黙って話を聞いている。
その沈黙のあいだ、
何も起きていないように見えて、
本当にそうなのだろうかと
考えることがあります。
どう言葉にすればいいのか。
言ったことで、
誰かを傷つけないか。
関係が壊れてしまわないか。
そうしたことを、
頭の中で何度も行き来させながら、
言葉を探している人たちがいます。
それでも、外から見ると、
沈黙は「何もしていない」状態に見えてしまう。
だからこそ、
沈黙はときに、
無関心や諦めと
同じ場所に置かれてしまいます...。
もちろん、
すべての沈黙が
考え続けている状態だとは言えません。
関心を失っている沈黙もある。
疲れ切ってしまった沈黙もある。
そういう現実も、確かにあります。
ただ、
沈黙=無関心
と一括りにしてしまうと、
こぼれ落ちてしまうものがある気がしています。
本当は、
声を出したいけれど出せない。
意見はあるけれど、
まだ言葉にならない。
そんな状態の人ほど、
簡単には話し始めません。
沈黙は、
終わりなのか。
それとも、
まだ途中なのか。
その境目が、
私には、どうしても気になっています。












