像も食べていた1870年代のフランス! | 大森 由紀子のブログ

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フランス菓子・料理研究家、大森由紀子が日常の美味しいを綴るブログです。

フランス中世後期はペスト、飢饉、戦争によって本当に貧しくて、先日のZoomお菓子歴史講座でもお話しましたが、粘度80%、小麦粉20%のパンまで作っていたという!これにも驚きでしたが、今回次の講座に向けてあれこれ調べていたら、ナポレオン3世の第2帝政時(ナポレオン3世は、ナポレオン1世の最初の奥さんジョゼフィーヌの連れ子とナポレオン1世の弟の子供、つまり1世の甥。なぜナポレオン2世時代はなかったかというと、ナポレオン2世は1世の2番目の妻、ハプスブルク家から嫁いだマリー・ルイーズの子供だが、ナポレオンが退位すると、マリーは息子をさっさとオーストリアに連れ帰り、ナポレオン残党が誘拐しないように、ほとんど監禁状態に。で、若くして亡くなったんです。お母さんもイタリアで愛人を作り、1回しか会いにもどってこなかったらしい。イケメンだっていう噂←おおいに同情)、1870年普仏戦争時には、パリにバリケードを張り巡らしたため市民は外に出ることも入ることもできず、食べるものがなくなって、ねずみや犬、猫、挙句の果ては動物園の像やライオンも食べていたという!ほんとかいな?と思っていたら、アレキサンドル・デュマが(三銃士やモンテ・クリスト伯の作者)書いた「料理大辞典」に、像の調理法の記載があるとか!?人間てせっぱつまったらなんでも食べちゃうんですね。ある料理人は、ネズミとロバのテリーヌを作って、14フランで売ってたというんですけど、これが高いんだか安いんだか?