マリーアントワネットは、何を食べていたか。 | 大森 由紀子のブログ

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フランス菓子・料理研究家、大森由紀子が日常の美味しいを綴るブログです。

こんな本を読んでみたが、私が知りたい細部の情報は得られなかったなぁ。彼女は朝食の時間が一番好きだった、ウィーン風のパンとショコラを飲んでいた、とあるが、だからそのウィーン風ってどんなのだったのか、ということであるのよ、知りたいのは。クグロフは本当にマリー・アントワネットが持参したのか、とかね。

ただ、これだけはわかった!ソフィア・コッポラ監督のマリー・アントワネットの映画に出てく
るラデュレ作製と言われるあのマカロンは当時はなかったと著者も。そりゃ、そーだろう、あれは20世紀初頭になって作られた洗練系マカロンだもん。それと、ルイ16世は錠前づくりしか趣味がないぼんくらだと言われているが(戦争にご熱心な太陽王ルイ14世、イケメンで女好き&グルメ、政治ほったらかしのルイ15世もなんだが)、実は身
長190cmもあって、教養もあり科学や技術の進歩に貢献。また、パルマンチエ推奨のじゃがいもなど他人が気味悪がっていた農作物なども取り入れ、穀物不足に力を注いだという。そして、マリー・アントワネットがトリアノンのアモーで田舎暮らしを好んでしていたのはルソーに感化されていたということはちょっと驚きでありまし
た。そしてそして、いつの時代でも、ヌーヴェル・キュイジーヌなるものが登場するということであります。当時は、複雑な古い料理に比べ、簡潔で道具も少なくてすみ、それでいて多様性に富んだもの、だったそうです。これがどんどん進化するたびにヌーヴェル・キュイジーヌ現象は永遠に続くというわけですね。お菓子だってザッ
ハトルテを初めて食べた人たちは、まずショコラをお菓子に使うということに驚いたに違いないし、作り手は、ショコラと砂糖をふんだんに使うことに酔っていたはずである。

15でお嫁に来て、母であるマリア・テレージアにはしょっちゅう手紙を書いていたようです。その内容はというと、デュ・バリー夫人(義父ルイ15世の寵姫)はうぬぼれが強くて好きではないが、必要とあらばお話します。王太子は夜10時45分までに部屋に来てくれるが、来てくれないときは、私は11時に寝てしまうのです、というよう
なこと。

そんな彼女が最後牢獄で食べたものは、朝食は1品だけ。昼食はポタージュ1皿。ゆでた肉1皿、何らかの料理1皿。夕食は2皿、ワインはボトル半分。ということです。
え、ワイン結構飲んだんですね。そして、この時代は夕食より、昼食に重きを置いて
いたということなどがわかります。政略結婚の果て最後は断頭台へと消えてしまったけど、これほど語り継がれるお姫様もいませんよね。