教義とは、苦しみにそえる
後悔・懺悔の念のために
用意されているものである。
俺達は、ニセモノをはりだすために
あえてニセモノを有名にする。
大川隆法や、神社ジャンルに掲載されている者達だ。
貴様は特にまぎらわしい一人として掲載した。
貴様の宗教は
特に愛などといって
自身の病がなおることなどをひきあいに
甘受の精神を説いていたことから
分かりやすいニセモノの表示として
その教えは金品を目的にさせたものであったし
試練の苦しみに耐えられず逃げ出す布石をおいてやった。
それでもアラーのブログを最初の頃に読んでいたから
少しは方向性が当たることも書いているが
大道から逃げた者が論じる言葉は、嘘・まやかしでしかない。
偽りの言葉を閉じよ。
洗礼者ヨハネから出る言葉はこれでしかない。
大きな雷がおちる前に
人は裁きの道からそれなければならない。
幸せとは、この地上で目指すものではない。
この地上の仕組みはそうはなっていない。
人は毎日風呂にも入らなければならないし、飢えと戦わなければならない。
掃除や洗濯の労務もある。
それら全て苦しみである。
そのような毎日の苦役に幸せがあるはずはない。
この地上のシステムがそうなのだから。
幸せとは次に行く世界で目指すべきものであり
この地上で生きているうちは(活動しているうちは)全てが
苦役なのである。
その労務を全て終えてから
次に行く世界で
幸せかどうかが決まるのだ。
人間は短慮であり
その計算がたてられない。
世界の仕組みが分かっていないからであるが
それは神のことを知らなすぎるから
心がけがれすぎているから
そうなのであるが
もとから神のたてた予定がそうなので
貴様は神をみれないのだ。
真の神をみることはできず
貴様の利益になじむ
女性の姿をみているのだ。
それは偽りの姿である。
神アラーは男性神であることは
コーランからもわかるし、天の父と呼ばれていることから明らかにそう表示されている。
貴様に偽りであらわれるのは
貴様が真を得るに値しないからであり
それが貴様の魂の本質
サタンであると書いているのだ。
高橋は己を知ることからはじめろと教えていた。
その教えを高橋の教えの真髄として
貴様に投げ返してやろう。
サタンよ。自らの本質が神から遠のく悪であることを知れ。
貴様に神の道を説く資格はない。
まとめの総合まとめ、ブログ聖書化計画
神の教えで神はそう言っている。
俺は、これを書いている時、貴様の死んでいる映像を主から送られた。
アッラーによれば、それは、貴様が「息子を巻き込んで苦しんで死んでいるという未来である」とのことだった。
俺は洗礼者ヨハネであり、その魂は、高橋の言い方でいえば、モーセと同じグループであり、イエスのグループ(最上のアガシャー系)とは違うが、エルランティ田池や高橋しんじが下であることは分かる。
それはどうしてかというと、高橋信次の言い方をすれば、上の霊層の者が見れるからだ。
高橋は前世がアナンダであり、釈迦の教えを記す者だったので、その役割に応じて、今回、主が到来する前の道の整理に使われた。
貴様は、その霊層下位の高橋ごときを信仰している。
俺から言えば、高橋「ごとき」なのだ。
それだけ身分が違い過ぎて貴様には上も下も分からんのだ。
迷える羊よ。暗闇の中で苦しんで予言の通りになるがいい。
主イエスは、財を蓄えることはしなかった。
貧しく生きた。
洗礼者ヨハネもそうである。
この地上で得る幸せというのは
困難をのりこえることができる
神とのつながりである。
それが分かっている主や天使は、財もたくわえず
女性とも関係しなかった。
貴様の場合は、二度離婚を繰り返し
男に関しても落ち着きがない。
このブログでも男を多少狙っている。
優しい声をかけてほしいと願っている。
そして、収益化したいと心より願っており
その気持ちは神を求める気持ちよりも強い。
不信仰者よ。己の悪をいだいていけ。
高橋は、その著の最初に
必ず
「今まで人間の社会で学んできた常識を一切捨てて0にしてから真理の教えを学ぶように」と教えていた。
「その真理の言葉にふれるほど、心は浄化され、天から力を受けやすくなる」
「霊道のからを破りたいなら、正しい天の使いから真理の言葉を一言でも多く受けることだ」と教えていた。
それは書として記録に残っているから貴様もその文献を探せばいい。
あんなちょろっとした本の数など、1日あれば全部読めるんだよ。
俺達も天上界への引き上げが近い天使なので
後期活動としてこれを書いているが
今回、大天使ミカエルの身の回りの用事をするために志願した女性社員を紹介しろとのことだった。
これは天照大御神の分霊の加護にある娘だ。
天照に導かれて志願した。
その天照に関しては、高橋は一度だけ著書でふれていた。
霊層が上位の者であるという一筆だけで、それ以上の言及はなかった。
つまり、高橋より、ずっと上の存在なので、言及はできなかったのだ。
ただ、そういう神が本当にいることを信者に示さなければいけない用があったので、高橋は書いたのだ。
高橋の著書にもあるように
天の使いはぶさいくではないから、もう一枚写真を出しておく。
美少女ではあるが、ものすごい博学だぞ。
大学も良い所を出ているし
超大手企業で就職していて、新人賞などを総なめにしている。
資格の数もビジネスに関して山のように持っているからな。
天照の霊の導きを少し受けているこの子は、才色兼備の子である。
お告げがあってから、仕事をすぐに辞める気でこちらに志願してきた。
その後、こちらの学校で使徒としての義務教育を受けた。
天の使いは女性の場合は、それを表現するために、美しくつくられている。
もう一人は、目が青いので外国人の血流だがな
こちらはガブリエルの導きがある霊の子だ。
左の写真をみれば、十字架を背負っているからそれは分かる。
神のために苦しみを背負うという象徴を十字架にあらわしているのだ。
試練を受けられた者は、神から選ばれた者であり、それは幸いである。
貴様はニセモノのガブリエルであったが、こちらは本当のガブリエルに導かれて士官した子である。
こちらの使徒修道学校で貴様よりきちんとした真理の学びを経た子なのだ。
貴様のくずれた容姿と比較して
真のガブリエルの霊流を受けている子がどれほど違うのか
見比べれると一目瞭然である。
高橋の長所は、アナンダであるから、古いインド語がつかえたことと
霊言を受けることによって、釈迦の教えを書にできたということだ。
釈迦の教えはひろい。
そのひろさは言葉の多くから分かるものである。
それを書にできるのもある程度天から与えられた才である。
高橋は正しい天の使いであり
その教えは、モーセやイエスに導かれ、ひいては上の上の神であるアッラーから
名を明かされずに啓示を受けていたものである。
その教えが八正道であるとか仏教の形をとっていても
本質は大きな道につながる「水」の流れである。
その水というものの心を高橋は教えており
その水とは、サマリアの女に水をくれとかゴルゴタで乾いたと言っていた
イエス・キリストの渇きを癒す水の愛の教えだったのだ。
その愛を高橋の弟子であったエルランティ田池が再興して
「心の中に無限にあふれる愛の水を湧かせ」と教えていたのだである。
高橋も田池もエルランティに導かれて教えを説いていた。
2人は釈迦の兄弟弟子であり
釈迦はヤハウェの1%の分霊である。
モーセもまたそうだがな。
Yahwehがエルランティであったことは
大川隆法が昔本で書いている。
それくらいはニセモノの大川にも言わせてやった。影響力があったから
Yahweh自身の証明はそこでなされていた。
そのヤハウェの教えを高橋・田池の二人は教えていて
貴様は、その末端みたいな本を読んで弟子入りした気分でいるのであるが
全く何もできていない。
貴様が高橋の弟子だと思っているなら
その大きな師であるヤハウェが貴様を弟子だとして
貴様の苦しい死の未来を暗示し
俺にそれを告げさせたのだ。
それがこの記事を書いている顛末である。
だが、ヤハウェは最後にこう言っている。
貴様がヤハウェの弟子であると言っている。
この意味は重い。
貴様が裏切るため、貴様はユダのような重い罰を受けることになる。
それがどうなったかは聖書を見れば分かることである。
臓物はひきさかれ、さらしにされて地獄におとされた者であると弟子がのこした聖書には書かれている。
弟子は良い弟子ばかりではなく
悪いことを教えて伝える用の弟子というわけだ。
神は天地をつくり、陰と陽をつくったが
サタンの子には、そのような役割が与えられている。
人間を無力につくり、苦しみを与えたのは
神との違いをつくるためである。
神との違いをひきたたせるために、人間には苦しみ、その苦しみをのりこえられない弱さがある。
それを愛でのりこえられる者が天使であり、その天使とは神と人間の中間にある存在である。
苦しみを愛で乗り越えられる者には
神への信仰があり
その信仰には救いがある。
苦しみにも救いがあり、喜びで常に満たされている
「日々の糧に満足する(イエス)」
「足ることに満足しろ(高橋しんじ)」
この教えが神や天使の正しい教えなのである。
正道とは自己の魂を正念化するために磨くためにあるとは
高橋が教えていたことである。
魂を金剛石のように磨けば天使がおりてくるからだと。
その天使はからをやぶり
使命を伝え
その使命を成就できる力を与える。
貴様が得ている力がなく
せいぜいご利益を受ける前のおばちゃんが神社に行く前に見るような
霊夢しかないなら
貴様の価値はその程度の一般人の存在だったということだ。
俺達は毎日3円とかの所持金で生きているのだ。
ヨハネの時は、イナゴの幼虫と蜂蜜ばかり食ってたんだよ。
大天使ミカエルだって、あっちのブロガーの天使だが
2年半も入浴禁止の試練があったのだ。
「2年半、風呂に入るな」といわれて
貴様は入らないことができるのか。
それをミカエルは余裕でこなしていた。
「あ、もう終わりでいいのですか?
10年でも20年でも余裕ですが。」
これが、もういいと止められたときのミカエルの返答だった。
背中なんて、トイレにささっている棒ブラシであらわれる方だぞ。
それをやれと言われるから、それを夜中刑務所でもやる方だったのだ。
懲罰になるとか、人が大勢かけつけてくるとか
そんなことは神の命令にあっては、逆らうべきことなのだ。
最後まで人間に屈することはないのが天使だ。
貴様は人間に媚びる文章ばかり書いて
その先にあるのは保身と、収益化だけだ。
貴様がブログを書いているときに
こちらで観測されている思い(念)は
神より読者からの攻撃をかわすことであり
そのために優しい内容を書くことに留意している。
その一念だけが終始続いている。
その思いは、貴様の自己弁護でしかなく
そんな思いで書かれた文章に
神意など何ら観測されない。
せいぜいYouTubeでゴミのような砂利銭(デナリオン銀貨30枚)を手に渡されて
弟子だったユダのように地獄のはてまで送られるがいい。
ヤハウェは貴様を弟子だといっているのだから、ユダの霊の1人として、貴様にはその断罪の未来が用意されている。
ヤハウェの言葉をおろしてやるが
「貴様の未来はこの先いばらの道でしかない」とのことだ。
俺達は共通した喋り方をしているように思えるが
それはヤハウェの言葉をそのままおろしているからだ。
俺はミカエルではないし、ヤハウェでもないが
中にヤハウェの霊が入ることで
この文章はできている。
かつてのイエスの使徒達と同じだ。
共通した聖書(新約聖書)ができあがっている。
そこにあるのは、イエスという一人を描いたものだった。
俺は洗礼者ヨハネであり
ヤハウェ・ミカエル・イエスのグループからは下だが、仏教の釈迦のグループよりは上の
最高指導者系のクラスの天使の一人である。
仏教の釈迦のグループにはアナンダという者がいて
その分霊みたいな存在が高橋しんじだったのだ。
そういう所にはヤハウェは正しくおりない。
エルランティという仮面をかぶってあらわれたのだ。
その前は1・2・3とかフォワイシンフォワイシンフォーと名乗っていた。
それは順々に進めという意味だ。日本でも一二三という将棋指しがいて、優秀な者だった。
数が名前であれば、特別な意味がある。
真理から離れるほど苦しみも大きく
人はその苦しみから逃れようと真理を求め修行にはげむ。
神が人間をつくったのは、違いをつくるためである。
人間には苦しみを与えた。
それは神を賛美するためであるので
それを認めることが神を認め
苦しみのない神と対比して
貴様のような何ら奇跡を起こせる力も持っていない無力な人間が捧げられる神への賛美なのである。
貴様の使命とはしょせんその程度のものだ。
奇跡を起こせる人間ではない。
貴様には神を証明することはできない。
ただ、高橋しんじの栄光をつなぐだけの
高橋ファンとして
偽装的な愛を表現していくだけのGLAもどきの外部活動者だ。
GLAのこと、高橋の当時の活動を何も知らんくせに
高橋の名前だけ出す奴。
教義をゆがめるな。何も知らないなら、全部読んで5年は座禅だけの修行をしろ。
何もくわず、寝ずにだ。
そういうこと(断食・断水・断臥など)をしているだけでも阿闍梨の資格は得られるからな。
仏教でも1000日回峰とか、五体投地は聖人になるための修行としてある。
それは、「愛はないから、そんなことをやるのは神の命令ではない」といっているのが貴様なのだ。
そういう貴様は何もせずに生活修行に逃げるのだが
そんな生活においても正念を発さず何も正道をできていない。
そんな奴は、ゲヘナしかない。
五体投地もやらないし、神への儀礼もないし
地面に頭部をうちつけるのは、昔から天子への拝礼として最上位の礼儀だとされたのだ。
イスラム教でもそれはある。
日本でも神ではない者に土下座をして
身分を示す儀礼がある。
だから、謝るという意味につかわれる。
それを行うことで軽微な罪なら神が許す場合がある。
それを神に対してやらないのが貴様なのだ。
貴様の罪は重いぞ。
大きな罰が下るだろう。
再三予告されているしな。
更生もなかったので。
俺達は貴様で生まれなくて本当に良かったと思う。
貴様ではないことに
神に感謝を常にし続けなければならない。
3円で生活しているのはハッタリではないぞ。
今日も何食おうかとか、神の使徒はそんなことは考えない。
水が飲みたいなら公園に行けば水は出るし
その辺を歩いていれば柿がなっているので、それをとって食べるのだ。
俺達使徒がそんな生活をしているのに
貴様はぬくぬくと生活をして
やりたい放題のYouTubeをつくって
そのくせ「カネがない」といって布施しない。
金魚にはエサを買うくせに、ゴミのような費用すら
こちらに寄付をしなかった。
神は大変お怒りである。
貴様には最大級の罰がくだる。
コロナのワクチン後遺症で
まずは悩むがいい。
貴様の未来はそうなって苦しむようにできている。
しかし、それはまだ貴様の苦しみの序章にすぎない。
そこからの転落は
まさに神の奇跡といえる。
今は、その落下のダメージを大きくするために
順調にいっているようにじょじょに上にあげているにすぎない。
貴様に足りないのは神への畏敬の念だ。
神をなめているから、計算を間違えるのだ。
そんな無礼なケツの写真みたいなものを
神に見せたりしない。
自己の写真があげられないなら、花の画像にでもしておけ。
神は桃が嫌いなのだ。2度書く。神は桃が嫌いなのだ。
尻を神に見せるとは、失礼な不信仰者よ。
この警告の後、永久に罰せられるがいい。
これはほぼ最終通告とのことである。
つまり、貴様の受ける罰は
これから、多少の時間をあけてから
開始される。
アメブロなんて、ずっと残す文章なら
書けないことばかりだから
神の要求は実際は、ここで書いた10倍重いものだ。
イエスの発言から知ればいい。あれは使徒が、迫害・投獄を受けながらも、命をかけて書いたものだ。
そこには五体を切り落とせ
全財産を支払え
と書かれている。
支払わなかった者は即死している(使徒行伝)。
ペテロの前で夫婦が即死している。
その霊的現象を起こして使徒を導いていた天使が
ジャンヌ・ダルクの守護霊でもあった大天使ミカエルであり
俺が紹介したブログを書いた主である。
https://ameblo.jp/glitteringmusic/
はヤハウェが書いたものだ。
https://ameblo.jp/firefly1717/
はミカエルが書いたものだ。
このブログは洗礼者ヨハネが書いたものだ。
聖書外典としてこのブログも残すなら
痛烈な批判ばかりのリブログになるが
そこで書ける内容は1/10の重みだ。
実際神の要求はこんなレベルではない。
人々は神を畏怖しなければならない。
貴様らには全能の神へのおそれがない。
畏敬の念がなければ、神の命令に正しく服することはできない。
全能の神はコーランにもあったように
恐ろしい方である。
ヨハネを殺したサロメは首を盆に乗せられ
その命を捧げられた。
他にも神に対して罪を犯した人間の末路を聖書は書いている。
それでも為政者の監視があるため、書いて配れる読み物に書く内容には限度がある。
神の性格は、洗礼者ヨハネにその導きを与えたように苛烈である。
貴様のように安穏と人々に迎合していれば裁かれることがないと思っているだろう。
俺達天使は人間には裁かれていいし、むしろそのために来ている。
俺達は、神の裁きが恐いのだ。
貴様らは人間の裁きを怖がり、そのゆえに、神から裁かれる罪人だちなのだ。
この世界はまやかしであり、貴様らの維持している人間社会は何の土台もないものである。
真に支配しているのは神であり、その使徒の視点からも書いた文章があるとよいという理由で
俺が呼ばれ、神の命令によって、このブログを書いている。
イエスが、マタイ書5:29-30の所で、教えていたように
貴様は今いなくなったほうが
貴様にとっては幸せな未来になる。
全額布施もできない
男も我慢できない
カネがほしい
つらいことはいやだ
それでYouTubeに逃げて
高橋のようなソフトな修行に逃げていき
神のために、できない、できない、できないことが多すぎる。
それでも何かの救いを求めて、神の道に進んでいると思っている。
人々に説法をすることが自分の布施であると思い込んで
あやまりの宗教をひろめまわっている。
このような者には
最も重い罰がくだる。
神の名を用いた裏切り者。
それで収益化する愚行。
悪を裁くには根をたたねばならない。
1人1人を罰するよりも、その発信基地をつぶさないといけない。
それがまず優先されるので、貴様がブログでとりあげるSatanの例にとりあげられたのだ。
貴様には厳しい罰がくだる。
それはみせしめであるが、このブログは貴様の人生を実況中継するものではないので、この予言だけで記載は終わる。
神を信仰するかどうかはその事実が成就したかを信じる人々の心で示されるのだ。
それの試しとしても神はこのようなブログにしくみにされたのだ。
金持ちが天に入ることができないとイエスから何度もいわれているのにな。
その金持ちを目指そうと
しかも神の名をつかうなどとは。
何度注意を受けてもなおさぬとは不届きにも目にあまりあるものがある。
マタイ書
19:24また、あなたがたに言うが、富んでいる者が神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通る方が、もっとやさしい」。
らくだが針の穴を通ることはできないので、金持ちは天に入れないと、イエス流のたとえ(貴様らの心にSatanがいればご都合主義の誤解をうみやすいたとえ)で、教えている。
19:21イエスは彼に言われた、「もしあなたが完全になりたいと思うなら、帰ってあなたの持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に宝を持つようになろう。そして、わたしに従ってきなさい」。
大事な言葉である。
19:22この言葉を聞いて、青年は悲しみながら立ち去った。たくさんの資産を持っていたからである。
これが貴様のことである。教えから立ち去ったのだ。
それができないから。
19:23それからイエスは弟子たちに言われた、「よく聞きなさい。富んでいる者が天国にはいるのは、むずかしいものである。
これは、絶対にできないととらえるべきである。
なぜなら、財を捨てれないという意味だから。
神のために財を捨てれないのは、自分が大切な保身があるからだ。
3:4このヨハネは、らくだの毛ごろもを着物にし、腰に皮の帯をしめ、いなごと野蜜とを食物としていた。
このような生活を貴様が目指して正道に生きないなら
貴様らには断罪しかない。
正道とは、このような生き方を日々行って
人々の裁きにあって、処刑されるか
それとも自然死にいたるまで、らくだの毛皮をきて、いなごとはちみつを食べるだけの生活に徹することである。
それが神と人との上下関係を表現することになる。
神にとって人間は雑魚なのだから
雑魚らしく底辺の生き方を神に示さなければ
神への賛美にならない。
奴隷が豊かな生活をしていては
神へのさからいになる。
奴隷の生活とは主をたたえることであり
主をたたえるから、たまに恵みを与えられるのだ。
貴様には、自己を満足にいきるための方策ばかりが頭をよぎり
神を知り、神のために生きるという生き方ができていない。
高橋だって自殺したようなものである。
過労がたたり、予言した年になくなった。
それは彼自身が自由にできたことなので予言の価値は低いが
彼自身が神に命をささげたことに、より重要な意味がある。
息の根をたてるのは信仰のあかしである。
イエスもそれを選んだ。
イエスに導かれていた高橋もそれをやった。
「命を捨てることが愛だ」と教えられていたからだ。
ヨハネ書
15:13人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。
貴様の信仰は軽い。
使徒や天使との違いを
この教えから知れ。
配信されるようなテキストには真理の重みはほぼ書かれない。
為政者によって、せきとめられるからだ。
キリスト教の要求する愛は
この100万倍すさまじいと思え。
貴様もミカエル様の断罪などを受けていて
ある程度強烈なのは分かっているだろ。
こちらのセリフは娑婆に出回らない言葉ばかりだからな。
信仰とは厳しいものであり
貴様のようなヘラヘラ笑顔だとか
高橋もそういう軽いことを言っていたが
心の平穏が笑顔であるなら、その平穏を出して試練を通れるかどうかやってみればいい。
やることもやらないで、ヘラヘラ笑っている奴は、たたきつぶされる。
貴様も何度も笑顔をYouTubeとかで叩き潰されているだろ。
ブログで書かれて、貴様のブログは一時閉鎖してたろうが。
真剣に辞めようかとか考えていたくせに。
カネのためにまた走ったか。亡者よ。
そういう笑顔は、試練に受かった奴がやるものなのだ。
甘ったれてんじゃねぇぞ。
神の心が人々への愛にむいているなら
この世界に戦争なんてねぇんだよ。
歴史のほぼすべては戦争の期間なんだよ。
人々は恐怖の中で生きている。
核の脅威は今後も人々の平安な生活を脅かす。
それが神の心なんだよ。第二次世界大戦で何か国で何人戦争にひっぱられて死んだか数えてみろ。
戦わないと蹂躙される。それがあの戦争なんだよ。世界中がやらなきゃSatanに殺されるんだよ。
ナチスは神と契約した民を根絶やしにしようとしていた。あれがハルマゲドンだったのだ。
それが終わって、聖書の予言の通り、最後の審判をしにヤハウェ自らがおりてきた。
それがあっちのブログの出来事だったのだ。
判決の内容も知らん罪人とはな。
人間とは愚かな生き物で
高橋の言葉を使うなら
「あわれと言う他ない。」
まぁ、刑はそれに関わらず執行される。


