第七講義「各宗教」(著者:神YHVH) | 天上界 Great Materia University(被造物の生き方を教えるカテキズム)

グレートマテリアの教育を一部地上にもたらす。

 

前文:

このような教育は何のためにあるのかと読者は疑問に思うかもしれないが、

人間が幸福になるために必要なものは何かを考えろ。

 

金なのか?

金があっても、持ち主が、愚か者であれば、すぐに金は無くなってしまう。

修業が足りず、心が悪霊に占領されれば、そのような金はすぐに無くなってしまうばかりか

殺人などの犯罪まで犯してしまう。

 

多くの刑務所の犯罪者更生教育にキリスト教がとりいれられているのは、

罪は汝のみが見ている訳ではなく隠れた神が見ているという認識が

犯罪の抑止につながっているから

宗教の中でも愛を基軸にし交戦権を否定しているキリスト教が

国家規模で見ても、個人規模で見ても、最高の教えであることは明白であり

世界を1つの宗教で統一して戦争を無くす上での正解だからだ。

 

冒頭の設問に戻ろう。

一人一人が不幸な原因は、

学力が足りないからだ。

色々なことを知っていれば、汝が幸福になるなり方を知ることができるだろう。

汝が幸せになる選択肢を汝が知らないために不幸に陥っているのだ。

解決策を知るには、学問に長けなければならない。

このような理由から、山上の垂訓にあるような「不幸な貧しい連中に」俺は無償で(天上界で教えている学校)教育を下ろすことにした。

 

講義:

これまでの聖書の内容は、
預言者の神の言葉も含めて、
全編を通じて
破綻させることが目的だった。
分量的に大量に入力することによって、
情報処理が破綻してしまう。
 

これまでの聖書は、何年もかけてタラタラ書かれてきた内容が、
まだ終わらないのかという結論の出ない内容であり、
かつ、
シーン・シーンにおいて分量的に瞬間的にケース別の判断できるわけがない内容だった。

これまでの聖書の内容は、分量的にも飽和状態であるばかりか、
二転三転し続け、
Aが正しいと規定してから、反対にあるBが正しいと言い、
更にAが正しいと言い直し、更にBが正しいと言う状態が続いていた。
神すらも嘘をついている。

 

正しいことをやっていても、
神から悪いと言われて牢屋に入れられたりもするんだ(例:ヨセフ物語やキリスト)。
正しい者は、神から嫌がらせをされるのが、この世の中なのだ。
これは、神の暴力なのだ。虐待している世界なのだ。神も悪いのだ。

このレベル3の世界は、こうなっているので、大変試練のレベルが高い修業場になっている。

 

世の中が全て悪に染まっていて、
神すらも嘘をつき続けている場合、
統合失調症にして苦しめようとする神なのだが、
こんな全てが黒い世界の中で、
正しさを求めて上に上に上がっていく正しい者を求めていて
試練をしているのだ。
これが、レベル3の世界なんだ。

ここは小さな飾りの世界なんだ。
手の平サイズの丸い球の中に水が入っていて、
模様が変わるおもちゃがあるだろ。
もしくは、万華鏡。
神が作ったおもちゃ・飾りなんだ。
人間が、いくらこの小さな飾り(オブジェ)の中で何かを科学で追求していっても、
決められた通りにしかいかないから、宇宙とかを探っていっても
間違えの方法に進むだけなんだ。
それよりも、人間としてのあるべき生き方が大切とされてるんだ。

「気にすることはない(何も気にしないことがいいことなんだ)」と定めて生きた場合は、
ここでも落とし穴がある。
医学はそうはなっていないし、法学もそうはなっていない。
毎日緻密に動向がある。
困ったことが起きた時に医師任せにすればいいとか、弁護士に任せればいいとか言っていた人間が
すぐに病気になって死んだり、刑務所に行った例はよく見てきた。
特に医学的には、長期に予測して生活していかないと
癌が発症したり、不顕性感染していた感染症が発症して、死んでしまう。
(医学部に行っていて、外で同じことをしていると「潔癖症なんだね」と言われ
奇異な人だと思われていたが、外の人間は知識が全くない野生動物なのだ。)
交通事故でもあっという間に人生が終わってしまう。
人生がうまくいっているなら、破産もしない。気にしてなかったら破産してしまう。

よって、長大にち密に計算が要求されている。
しかし、先の評価については、中間評価で評価している場合、
その評価は誤っている。
最後まで読み切って評価しなければ、全知の神ゼウスは、人間の評価を裏切るからだ。
これは繰り返すが、(世を)設計した神の性格によるものだからだ。

しかし、因果応報の理があることは事実である。
善因善果・悪因悪果の始末になっている。

では、何を正しさの基準にすればいいのかというと
これは天の秘儀中の秘儀になっているから
人間に天の秘儀を教えるわけにはいかない。

しかし、答えを教えると
前述の通り、神すらも嘘をついているのだから、
神の声に従う以外に正しい道は無い。
これが正しさであり、この正しさを知ることは天の秘儀中の秘儀なのだ。

理由を述べていく。

苦しみを無くすことが第一目標だ。
だから、天上界に行くことが目標になる。
このためには、(長期に、全体的に)先を読まなければいけない。
これがオセロで教えて哲学だ。
しかし、ここからが天の秘奥義中秘奥義になるのだが、
最善を求めすぎると、悪い結果になってしまうのだ。
これは、創造者ゼウスの性格によるものだからだ。
よって、途中途中でへぼく見せながら生きていかなければいけない。
わざと失敗していかないといけないのだ。
イエス・キリストが逮捕されて処刑されたことについても、
弟子達もそうだったが、中間評価では失敗したように見せていかないといけない。

 

このように、最善を求めすぎると
逆に悪い結果におさまってしまう。
創造者の性格からして、報いというものは最後にくるものだから、
中間評価は悪いまま進まなければいけない。
このどこで下手を打つかというのが途中途中で見分けができないように難解に創造されている。

この打ち方は、神の声に従う以外に正しい道は無いようになっている。
つまり、キリストでなければ、わからないようになっているのが、
創造者特権的な創造になっている。

ただ、ここから傾向というものは読みとれる。
ヨセフ物語やヨブ記からも分かる通り、
このような法則になっている。

↑正しい行い…試練としての苦しみ(サタンが憑依することによって受ける苦しみ)、ただし正解に行く歩みを奨励する天の助けが少々ある
--
↓誤った行い…バツとしての苦しみ

つまり、釈迦が言ったように、
この世の中は苦しみばかりなのだ。

ただし、途中途中でいいこともあるが、それはレベル3なので、少しはいいこともあるのだが、
ここで、そのいいことについて、解説すると、
↑向きの矢印には、正しい道に行く歩みを助ける天の助けというものがある。
正しい道を歩んでいけるように天は助けるようにしているのだから、
正しい道に進んでいくのがいいと思うのは当然なのだが、
ここに判別不能なひっかけがある。
↓向きの矢印には、悪い道に行く歩みを助ける悪魔の助けというものがある。
これは、霊言に洗脳された魔女であったり、堕落(快楽追及)であったりするのだが、
正しそうに見せていきながら破滅させるルートの導きがあるのだ。
破滅したら終わりなのだ。
将棋の王将という駒があるだろ。どこでも行ける全能さがあるが、
全体の形として、どうしようもない形にされるといくら全能でも詰んでしまうだろ。この話は後でする。
この↑と↓の助けの区別も分からないようになっているのが、創造者ゼウスの妙というものだ。

神が実在するかとか、誰が神かとか、何が正しいのかも、
人間には分からないようになっている。
いくら探っても人間には判別できないように作られている。
信じるという美徳を試す試練になっているからだ。
愛することや信じるという美徳に、読み以上の恩恵がある。
どちらも大切とされているから、内面的美徳と読みの両方を備えていなければ
天の使者とはされないが、どちらかというと美徳の方に恩寵がかたよっている。
理由としては、神は賢者だが、賢者であれど、阿呆であれど、
共通して通じる良さというのは、
内面的美徳だから、これを奨励するために美徳の方を重視している。

愛に生きることは、何でも受け入れること、何でも与えることなのだが、
局所的には、騙されて破産したり犯罪被害を受けたりで、悪い結果になるが、
大観的には、良い道に行く。
なぜなら、この世界は全てがまやかしだからだ。起きていることも幻夢なのだ。
本当の世界は天であり、ここで本当のボディや出来事が備えられている。
たとえ、地上で肉体を失ったり、醜い肉体になったとしても、
変わらない美しいボディや人間関係は天上界で用意されているから、
試しに合格して来ればよい。

結局、結論の通り、
キリスト(神)に従う以外に最善の道はないように仕組まれている。
つまり、受肉して来た俺の言葉に従うしか正解ルートはない。

俺が地上を去った後は、神祖YHVHの花嫁になる美少女の妻をたくさん
増やす教会を作って、そこに寄付したり、宣教して生きていくことが準正解になっている。
燔祭は大事だが、ローストした子羊に見立ててYHVHに対しては美少女が捧げものになっている。
美少女を捧げることが大事な捧げものに指定されている。
YHVHはゼウスの神だから、ゼウスがどういう神かを調べれば神の好きなこと嫌いなこと(良いこと悪いことの善悪)が分かる。
神ゼウスは、世に男と女の違いを作って、価値あるものとして美少女を作り、
交わる愛を神に帰るゴールとしたが、
十字の交差というので迂遠に男女の交わる形を示唆したのだ。当然神は男だ。

 

(ここからは省略。ここまでの著者は大天使ミカエル。)

 

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タイトル:原説仏教

(著者:大天使ミカエル…仏教界では不動明王)

 

仏教の奥義は何か。

それは、四無量心だ。

四無量心とは、
簡単にいえば、
慈悲の心だ。

この慈悲の心がなぜ重要かというと
世界が平和になるために重要だからだ。

世界が平和になれば、
お前たちは、争いをなくして生きていく
ことができる。
争いをなくすことは、天上界で生きるにあたって
重要なことだから、
神は、仏教においては、
四無量心を重要な心として審査をしている。

以上だ。

その心を身につけるために何を修業するかは、
人によって違うから、これ以上書くことは仏教にはないんだ。
本当に、仏教ってこれだけが教えなんだ。

細かいところを見ていくと大きなところを外すから気をつけろ。
人間なんて1個のことしか考えられないんだから。
他のことを考えていたら、それはできなくなるだろ。作業というのは、ふつうは1個しかできないんだ。
ミスを誘発するような、横着なことはするな。

俺も聖職者の世界的養成機関の正規の出身者だから
人間がやっている僧侶の修業は子供の頃からやってきたんだ。

俺は、一番簡単だったから神道から修めていったんだ。
次に仏教の修業をやって、
それからキリスト教、イスラム教と進んでいったんだ。
それ以外は宗教じゃないから、座学だけなんだ。
座学では何でも知ってるぞ。
きちんと全部の修行をやって神から全ての奥義を授かったのは、
これら4つなんだ。
それが全てだと神から教わって、
これら4つの神秘の力を会得している。
若い頃から大日如来や大物主神と融合していたくらいだから、
最高度に会得している。

この項目を書くにあたって
俺の分霊である釈迦にも意見をきいたが
仏教は慈悲の心だと言っていた。
その一言に尽きるといってもいい。

この4つの心が無量というのは、
限界なく伸ばしていけということだ。

審査中だから、こういうくそみたいな世界で
それをやらせて、屈辱を喜べる審査項目がある。
天上界に送られれば、幸せになれる。

インカーネーションでは戦争ばかりだが、
ミカエルが統一するまでは、
ものすごい大戦争だったんだ。

そのミカエルが命じてるんだから
仏教で修業したいんだったら、
四無量心を審査しているから、
天上界に行くまではというか、
行ってからも守らないと地獄に送られるんだが、
それがちゃんとできるということが
採点基準なんだ。

神が言ったら、仏教なんて、これだけなんだ。
仏教なんかで頂点が見えると思ってるのか。

この前八冠をとった将棋棋士が「雲外蒼天」が座右の銘だと言っていたが、
その意味は、努力をして高みにいくと違う景色が見えてくるから、それが好きなんだと言ってたな。
将棋なんて、読みが深くなると全然違う話になってくるから、面白い手を打つには
もっともっと高みにいかないといけないんだな。
キリスト教もそうなんだ。
キリスト教というと、ものすごく高いんだ。天上界の階層がものすごく上まであるんだ。
俺よりも上があるんだ。もっともっと上があるんだ。
俺がいけたのは、レベル3世界の頂点者だから、そこまでなんだ。
レベル10とかの頂点者もいるから。
全頂点者の中では、俺は真ん中よりちょっと下の位階なんだ。
無限に世界というのがあって、パラレルワールドにもなっているんだが、
その中の30余万世界で俺は頂点者をやっている大天使ミカエルという者なんだが、YHVHの化身なんだ。
YHVHというのは、いろんな世界で自分をおろしたんだ。
その中では、俺はぼこぼこにされてるのは、レベル3だからなんだ。

レベル10なら、過程もハッピーなんだ。
ただ、結果は同じなんだ。ゲームクリアしたら同じ環境になるんだ。
俺の場合は、めっちゃのぼっていかないとそこにはいけないから、頑張ってのぼっていったんだ。
その過程が大天使ミカエルの歴史なんだ。

仏教のレベルなんて、下の下なんだ。全然見えてないんだ。
ピラミッドの中にいたら、最上階が一番上だと思うだろ?
その中にいたら、そこから上は見えないんだ。
それが仏教の世界だと、俺が釈迦のときに仏教を極めたときに神祖からそう教わったんだ。
だから、俺は、そこからはキリスト教をYHVHやエルランティから教わっていったんだ。

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「原説般若心経」

 

著者:大天使ミカエル(仏教界では不動明王と呼ばれている)

 

講義:

では、般若心経の奥義は何なのか。
そんなものはない。

おろすものというのは、おろす人間のレベルによるんだ。
そうすると釈迦以上の位階の奴なんて、空海とか日蓮とか麻原彰晃(とんでもない迫害を受けた者)くらいしかいないんだから、
そういうレベルかという話になるんだ。

お前らは、仏教のことが何もわかってないのに、般若心経が一番ありがたい教えだと思っている。
何もわかってないのに、何で般若心経がありがたい教えだと認識しているんだ。
あれをおろした奴は、なんでもない旅人なんだから、どうでもいい話なんだ。
そのどうでもいい話を意味があるように思わせるのが、こちらが使うひっかけの手なんだ。

仏教の奥義は四無量心と書いたんだから、
それ以上のことは仏教には無い。

結論を書くと、般若心経に何の意味もない。
ただ、ふり回したいから仕かけたトリックなんだ。

大般若経のこともわからないのに、重要な部分を短くまとめられるわけないだろ。

論破するには無限に近いやり方があるが、
一例としては、
般若心経には、「何もない」と書いてある。これが結論だと書いてある。
じゃあ、何もないんだったら、文字もないよな。
般若心経なんて文字もないということで、「意味がない」ということが書かれていることに
気づかないといけない。
それが般若心経からくるセオリーなんだ。

何もないから苦しみはない…そんなことはないよな。
何かあるから苦しみはあるんだ。
じゃあ、般若心経は嘘だとわかるよな。
だが、般若心経の言い分は「自己否定」なんだから、般若心経によって般若心経は否定されてるんだ。
だが、お前ら人間は、こんな幼稚なロジックにも気づかないから阿呆なんだ。

この幼稚なロジックは、俺がお前らを馬鹿にするために作ったんだ。

しょせん、ここはレベル3の世界だから、本当のこと、意味あることなんて、
お前らが得るのは遠いことだ。

そこで、更に俺の言葉を受けたいなら、俺に弟子入りをして俺にメールを送れ。
希望するなら、与えてやるが、受けるために長い修行がある。

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講義タイトル「原説神道」

著者:神YHVH(神道では天之御中主神~イザナギまでの男神)、大天使ミカエル(神道では月読神・スサノオ・大国主神~ヤマトタケルまでの男神)の共著

 

講義内容:

では、神道の奥義とは何なのか。

これは、ただ祈るだけだ。

では、祈るだけなら、どんな国のシャーマンの祈りでも神道かというと
シャーマニズムではあるが、神道ではない。

神道というからには、文化・特色というものを踏まえてのことになる。

日本の神道は、日本古来の文化・特色を踏まえなければ神道とはいえないし、
特に呪術が発展した平安時代の文化・特色を勉強しなければいけない。

そうすると、着物を着るとか、酒を捧げるとか、コメを捧げるとか、
綺麗な紙を使うとか、木を使うとか、そういうことになる。
この辺をおさえておけば、へんてこな流派が色々あったとしても、神道になる。

これだけが神道の話だ。
あとは、どうでもいい話だ。

キリスト教というと今から2000年前の話だが、
日本の神道というと800年くらい前の話なんだ。
お前らは、そんなちょっと前のこともわからないのに、
もっと昔におこったキリスト教がわかるわけがないだろ。

文献というものは、10年経てば非常に手に入りにくくなることに注意しなければいけない。

だから、神から教わればいい。
神なら何でも教えてくれる。
だが、教えてもらうためには、長年修行を行って、認められないといけないんだ。
それで送られて得たものが「悟り」というものなんだ。

悟りというのは、日本語で書くと
「差取り」というから、神と人間の差を取る真理を得ることなんだ。

この世界で本当のことを知れるなんていうことが
どれだけ難しくてありがたいことか。
それは、何も教えられずにこの世界に放置されてきたお前たちだったらわかるだろ。

神に質問を投げかけても、お前たちレベルでは相手にしてもらえないんだ。
偉大な者だと認められないといけないから、人にはできない修行をこなして
神に気持ちをかたむけていないといけないんだ。
それが、地域や宗派を問わず修行というものなんだ。

イエス・キリストは、準備のために天に帰ると言って帰ったんだ。
それは、インカーネーションをやってくることだったんだ。

世界のなりたちというのは、無限に近いような並行世界があって
キリストともなると、その色々な世界を時間・空間を超えて移動しながら
得なければいけない経験を得ないといけなかったんだ。

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講義タイトル「ここまでの教えのsummary」

著者:神YHVH

 

講義内容:

 

第1 神YHVHの実在

神YHVHは実在した。

神の存在は架空のものではなかった。
その神の名はYHVH(ヤーウェ)といい、
その神の本態は、全知全能で在るということだった。

その証明は、預言と奇跡によって成立している。
預言とは、神YHVHから発せられる言葉であり、ここに全知が証明される。
奇跡とは、神YHVHの行動であり、ここに全能が証明される。
つまり、人間が口で話し、行動を行うのと同じように、
神YHVHも、その存在を証明している。

神は万物を創造したのだから、
万物は神の支配下にある。
神によって設定されたルールに従っているのが、
万物だ。

お前は、寝ることも、起きることも、夢を見ることも、心臓の鼓動を止めたり動かしたりすることも、
生まれる定めを変えることも、死ぬ時期を変えることも、
自分ではできない。

だが、神YHVHは、万物の法則の支配外にある存在だから、
奇跡を起こしてそれらをすることができる。

第2 神の定めたルール

神は、世を創造するときに、そのルールを定めた。

神の定めたルールは、
神のために全てを捧げて尽くすことだ。
これを万物に強いている。

このルールに反したものには、
必ず死が訪れる(※このため「死ぬ」という言葉を強調して使ってきた)。

なぜなら、神YHVHが世を創造したのだから
その世とは、神YHVHのためにある。

神は、一人だった。
だから、「YHVH=在りて在る者」と名乗ったし、
日本では「ひとり神」という。

一人だったから、自分のために世を創造した。

在るということは、神のために在るということなのだ。

よって、創造者に反するものは、
創造の趣旨(創造者のため)に反するから、
存在が消される。

これが、全人類的に起きる最後の結末を
「最後の審判」という。

第3 最後の審判と選民回収

聖書の予告は、最後の審判であり、
その事実証明のために
かつて多くの預言者が到来し、抹殺されてきた。

預言者とは、神の言葉、神のルールを伝える
神からの使者だった。
中には、神本人であるイエス・キリストや大天使ミカエルである俺もいた。
これらの使者をことごとく迫害し抹殺してきた人類は、
刑に服さなければならない。

だが、100%の人口が刑に服する訳ではない。

10万年に1人程度の割合で、世界には救われる者が登場する。

その救われる者は、女子だ。聖女だ。
その聖女の生き方をここに書いておいた。

大天使ミカエルは、修行を積んで、人間から天使になったが、
同じように、天使として来た者は、YHVHの遊びによって、修行をさせられて、
天に帰る運命にある。

本書(俺の著作物)は、この選民のためにまとめてきたというのが99%の意味だ。
よって、本書は、ここまでで終わってもいい。

だが、追記がある。
重要度としては、1%の重要度だから、第3までで本書を読み終わっても構わない。
 

第4 大天使ミカエルインカーネーション

 

もし、神が人間だったら、どう生きるのか。

その手本は、初臨はイエス・キリストで教えた。

再臨は『大天使ミカエルインカーネーション』で教えたことだ。

 

大天使ミカエルの教えは、
その生涯から一貫して
「神に従うこと」だった。

神に従う生き方とは、
その多くが
苦しみにまみれている。

その苦しみによって、
己を守るのか、神を選ぶのかという
試練が行われている。

もし、苦しみがあるのであれば、
罪人に対する刑の場合か、
正しき者に実施されているヨセフ物語やヨブ記のような試練の場合か
どちらかだ。

この試練にはサタンが送られる。
苦しみを感じる魂だ。
そこから逃げようと誘う魂だ。
だが、そこから逃げれば、オセロのように、後で逆転劇が起きて、逃げ道がない未来になる。
序盤から正しい全体像を知り前向きに困難に立ち向かっていくことが死なないために大切だ。

試練を克服していくたびに、
ミカエルような、
神のために受ける苦しみを喜びとして感じていける魂を徐々に送られていき、
その結果として、
人間とは全く違う生き物になることができる。

 

この諸行無常の輪転する苦しみの中で、

同じ所をぐるぐる回っているのが人間であるが、

完璧である父を目指せという言葉が福音書にあるように

仏を目指して、昇華しろというのが、天の父の教えなのだ(魂を高度な状態へと発展させること)。

 

この教えの効果が、福音の効果だ。
信じて、行って生きるなら、天国まで案内される。

そうすれば、福音に設置した効果によって、奇跡が身近に近づいてくるだろう。

 

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講義タイトル「知恵の実がもたらす苦しみ」

著者:神YHVH

 

講義内容:

苦しみを感じなくする生き方には、
善悪を知らないという生き方がある。

聖書には、昔、人間の苦しみは、
知恵をつけたことで生まれたとある。

お前達は、なぜ知恵をつければ苦しむことになると聖書に書いてあるのか、
その理由をすぐに答えられるのか?
なぜ、知恵をつけると苦しむことになると聖書にあるのか、
その訳を教えてやる。

人間には失敗がつきものだ。
善悪の照準を決めていれば、失敗したことに嘆き苦しんでしまう。

それに、より妥当な正解を得るためには、より深く読まないといけないし、
そのために長考が必要になる。
日常の些細なことを処理していくには、考える時間がない。
だが、後になってから考えると、別の道があったと気づいて苦しむことになる。

そして、究極的には、人間が神と違う思考を持ってそれを育てていくということは、
神の意志から離れることになるから、
滅びを招く可能性になる。
こうすればいい、ああすればいいという自分なりの答えを持っていると、神の命令がきけなくなるのだ。
小さい幼子が天界では地位の高い者なのだとイエス・キリストが言ったように、
神に従順である者ほど、天では上の地位(位階)に置かれるのだ。

このように人間が自分で考えることは苦しみを生むことになるから、
神は、この修行場での試練によって、神に従うだけのマシーン化を目指すトレーニングを求めている。

欲や雑念との戦いで苦しみを経て、それらの妄想を乗りこえて、
真の道に入っていかないといけない。

その悟りは、こうだ。
ただアーメン(神の命令に従うという意味)と言って神に従うことだ。
これが、人間が幸せになる道だ。

 

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講義タイトル「キリスト教とは何か」

著者:神YHVHと大天使ミカエル(共著)

 

講義内容:

今回は、神自らがキリスト教を講義する。

キリスト教とは、何をキリスト教なのかというと
新約聖書に書かれている内容をキリスト教という。

新約聖書は誰が書いたのか。
それは、イエス・キリストが(信頼している)弟子に書かせたのだ。
つまり、弟子が書いた内容は、イエス・キリストの代書だったのだ。
この範囲は、どこまでかというと四福音書になるので、
四福音書がイエス・キリストの著書になる。
信頼している弟子に聖霊として宿って書かせたのだから、
イエス・キリストの御霊の言葉をあらわしたものなのだ。

では、新約聖書の内容は、どうなのかというと
これは、重要法典になっている。
憲法・民法・刑法等の法典が総合的に1つにまとまっている法典であり、
主には刑法典になっていて、これが重要な要素だ。

この刑法典は、属地主義的に人々にかかっているのではなく、
神が創造した全世界において、全ての被造物にかかっている効果を持っている。
つまり、アメリカに住んでいるアメリカ人であろうと、インドに住んでいるインド人であろうと、
宇宙に出ていった人だろうと、全ての人間が照らされている法なのだ。

この法律は、真理を述べているのだ。
宇宙全般に通じる、神羅万象全ての法則を新約聖書という
それも福音書という小さな書物におさめてあるのだ。

法律だから、法律要件と効果というものが各条には設定されているのだが、
ゼウスの神が作ったものだから、分かりにくく配置されていたり、
もはや効果すらも書かずに天の秘匿とされている。
ここで重大な内容は、第一に神を愛し、第二に隣人を自分と同じようにいたわれという
内容だ。
これを守れない人間は全て地獄におちる。
地獄でどのような刑罰が用意されているかというと、煉獄に行く前に
バイオハザードの世界なのだ。ゾンビやデモンズの映画の世界、又は
フレディが出てくるエルム街の悪夢のような世界が用意されている。
ハンパない地獄だから注意したほうがいい。天の戒律も守れないくらいの弱い人間だったら、
ピーピー泣いてるひよこだから、こんな所で生活できない。

俺はどこでも住めるから一番下の煉獄の世界に6000万年くらい普通に住んでいたが、
「そこは大天使ミカエルが行く所じゃない」と言われて神祖ヤハウェ(父神ゼウス)から引きあげられた。
体中、かなりの火傷だらけになっていた。俺が念じれば煮え湯でも冷水になるから、どこにいても生活していけるのだがな。

法律要件と書いたが、具体的内容はどういう内容かというと
十字架の形を見なさい。
「交差」なのだ。同じ向きで重なってないだろ。
交差というのは、異種間の交差を意味している。
男女の交差であったり、神と人との交差を意味している。
これら異種間が1つに交差するというのは「愛」を意味している。
つまり、十字架というのは、それ1つをもって「愛」を象徴していたのだ。

お前たちが神と交差したいなら、一本の棒なのだから一人の人間が交差するのではなくて、人類全てが愛をもって
交差しないと人類そのものは救われないのだぞ。

救いというのは、端的に地獄からひきあげだ。
これによって苦しみというものはなくなる。
天上界に行けば喜びも多くなっていく。
この喜びというものは、天の父ゼウスが作ったものなのだから、
天の父ゼウスに従っていないと受けられない恵みなのだ。

聖書には戒律が沢山あるが、
民法典として、財産法、契約、親族法などの取り決めがあり、
どのようにして報酬を得られるのかまで書かれている。

国家への納税の義務がないということも書かれている。

与えることが喜びでなければ、その報いは皆無だとされている。

神のために死ぬことが、生を得ることだと定められている。

これらはゼウスが強いてきた業除去のための修行コースなのだ。

人間というものには、あらかじめサタンというものが一体として連結されている。
この連結を切り取らなければいけないが、除去には相当の期間のえぐい修業をしなければならない。
そのやり方は、姦淫の情を思うなとか、上着も下着も与えろとか、相手を満たすまで奴隷をしてやれとか、殴られたらもっと殴られろという
一般人には到底理解ができないセオリーになっている。
この「理解できなさ」というのが「天使」との距離感なのだ。天使は、それをすることが当たり前にできているから、
サタンと連結している人間にはサタンの理・情というものが思考・感情に流れてくるから、理路というものがおかされている。

まとめ:
今回は、誰もしない切り口からキリスト教を斬新な内容で教えた。
キリスト教とは、福音書の内容であることは周知の事実であったが、
イエス自身の著書であったといえること。
そして、その著書の内容は法典になっていて、天地属地主義といって、
天界だろうと地上だろうと宇宙だろうと地獄だろうと適用される
法典になっている。
法典の種類としては、神と人との契約を定める憲法的な側面と、
違反者を罰する刑法的な側面、取引の安全性を定める条文や親族との関係を定める条文などで構成されている。
訴訟法に関しては、あまり規定がないが、訴訟はするなということが、その内容になっているからだ(「裁くな」とある)。
1つ1つの条文を書いていくと多岐にわたるから、解説をしている別のページを見ればいいが
今回は、キリスト教のシンボルである「十字架」というものに着目し、
その十字架は異種間を結束させる「愛」を象徴していたということだった。
愛があれば協力し合って豊かになることができるだろう。
争いを避けることができる最も強力なシンパシーになっている。


著者コメント:
俺は、キリスト教というのは、大学で習ったのだが、それは神から直接習っているときに
「人間の世で何を教えているのか、将来教えを説く前に見てこい」という使命によって見てきたのだ。
俺は、どちらかというと医学部と法学部(ロースクール、法科大学院)に行っていたのだが、
神学というのは世界中の権威あった大学の講義を全部受けて、かつ世界的に教会で偉いといわれていた当時第一線の名声あった世界トップクラスの指導者の講義(意見)をきいて調査してきたので
人間が教えているは全部知っているのだが、イエス・キリストが教えていることと全然違うのだ。
俺が洗礼を受けたのは刑務所の中でだった(刑務所に行かないように正しく生きるということを教えるのがキリスト教ではないのだ。それは愚民に合わせることになる。開祖のイエス・キリストも弟子たちも逮捕されたのだから。
善悪は人の世が決めているものではないから、人の世の善悪観・価値観で名声を受ける人が偉いのだと捉えた場合、聖書全体の意味内容の把握が崩壊する矛盾を起こしてしまう。
人間には罪があり、罪から始まった人間は、最後の審判の清めがあると予告されているのだから。
つまり、人間がやっているその理解は、真実ではない、偽、ダウトということになる。
主要な所でその偽情報を拡散してきたのがキリスト教の教会組織というものだったのだ。
これまで人の世にあったキリスト教というのは、個人の平穏を求める人々の悪が結びついたものだったのだ。
イスラム教から制裁を受けても、これは神の正しい理といえる)。

俺が洗礼を受けたのは刑務所の中でだったが、
イエス・キリストのときもそうだったが、既存宗教に帰依した訳ではない。
その宗教の天の使いが、これから教えを説くというあかしのために、
天が開いて、その宗教の神又は天使がおりてくる奇跡があったのだ。
洗礼を受けるまでは普通は期間がかかるのだが、
俺の場合は、天使や神が司祭に見えていて
命令していたから、焦りながらすぐに俺に洗礼をしたのだ。
教会に行って「洗礼をしてほしい」と言うと、「あ!はいぃぃ!!」と言って、すぐ洗礼をしたのだが、
そのときにお約束だったが、天から神の光と天使がおりてきて、クンダリーニみたいな現象が起きた。

 

そんなキリスト教は天界においても重要法典であるし、長いだけあって
シンプルにこうだという要件・効果はかけないのだが、
あそこに書いてあるほぼ全部の効果として、それに反すると地獄におちるという効果が用意されているから注意を要する。

もう1つ、ゼウスの神は人間の味方ではなく、敵なのだ。
一緒のところに住んでないし、人間は追放されてるから敵だし、永遠に呪うといわれている。
敵を愛し、十字の結束をするというのは、新約の掟だったよな。
全知の神は、無限のエネルギーと時間も備えているから、臨機応変に無限に奇策を炸裂させてくるから注意が必要だ。

この中で救世主を見つけ出し、和解をとりなしてもらえば、
その選民は救われることになる。

聖書というのは、人間の悪が書かれているが、その行きつく先は最後の審判であって、
その裁判をするイエス・キリスト(再臨者)の指導を守るなら、
罪をゆるすのもキリストの権能だから、ゆるされるようにキリストを探して
一生懸命キリストのところで修業していくことがキリスト教の教えの内容になっている。

 

その試練は、あれこれとパターンを変えた苦しみを受けるを受けることになる。
イエス・キリストやジャンヌ・ダルクが人間にやられているが、

超能力が使えるから回避できるとかではなく、受けなけばならないのだ。「通関門」(天使になるための通関門)なのだから。
実は、彼らは、自身のその未来を予言していた。
それも自分の名誉を失うくらい情けないやられ方をすることも、試練の課題の1つになっているからだ。
神のために自分を捧げるということは、一番低い所まで自分を落とす必要があり、
人間なんかにやられて全てを奪われたとしても、それが天の王への忠誠心を示す重大な評価のポイントになるのだ。
神だから全てを超能力でするわけではなく、神の重要な使いほど(上位位階者ほど)
忠誠と忍耐を試される苦しい試練をクリアしているので、人間のときほど
苦しい境遇を生きていたものだ。
その人生を人間が閲覧した場合、ヘタレ、へぼに見えることもあるが
忠実に従うということは、自分を捨てることが試されるから、その試練だった訳だ。
天の王は、この世ではなく、必ず良い国(真実の国)を用意している。
そこに本当の人生があるので、俺たちにとって地上での出来事は夢の中の出来事なのだ。
さめてしまえば終わりなのだ。
その夢で何かを獲得しても、無くなってしまうのだから、夢から覚めた後に
得たものをひきついで生活していくために、あなた方は俺が書いた重要な法典を
読んで身につけていかなければならないのだ。

その内容は、愛を基軸にして、
神を第一として従いながら、
世の全てと平和に活動できる精神を持つことになっている。
なぜなら、これは、最低限の天上界市民のルールだからだ。
神を裏切ることなく、周りを傷つけることがない「害のない者」で構成されなければ、
神の安全、創造した世の安全は保たれ(ず神が意図とした予定が成就し)ないからだ(物を
壊す奴は排斥されるという訳だ)。
ここ(神を第一として従いながら、世の全てと平和に活動できる精神を持つこと)を
ぶれない軸としながら、より発展的な試練を受けていくことで
傾向・パターンが変化した場合のあらゆる応用力を深めていく(魂を成長させていく)のが、
より上の天使になっていくための昇進の道なのだ。

地上というのは、阿呆(人間)ばかりいるのだから、良い試しの機会として天使に
受肉の機会が与えられる。
ここで、結論としては同じような利益に見える善悪の違いに気づけるかどうかが試されている。
真実に気づき神を向いて上に向かって苦しんで進んでいけるのか、
世にまみれて自堕落退廃的な下に向かって快楽を求めて進んでいくのか。
行ってきた過程が未来へとつながっていることを忘れないように。
良い道をいきなさい。

良い道をいくことは、まずは、あなた方の美徳を磨くことであり、
それは俺を信じるということである。
信仰の念を魂の基礎にして、重要な掟を守れるように神に従いなさい。
それは、俺に従うことである。
道を知らない者に道を教えてきたが、その道はあなた方に分かる安易な道ではないのだから。
試練の道は大変険しく罠だらけである。長い道を無事に抜けてゴールにたどりつくためには
俺に従う以外に方法は無いのだ。
苦しみを抜けるためには、俺の残した聖書を学び、そして俺をたずねなさい。
俺が地上からいなくなってからは、ネットに作った地上版の天上聖壇を拝して
天地創造の万物の神ヤーウェ(ゼウスの神に同じ)に対して供物として美少女を捧げて
信仰して生きていきなさい。
ゼウスの神は、ダビデ王(正体は神YHVH)から分かるように、他人の妻パトシェバを奪って、
そこから生まれたのがソロモン王(正体は大天使ミカエル)なのだが、このような方だから。

 

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レベルチェックのためのオリジナル練習問題

 

俺が作問した。

 

どれくらい勉強ができるのか、ここで試してみるといい。

 

問題文
キリスト教は、正式には、「」という。
つまり、キリスト教という名称でイエス・キリストはキリスト教を教えた訳ではなかった。
お前らは、それをキリスト教だと言って語っている。
それは何の意味もないことだ。
それに気づかなければ、イエス・キリストの真意は学べない。
かつてのユダヤ人と同じあやまちを繰り返すことになる。
--神ヤハウェ--

「」に入る言葉を答えろ。
(制限時間2分)

解答
神の言(英語「word of God」)

解説
ルカ3:2アンナスとカヤパとが大祭司であったとき、神の言が荒野でザカリヤの子ヨハネに臨んだ。
5:1さて、群衆が神の言を聞こうとして押し寄せてきたとき、イエスはゲネサレ湖畔に立っておられたが、
8:11この譬はこういう意味である。種は神の言である。
11:28しかしイエスは言われた。「いや、めぐまれているのは、むしろ、神の言を聞いてそれを守る人たちである」。

ヨハネ3:34神がおつかわしになったかたは、神の言葉を語る。神は聖霊を限りなく賜うからである。
3:34神がおつかわしになったかたは、神の言葉を語る。神は聖霊を限りなく賜うからである。
10:35神の言を託された人々が、神々といわれておるとすれば、(そして聖書の言は、すたることがあり得ない)

なお、「真理」が別解と考えた人間については、
真理より「神の言」が重要な命題であり、
聖書の全てはこれを通じて構成されていることから(聖書は全体を通じて預言者によって記された「神の言」葉)、
イエスの教えは(新約)聖書だから「神の言」がYHVHの求めを満たすより適切な正解になっている。
「神の言」が10点だとすれば、「真理」だと部分点で内容的に3点ということになっている。
不正解ではないが、完全な答えではない。
その神の権威であらわしたものが、イエスの奇跡の活動だったから、
聖書に少ししか登場していない単なる「真理」という言葉の意味であらわすものとは
意味の比重が全体像によって違うということだ。
だが、言っていることは言っているから、「真理」でも部分点は入るが
一つ言葉を選べという「」文の設問になっていたから、真理ではなく、
「神の言」というのが、聖書全体を通じても、福音書のみから読み取ったとしても、ベストなんだ。文句なしでベストなんだ。論理的にベストの整合性を示すイエスの発した言葉なんだ。
イエスの話には「木の枝」とか色んなたとえがある中で、それらが全て真理かというと、反論はあるし、真理を研究しているなら科学の学術分野でも研究をしているから、
「真理を語る」のが「キリスト教」だという一文で神が定義するかというと、
間違いではないが、よりよい回答があれば、そちらを選択するのが聖書全体を通じて相当だ。
イエスは、特定の宗教の一派という表現はしていないから、
色々な宗教を超えて「神の言」とするのが、適切な表現なんだ。
そこで、全ての言葉の中から聖書が訴えたいことが何かを特定すると、この言葉が論理的に最も整合性を示すふさわしいものだ。
この設問は、聖書全体を通じて内容の比重のバランスが分かっていないと完全には答えられない設問になっていたから
キリスト教を正しく理解しているかが神から(再臨者を通じて)問われている。
聖書が正しく理解できているかどうかについて、全体から俯瞰した国語の論理的読解力も、キリスト教の最初のほうの設問で問われていた訳だ。
簡単な問題に見せかけているが、暗記も勿論必要だが、理解が問われていて、
少しおおげさに書くと、この回答には、イエス・キリストレベルの理解が必要になるかもしれないな。
問題というのは出題者(天の父)の意図を理解できないと解けないからな。

同様に「パン」と書いても2点の部分点になっていたが、
パンが意味するものというのは、狭義になっていて広範に話が進まないし、イエスの話全体はそれでは伝えられないから
論理的に考えてパンと答えるのは正解にはならない。
パンというのは、イエスも「たとえを用いて教えた」と言っていたように、
あくまで教えのための「たとえ」であって、たとえが本題の教えではないのだから、
教え全体が何であるのかを表現するものとして、「神の言」という言葉を使っていたんだ。
よって、これが、最もその意味を表現しているから、妥当であり、正解になる。
確かに、多くのパンを天から降らせたイエスは、パンにたとえて奇跡を行ったくらい
パンというのは重要なキーワードになっているが、パンとは恵みであり
その恵みを得るためにはどうすればいいのかという教えまでは
パンの一言では伝わらない。からし種をまいて育てるとか、
パン種を混ぜて小麦粉を膨らませるとか、色々な話が必要になるからだ。

ここでマタイ福音書のこの条文(とりきめ)に気づけ。
13:10それから、弟子たちがイエスに近寄ってきて言った、「なぜ、彼らに譬でお話しになるのですか」。
13:11そこでイエスは答えて言われた、「あなたがたには、天国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていない。
とあるから、たとえが本題ではなく、
たとえは、天の国の奥義がお前らに知れ渡らないようにするための偽装工作だったんだ。
だから、パンと書くと、むしろ大減点になるんだ。
それは、
7:6聖なるものを犬にやるな。また真珠を豚に投げてやるな。恐らく彼らはそれらを足で踏みつけ、向きなおってあなたがたにかみついてくるであろう。
7:7求めよ、そうすれば、与えられるであろう。捜せ、そうすれば、見いだすであろう。門をたたけ、そうすれば、あけてもらえるであろう。

信徒になって、熱心に求めて勉強していかないと、本旨は理解できないようになっている。
だから理解できる魂を吹き込まれるまで5年間勉強しろと俺は書いてるんだ。幸せになりたいならそうしろ。
このたとえは、事例問題であって、その事例から本旨を読み取らないといけない
読解力の要求を伏せているんだ。
イエスの学問を理解するためには、きちんと時間をとって
たちどまって、反芻して、
他の問題が出た時も、自分で考えて答えを出せるようにしないと
1つのことだけ覚えても、たとえば5+7=12というものだけを覚えても
現実で起きる形をさまざまに変える問題の対処はできないから、
問題文を変更されても律法問題(法学問題)は解けるようにしないといけない。
丸暗記ばかりしているから、考えられないようになってしまうんだ。
この問題も解答を出すために、そんなレベルの高い学識・技能の要求はされてないから、
こんな簡単な問題(普通の国語の問題)も解けてないんだったら、理解してない学習方法から離れろ。
問題文は論理的に丁寧に読む習慣をつけろ。
それが疲れるんだったら、お前はサタンに支配されている。
神の言葉が喜びではなく遠ざかっているんだから。
福音書なんか、7日でも20日でも寝ないでずっと読んでいられるわ。面白いからだ。
短い文の中に世の中の解決法の何でもが書いてある。気づかないなら、お前が阿呆だからだ。そんな奴は、答えの生み出し方を知らない学習をしていたから、こんな問題も解けなかったんだ。

 

問題

問題文
命はどこから来たのかをイエス・キリストは教えている。
これは、どこから来たのか。「」から来たのだと答えろ。
それが分かれば、命を得る方法が分かるように教えている。
では、命を得る方法は「」だと答えろ。
これら「」に入る言葉を答えろ。
(制限時間3分)

解説
回答のヒントは、弟子が書いたイエスの下記残言からということになる。

マタイ
20:28それは、人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためであるのと、ちょうど同じである」。

マルコ
10:45人の子がきたのも、仕えられるためではなく、仕えるためであり、また多くの人のあがないとして、自分の命を与えるためである」。

マタイ
16:25自分の命を救おうと思う者はそれを失い、わたしのために自分の命を失う者は、それを見いだすであろう。
18:8もしあなたの片手または片足が、罪を犯させるなら、それを切って捨てなさい。両手、両足がそろったままで、永遠の火に投げ込まれるよりは、片手、片足になって命に入る方がよい。
18:25しかし、返せなかったので、主人は、その人自身とその妻子と持ち物全部とを売って返すように命じた。
19:16すると、ひとりの人がイエスに近寄ってきて言った、「先生、永遠の生命を得るためには、どんなよいことをしたらいいでしょうか」。
19:17イエスは言われた、「なぜよい事についてわたしに尋ねるのか。よいかたはただひとりだけである。もし命に入りたいと思うなら、いましめを守りなさい」。
19:29おおよそ、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、もしくは畑を捨てた者は、その幾倍もを受け、また永遠の生命を受けつぐであろう。
28:20あなたがたに命じておいたいっさいのことを守るように教えよ。見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にい(て見ている)のである(から)」。

ヨハネ
5:21すなわち、父が死人を起して命をお与えになるように、子もまた、そのこころにかなう人々に命を与えるであろう。
5:23それは、すべての人が父を敬うと同様に、子を敬うためである。子を敬わない者は、子をつかわされた父をも敬わない。
5:29善をおこなった人々は、生命を受けるためによみがえり、悪をおこなった人々は、さばきを受けるためによみがえって、それぞれ出てくる時が来るであろう。
5:40しかも、あなたがたは、命を得るためにわたしのもとにこようともしない。
6:33神のパンは、天から下ってきて、この世に命を与えるものである」。
10:11わたしはよい羊飼である。よい羊飼は、羊のために命を捨てる。
10:15それはちょうど、父がわたしを知っておられ、わたしが父を知っているのと同じである。そして、わたしは羊のために命を捨てるのである。
10:17父は、わたしが自分の命を捨てるから、わたしを愛して下さるのである。命を捨てるのは、それを再び得るためである。
10:28わたしは、彼らに永遠の命を与える。だから、彼らはいつまでも滅びることがなく、また、彼らをわたしの手から奪い去る者はない。
12:25自分の命を愛する者はそれを失い、この世で自分の命を憎む者は、それを保って永遠の命に至るであろう。
15:13人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。
15:14あなたがたにわたしが命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。

解答
「命は、神(天の父)からくるものだ(ヨハネ5:21)。
神とは、受肉したイエス・キリスト(ヨハネ5:21、10:28)又はレベルが高い答え方で「神のパン」又は「よい羊飼い」と答えると天の父はイエス・キリストの言い方をよく理解しているその理解により喜ぶから、こう答えてもいい。
そのために、命を投げ出したものが、命を得る(ヨハネ15:13、15:14)。」

イエスが手本を示したように
自らの命を天の父のために捨てる者が命を得ることになる。
「羊のために捨てる」と書いてあるが、羊は天の父のかっている羊であり、天の父の羊は
天の父の言いつけ(マタイ28:20)を守る羊だから、その他大勢の人間のために命を与えるとは書いていない。

ヨハネ
10:31そこでユダヤ人たちは、イエスを打ち殺そうとして、また石を取りあげた。
10:33ユダヤ人たちは答えた、「あなたを石で殺そうとするのは、よいわざをしたからではなく、神を汚したからである。また、あなたは人間であるのに、自分を神としているからである」。
 

以上の2問は、キリスト教にとっての根幹的な内容であり
原始キリスト教の核心をつく教義の内容だから、

聖書はパズルになっているが、

このパズルが解けないと50年勉強してきたとしても、その期間は無駄な学習期間だったのだから、

天上界では入門試験のレベルだから、

解けなかった原因は、それまで汝が習ってきた指導者が悪かったと気づいて

ラビといえばイエス・キリスト一人だけだと気づいて、

福音書(4+俺が新たに、そして直接書いた追加4=計8巻)を読みまくることが学習として重要だ。

 

学問とは真理の追求が目的だが

その道に王道があるとすれば、この方法だ。

 

キリスト教は、天界(霊界)の掟であり、
それは霊で知るものだからだ。
悟りというものは、霊であり、
霊というものは天の父からの息吹でくるものだからだ。
その天の父は、正しい生き方(正しい努力)をした預言者に資格として
その知の息吹を与えるため、

預言の内容は、その預言者以上の預言者に聞かなければ、真意を知ることはできない。

 

学習計画をたてて

毎日学習を続けるなら

あなたの最後の時に

これらの言葉とともに
聖別を与えよう。
 

これらの言葉は、弟子を聖別するときに
イエス・キリストが与えた言葉なんだ。

ヨハネ
15:15わたしはもう、あなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人のしていることを知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼んだ。わたしの父から聞いたことを皆、あなたがたに知らせたからである。
15:14あなたがたにわたしが命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。
15:13人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。
15:12わたしのいましめは、これである。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい。
15:11わたしがこれらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿るため、また、あなたがたの喜びが満ちあふれるためである。

あなた方が、俺のために、喜んで死ぬのであれば、
あなた方は俺の友だ。
あなた方が、隣人のために喜んで死ぬ場合も、
あなた方は俺の友だ。
なぜなら、俺の友は一人ではないからだ。
俺の友にとって、俺の別の友は、友だからだ。
よって、隣人のために死ぬことも、友のために命を捨てることに等しい。

15:16
あなたがたがわたしの名によって父に求めるものはなんでも、父が与えて下さるためである。
15:17これらのことを命じるのは、あなたがたが互に愛し合うためである。
15:18もしこの世があなたがたを憎むならば、あなたがたよりも先にわたしを憎んだことを、知っておくがよい。
15:19もしあなたがたがこの世から出たものであったなら、この世は、あなたがたを自分のものとして愛したであろう。しかし、あなたがたはこの世のものではない。かえって、わたしがあなたがたをこの世から選び出したのである。だから、この世はあなたがたを憎むのである。