第八講義「論理学」(著者:大天使レミエル) | 天上界 Great Materia University(被造物の生き方を教えるカテキズム)

講義タイトル:論理学

著者:大天使レミエル(ミカエルの妹、レミエルは神の慈悲や知恵の意味、日本では祓戸四神の一柱・はやあきつひめ、仏教では知恵第一の虚空菩薩)

大天使レミエルの紹介:

(声の出演は、声優・花澤香菜 他)

 

大天使ミカエルの仕事の内、宇宙の法則の管理等を一部代行する大天使。

七大天使の内、最も若い。

祓戸四神というミカエルの側近の四天王の内の4人目に位置する程の強者。その霊力は神に近く、天照大御神(神)と並び、悪魔の天敵とされる。

地上ではミカエルが支配する修道院で、医師・法律家・研究者(ダークマター研究をする魔法科学者)をしている。特技は新種の魔法開発。

 

講義内容:

ものごとの本質をとらえるには論理的に考える力が必要です。ここでは、正しい結論を導く論の進め方、真理を探るための推理の方法、紛らわしい表現から誤りを避ける方法等を説明します。ギリシア以来、科学との関係が密接なので、科学理論にも言及します。ここで論理的な考えを身につけると、自分の考えをまとめたり、他人の意見を聞きとることが楽にでき、世界を見る目も開けます。

 

目次

1.正しい証明方法/演繹法

2.推理方法/帰納法

 

--はじめに

論理学とは、今の日本では大学に入ってはじめて学ぶことが出来ます。

しかし、それでは遅いのです。

ここでは、学校では、あまり習わないであろう論理学を初歩から教えます。

論理学は数学のようなもので、とりわけ代数とは親戚なようなものですから、数学のたとえも多くなるかもしれません。

あるギリシア人が言ったように、学問に楽な道はありません。

中学初年度クラスの学力で読めるように平易に書くよう努力するので、皆さんも論理学にチャレンジしていきましょう。

 

--1.正しい証明方法--

ユークリッドの証明法ユークリッドが活躍した古代ギリシアの時代の話をします。

数学全体の元祖といわれるユークリッドの『幾何学原論』では、つぎのようなスタイルで証明が行われています。

□(証明されるべき定理)証明開始・・・ゆえに□(証明終わり)

この骨組みになっています。

数学では「だから」を∴で表現しますがこうした前提と結論を∴で結んだ全体を「推論」と名づけます。

この推論の「論」とは結論のことであり、「推」とは、はじめは隠れていた結論を前提が明るみに推し出すこと、つまり、一言でいえば、前提から結論を引き出すことなのです。

「■▲・・・・・・・・・」ここまで前提∴□(結論)

論理学とは推論の術論理学という学問は、推論の術だといわれています。

論理学とは証明のうちの推論の部分、あるいは証明のうちの推論的側面を専門的にうけもつ学問です。

推論とは証明の一部をなすものであり、証明とは切り離すことはできません。

ユークリッドは証明の最初と最後に同じ文章を繰り返しています。

□証明すべき事項∵・・・・・・・・・∴□という骨組みでした。

証明は、別に∴型だけで進めてもよいのですが、ヨーロッパでは自分の考えを発表するとき、何をいいたいのか分からない言い方や、どんな結論かはっきりしない態度は避けるべきだという風習があるので、読者サービスとして、最初に結論を書いて、∵によって推論を進め、最後に∴結論という形をとっています。自分に都合の良い意見だけや、自分勝手に下した結論だけを言っていいというものではなく、証明にはどうしても推論という技術が伴わなければならないのです。その技術を専門的に研究し、人々に教えるのが論理学なのです。

 

--前件肯定式と後件否定式

では、具体的な推論のやり方を紹介したいので、証明の骨組みを具体的を紹介します。「AならばB(第一前提)ところがA(第二前提)よってB(結論)」これは2個の前提から行われた推論です。第一前提はAとBの2種類の文章からなりたっていますが、こうした文を複合文といいます。これは一個の文章として勘定します。例えば、佐藤君は進級できない。なぜなら、佐藤君は要出席日数の1/3以上を欠席したら、彼は進級できない(第一前提)。ところが彼は1/3以上を欠席した(第二前提)。よって、彼は進級できない(結論)。もう1つ例えを。朝虹がたったら雨がふる。朝虹がたった。∴雨がふる。もう1つ例えを。666のおのおのの桁の数字の和が9で割り切れるなら、666は9で割り切れる。ところが、666のおのおのの桁の数字の和が9で割り切れる。よって、666は9で割り切れる。推論のタイプは、この一種類だけではありません。木村君が腎炎なら、彼の尿には大量のたんぱくが検出される。しかし、彼の尿には大量のたんぱくは検出されない。よって、彼は腎炎ではない。もう1つ同じタイプのものを出します。三角形ABCと三角形A'B'C'が合同なら、これら2つは相似である。これら2つは相似ではない。よって、三角形ABCと三角形A'B'Cは合同ではない。このタイプの推論と似ていますが、混同してはならないものが3つあります。そこで、合計4つの推論を列挙します。

(1)2つの三角形が合同なら、それらは相似である。それらは合同である。∴それらは相似である(前件肯定式)。

(2)2つの三角形が合同なら、それらは相似である。それらは相似でない。∴それらは合同でない(後件否定式)。

(3)2つの三角形が合同なら、それらは相似である。それらは相似である。∴それらは合同である(後件肯定のあやまり)。(4)2つの三角形が合同なら、それらは相似である。それらは合同でない。∴それらは相似でない(前件否定のあやまり)。

(1)は前にあげた「進級」「朝虹」「666」タイプの推論です。

(2)は「腎炎」の場合と同じです。ここで言葉の使い方を説明します。「AならばB」という複合文を「条件文」」といいます。Aを「前件」といいBを「後件」といいます。「件」とは1つの事件や、その事件をいいあらわした文章のこおです。前件とは先に生じる事件をいいあらわす文章であり、後件とは後に生じる事件をいいあらわす文章です。(1)の前件肯定式とは、「第二前提は、第一前提の前件を肯定した式」です。

(1)と(2)は正しい推論であり、(3)と(4)は誤った推論です。

(3)は相似であるからといって合同であるとはいえないのであやまりです。

(4)は合同でないからといって相似ではないとはいえないからあやまりです。ここで、後件肯定をしてよい例をあげます。「666のおのおのの桁の数字の和が9で割り切れるなら、666は9で割り切れる。666は9で割り切れる。∴666のおのおのの桁の数字の和が9で割り切れる。」第一前提を見てみましょう。この場合は、前件と後件を入れかえても、さしつかえない文章だと気づきます。つぎの例も、前件と後件を入れかえても、さしつかえありません。「ある三角形が等角三角形なら、その三角形は等辺三角形である。」こうした条件文を第一前提にすれば、前件肯定、後件否定だけでなく、後件肯定、前件否定でも、正しい推論ができます。ところが、「合同と相似」の場合には、前件と後件を入れかえてしまうと、前には成立していた条件文が、今度の条件文では成立しなくなるので、このような場合に前件否定や後件肯定の推論を行うと間違いになるのです。ところで、条件文の前件と後件を入れかえた結果生まれる新しい条件文を「逆」といいます。この言葉を使うと「第一前提の条件文の逆が真でない場合は、後件肯定、前件否定の推論は、間違いになる」ということです。しかし、逆もまた真であるときには、この推論を用いてよいのです。このように逆には、真であるときと、真でないときが、あります。外見だけでは、1つの条件文の逆が真であるか偽であるかは内容にまでたちいって吟味しなければ判定できません。逆もまた真であると判定できたならやってもかまわないのですが、逆が真でないと判定できたときはやってはいけません。判定できない場合も、判定するいとまがない場合も、大事をとって、後件肯定と前件否定は使わないほうがいいです。しかし、前件肯定、後件否定の場合は、逆が真であっても真でなくても使えるので、しりごみせずに堂々と使えます。

 

--順・逆・裏・対偶

せっかく逆という言葉を使ったので、裏や待遇についても説明します。

(1)①「二つの三角形が合同であるなら、それらは相似である」(順)

②「二つの三角形が相似であるなら、それらは合同である」(逆)

③「二つの三角形が合同でないなら、それらは相似ではない」(裏)

④「二つの三角形が相似ではないなら、それらは合同ではない」(対偶)

(2)①「ある三角形が等角三角形なら、その三角形は等辺三角形である」(順)

②「ある三角形が等辺三角形なら、その三角形は等角三角形である」(逆)

③「ある三角形が等角三角形でないなら、その三角形は等辺三角形ではない」(裏)

④「ある三角形が等辺三角形ではないなら、その三角形は等角三角形でない」(対偶)

(1)では、①と②、②と③、③と④、④と①は、互いに等しくありませんが、①と③、②と④は、同値関係です。(2)では、①と②、②と③、③と④、④と①、①と③、②と④は、すべて等しいという関係になります。これら(1)と(2)をひっくるめると、A ①と③、②と④は、すべての関係において同値関係がなりたりますが、B ①と②、②と③、③と④、④と①に関しては、同値であることもあるし、ないこともあるという関係、つまり、「必ずしも等しくはない」という関係が成り立つといえます。これをもっと厳密にいえば、A' 順と対偶、裏と逆は、それぞれ常に対等だが、B' 順と逆、逆と対偶、対偶と裏、裏と順は、それぞれ常に同等とはいえないということになります。

 

--アリバイの証明

人生何が起きるか分からないので、逮捕されるかもしれません。ここで、アリバイの証明を紹介します。アリバイの証明とは、被疑者又は被告人が犯人ではなかったという証明をすることです。「彼が犯人なら、彼は犯行現場にいた。」この文章のの待遇をとれば、つぎの通りになります。「彼が犯行現場にいなければ、彼は犯人ではない。」とはいっても、直接手を下さない黒幕的な犯人もいるので、決して、これが全てだとはいえませんが、この場合は、直接手を下したかどうかで考えてみて下さい。順と対偶は同等なので、後の条件文も認めてよいでしょう。あとの条件文を認めれば、「彼は犯行現場にいなかった」ことを証明すれば「彼は犯人ではない」ことを証明できます。しかし、彼は犯行現場にいなかったということを証明することはなかなか困難なので、この文章を使います。「彼は犯行時刻に犯行現場以外の場所にいたら、彼は犯行現場にはいなかっただろう。」この文章には、1人も異議を唱える者はいないでしょう。彼は人間なのですから、同一の人間が同じ時刻に京都と東京にいることは、不可能だからです。そして、一般に「~にいなかった」という証明よりも「~にいた」という証明のほうがずっとやさしいものです。以上のことから、次の推論が成立します。「彼が犯行時刻に犯行現場以外の場所にいたら、彼は犯人ではない」この推論での結論をもとにし、さらに「彼が犯行時刻に犯行現場以外の場所にいた」ということを証拠(証言/書類/物)で証明できれば、前件肯定式によって、目的である「彼は犯人ではない」という結論が得られます。ちなみに、このアリバイという言葉は、ラテン語のalibi「他の場所に」という意味の副詞からきています。英語では、もとのラテン語の副詞をそのまま使ってHe was alibi.(彼は他の場所にいた。)」というふうに使っています。

 

--正しい推論形式

では、「真から真」が起こり、「真から偽」は起こらない。数学者も論理学者も、次のような推論を考えます。「1は3より小さい。3は5より小さい。∴1は5より小さい。」ここから余計なものをはぎとってあらわれた骨組みは次のようなものです。「a<bb<c∴a<c」「すべてのクジラは哺乳動物である。すべての哺乳動物は動物である。∴すべてのクジラは動物である。」「東京(グループA)のメンバーは日本(グループB)のメンバーより少ない。日本(グループB)のメンバーは世界(グループC)のメンバーより少ない。∴東京(グループA)のメンバーは世界(グループC)のメンバーより少ない。」では、次に誤っている推論をみてみます。「3>9(真)9>7(偽)3>7(真)」この推論は、形式は推論の形をとっていますが、内容は間違えています。第一前提は真ですが、第二前提が間違っているからです。このように前提が2つある場合、どちらか1つが偽であれば全体は偽になります。このように偽から真が導かれることがあるので、注意しましょう。偽から偽が生まれるとは限らないので、偽から真が生まれることもあるので、真という結果を見て前提が真であると考えてはいけないのです。占い師はインチキです。そのわけをみてみましょう。占い師は、このタイプの推論の形式で占いをします。「何月何日に生まれたなら、その人はこの運命を持つ。Aさんは何月何日に生まれた。よって、Aはこの運命を持つ。」占い師は、何月何日か聞いて、持っている虎の巻に書いてある運命を言います。推論の形式は正しい形式ですが、内容は間違っています。第二前提は本人が嘘をついていなければ真でしょう。しかし、結論が違った場合は、第二前提は真なのでしょうから、第一前提が間違いだろうということになります。そこで、第一前提がおかしいのかと検討すると、やはり、おかしかったです。同じ月日に生まれた人でも、一方が王様になって、一方が羊飼いになることは、よくあるので、同じ人生の軌跡をたどったわけではありません。よって、第一前提が偽といわざるをえないのです。たまに当たるときがあるのですが、占い師の放言は、たまたま偽から真が出るというインチキなのです。単にまぐれにすぎないのです。妄言だといいきれます。論理学とは、数学と同じ操作をすることで、このようなインチキ(迷信)を見分ける術なのです。中国には、このような迷信があります。「日食や月食のときにドラや爆竹を鳴らせば、欠けていた太陽や月がもとに戻る。日食や月食のときにドラを叩いたり爆竹を鳴らす。∴太陽や月がもとに戻る。」なぜドラを叩くかというと中国では怪獣が月や太陽を食べると考えられていたので爆竹を鳴らせば追い払えると思ったためです。大きな音を出すと、怪獣が驚いて飲み込んだ太陽や月を吐き出すと考えたのです。しかし、怪獣はいなかったので、第一前提は偽だということになります。しかし、中国の人々は、時間が経てば、月や太陽はもとに戻るので、第一前提は真だと考えたわけです。冷静になって、慎重に考えれば、時間が経てばもとに戻るので、それは爆竹やドラを鳴らした効果ではないのです。それにも関わらず、真だと主張するのは、迷信なのです。推論形式は正しいものでしたが、第一前提が内容から偽なので、第二前提は真であっても偽であっても、全体として偽の推論です。占いの場合は、人間の豊かな未来をねじまげるので有害な迷信です。国連の専門機関ユネスコも、こういった迷信に対して戦うように人々に呼びかけていました。占い師の術がつまらないインチキであることは、次のような仕方で証明できます。「もし真の理論ならば、そこから出てきた結論は事実と一致する。結論は事実と一致しない。∴その理論は真の理論ではない。」後件否定ですね。このように、ある理論上の結論が、事実によって否定された場合、その理論は、「反証」されたといいます。これは科学でも裁判でも、よく使う方法です。裁判は、刑事事件であれば人権を守ることが1条の目的条文にあるので、真相究明に科学的な推論を用いています。では、この推論形式は真でしょうか?「もし真の理論ならば、そこから出てきた結論は事実と一致する。結論は事実と一致した。∴その理論は真の理論である。」結論が事実と一致した場合は、理論が「確証」されたというのですが、これは後件肯定の間違いです。結論によって、いくら確証されても、その理論が真だとは必ずしも断定できないのです。なぜなら、後件肯定は偽だからです。だから、占い師が、いくら当たった例を並べても偽は偽なのです。薬の治験の話も、そうです。例えば、新型コロナワクチンがありましたが、うまくいった例をいくら並べても、後から具合が悪くなったり死んでいる人がたくさん報告されています。占い師は外れることを嫌うので、第一前提をぼかした表現にします。たとえば、「来年はちょっと厳しい年になるでしょう。」「努力をすれば乗り切れるでしょう。」など。しかし、このくらいの情報なら、もらっても何のありがたみもないのです。

 

--1のまとめ

大切なことは、正しい推論形式と正しくないものがあるということです。正しくない推論形式を用いると、せっかく良い材料を集めて前提を作っても、偽なる結論を生み出す危険があります。だから、君子危うきに近づかずで、そのようなものは敬遠するとよいでしょう。しかし、正しい推論形式であれば、いくら使っても結論は真しか出ないので、どのような勝手な材料を放り込んでも「真から偽」は起こらないので自由に使えます。このように、正しい推論形式は、自由に使える道具です。良い証明を行うためには、前件肯定式などの推論形式をケース・バイ・ケースで上手く使う工夫が大切になってきます。推論形式としては間違っていないものは、一見正しいことを言っているように見えるものですが、占い師の推論のように、正しいものではないことが分かりました。このように正しい推論によって証明することが論理学ですが、論理学は証明する術ですから証明する内容が良いもの(有益なもの)であるためには論理学以外の学問を学んで身につけることが必要になってくるでしょう。論理学とは、論理的に考えることなのですから。

 

--2.推理

1部では、推論と証明について述べました。2部では、推理について述べます。推論と推理を同じ意味で使っている人もいますが、ここでは区別して使います。推論は、1部で書いたように「それまで明るみでなかった結論を、前提をもとにして、明るみに押し出してやる」ということです。これは、実質的に証明と同じものです。しかし、推理のほうは、「理のあるところ、つまり、真理を色々な前提から推しはかる」ことです。ここで大切なことは、推しはかるということであって、推測の意味です。推論の場合の「推し出す」とは意味がたいそう違います。つまり、推論によって押し出された結論は100%信頼のおける結論ですが、推理は推しはかりですから100%の信頼性をもちません。

 

--コナン・ドイルの推理小説『シャーロック・ホームズ』

この推理とは、推理小説の推理と全く同じなので、頭に残りやすいように、小説を例にしておきます。『シャーロックホームズの冒険』という小説に「赤毛連盟」という短編があるのですが、その中で、依頼人が探偵ホームズの所に依頼にきます。そうするとホームズは「あなたは手を使う仕事をやっていましたね。」というのです。すると相手がびっくりして「私は船大工をやっていましたが、なぜ、それが分かったのですか?」というのです。するとホームズは「あなたの右の手は左の手より大きい。たいそう、よくお使いになったのでしょう。実際に筋肉も発達している。」と答えました。これが推理です。1部で見た推論とは根本的に違います。このことを明らかにするために、こうまとめてみましょう。「手を使う仕事を長年やっていれば、右の手は左の手より大きくなる。」彼の右手は左手より大きい。ꍘ彼は手を使う仕事をやっていただろう。」論理学で使う記号の説明をしますが、∴は「よって、必ず」を意味します。ꍘは「よって、おそらく」を意味します。「~だろう。」という推量文を意味します。この記号の場合、推理であって、それは、正しい推論とはいわず、後件肯定のあやまちをしている間違った推論なのです。このような場合、100%正しいわけではないのです。

 

--シャーロックホームズが間違える

やはり、間違えているシーンが書かれていました。『シャーロックホームズの冒険』に「まだらの紐の冒険」という短編がありました。そこでは、ある妹娘が、ホームズの所にやってきて、彼女の姉が「こわいわ。あのまだらのバンドが・・・」と言い残して奇怪な死に方をしたと話しました。当事者の死に際の言葉は重大な発言だと思ったホームズは、その言葉を手がかりにして推理をしました。実は英語のバンドには、ジャズ・バンドという意味もありますが、他にゴム・バンドという意味もあります。ホームズは、姉娘の邸の近くにジプシーの一団がテントを張って滞在していたかを尋ねます。そこで、「そうです」という返事を受けとったため、ホームズは次のような推理をしました。「もしジプシーが姉娘を殺したなら、姉娘は怖いわ。あのまだらのバンドが・・・と叫んだはずだ。」彼女は「怖いわ。あのまだらのバンドが」と叫んだ。ꍘジプシーの一団が姉娘を殺したであろう。」しかし、調べると、室内に侵入の形跡はなかったので、ホームズは推理が間違えていたと言います。結局は、まだらのバンドというのはバンドは紐という意味で、まだらとはまだら模様のことで、まだら模様をしたインド産の猛毒の蛇が忍び込んで姉娘をかんで姉娘が死んだということだったのです。--痕跡からの推理推理小説を例にしましたが、これは真犯人を割り出すものでした。裁判でも医師でも、痕跡を見て、原因を推理します。遺留品、足跡、血痕、指紋・・・こういったものは推理です。当たることもありますが、外れることもあります。こういう推理を見てみましょう。「ある人物の血液型がO型なら、その人物の血痕からO型が検出されるはずである。ある人物の血痕からO型が検出された。ꍘその人物の血液型はO型である。」この場合は推理ではありますが、推理を通りこして推論にもなります。なぜなら、第一前提文を逆にして「その人物の血痕からO型が検出されれば、その人物の血液型はO型である。」も成立するからです。このような前提文は、双条件文となるからです。

 

--帰納法

ここで帰納法という言葉を紹介します。帰納法は推論ではなく推理又は推定です。ꍘの記号をつかうものです。この帰納法という言葉は、演繹法という言葉と対立的に使われます。演繹法は推論です。演繹法とは、結論を前提だけから、論理学の教える規則に従って、ひきだす手続きのことです。演繹の「演」とは同じ発音を持つ「延」と同じ意味で、巻いてあるものを延ばすことです。「繹」とは何重にも巻いてある糸まりの糸口から糸を引っぱり出すことです。すでに前提の中に暗々裏に含まれているものを明るみにさらけ出すという意味で1部であげた推論と同じものです。それに対して、帰納法とは、経験的な事実を集めて、そこから一般的な事実を一気に引き出す手続きのことです。推論や演繹では、結論の引き出し方は、とても慎重ですが、そのかわり、その結論は、既に存在していた内容をはっきりさせただけで、情報量そのものが増えたわけではありません。しかし、帰納法によって引き出された結論は、前提になかった要素を新しくつけ加えるのであって、情報量が増加します。しかし、そうした結論を出すためには、前提と結論の間にある溝を一気に飛びこさなければいけなくて、そこに、帰納法が持つ生産性・創造性とともに危険性も存在するのです。帰納の納とは、万物が1つに帰するという古代中国の文句からきたもので、納とは多くのものを一物の中に納め入れるということであって、個々の事柄について述べた文を「一」つの一般的なことがらで述べようとしているのです。ただし、帰納法は、前述した通り、特殊から一般への事柄への飛躍が匂わされる冒険的要素があるのです。したがって、その結論は「~である」ではなく「~だろう」となります。つまり、後件肯定と同じく結論にはꍘを使わなければなりません。だから、推理の中に入れられるのです。こうした推理全体が演繹法と対立させられたのです。

 

--完全枚挙の帰納法

帰納法は推理でしかないのですが、完全枚挙的帰納法の場合は、その結論は100%信のおけるものです。時間をかけて見つけるとかパソコンを使って見つけるとかいう方法で無数にあるものを調べ尽くすということですから、大型のコンピューターを使うことになりますが、無限にあるものを調べることは無理です。しらみつぶしにやっていこうとすると、無限の数を調べていくことになるので、無限の時間が必要です。生涯かけても数えきれません。加算的なものであれば使うことはできますが、無理数の全体のような非加算的なものであれば網羅的な帰納法は諦めなければならないのです。

 

--ピタゴラスの定理の証明

そこで、人々は、数字ではなく、幾何学的な方法や代数的な方法で証明をしようとしました。こうすることで一般的なとりあつかいができるからです。紀元前300年頃のユークリッドが、『幾何学原論』の中で、それを行っていたものが有名です。ユークリッドの証明法の良さは、典型的な演繹法をとっている点にあり、これは、むしろ公理的方法をとっているといったほうがよいでしょう。公理的証明法について説明すると、まず、いくつかの公理を決めます。公理とは、誰もが文句のつけようのない天下「公」認の「理」を述べた文という意味です。「同じものに等しければ、またお互いに等しい」とか「全体は部分より大きい」といった文が例です。ユーリッドの『幾何学原論』には、そうした公理が10個あります。そのたった10個から417個の定理が演繹されているのです。ピタゴラスの定理も、その中の1つにすぎません。公理的証明法とは、いくつかの公理から演繹法だけを使って非常にたくさんの定理を証明してみせる方法です。この少数の公理と多数の定理が1つの巨大な体系をなしていることから、その体系を公理系と呼ぶことがあります。ピタゴラスの定理の証明法は多種多様で沢山ありますが、その中でもユークリッドの行った公理的証明法が優れているのは、この証明法の背後に巨大な、しかも精密に組み立てられた体系を持っているからであり、その体系のどの位置に、ピタゴラスの定理がはめこまれているかがはっきりと見てとれるからです。--消去法例えば、次の推論の形式をみてみましょう。「4つのうちのいずれかです。4つのうちの3つではない。∴残りの1つである。」これは形式からみれば立派な推論なので、「~だろう。」ではなく∴を使いました。第一前提4つある選択肢が第二前提で3つ減りました。そこで、最終結論として1つが残りました。この推論の方法を「消去法」と呼びます。難しい司法試験短答問題などでは、こういった方法で答えを選ぶことがあります。推論自体は立派ですが、何となく危ないものがあります。というのも全部の可能性が尽くされていれば第一前提は真なのですが、他の可能性の見落としがあれば、第一前提は偽になるため、偽の結果が出ることも起こりえます。当たることもあれば外れることもあります。選択肢が尽くされているか、あらゆる可能性を丹念に調べて、見落としがあれば付け加えて、あらゆる可能性を調べ上げたなら、危険ではない推論になるのですが、あらゆる可能性を調べ上げることは、なかなか難しいことです。

 

--探偵の術と診断の術

ホームズも消去法を使う場面がありましたが、愛用していた方法は、やはり推理(後件肯定のあやまりの方法)でした。ホームズは『緋色の研究』の中で、逆向きの推論というものをすすめていますが、これは後件肯定の推理に他なりません。病気の診断方法も症状から後件肯定を行うのです。症状が1つでもあっても、原因には色々考えられるものがあるので、誤診が起きることがあるのです。症状をおさえる薬であれば効くのですが(対症療法)、原因がなくなるわけではないので、治療といった場合は原因を消し去る原因療法というものが有益ですが、原因の推理が間違っている場合、処方した薬を使っても治らないので、鎮痛薬を出すといった対症療法にも、ある程度の価値は認められるのです。

 

--類推法

類推法の例をあげます。「首が体から離れていれば、その体は死ぬ。国王と国家の関係は、首と体の関係に類似している。ꍘ国家から国王が切りとられると、国家は死ぬだろう。」この論法が類推法とよばれるのは、第2前提に使われる類似という言葉からくるもので、類推法とは2つの間の類似に基づいて推理を行う方法という意味です。推論ではなく、推理なので、ꍘを使います。例えば医学でいうと「新薬がネズミに効いた。人間とネズミは類似している。ꍘ新薬は人間に効くだろう。」動物実験を行いますが、色々なミスも起きます。プラシーボ効果もあります。そこで、より人間に近いサルなどを使ったりするほうが望ましいといわれますが、費用がかかるので安価なネズミやウサギがよく使われています。数学にも、この類推法を使います。例えば「a+b=a+bが成立し、他方a×b=b×aが成立する。(a+b)+c=a+(b+c)が成立し、他方(a×b」×c=a×(b×c)が成立する。ところでa+0=aが成立する。ꍘa×1=aが成立するだろう。」第一前提を日本語でいうと「足し算については交換の法則がなりたり、掛け算についても交換の法則がなりたつ」第二前提は「足し算については結合の法則がなりたち、掛け算についても結合の法則がなりたつ」第三前提は「ある特定の数を足しても、つまり、0を出しても、もとの数のまま」こうして、足し算と掛け算の間の平行関係(類似関係)は、かなりのものだということに気づき、似たことであるかが問題になるのですが、結論として出てきたものは「aにある数をかけてももとのまま」。つぎに第三前提と第四前提を付け加えると「a+x=bx=b-a」すると次の2つの結論が出てきます。「ꍘax=bx=b/a」ここでもいちじるしい平行現象がみられ、引き算に対応するのが割り算だということが分かりましたが、よく考えると本当の意味の平行性は破られています。x=b-aの場合、負の数が必要になります。しかし、他方x=b/a、a=0の場合は除外する必要があります。そして今の2つの条件を比べても、あまり平行したものとはいえません。このように類推の場合は、∴ではなくꍘをつけなければいけません。しかし、類推に見えて類推ではなく推論になっている場合があります。数学の式や図は紙幅の都合から省きますが、代数的表現と幾何学的表現には平行現象がみられるのは当然ですが、両者が単なる類似的関係ではなくて同型的関係にたつ場合は、ꍘではなく∴を使ってもいい論法になります。代数的表現と幾何学的表現に同型的関係があることを最初に主張した人はデカルトでした。難しい式は、読者にもあまり興味をもたれないと思いますし、字数制限がある紙幅の関係からも省いておきます。

 

--仮説・演繹の方法

仮説・演繹法というものを考えてみましょう。例えば、ホームズは、こういうふうに言いました。「手紙を出しに行ったという仮説が真なら、君はそれまでに手紙を書いていたはずだ。しかし、君は手紙を出していなかった。∴君が手紙を出しに行ったという仮説は真ではない。」もっと一般的に書くと「これこれの仮説が真なら、その仮説から演繹された結果も真である。しかし、仮説から演繹された結果が真では無かった。よって、今の仮説は真ではない。」というものが、仮設・演繹法です。科学技術・学問の発展の場においては、欠かせない技術になります。これまで科学上の発見が数多く行われてきましたが、ケプラーの法則の発見に使われています。ケプラーの法則は3つから成りますが第一法則は「惑星は太陽を一焦点とする楕円軌道を描く」。ケプラーは、いきなりこの正しい法則を見つけたわけではなく、試行錯誤を重ねた中で、この一番目の仮説は次の通りでした。「もし惑星は太陽を一焦点とする楕円軌道を描くという仮説が真なら、そこから演繹されたデータは観測結果と一致する。しかし、その結果は観測結果に一致しない。∴円だという仮説は間違っている。」このように第一の仮説を否認しました。ただし観測データが膨大だったため、この結論を得るのに2年かかっています。こうして、惑星の軌道が円ではないことだけははっきりしましたが、円ではないとうなら何なのでしょうか。色々ある中でケプラーは卵型を選びました。その経過は次の通りでした。「もし惑星の描く軌道が卵型だという仮説が真であるなら、そこから演繹されたデータは観測結果と一致する。しかし、その結果は観測結果に一致しない。∴卵型だという仮説は間違っている。」円を否定したときと同じことをやったわけですね。この結論を引き出すのにもケプラーは1年かかりました。そうなると、円と卵型の中間にある形は楕円だということで、第三の仮説は楕円にしました。この仮説が真だということを見つけ出すには6年かかりました。そのプロセスを簡単にすると次の通りです。「もし惑星の描く軌道が楕円だという仮説が真であるなら、そこから演繹されたデータは観測結果と一致する。しかし、その結果は観測結果に一致する。ꍘ楕円、楕円だという仮説は真であるだろう。」論理的な見地からいえば推論ではなく推理です。後件肯定をしているわけですから。このように仮説の否認には後件否認をすればよいので、立派な推論であり、簡単ですが仮説を承認する場合は後件肯定をしているので、導かれた結論にはあやまりが入る可能性があります。全ての後件肯定にあやまりが生じるわけではないのですが、あやまりを生じるおそれがあるため、よほどの注意が必要です。だから、∴ではなく、ꍘを使いました。こういった不安感は、ある程度慎重さによって取り除くことができます。楕円軌道仮説は観測データと驚くほどの精度で合致します。卵型や楕円型や他のどの仮説も落第していったので、仮説が強化されて、法則に近づいて行ったので、今日ではケプラーの仮説とはいわずにケプラーの法則といっています。

 

--学説間の争い

色々な学説間の争いは、こういった方法で、ある程度解消することができます。色々な細かい学説の実例は、紙幅の関係で省略します。幅があれば書く予定でした。

 

--2部のまとめ

1部では推論を扱ったのに対し、2部では推論を扱いました。つまり、∴ではなくꍘを問題にしました。推理の方法はいくつもあるので、まとめてみます。A~Cまでは似ているが実は推論であるものが存在します。Dの場合は対応する存在形式はないので、一般的な理論から演繹的に証明するとか、より広い枠組みの中に組み込むといった方法で補っていくことが必要になるでしょう。推理には不完全さが潜んでいるので、ある程度の危険性が付きまとっていることを知って、冒険をせずに、コンピューターに任せて推論・推理を自動的にやってもらう時代にすることが進展には大切なことでしょう。--紙幅を省いたものについてここでは全ては書いていません。1記事にHTMLタグも含めて6万文字という制限があったため、省きました。全てを習いたい人は、寄付をして、申し込んで下さい。例えば、就職活動時ののテストでも出てきますが、A1 何でも(全て)・・・だということはない。A2 あることは・・・ではない。B1 何も(全て)・・・ではない。B2 あることは・・・だということはない。C1 何も(全て)・・・ではないということはない。C2 あることは・・・だ。D1 何でも(全て)・・・だ。D2 あることは・・・でないということはない。この中から、同じ意味のものと矛盾する意味のものを全て答えよ、という問題が法学検定上級でよく出ます。法律の文言とか、学説が書いてあって、その中から、同じ意味のもの、矛盾する意味のものを探せという読解問題です。この問題だと3分以内に解かないと試験に滑るくらいの時間制限になっています。この場合でいえば、A1A2 B1B2 C1C2 D1D2といった同じ群の上下が同じ意味になっていて、A群とC群、B群とD群が矛盾しています。二重否定の否定語を外せば、同じ文になることに気づけば、回答は早くできます。ことわざも危険がはらんでいることも書いておきます。進路を決定する際とか、大事な場面ほど、現実性を考えて、選択できるスキルを書いておきました。論理学を1回の講義で、この紙幅、この短時間で終わらせたというのは、天才のわざですが、魅力を感じれば、あとがきでも書きますが、寄付や個人指導の申し込みを。法学とか論理学を講義しろって指示を受けたのは昨日突然入った注文ですからね(笑)。

 

--あとがき

この後は、各自、SPI問題で練習して論理力を鍛えていって下さい。

数学の問題でも鍛えることができますが、SPI問題の方が早く身につくと思います。

 

これ以上教わりたい人は、個別指導を申し込んで下さい。

私って、そんな魅力ないですかね?(笑)寄付をバンバンして讃えて下さい(笑)。

神はもてたいです。もてはやす人に恵みを与えるものなんですよ(笑)。