弥生3月 | 銀座のエンディングノート終活カウンセラー行政書士川崎直美のブログ

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これからの人生を豊かに彩るエンディングノートの魅力を終活カウンセラー上級インストラクター、相続カウンセラーの行政書士かわさきなおみが銀座からお伝えさせて頂きます。

こんにちは

銀座のエンディングノート終活カウンセラー行政書士かわさきなおみです。



3月に入っても入ったから

毎日、私のがんばりメーターは最高値を更新中。

指差し指差し指差し

昨日も頑張りました!

自分誉める看板持ち



お仕事の内容やご相談事の内容は

書けないのですが

思うに任せて話をしてもらえるまでの関係性を築くには

それなりの時間がかかります。


何でも話してもらえるというのは

安心感を得てもらえるかにかかると思いますが、

そもそも解決に至らない

例えば感情的な心も時に受けなくてはならないことも。


まぁ、そう書くと

マイナスっぽく聞こえるんですけど

こちらにできないことは多々あるので

まぁ、そう書くと

何もしてないのかと言われそうではあるんですけど。


何かをすることが

何かを提示することが

説得することがすべての

解決そのものではないわけで。



ご自分の気持ちを

整理してもらう時間も必要だと思って

聞いていることでもあると思うんです。


忙しい時に

どれだけ聞くことができるか

も、1つの役割だと思いますが、

最近特に思うのは

自分の親の話をどれだけ聞くこと聴くことができるか?

ということ。

他人様の話は聞けても

親の話は難しいと思ってきたのですが、

最近になって

いやいや、実は他人様の話を聞くこと聴くことの方がもしかしたら難しいあんぐり

のかもしれないということ。

内容によっても状況によっても左右されると思いますが。

だとして、他人様の話も聞けない聴けないのに

親の話を聞くなんて聴くなんて

それはそれはとんでもなく難しいことなのではないか。


親の終活について

話をしましょうとよく言われるところですが、話をするのは親。


親に対しては

どんな関係性の親子でも

とてもナイーブだし、

子供の立場として

とても難しいもの。

そう考えたら確かに他人様より難しいかもしれませんが、

他人様とは築けていない関係性は

形は様々でも存在しているわけです。


特に親の終活については

親に機嫌よく話してもらうそのことのみが目的なのではないと考えたら

まず親であろうとなかろうと人の話を聞く聴けるという行為が

第一歩であることは間違えないと思います。