さて。




子供(小学校高学年~高校生)達と、大人達のクリエーションの場を袖で見ながらいろんなことを考える




大人達のテンションを子供は見ている

大人達のクリエーションに対峙するその人のクオリティが子供に映し出される
自分らが今向き合っているものへの取り組み方の尺度といってもいい


そのクオリティやテンションをおしつけるという話しではなく

子供の目線をもち、自らの身体も子供の探究心をもち、ただしクリエーションにおいて必要な厳しさも合わせてゆく


昨日までシアタートラムで上演していた「タカセの夢」の振付・演出のメルラン・ニヤカムさんは

そうやって子供達の生命まで劇場ごと躍動させていく
幸せな出逢いだ




そう ニヤカムさんは
生命の躍動を吹き込んでいるのだ
そういう喜びを知ること
それを産むための苦悩や苦しみ 堪えなきゃならないこともあること
そこに 感謝があること


いろんなものと向き合って闘っている大人のポジティブなエネルギーは子供は感じる



プレッシャーのかからぬように
子供のやりやすいように…?

やりやすいような環境づくりをすることと
やりやすいように「やさしく」することはまるで意味が違う

よそんちの子供をお世話するのは大変で難しいのはわかる
ただクリエーションはお世話とちがう


大人が闘いを避けてしまえば
子供は「やさしさ」ではなくその「弱さ」を見る 判断のベースにしてしまう



再び言うけど
ニヤカムさんは いわゆる厳しい訳ではない
あふれんばかりのポジティブエナジー


子供の目線で
自らの身体も子供の発露でクリエイションする
ただ彼がクリエイターとして闘ってきた れっきとした判断と
感謝をもとにした 彼の大いなる愛をもって
生命が子供達と向き合っているのだと思う





闘うのをさけて
そういうもんだと 自分のテンションもままならないで
あたかもそういうものがやさしさだとか ゆとりだとか

テレビを中心として
テンションのない大人達がくだらない価値判断をして

それを子供はみてる

大人は…


続きは、PART2にて。

さて。


今年の世界水泳

高速水着禁止後で
世界記録2個だった



しかし

高速水着ってなんだったんだろ?

ゆとり教育みたいなもんか?


でも 逆を言えば
世界記録が2個、でたということ


生身でもまだ進化するという可能性を信じれるということか


どうか、クスリだけはやってませんようにニコニコ



でも 確かに軸のぶれない泳ぎのひとがやっぱり強いし、泳ぎも変化してますよね それにロクテみたいにストロングマンのトレーニングでパワーを加えて泳ぎきるみたいなものもでてきている

最近やたらと
「体幹トレーニング」というのを目にする
大体ダイエット系のが多いのだけれど

いろんなインストラクターが出て来る いろんな事をいうとる

しかし
写真やら映像見たりすると
まるで「体幹」のないひとが結構多い プロと呼ばれるひとのなかでもだ

あなたの身体は何をトレーニングしたのですか?


確かに
素人の人には あまり使ったことのないところを刺激して最初に効果が出るから
お気軽に飛びつきたがるのだろう


が そこまでなのだ

そこから効果はみえないから

目にみえないことで 飽きて 悩んで あきらめて
結局 いつの時代でもある流行り廃りのものになってしまう

いやいっそ 今のインチキじみたものは「自称」インストラクターとともに消えてほしい


切なる願いです
今後 歪んだ教育にならないように



日常的に、なんです
時間がかかる、というより日々変化する身体にずーっと問うていくんです
それでも 獲得したり逃したりするものなんです


古武道や能などを通じて
いにしえから「体幹」へのアプローチは受け継がれてきとるのです

身体は間違いなく変わっていく
それを信じる

そして身体の根拠をもった「ちゃんとした」インストラクターの目が必要なんです
さて。



この騒ぎで少しは改善されんのかな


それとも 流行り病のように
すぐ醒めてしまうのか



あるクラブチームなど
スポンサーの問い合わせの電話がやまないそうである

なかには もう
芸能プロダクションが契約に走っとるとも


ひどいのになると
ツイッターで早速コンパの内容を暴露されとる選手もおる(…まあ、これはちょっと別だけど、暴露しそうなアホ面しとった)



どれもがそうとは言わないが
かつてそうやって
どれだけのものを「使い捨て」にしてきたのか


資本主義である以上
プロはある意味 商品価値だ
それはそうだ
そして マスコミの煽りの度合いに人々はコントロールされる

マスコミに取り上げられてる時が「素晴らしく」て
取り上げないものは
「素晴らしく」ないのだ


熱にうかされてる、と言ってはそれまでなんだが



果たして これが
彼女らの言う「優勝の実感」なんだろか?


勿論 マスコミが取り上げるものは旬のものでなくちゃならんし
「時分の花」
これがあでやかで 人々のなかに必要であるというのは確かだ




だけど
再び いやいつでも
未来の子供達が
夢、ではなく近い目標になれるように


せっかく今 種ができたのだから
耕して
蒔いて
育てる
長いスパンをかけて
それこそ あきらめないで
根付いて
毎年花を咲かせる



ほんとにスポンサーを名乗るなら

自治体レベルでもいい
資本ベースでなく
根強く残る いままでの
経営難になったから、ご時世だからと スポーツ部の廃部や 芸術文化の削減とか
ほんとは逆だ、
そういうものがなければ力にならないということをわからん日本はいつまでたってもつまらんから


どうか 大いなる愛と夢をもって
なでしこの咲かせた花を
成就させてってほしいものです



どれが「時分の花」で
どれが「万年の花」なのか

何を残していかなきゃならないか



はたまた
「マイナー」という冠をつけて周りの人々がその「誇り」を削ってしまうのか


復興とともに
なんかそのあたりが


ねえ。