さて。



頑張って前を向く人達には
神様は負けっぱなしにはしないのだ



何はともあれ、あっぱれ、である
かくもたくましき乙女かなだ


正直、最初の三分でやられたと思ってしまった 一点取られるまでは

勢いのある成り上がりの挑戦者の鼻っ面にいきなり強烈なストレートをぶちかましたアメリカ
長年 王者に君臨する側でしかやれないかませ、ちゅうか

それで重心があがってしまった

いままで彼女らを支えてきた重心の低い出足の速さ
テレビ画面でもボールに振られるとすぐに日本のユニホームが増えてくる 出足で距離をつめる
そこを心理的につかれて重心までも変わってしまっていた 執念めいたものだけでなんとか失点を食い止めてる


ただ澤は局面打開の試行錯誤を続けていた
この人には本能と豊富な経験に裏打ちされたほんとにレベルの高いリスクマネジメントが備わってんだね


そういう人が支柱にいると強い きっかけひとつだ
それが最初の失点

攻めるしかなくなったとこでようやく重心がおちた

歯車の噛み合いだした身体と「あきらめない」執念
そして 見えないちから


結果は知ってのとおり


これこそ 前に書いたが
それを生業とする人達が
その生業で 観ている人達に勇気やちからをくれるという 最高の支援
明日への希望


もう 朝から何度みても
涙でてくらあ


ありがとう
月並みだが ありがとう



あ そうそう





そういやあコパアメリカも ブラジルもアルゼンチンも姿を消した
こちらも、どうなることやら。
さて。

起きてよかった、なでしこジャパンビックリマーク



いや、強い。あっぱれと言うのは失礼 今のなでしこはほんとに艶やかだ


あれだけの運動量と
それに裏打ちされたあれだけのボール支配

この前のドイツ戦同様
相手は試合終了の時に ただただ立ち尽くすだけになる

まるで夢のように翻弄されないと一様にああはならない

それがすごい印象的だし
なんだかとっても気持ちがいい



なんか
見下ろしてた人達を
壇之浦の義経よろしく(どんな例えだよ)
ひらり ひらりと八叟飛び(だからどんな例えだよ)


いやほんとに解説でもいうとったけど、バルセロナのサッカーのようなしなやかさと強さが今のなでしこにはある
何より観てて飽きない

今ならアメリカもそれほど恐れなくてもいいかも
それくらい いいチームだなぁ


と もうひとつサッカー

今 コパアメリカ選手権朝方BSでやってるんだけど
これがメチャメチャ面白い
ヨーロッパのとは明らかに違う
もっと土に近くて
血がたぎっとる
至るところで小競り合いがおっぱじまる(笑)
目は粗いかもしれないけどそのゴツゴツ感がまたいい

いろんな理由があったと思うが
俺は 日本は出るべきだったと思うなあ

この「血のたぎり」

日本人にはないところなのだ


ついこの間までオマールと一緒に仕事してたからかもしれないが

明らかにラテンの人達の血のたぎりは違うところにある
歴史的背景もあるかもしれないが


これを知ることは
多分 世界を相手に戦ううえでもうひとつ強さを背負うことができる

それこそ買ってでもする経験値だと思うけどなぁ



まあ、ええか

あとひとつ、
ガンバレ、なでしこ!!
さて。
月並みな言い方だが…嵐のような二週間だった


その嵐を運んできたのは誰であろう、オマール・ポラス


「シモン・ボリバル~夢の断片」
彼が今回の演劇祭に持って来るはずだった作品だ

19世紀の南米大陸の独立運動の英雄シモン・ボリバルを 自身の人生にも照らし合わせて
彼の劇団テアトロ・マランドロの20周年、ヨーロッパに渡って成功をおさめて、母国コロンビアに凱旋して政府も巻き込んでのプロジェクト

前回ドン・ファンで来ていた時もとにかく気合がはいってたし、自信をもっていた 事実、相当評判もよく公演のDVDみてもほんとに面白い、彼の演出と主演どっちをとっても彼の魅力はあふれていた
 で、数ヶ国のツアーも含めその大きなプロジェクトのオオトリがこの日本、静岡―

になるはずたった


が 3.11で
プロジェクトの俳優、ミュージシャン達は日本に行くことを拒んだ
(実際 この演劇祭のなかで他にも来日を取りやめたのがいくつかある)


その失意たるや計りしれなかっただろう


が 彼はこういう時にこそ表現することをやめてはいけないことを知ってる人
カバンひとつ、ロウソクひとつでもやると来日を決意した

うれしかったのは
一緒にクリエーションをやろうと言ってくれたこと

不謹慎な話かもしれないが彼が独りでも来る、と言ったとき、使ってくれ、と思ってた

やっぱ何らかの運命を感じる


ただ その時点で残された時間は二週間、ほとんど新作だ

結構な量のモノローグも任された



最初の十日間はセリフと身体にほとんど意識が費やされてしまった

とにかく俺は 本番であるべき身体のテンションを想定して舞台でしゃべらないとできない性なんで、最初は全くセリフも出てこないし、身体もバラバラ 状況も見えてきてくれない聴こえてきてくれない

ただ、その虚ろで苦しみでしかない時間を経ないと
本当にそこに流れている時間の速さ 身体に触れてくる空気、きこえてくる音 自分の声 いわゆる「 生の空間」に身をまかせることはできない

ただ覚えたセリフにだまされた「演技」の範疇をでることがなくなるだけになっちまう

たださすがに間に合うか…?と不安はあったのは確か


でも どうも自分の性格上こうなって来ないと覚醒しないというか たまんないというか


例えば1995年の第一回シアターオリンピックスのオープニング公演の一ヶ月前を切ったところで、いきなりまだ三年目だった俺に主役任されたり

高校野球の県大会準決勝で九回裏ツーアウト、5-0から試合をひっくり返したりとか

とるに足らんことかもだけど、なんかこれまでの経験が
ギリギリになっても大丈夫、と不思議な自信をくれたりもする




身をすててこそ浮かぶ瀬もあれ


ただしとにかく自分の何かを捨てて朝から晩までこのクリエーションに奉仕する


そうすることで、知らず知らずのうちに自分が最近陥ってたこと、舞台の意識にいやな贅肉がついてしまってること
日常的な部分がぬけていって

次第に舞台に純度が増していく

オマールの身体も一緒に立っているとそれが伝わってくる


で残ったのは
息づいてる舞台だ


それがすべて
作品ができるのは時間ではなく 純度


舞台を終えて
オマールをずっと陰で支えているマランドロの制作のフローランスが
前のボリバルよりずっと普遍的な舞台になった、 と言ってくれたとき

ようやく
雲の間から日が差したような

でもこの純度の高い時間をいつまでも続けていたいような

ほんとにこんな時間を過ごせたことに

感謝です



それとまたあの 嵐のような男と絆が深くなったことに



感謝です