3/24の夜、陽菜のお里のキリさんからの電話が鳴った。
陽菜が沖縄へ移住してから、キリさんのつくる農作物を送ってもらったり、オリオンビールを送ったりと何かやりとりがあり、定期的に電話もくれている。
偶然、丙午年生まれの同い年で、犬以外にも同じ年代を過ごしたならではの会話も多く、いつも笑い話で盛り上がっている。
その日は、そんないつもの電話ではなかった。陽菜の胴体の姉妹である沙羅の調子が良くないという。
翌日、獣医さんに検査してもらうが、レントゲンを撮ってもらっても何の異常もないとの診断。
様子を見るが、容体は好転せず、3/26の朝、病院を再訪した際、小腸にガスが溜まっているように見えるが、体力的にバリウムを飲ませ様子を見るという余裕はなく、おなかをあけて診てみましょうと緊急手術に。するとすでに小腸が壊死していたそうで、これを切除し手術を終えた。
獣医さんの判断は正しかったようで、沙羅は一命をとりとめることができたが、予断は許さない。
この間、キリさんから随時連絡をもらっていたので、こちらも心配で気が気じゃなく、気分的に外出する気にもなれなかった。
この写真は術後の沙羅。麻酔が抜けていないのか目がうつろだ。
それにしてもあたりまえだけど、陽菜とそっくりだ。色が若干沙羅の方が黒いかなって程度。
なのでより心配が募るのだが、沖縄にいては何をすることもできないのでヤキモキするばかり。
それでも何とか週末(動物病院がお休み)を乗り越え、水分を採り、流動食を食べることができるようになり、待望の💩を出すことができた。これは繋いだ腸が機能している証拠だ。
この間、陽菜も食欲がなくなり今一つ元気がなかった。沙羅を心配する胴体の姉妹ローズのお母さんからもFBのメッセンジャーで連絡があり、ローズも食欲をなくしているという。
飯山っ子の姉妹たちは、こんなに離れていても繋がっているのだろうか・・・。
そうこうしている、沙羅はみるみる回復し、4/5には抜糸をし、獣医さんからはもう大丈夫と太鼓判。
こんなことがあったので、なかなかヨット整備にはいけず、自宅周辺で過ごしていた。
そんな中、沖縄に移住していたサラリーマン時代の先輩が、故郷の仙台に戻ることとなり、沖縄ではじめたSUPの機材一式をくれるという。
しかも先輩はSUPのイントラでもあり、しっかりとレクチャーまでしていただいた。
自宅前のビーチは恰好のSUPポイントで、ウミガメのラグーンもあると教わった。
若い頃そこそこ波乗りをしていたので、ボード系には自信があったのだが、実際に乗ると、足を平行に置くことに違和感があり、動画を撮ってもらうと腰が曲がったおじぃさんのようなライディング姿に自分でも失笑。それでもすぐに慣れてきた。
ここ名城ビーチはサンゴ礁に囲まれた海岸線沿いに防風林が連なり、沖から見ると白砂青松で風光明媚だ。
しかし東シナ海に向け開いているので、海に出ると風を遮るものがないため、風と潮の条件さえ合えばいつでもSUPで沖に出ることができる。でも風が5m/s程度で満潮という条件がなかなか合致することは少ない。風が強いと流されるし、潮が引くとフィンが引っかかるので危険なのだ。
それでも1~2時間程度を愉しむのであれば、慣れてくるとタイミングが分かる。
今では自宅から外を見て、天気が良く、風が弱かったら潮を確認し、ある一定の水位以上であれば「さぁ行こう!」と気軽に海に出るようになった。
行くことを決めさえすれば、デッキ下に干してあるウェットスーツに着替え、軽トラにSUPを積み込み、1分後にはビーチの入り口にいることができる。準備にかかる所用時間は5分程度だ。
いただいた板はツーリング用のもので安定感がいい。「そうだ結を乗せよう!」と最近、泳ぎに自信を持ち始めた結も軽トラに乗せ、一緒に海へ。
最初はパドリングのたびに傾く板の上でジタバタしていた結だが、さすがウォータードッグのゴールデンレトリーバーだ。すぐにコツをつかみ余裕でノーズ(舳先)で海中を見下ろせるようになった。
沙羅の回復とともに、心のつっかえが取れ、いつもの生活を取り戻すことができた。
陽菜と結。先代のロウとエド。その先代のディル。
犬と暮らすことがあたりまえになっているが、ここ沖縄の自然の中で暮らす犬たちは、舗装されていない道の草の上で、気持ちよさそうに💩し、自由に走り回り、毎日海で泳ぎ、東京時代には見せなかった表情を見ることができる。
きっと自分もそんな顔をしているんだろうなと思う今日この頃。