今回のテーマは仁徳天皇陵古墳。前回の続き。
このシリーズは、「日本史の中の世界一」田中英道著をもとに、いろいろと世界に誇れる日本を再考していく機会となればと思い書いております。
「日本書紀」の仁徳記617年冬10月の条に「河内の石津原に幸して陵地を定めたまふ」とされ、数十日後に陵の建築がはじまったと記載されている。この当時人力で建設されたのだが、およよ延べ680万人の人々が参加したと試算されており、建設日数も15年8ヶ月に及ぶとされる。
この労働力は、日本全国から召集されたと言われており、小学校、中学校の歴史教育では、農民を強制労働で働かせたと学ばされている。
(↑小学生向け、学習まんが日本の歴史=小学館)においても強権的な役人が百姓をこき使っている姿が描かれている。
しかし、これは本当だろうか?実はこれまで言われてきたような、強制労働ではなく、一つの大きな共同体の情熱によって支えられたのではないかと考えられる。それらは、「古事記」「日本書紀」にも仁徳天皇の記述に「そもそも天が君を立てるのは、まったく百姓のためなのである。従って君は百姓をもって本とする。それだから、昔の聖王は一人でも飢えこごえる者があれば、反省して自分の身を責めた。もし百姓が貧しければ、私が貧しいことであり、百姓が裕福なら私が富裕なことなのである。。。」
仁徳天皇は、「民のかまどは賑いにけり」の伝説を残している聖君であり、記紀にも、天皇の宮室造営の命が下った時にも「百姓は、みずから進んで、老人をたすけ、幼児を携えて、材料を運び、こを背負って昼夜を問わずに、力を尽くして競いつくった。」と記載されている。
千数百年にもわたり、盗掘もされず破壊もされず、残されている天皇陵、世界に誇れる日本史の一コマだと思われるのですが?どうでしょうか?
また、その数百年後の聖武天皇の大仏建設においても、民が競って建設を手伝ったということにも、共通するものがある。
(↑小学生向け、学習まんが日本の歴史=小学館)
技術は、すべて朝鮮半島からきたように書かれているが、朝鮮半島にこれほどの大きなそして美しい古墳など一切ない。縄文土器がこの時代の数千年まえから作られ、全世界から比べても文化的で先進の技術的基盤があったことなど、誰も教えない。
とにかく、なぜか、自らの国の成り立ちを貶めよう貶めようと教育がなされている。歴史は伝承伝説が大切(その当時の人々の思いや、考え方が大切)であろうとおもうのですが。。。
小学生、中学生がりっぱな大人になるためにも、いい歴史教育をしてもらいたいものです。(学校が教えてくれないならば、家庭で教えるしかありませんよ)
大仙古墳なんて呼び方をさせていることなど、犯罪的ともいえる
大仙陵→大占領(戦争に負けたことを自覚しろ!)
大仙陵→大千両(カネに汚い民族だ!)
というメッセージらしい。
これらのことについては過去のブログに詳しく書いておりますので、参考にしてみて下さい。↓↓
まきむく通信の記事「日本最大の仁徳天皇陵古墳(大仙古墳)不思議」
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