中山英子 スケルトンが止まらない・・・!
  • 27May
    • コロナつれづれ ①スペース

      いろんな事情から、文章書けなくなっちゃってて、どんづまっていたが、ようやく頭が少し整理できてきたので、また少しずつ綴ってみようかと…コロナで在宅勤務になったのはいち早くて2月25日。それから3ヶ月が経過した。それまでに会社に出社したのは、ペーパーワークした2日のみ。オリパラの仕事をしているから、いろいろと思うところはあるわけで、そして、じかに影響もあるわけで、日々アップデートされていく社会情勢と、将来の自分を思いながら、休む間もなく頭を動かし続けてた。疲れたら、休んでを繰り返していた気がする…4月末に会社の許可を取り、勤務地を実家方面に移して疎開、都内の様子と田舎の様子のあまりの差に驚いた…東京では25平米のマンションに住んでいる。空間も立地もとても気に入っている。最初のうちは、一日一万歩以上の散歩や片付けや料理を楽しんだ。ぬか漬けとか浅漬けとかしたり、花を定期的に飾ってみたり普段できなかったことも楽しかった。家仕事のだいご味を初めて知った気分で満足していた。4月に入って、緊急事態宣言が出てからというものの、近所のでっかい都立の公園に人が密集するようになったマスクをしていないランニング族が呼気盛んに近づいてくる。そもそも人混みが苦手という習性に加えて、スペースがないことのストレスがじわじわと迫ってきた。実家方面で地震が頻発していたこと、今度いつ帰れるのか一年くらいここに閉じ込められて無理なんじゃないか…という中、単独隔離を突然思い立ち、自己完結できるならそれでいいかなと、思い立って3日で決行し、コロナ疎開。人と人との間が広く、スペースがいっぱい。澄んだ空気と山々に心は癒された。人に会えないということではなく、どうも空間の問題だったらしい…思えば子供のころから人混みが苦手だった。遊園地とか映画館とか無理だった。お祭りも嫌い大学時代も貧血起こしたこと、時々あったもんな…都会、無理な体なのかもな、私。

  • 01Apr
    • 聖火リレーの画像

      聖火リレー

      コロナの社内感染により、在宅ワークが始まったのが2/25かれこれ一か月を優に超えた。この間、世界的に🦠蔓延し、聖火リレーの中止やオリパラの延期、目まぐるしく情勢が変わり、揺さぶられながら日々を過ごした。体力が落ちないように、毎日10000歩を確保するように心掛けてはいるものの、引きこもらざるを得ない日も週に数日出てきている。人と関わらずにいること、動かずにいることが、極めて不得意な方だし、普通にできてたことがどれだけありがたいかと言うことを痛感する。本来ならば明日から長野県の聖火リレーが行われ、私は野沢温泉を走ることになっていた。一年後に延期が決まっているけれど、ホントにオリパラできるのか…できればそれに越したことないし、やってほしいけど、怪しいなと思う。一番気掛かりなのは、この先どうやって生きていこうかということ…不安定な身分ゆえ、こうなってから毎日考えているけれど、何を軸に考えたらいいのか、難しい…普通に生活が営まれていてのスポーツで、芸術で…とまぁ、本当に、こんなことになっているけど、まだ働けていることや、食事ができたり、お家に住めたりできて、とりあえず健康でいられてることに感謝して、収束を祈るしかないのかな。オリパラのために開いた道路

  • 13Feb
    • 10年前の今日の画像

      10年前の今日

      10年前、2010年2月13日、バンクーバー五輪が開幕したらしい。このオリンピックでの体験ほどに衝撃的だったことは人生振り返ってもなく、思えばここから回復するまでに8年を費やしてしまった…第3の人生を始めてもうすぐ3年、競技をしてたころの刺激的な出来事に、もはやあまり心も動かなくなるほど時間が経過した感はあるけれど、あらためて思い返すと、かなり痛かった…今更言うのもなんだけど、決められて発表されてた選考方法を、12月に突然覆されて、当該していた私が選ばれず、別の選手が出場。そして、その選手が、本番時につまらないルール違反で失格したという出来事があった。近い、と思っていた人に、自分の気持ちを理解してもらえないかもしれないことにおののいたり、仲の良かった選手に対して心を開けなくなったり、見たくなかった人の本質にぶち当たったり、色々な事があったけど、根本的には人を嫌いにならなかったな。逆に心は更に真っ直ぐに向かった。競技で不利にならないように本音を言わなくなっていた自分が、子供の頃からの性分でもあった意見をきちんと述べる自分自身へと少しずつ戻っていった。日本の社会では、ものをはっきりいうことは正直嫌われるかもしれない。でも、わかってもらえる人に分かってもらえればいいし、自分が自分でなくなる方が嫌。10年前の今頃は、本来の自分自身に戻るターニングポイントだったのかもしれない。当時と比較して最近色々と考えることが減ってきた。頭を使うより、感じたことに自信が前より持てるようになったのかなと思う。これからはより、そうなっていくのかもな。想いと、キラキラ感を大切に、自分が大事なものを本当に大事に扱って生きていこうと思うのである。

  • 17Jan
    • 10000歩の画像

      10000歩

      年末からなんとなく歩けるようになり、10000歩をノルマに日々歩いてる。日によっては20000歩行った日もある。3週間近くになるが、体調が思わしくなくても歩けるので、少し筋力がついてきたのかなと感じる。三年前に競技から離脱し、疲れ果ててたのか運動する気がどうしても起きなかった。一昨年、仕事のストレス発散でランニングを始めたが、公園で階段を見るとダッシュしたくなり、選手の時のようにやってたら強度の筋肉痛になり、そこから風邪をひいたりした。そして中断。ホットヨガとかも行ったけど、運動量が足りず全然スッキリしない。ジム通いが性に合わないこともあり中々やりたい動きにたどり着けない日々だった。とあることをキッカケに歩くことを続けていたら、なんとなく身体の力が抜けてきたのを感じ、マッサージへ行きたいと思わない感覚になってきた。スケルトンを突然始め、トレーニングをした頃、脳が活性化して仕事が捗って一石二鳥だと思った時のその感じが甦ってきた。毎日無理やりにでも10000にこだわった挙句、会社からの帰途、ひとえき歩いたのが引き金になり、実家に戻る高速バスに目の前で乗り遅れた🚌発券してたから4000円捨てた…節約のために無理やり頑張って今日バスで移動したのに〜こんなことなら明日ゆっくり電車にすればよかったなと。久しぶりに駅の階段をダッシュしたら、息が切れて酸欠になり頭痛がするし、汗だく💦💦で着替える羽目に。まぁ、間に合って乗ってたら、着替える時間もなくて風邪ひいてたかも。明日間違いなく筋肉痛だなぁ…いつまで続けられるか分からないが、50歳になるのを前に、体に目を向けられるようになったのは、良かったのかもしれない。ま、いつまで続くか分からないけど〜年始に行った岩室温泉♨️の小径

  • 31Dec
    • 聖火リレーの画像

      聖火リレー

      12月中旬に聖火リレーランナー当選したと、コカコーラから連絡が来た❗️4/2長野県にて。自分の地域にはオリンピアン少ないし可能性あらかもなとノリで応募。まだどこを走るのかとかわからないが、どうやらその日は東北信らしいし平日だから知り合いも来てもらえそうにないかなー長野市付近だといいな。200mしか走らないみたいだし、トレーニングするもないけれど、そろそろ運動したくなってきているので、新年は少し考え直そうかなと。このところ、神社とか⛩行く機会があったりして、おみくじを面白がってひきまくっているが、大吉とか出ると嬉しい。聖火リレーの当たりもそんな感覚だ。とは言え大きなイベントだし、自分なりに色々考えて整えて臨もうと思う。あ、会社とかコネとか、全くないです。★コカコーラからの発表画像シンマイ12/13 スポーツ面

  • 28Oct
    • ”宇都さんとの再会”

      トレーナーとして苦しい時代に関わってもらっていたカナダ•ウィスラー在住の宇都さんと、日本橋にて本日2年ぶりに再会。2009-10の頃のことを再び振り返った。あーもう10年になるんだ!30代最終盤だったけど、私は元気いっぱいで、疲れるという感覚は今ほどになかった。そして、競技的にも絶好調な時間が多くて、なのに、結果を残す自信がどうしても持てないというメンタルと身体の状態のほんの少しのズレを修正できなくて、結果を残すどころか泥沼にハマって行くことになった時期である。集中力は有ったけど、逆に視野の狭さと相反してもいた。あるところにはまり込むと俯瞰することが難しくなり、そこに入り込んで苦しんだ。当時宇都さんとワールドカップを転戦していて、「10位は簡単に入れる状況です。経験も体調も備わっているし、自信を持って。」といつも励ましてくれていた。深い部分では理解してた。体はできることを知っていた。なのに自分に吹いていた逆風を敏感に感じ取っていたその恐れを拭えずに、悪い方へと自分を追いやってしまった。「あの頃、たしかに力は持ってたし、力がある事も感じていた。今の自分のメンタルなら、あの頃私に起こった大変な状況は受け止められたし回避して、成績出してバンクーバーも難なく行けたと思う…」40歳を迎えた2010年以降は、年齢的なものからか、ストレスからかグンと体力が落ちたのを感じた。「あのストレスは選手にとっては、有り得ないものだったと思います。狂ってしまうのは仕方のないことでしたよね」だいぶ時間は経過したし、ある程度越えたし、記憶も薄れてはいるけれども、その時の傷みみたいなものをあらためて思い出した。ただ、孤独なつもりが一緒に戦ってもらってた人がいて、今一緒に振り返ることができていることは、とても豊かなことだなあと、充実した気持ちになれたひとときに、とても心が満たされた。この時の体験、さらにはその後7年ほどかけて克服したことは、残念ながら競技結果には反映させられなかったけれども、今からの人生にもおそらく役に立ってくるとは思う。ドツボにハマっていく習性は、いまだにあるし、回避の方法も知ったから。苦しみ抜いて体得したことを残りの人生で活かしたいと強く思う。東京大会も近づいて、選手も選考過程終盤に差し掛かり、見えないところでいろんなことが起こっているんだと思う。大舞台で輝ける人はほんのわずかだけども、一人一人にドラマがある。良くも悪くも、今の体験をしっかりと受け止めて、メンタルを太く鍛錬されますこと、心より祈ります✨

  • 21Oct
    • ”そりと時差”

      3年経つのね、そりやめて。身体が最近小さくなってきて、てか、太かったところが痩せてきて、寂しい気持ちに。太りたくはないけれど、小さくなると妙に寂しくなるものだ。しかし、今思うと、よく競技やってたな、どこからエネルギー出てきたのかなと、我ながら感心する。絶対無理。ラグビー選手の運動量ってすごいな。みんなの回答を見る

  • 02Oct
  • 27Sep
    • 休暇にてカナダの画像

      休暇にてカナダ

      長めの休みを推奨されているので、心置きなく夏休みが取れる、というより取らないとマズイ雰囲気すら会社に出てきていて、このタイミングでカナダ🇨🇦に遠征中。カナダはちょうど3年ぶり。選手最後のシーズン前の調整に行ったのが最後。旅での初カナダ。カルガリー、バンフほかロッキー方面、バンクーバー、ビクトリアを巡りいよいよ最終局面を迎えるが、絶賛時差治らず、もはや、なおしたくない。いくつか目的はあったが、知り合いや友達、知り合いの知り合いに会いまくるというか、結果そうなったが、中々の珍道中というか期待を上回る出来事が多くて、頭が追いつかないでいる。リラックスしに行ったはずが、刺激が多い旅となっている。私の人生、ここ20年総まとめみたいな感じか…朝が来たら、初ビクトリア、水上飛行機で行くがお天気悪そう。なんとか持って欲しい!傘ないし。そしてもう一泊したら誕生日だけど、日本ではこの日は事実上過ごせないという!😅丸9日だけども足りない。追々書き残したい。

  • 18Sep
    • 青春の逆鉾の画像

      青春の逆鉾

      元関脇の逆鉾の訃報を、昨日の朝子供の頃からの友人からの連絡で知った。逆鉾関は私の子供の頃のアイドル。小学校高学年から千代の富士をキッカケに相撲に夢中になり、中1の頃だったか、井筒三兄弟を知って以来、熱烈なファンとなり、思いが通じ、一度千秋楽の打ち上げパーティーに参加させてもらった事がある。握手して写真を一緒に撮ってもらった。サインもどこかにあると思われる。逆鉾より数段かっこよかった弟の寺尾や、お兄さんの鶴嶺山より、なんで逆鉾だったのか…謎だ。無理やりに分析すれば、優等生然としていない型破りな振る舞いに魅力を感じていたのかもしれない。取り口も勢いがあったし、天才肌の力士だった気がする。本場所は全て観戦し、観戦記を書いていた。雑誌を読み漁った。結婚してもいいと、中学生の私は思ったこともある。まぁ、その頃は相撲に夢中で、力士名鑑に載る全力士の出身を記憶してたくらいだったから変人だったと思う。大学に入る頃にはなぜか熱が冷めたが、92年か93年に逆鉾の引退相撲を観に行った。その時自分で撮影した写真。私もこの頃、相撲ファンを卒業した。昨日友達の何人かから、逆鉾死んだねと。連絡が来た。千代の富士が亡くなった時は来なかったけど。アイドル全盛期の当時、相撲ファンしかも逆鉾というのはインパクト強かったんだなと再確認した。一緒に相撲を観戦していた同居のおばあちゃんが、星取表を付けながら私の学校からの帰宅を待っていてくれたことや、初めて国技館に招待された時のキラキラワクワクした、幸せだった子供時代を思い起こし、気持ちがタイムスリップした。人生初めて夢中になった相撲から、好き、楽しいを追い続けてここまで来た面もある。そんな自分も50まであと一年だけど、心の中身は子供の頃とさほど変わってないなぁと、いいような悪いような…逆鉾関のご冥福をお祈りいたします。

  • 04Sep
    • ”初めての看取り”

      今日は飼い猫はちの3回目の命日だ。早いもので3年も経つんだ…読み返すと、あの日のこと、克明に思い出す。もう一度、はちに会いたい。猫のいる暮らししたい。3年前の今、最後のシーズンを真近に控えて、必死に競技に向かってた。今思うと、すごかったな私。今は無理。あの頃も気力だけで持ってた気すらする。何かに本気で向かうって、すごい力だと思う。これからこんなこと、できるのだろうか。なけなしの力を振り絞っていた私を、さりげなく支えてくれていたのが、小さな家族のはちだった気がする。みんなの回答を見る

    • ””「キアヌ・リーブスのメッセージ☆」””

      9月に入った。何かが切り替わった感覚がする。自分の季節!!!なんとなくご飯も食べられる感じになってきた。ただ、眠い。会社から帰ると、ベッド直行。電気つけたまま何もせずに寝てしまい、夜中に目を覚ますという、ヤバイ感じである。最近とらわれていること。はたと気付くと、あと一年で50って…という現実である。よく考えるとどうって事ないのかなとは思うのだけど、積み重ねてきたなという感慨深いものと、こんなに子供の頃から変わってなくていいのかというのと、いろんな気持ちが押し寄せる。年齢とかやってることとか、比較的とらわれずに生きてきた方だとは思うけど、このところ、なんとなくとらわれている自分がいて、それはそれで受け止めて、いい意味でそれも含め活用すれば良いかなとか考えている。なんか、良いこと書いてあったからリブログってやつをしてみた。

  • 25Aug
    • トンボの画像

      トンボ

      あと一か月のお勉強を乗り切るために、新幹線に乗り、以前から行ってみたかった那須の旅館へ一泊温泉にお友達と突然出かけた。台風が過ぎてからだいぶ涼しくなってきてはいるが、東京より涼しい那須高原。栃木は大学生の頃、日光合宿以来の上陸の気がする。馴染みの薄い土地である。現実的逃避、リラックスが目的だったので、行ったことのない近場ならどこでも良かった。そこそこ宿の値段はしたから期待して行ったが、建物、食事、サービスともにコスパが低くちょっとがっかり。温泉の湯質も長野県の方が良かった。旅館じゃなくて民宿と思うと、悪くはないかもねという話で収まったけど、中々最近、素晴らしかった!という宿にぶつかり当たらないのは残念な感じ。ただ、帰り際、送迎バスを待つ間に、トンボが私の手に留まった。しかも3分くらいも。友達によるとトンボは勝負虫と呼ばれるらしく、幸運🤞だとのこと。選手でもないし、なんの勝負か?思い当たらないけど、トンボに好かれたのは悪い気はしなかった。

  • 18Aug
    • 今年のお盆休みの画像

      今年のお盆休み

      今年のお盆休みは、帰省もできずほぼカレンダーに従って会社へ行き、一泊で両親のツアコンしたのみで、その他の週末は寝て暮らすという極めて地味な感じだった。去年を振り返ると、お盆期間が丸々アイルランド出張だったらしい。7月は本当後半まで雨ばかりで、ずっと寒かったが、8月になり暑くなり、にもかかわらず海外選手の世話をする外仕事も多かったため、本当にバテた。選手してた頃は夏の疲れは秋に出たけど、最近は秋まで持たない。前より食もだいぶ細くなり随分体力は落ちてるだろうなぁと思う。正直もう、実家でもチャージしきれないところまで来てる気がしているため、来月、海外に出ようと思う。仕事とか日本での日常から切り離される必要がある。空を変えないと、死んでしまいそうになる。今すぐにでも出国したいけど、英語塾があと一か月残ってるため、そのあと…勉強も中々追いつかず、焦るけど身体がついていかないから仕方ない。頑張れないことを責めないことが大事。

  • 11Aug
    • 英語

      六月中旬、同窓会絡みの仕事がひと段落ついた辺りから、英語学習塾に通い始めた。三ヶ月間、一日3時間の自己学習をコーチングしてもらいながら取り組むという塾みたいなところ。多額なお金を投資して、タガをはめた。選手の頃は周りの選手よりも私がかなり話せた方だし、競技生活を行うにあたっての英語は何とかなっていた。ただいつまでたっても上達がないという実感はしていた。勉強一切してなかったし。大学受験での英語までで。そして、語学が嫌いじゃなかったので苦手意識はなかった。競技生活末期は、色々疲れて、脳を使いたくなくなり、英語で考えたくない、という感じになり、仕事に突入したわけだが、業務で英語を使う場面はかなり多い。同僚は英語のできる人が多いため、余計に任せちゃったり、甘えることが増え、かといって、使わなきゃならない場面も結構多くて、ヤバイしもったいないし、このまま苦手意識の塊になるのが嫌だなと思ったこと、先の仕事を考えた時、一定レベルの自信が欲しいと思って投資。一ヶ月は頑張れた。二ヶ月目、仕事が忙しくなってきて、暑くもなってきて体力が落ち、課題は難しくなり、ついに昨日、全くできなかった…お盆も帰省を諦めたけど、取り戻せるかなぁ…不安。でも頑張る。あと一ヶ月、後悔しないように!!!マジで受験生みたいな気分です…

  • 28Jul
    • 七月の備忘録の画像

      七月の備忘録

      7月に入って風邪をひき、2週間風邪の諸症状に苦しみながら仕事も忙しく7連勤のあと4連休で松本帰ったけど、全く疲れ取れず。そうこうしていたら梅雨が明けて、気温が上がり寒暖差にやられ、さらにまた、仕事に追われ休みが取れず、だるいしやる気しないし。ついに足の裏と腕に蕁麻疹…でも、仕事だし。そんな7月。ストレス怖し。不安もいっぱい。早く元気になりたい。久しぶりに海外逃亡したい気分だ。

  • 26Jul
    • 新聞記者

      代休消化の月曜日、松本のイオンシネマにて、松坂桃李主演の話題になってる映画「新聞記者」を観た。数人の友人にも勧められていたし、自分自身も記者のマインドは残っているから、気になってはいた。この映画、フィクションの域を超えていて、かなり実話に基づいた題材を活用した内容過ぎ!参院選と重なったこの時期の公開に、そしてまた、参院選での選挙の模様が重なり、もしかしたら、今度こそ、社会が変わってきているのではないかと、映画を鑑賞してあらためて期待しても良いかもしれないと、いう予感を持った。新聞記者、あのテーマで、単館系でなく、イオンシネマが配給し、カドカワが製作し、今をトキメク俳優が出演するって…新聞で、全面広告も入っていた。松本の平日でも、それなりに、お客いたし。あ、保守の土地じゃないからかもだけど。新しい年号になり、世の中も、変わろうとしているのか。私自身も何か変わっているのか。アップデート期だからか、感じることが多い。歳だからか、寒暖差のせいか、仕事が忙しいからか、だるくて眠くてたまらない…何が正しいかなんてわからないけど、良い方向に向かえるよう、しっかり意識を持つ必要はあるように思う。

  • 25Jun
    • コルチナの思い出の画像

      コルチナの思い出

      今日、2026年のオリパラ開催がイタリア🇮🇹のコルチナ•ダンベッツォに決まった。1956年にオリンピックが行われたコルチナには以前、ボブスレートラックが存在し、私は長野五輪の翌シーズンにあたる1999年に行われたボブスレーの世界選手権を取材しに、現地へ突撃したという体験があることもあり、うまくいえないが、関係ないとは思えない場所という感覚だ。このところ、古い知り合いに再会することも多く、過去を振り返ったり、若い日々に考えていたことを思い出したりしている。コルチナも私の人生の転機に訪れた土地であり、ここで感じたことや、触れたことは生々しく思い出す。1998年の終わりに、私はスケルトンを初滑走した。あまりにも面白く、競技として取り組んでみようかと思い始めていた時でもあった。と、同時に、華々しく終わった長野大会の後の競技団体があまりにもひどい状態に落ち込んでいる様子に度肝を抜かれた。五輪はその大会のためだけなのかー。その後の競技の発展、スポーツが市民に浸透していってこその意義ある大会のはずなのに…私が取材していたボブスレーは、長野大会でなんとか過去最高成績を残したが、翌年はスタッフもおらず、強化もままならない状況を目にして、これは、オリンピックの一つの側面なのではと思い、運動部から異動になったにもかかわらず、クビになる覚悟で、どうなってるのかこの目で見たいと、急に休みを取って、コルチナへ飛んで世界選手権に取材に行ったのだった。確かミラノあたりから、トーマスクックを片手にローカル線を乗り継ぎ、選手に最寄りの駅に車で迎えに来てもらった。当時はファクスと電話しかなかった。ヨーロッパの田舎町で知った顔に会えた時はホッとした。結局、日本チームは最下位に沈み、私は三回に渡った企画記事を書いた。20代、私なりに記事を書いて真実を伝えるということに立ち向かっていた。正論を言っても、世の中は変わらないという、当たり前のことが身にしみた経験でもあった。人がやってることを書いたところで、なんも変わらない。強烈に感じたからこそ、その直後に本気で自分がプレーヤーになることを選んだようにも思う。あの時の思い切った行動に至るエネルギーがどこから発生したのか、今振り返ってもわからない。ただ、私の熱意に周りも動かされ、後押ししてくれる人が現れた。なんであの時大胆な行動ができたのかとても不思議なのだが、見えない力が働いていたなと感じる。コルチナの山々は険しく美しかったことを覚えている。飽きないヨーロッパアルプスの風景と、パスタの微かな記憶を思い出しながら、あの日から20年、コルチナという名前を聞いている自分が、まだオリンピックと縁を持っていることに因縁めいたものを感じた。そもそも音楽とファッションに溢れたイタリア大好きなOLで、20代はオペラと買物に渡伊も何度かしていた。イタリア人に生まれたかったと無理なことを本気で思ったこともあった。トリノで何かしたいと思っていたら選手になった…イタリアから遠ざかっていたら、イタリアチームの仕事を今している。そしたらオリンピックがまた、イタリアに決まった。歳のせいかワクワクもしなくなったけど、客観的に自分の人生を眺めてみて面白いもんだなと思う。なにが起こるかなんて死ぬまでわからない。自分の意思とは別のところで動く何かも大いにある。時には意思を貫こうと闘う時も、今でも時々あるけれど、流れを感じていられるくらいの感覚は、常に感じ続ける意識を持った方が良いかもなと思う。コルチナ…近いうちに行ってみようかな。純粋になにかを求めて突き動かれたものに素直に従えていた頃のパワーは今は減ったけど、会社は休みも取りやすいし、自分探しに出掛けてみたくなってきた。ともあれ、東京大会後の日本🇯🇵どうなってることか…そして自分もちゃんと仕事が見つかるのか??切実…競技団体も、スポーツも、世の中も、長野大会の二の舞にならないことを祈る🤞

  • 19Jun
    • 突然の戸隠の画像

      突然の戸隠

      先週末、突然もよおして平日に休暇を取って戸隠に。東京から長野に直行、レンタカー借りて午前中から山へ。都会で暮らし始めた丸2年、月に一度は地元の空気を感じたくなるらしい。大好きなスポット鏡池に駐車してイン。まる20年長野に住んで、時々走りに来ていたけれども、ただ、車を運転しているだけで、こんなに幸せだったとは、当時は気付けなかった。たくさん悩みを抱えていた頃を思い出しながら、そんなに考えなくても良かったのになとか振り返りながら。何にも考えないで、ひたすら2時間近く歩きまわった。奥社ではどうやら山開きの日だった模様で。ゆっくりもせず、当時のペースで、ひとまわりしたら山から下り、突然でも会ってくれるお友達に顔見せ。前の会社で用事を足したり、行きつけの温泉でアカスリしたり長野を満喫。しあわせな一日でした。今度は須坂方面に行きたい。青春?時代を過ごした長野近郊は、自然がステキ。突然の長野来訪は、翌週から3ヶ月間、ハードに勉強を始めるにあたり、覚悟を決めるための切り替えが目的だった。9月までがんばって集中…ができますようにと、自信がないから神頼みしまくりました。

  • 05May
    • 元号またぎ山口へ〜香月泰男美術館の画像

      元号またぎ山口へ〜香月泰男美術館

      10連休、平成末日の4/30から2泊3日、両親と伯母と4人で山口県へ旅に出た。父親の念願だった、香月泰男(かづきやすお)という画家の生地山口県の日本海側にほど近い三隅というところある美術館が目的。あまりにもアクセスが難しい場所なので、足腰が完全でない老人たちとどう行こうか考えた結果、名古屋経由で新幹線、レンタカーということでツアコンした。父親が絵好きなため、これまで色んな美術館やらに子供の頃から付き合わされてきた。美術鑑賞も作家の全人格や人生が作品に表れているから、観ることはかなりエネルギーが要る。体調がそれなりでないと、ということをいつも感じる。そんなこともあり、警戒しながら入るのだが、今回の香月泰男の作品群については、これほどまでにしあわせな気持ちにさせられたことはなかった。香月泰男という人は明治の末に、山口県三隅町の医者の家庭に生まれたという。幼い頃に両親が離婚。祖父母に育てられた。絵を描くのが幼少期から好きだった。東京芸大を出て教師となり結婚。しかし、赤紙が来て戦地シベリアへ赴く。抑留されるなか、絵描きだと知られて戦地で肖像画等も依頼を受けたそうだ。抑留中を振り返って描いた作品はシベリアシリーズ名付けられている。山口県立美術館(初日に来訪。展示点数は少なかった)に、数多く収められているらしい。とにかく家族のことと絵が描きたいという一途な思いで毎日絵手紙のハガキを描き続け、生き延びた。戦地から帰ると、故郷に戻り、家族を第一に、自宅のアトリエで絵を朝から晩まで描くという念願を遂げた。海外へのスケッチ旅行には必ず夫人を同伴して出掛けたという。晩年、自分の絵を飾りたいと自宅近くに美術館を建てる計画を始めたが、完成を見ずに1973年、62歳の時、持病の心筋梗塞で亡くなった。美術館は建築家となった息子たちの設計によるものだという。大切な作品の多くが、美術館に収められている模様だ。自身の生い立ちや体験を紐解くと、生き別れた両親のことや、長かった戦争体験など、糸がこじれたら屈折してもおかしくないと思われる場面はあるのだが、作品はどれを取っても本当に深く穏やかで、真っ直ぐな精神が伝わってくるのである。ご本人の資質というか、素質というか、苦難の昇華の仕方が健康的なのだろう。香月の欲といえば、家族と過ごすこと、絵を描き続けるというその2点のみで、有名になりたいとか虚栄心みたいなそういうエネルギーが不思議なくらいない作品は鑑賞していて疲れるということがまるでない。ふんわりした幸せな不思議な空間を、父親は天国みたいだ、と表現していた。音楽でも美術でもそうだろうが、芸術作品は本当に本人の世界観や生身の人間そのものがストレートに伝わってくると、今回ほどに実感したことはない。心の中って大切だなと改めて思いを深めた旅となった。1瞬に1生をかけることもある。1生が1瞬に思える時があるだろう香月泰男のことばより。アルバム日本海側。だけども、なんだか明るい雰囲気の山口県2日目は寒かった遊覧船で世界遺産、萩の町香月泰男美術館