中山英子 スケルトンが止まらない・・・!
  • 28Oct
    • ”宇都さんとの再会”

      トレーナーとして苦しい時代に関わってもらっていたカナダ•ウィスラー在住の宇都さんと、日本橋にて本日2年ぶりに再会。2009-10の頃のことを再び振り返った。あーもう10年になるんだ!30代最終盤だったけど、私は元気いっぱいで、疲れるという感覚は今ほどになかった。そして、競技的にも絶好調な時間が多くて、なのに、結果を残す自信がどうしても持てないというメンタルと身体の状態のほんの少しのズレを修正できなくて、結果を残すどころか泥沼にハマって行くことになった時期である。集中力は有ったけど、逆に視野の狭さと相反してもいた。あるところにはまり込むと俯瞰することが難しくなり、そこに入り込んで苦しんだ。当時宇都さんとワールドカップを転戦していて、「10位は簡単に入れる状況です。経験も体調も備わっているし、自信を持って。」といつも励ましてくれていた。深い部分では理解してた。体はできることを知っていた。なのに自分に吹いていた逆風を敏感に感じ取っていたその恐れを拭えずに、悪い方へと自分を追いやってしまった。「あの頃、たしかに力は持ってたし、力がある事も感じていた。今の自分のメンタルなら、あの頃私に起こった大変な状況は受け止められたし回避して、成績出してバンクーバーも難なく行けたと思う…」40歳を迎えた2010年以降は、年齢的なものからか、ストレスからかグンと体力が落ちたのを感じた。「あのストレスは選手にとっては、有り得ないものだったと思います。狂ってしまうのは仕方のないことでしたよね」だいぶ時間は経過したし、ある程度越えたし、記憶も薄れてはいるけれども、その時の傷みみたいなものをあらためて思い出した。ただ、孤独なつもりが一緒に戦ってもらってた人がいて、今一緒に振り返ることができていることは、とても豊かなことだなあと、充実した気持ちになれたひとときに、とても心が満たされた。この時の体験、さらにはその後7年ほどかけて克服したことは、残念ながら競技結果には反映させられなかったけれども、今からの人生にもおそらく役に立ってくるとは思う。ドツボにハマっていく習性は、いまだにあるし、回避の方法も知ったから。苦しみ抜いて体得したことを残りの人生で活かしたいと強く思う。東京大会も近づいて、選手も選考過程終盤に差し掛かり、見えないところでいろんなことが起こっているんだと思う。大舞台で輝ける人はほんのわずかだけども、一人一人にドラマがある。良くも悪くも、今の体験をしっかりと受け止めて、メンタルを太く鍛錬されますこと、心より祈ります✨

  • 21Oct
    • ”そりと時差”

      3年経つのね、そりやめて。身体が最近小さくなってきて、てか、太かったところが痩せてきて、寂しい気持ちに。太りたくはないけれど、小さくなると妙に寂しくなるものだ。しかし、今思うと、よく競技やってたな、どこからエネルギー出てきたのかなと、我ながら感心する。絶対無理。ラグビー選手の運動量ってすごいな。みんなの回答を見る

  • 02Oct
  • 27Sep
    • 休暇にてカナダ

      長めの休みを推奨されているので、心置きなく夏休みが取れる、というより取らないとマズイ雰囲気すら会社に出てきていて、このタイミングでカナダ🇨🇦に遠征中。カナダはちょうど3年ぶり。選手最後のシーズン前の調整に行ったのが最後。旅での初カナダ。カルガリー、バンフほかロッキー方面、バンクーバー、ビクトリアを巡りいよいよ最終局面を迎えるが、絶賛時差治らず、もはや、なおしたくない。いくつか目的はあったが、知り合いや友達、知り合いの知り合いに会いまくるというか、結果そうなったが、中々の珍道中というか期待を上回る出来事が多くて、頭が追いつかないでいる。リラックスしに行ったはずが、刺激が多い旅となっている。私の人生、ここ20年総まとめみたいな感じか…朝が来たら、初ビクトリア、水上飛行機で行くがお天気悪そう。なんとか持って欲しい!傘ないし。そしてもう一泊したら誕生日だけど、日本ではこの日は事実上過ごせないという!😅丸9日だけども足りない。追々書き残したい。

  • 18Sep
    • 青春の逆鉾

      元関脇の逆鉾の訃報を、昨日の朝子供の頃からの友人からの連絡で知った。逆鉾関は私の子供の頃のアイドル。小学校高学年から千代の富士をキッカケに相撲に夢中になり、中1の頃だったか、井筒三兄弟を知って以来、熱烈なファンとなり、思いが通じ、一度千秋楽の打ち上げパーティーに参加させてもらった事がある。握手して写真を一緒に撮ってもらった。サインもどこかにあると思われる。逆鉾より数段かっこよかった弟の寺尾や、お兄さんの鶴嶺山より、なんで逆鉾だったのか…謎だ。無理やりに分析すれば、優等生然としていない型破りな振る舞いに魅力を感じていたのかもしれない。取り口も勢いがあったし、天才肌の力士だった気がする。本場所は全て観戦し、観戦記を書いていた。雑誌を読み漁った。結婚してもいいと、中学生の私は思ったこともある。まぁ、その頃は相撲に夢中で、力士名鑑に載る全力士の出身を記憶してたくらいだったから変人だったと思う。大学に入る頃にはなぜか熱が冷めたが、92年か93年に逆鉾の引退相撲を観に行った。その時自分で撮影した写真。私もこの頃、相撲ファンを卒業した。昨日友達の何人かから、逆鉾死んだねと。連絡が来た。千代の富士が亡くなった時は来なかったけど。アイドル全盛期の当時、相撲ファンしかも逆鉾というのはインパクト強かったんだなと再確認した。一緒に相撲を観戦していた同居のおばあちゃんが、星取表を付けながら私の学校からの帰宅を待っていてくれたことや、初めて国技館に招待された時のキラキラワクワクした、幸せだった子供時代を思い起こし、気持ちがタイムスリップした。人生初めて夢中になった相撲から、好き、楽しいを追い続けてここまで来た面もある。そんな自分も50まであと一年だけど、心の中身は子供の頃とさほど変わってないなぁと、いいような悪いような…逆鉾関のご冥福をお祈りいたします。

  • 04Sep
    • ”初めての看取り”

      今日は飼い猫はちの3回目の命日だ。早いもので3年も経つんだ…読み返すと、あの日のこと、克明に思い出す。もう一度、はちに会いたい。猫のいる暮らししたい。3年前の今、最後のシーズンを真近に控えて、必死に競技に向かってた。今思うと、すごかったな私。今は無理。あの頃も気力だけで持ってた気すらする。何かに本気で向かうって、すごい力だと思う。これからこんなこと、できるのだろうか。なけなしの力を振り絞っていた私を、さりげなく支えてくれていたのが、小さな家族のはちだった気がする。みんなの回答を見る

    • ””「キアヌ・リーブスのメッセージ☆」””

      9月に入った。何かが切り替わった感覚がする。自分の季節!!!なんとなくご飯も食べられる感じになってきた。ただ、眠い。会社から帰ると、ベッド直行。電気つけたまま何もせずに寝てしまい、夜中に目を覚ますという、ヤバイ感じである。最近とらわれていること。はたと気付くと、あと一年で50って…という現実である。よく考えるとどうって事ないのかなとは思うのだけど、積み重ねてきたなという感慨深いものと、こんなに子供の頃から変わってなくていいのかというのと、いろんな気持ちが押し寄せる。年齢とかやってることとか、比較的とらわれずに生きてきた方だとは思うけど、このところ、なんとなくとらわれている自分がいて、それはそれで受け止めて、いい意味でそれも含め活用すれば良いかなとか考えている。なんか、良いこと書いてあったからリブログってやつをしてみた。

  • 25Aug
    • トンボ

      あと一か月のお勉強を乗り切るために、新幹線に乗り、以前から行ってみたかった那須の旅館へ一泊温泉にお友達と突然出かけた。台風が過ぎてからだいぶ涼しくなってきてはいるが、東京より涼しい那須高原。栃木は大学生の頃、日光合宿以来の上陸の気がする。馴染みの薄い土地である。現実的逃避、リラックスが目的だったので、行ったことのない近場ならどこでも良かった。そこそこ宿の値段はしたから期待して行ったが、建物、食事、サービスともにコスパが低くちょっとがっかり。温泉の湯質も長野県の方が良かった。旅館じゃなくて民宿と思うと、悪くはないかもねという話で収まったけど、中々最近、素晴らしかった!という宿にぶつかり当たらないのは残念な感じ。ただ、帰り際、送迎バスを待つ間に、トンボが私の手に留まった。しかも3分くらいも。友達によるとトンボは勝負虫と呼ばれるらしく、幸運🤞だとのこと。選手でもないし、なんの勝負か?思い当たらないけど、トンボに好かれたのは悪い気はしなかった。

  • 18Aug
    • 今年のお盆休み

      今年のお盆休みは、帰省もできずほぼカレンダーに従って会社へ行き、一泊で両親のツアコンしたのみで、その他の週末は寝て暮らすという極めて地味な感じだった。去年を振り返ると、お盆期間が丸々アイルランド出張だったらしい。7月は本当後半まで雨ばかりで、ずっと寒かったが、8月になり暑くなり、にもかかわらず海外選手の世話をする外仕事も多かったため、本当にバテた。選手してた頃は夏の疲れは秋に出たけど、最近は秋まで持たない。前より食もだいぶ細くなり随分体力は落ちてるだろうなぁと思う。正直もう、実家でもチャージしきれないところまで来てる気がしているため、来月、海外に出ようと思う。仕事とか日本での日常から切り離される必要がある。空を変えないと、死んでしまいそうになる。今すぐにでも出国したいけど、英語塾があと一か月残ってるため、そのあと…勉強も中々追いつかず、焦るけど身体がついていかないから仕方ない。頑張れないことを責めないことが大事。

  • 11Aug
    • 英語

      六月中旬、同窓会絡みの仕事がひと段落ついた辺りから、英語学習塾に通い始めた。三ヶ月間、一日3時間の自己学習をコーチングしてもらいながら取り組むという塾みたいなところ。多額なお金を投資して、タガをはめた。選手の頃は周りの選手よりも私がかなり話せた方だし、競技生活を行うにあたっての英語は何とかなっていた。ただいつまでたっても上達がないという実感はしていた。勉強一切してなかったし。大学受験での英語までで。そして、語学が嫌いじゃなかったので苦手意識はなかった。競技生活末期は、色々疲れて、脳を使いたくなくなり、英語で考えたくない、という感じになり、仕事に突入したわけだが、業務で英語を使う場面はかなり多い。同僚は英語のできる人が多いため、余計に任せちゃったり、甘えることが増え、かといって、使わなきゃならない場面も結構多くて、ヤバイしもったいないし、このまま苦手意識の塊になるのが嫌だなと思ったこと、先の仕事を考えた時、一定レベルの自信が欲しいと思って投資。一ヶ月は頑張れた。二ヶ月目、仕事が忙しくなってきて、暑くもなってきて体力が落ち、課題は難しくなり、ついに昨日、全くできなかった…お盆も帰省を諦めたけど、取り戻せるかなぁ…不安。でも頑張る。あと一ヶ月、後悔しないように!!!マジで受験生みたいな気分です…

  • 28Jul
    • 七月の備忘録

      7月に入って風邪をひき、2週間風邪の諸症状に苦しみながら仕事も忙しく7連勤のあと4連休で松本帰ったけど、全く疲れ取れず。そうこうしていたら梅雨が明けて、気温が上がり寒暖差にやられ、さらにまた、仕事に追われ休みが取れず、だるいしやる気しないし。ついに足の裏と腕に蕁麻疹…でも、仕事だし。そんな7月。ストレス怖し。不安もいっぱい。早く元気になりたい。久しぶりに海外逃亡したい気分だ。

  • 26Jul
    • 新聞記者

      代休消化の月曜日、松本のイオンシネマにて、松坂桃李主演の話題になってる映画「新聞記者」を観た。数人の友人にも勧められていたし、自分自身も記者のマインドは残っているから、気になってはいた。この映画、フィクションの域を超えていて、かなり実話に基づいた題材を活用した内容過ぎ!参院選と重なったこの時期の公開に、そしてまた、参院選での選挙の模様が重なり、もしかしたら、今度こそ、社会が変わってきているのではないかと、映画を鑑賞してあらためて期待しても良いかもしれないと、いう予感を持った。新聞記者、あのテーマで、単館系でなく、イオンシネマが配給し、カドカワが製作し、今をトキメク俳優が出演するって…新聞で、全面広告も入っていた。松本の平日でも、それなりに、お客いたし。あ、保守の土地じゃないからかもだけど。新しい年号になり、世の中も、変わろうとしているのか。私自身も何か変わっているのか。アップデート期だからか、感じることが多い。歳だからか、寒暖差のせいか、仕事が忙しいからか、だるくて眠くてたまらない…何が正しいかなんてわからないけど、良い方向に向かえるよう、しっかり意識を持つ必要はあるように思う。

  • 25Jun
    • コルチナの思い出

      今日、2026年のオリパラ開催がイタリア🇮🇹のコルチナ•ダンベッツォに決まった。1956年にオリンピックが行われたコルチナには以前、ボブスレートラックが存在し、私は長野五輪の翌シーズンにあたる1999年に行われたボブスレーの世界選手権を取材しに、現地へ突撃したという体験があることもあり、うまくいえないが、関係ないとは思えない場所という感覚だ。このところ、古い知り合いに再会することも多く、過去を振り返ったり、若い日々に考えていたことを思い出したりしている。コルチナも私の人生の転機に訪れた土地であり、ここで感じたことや、触れたことは生々しく思い出す。1998年の終わりに、私はスケルトンを初滑走した。あまりにも面白く、競技として取り組んでみようかと思い始めていた時でもあった。と、同時に、華々しく終わった長野大会の後の競技団体があまりにもひどい状態に落ち込んでいる様子に度肝を抜かれた。五輪はその大会のためだけなのかー。その後の競技の発展、スポーツが市民に浸透していってこその意義ある大会のはずなのに…私が取材していたボブスレーは、長野大会でなんとか過去最高成績を残したが、翌年はスタッフもおらず、強化もままならない状況を目にして、これは、オリンピックの一つの側面なのではと思い、運動部から異動になったにもかかわらず、クビになる覚悟で、どうなってるのかこの目で見たいと、急に休みを取って、コルチナへ飛んで世界選手権に取材に行ったのだった。確かミラノあたりから、トーマスクックを片手にローカル線を乗り継ぎ、選手に最寄りの駅に車で迎えに来てもらった。当時はファクスと電話しかなかった。ヨーロッパの田舎町で知った顔に会えた時はホッとした。結局、日本チームは最下位に沈み、私は三回に渡った企画記事を書いた。20代、私なりに記事を書いて真実を伝えるということに立ち向かっていた。正論を言っても、世の中は変わらないという、当たり前のことが身にしみた経験でもあった。人がやってることを書いたところで、なんも変わらない。強烈に感じたからこそ、その直後に本気で自分がプレーヤーになることを選んだようにも思う。あの時の思い切った行動に至るエネルギーがどこから発生したのか、今振り返ってもわからない。ただ、私の熱意に周りも動かされ、後押ししてくれる人が現れた。なんであの時大胆な行動ができたのかとても不思議なのだが、見えない力が働いていたなと感じる。コルチナの山々は険しく美しかったことを覚えている。飽きないヨーロッパアルプスの風景と、パスタの微かな記憶を思い出しながら、あの日から20年、コルチナという名前を聞いている自分が、まだオリンピックと縁を持っていることに因縁めいたものを感じた。そもそも音楽とファッションに溢れたイタリア大好きなOLで、20代はオペラと買物に渡伊も何度かしていた。イタリア人に生まれたかったと無理なことを本気で思ったこともあった。トリノで何かしたいと思っていたら選手になった…イタリアから遠ざかっていたら、イタリアチームの仕事を今している。そしたらオリンピックがまた、イタリアに決まった。歳のせいかワクワクもしなくなったけど、客観的に自分の人生を眺めてみて面白いもんだなと思う。なにが起こるかなんて死ぬまでわからない。自分の意思とは別のところで動く何かも大いにある。時には意思を貫こうと闘う時も、今でも時々あるけれど、流れを感じていられるくらいの感覚は、常に感じ続ける意識を持った方が良いかもなと思う。コルチナ…近いうちに行ってみようかな。純粋になにかを求めて突き動かれたものに素直に従えていた頃のパワーは今は減ったけど、会社は休みも取りやすいし、自分探しに出掛けてみたくなってきた。ともあれ、東京大会後の日本🇯🇵どうなってることか…そして自分もちゃんと仕事が見つかるのか??切実…競技団体も、スポーツも、世の中も、長野大会の二の舞にならないことを祈る🤞

  • 19Jun
    • 突然の戸隠

      先週末、突然もよおして平日に休暇を取って戸隠に。東京から長野に直行、レンタカー借りて午前中から山へ。都会で暮らし始めた丸2年、月に一度は地元の空気を感じたくなるらしい。大好きなスポット鏡池に駐車してイン。まる20年長野に住んで、時々走りに来ていたけれども、ただ、車を運転しているだけで、こんなに幸せだったとは、当時は気付けなかった。たくさん悩みを抱えていた頃を思い出しながら、そんなに考えなくても良かったのになとか振り返りながら。何にも考えないで、ひたすら2時間近く歩きまわった。奥社ではどうやら山開きの日だった模様で。ゆっくりもせず、当時のペースで、ひとまわりしたら山から下り、突然でも会ってくれるお友達に顔見せ。前の会社で用事を足したり、行きつけの温泉でアカスリしたり長野を満喫。しあわせな一日でした。今度は須坂方面に行きたい。青春?時代を過ごした長野近郊は、自然がステキ。突然の長野来訪は、翌週から3ヶ月間、ハードに勉強を始めるにあたり、覚悟を決めるための切り替えが目的だった。9月までがんばって集中…ができますようにと、自信がないから神頼みしまくりました。

  • 05May
    • 元号またぎ山口へ〜香月泰男美術館

      10連休、平成末日の4/30から2泊3日、両親と伯母と4人で山口県へ旅に出た。父親の念願だった、香月泰男(かづきやすお)という画家の生地山口県の日本海側にほど近い三隅というところある美術館が目的。あまりにもアクセスが難しい場所なので、足腰が完全でない老人たちとどう行こうか考えた結果、名古屋経由で新幹線、レンタカーということでツアコンした。父親が絵好きなため、これまで色んな美術館やらに子供の頃から付き合わされてきた。美術鑑賞も作家の全人格や人生が作品に表れているから、観ることはかなりエネルギーが要る。体調がそれなりでないと、ということをいつも感じる。そんなこともあり、警戒しながら入るのだが、今回の香月泰男の作品群については、これほどまでにしあわせな気持ちにさせられたことはなかった。香月泰男という人は明治の末に、山口県三隅町の医者の家庭に生まれたという。幼い頃に両親が離婚。祖父母に育てられた。絵を描くのが幼少期から好きだった。東京芸大を出て教師となり結婚。しかし、赤紙が来て戦地シベリアへ赴く。抑留されるなか、絵描きだと知られて戦地で肖像画等も依頼を受けたそうだ。抑留中を振り返って描いた作品はシベリアシリーズ名付けられている。山口県立美術館(初日に来訪。展示点数は少なかった)に、数多く収められているらしい。とにかく家族のことと絵が描きたいという一途な思いで毎日絵手紙のハガキを描き続け、生き延びた。戦地から帰ると、故郷に戻り、家族を第一に、自宅のアトリエで絵を朝から晩まで描くという念願を遂げた。海外へのスケッチ旅行には必ず夫人を同伴して出掛けたという。晩年、自分の絵を飾りたいと自宅近くに美術館を建てる計画を始めたが、完成を見ずに1973年、62歳の時、持病の心筋梗塞で亡くなった。美術館は建築家となった息子たちの設計によるものだという。大切な作品の多くが、美術館に収められている模様だ。自身の生い立ちや体験を紐解くと、生き別れた両親のことや、長かった戦争体験など、糸がこじれたら屈折してもおかしくないと思われる場面はあるのだが、作品はどれを取っても本当に深く穏やかで、真っ直ぐな精神が伝わってくるのである。ご本人の資質というか、素質というか、苦難の昇華の仕方が健康的なのだろう。香月の欲といえば、家族と過ごすこと、絵を描き続けるというその2点のみで、有名になりたいとか虚栄心みたいなそういうエネルギーが不思議なくらいない作品は鑑賞していて疲れるということがまるでない。ふんわりした幸せな不思議な空間を、父親は天国みたいだ、と表現していた。音楽でも美術でもそうだろうが、芸術作品は本当に本人の世界観や生身の人間そのものがストレートに伝わってくると、今回ほどに実感したことはない。心の中って大切だなと改めて思いを深めた旅となった。1瞬に1生をかけることもある。1生が1瞬に思える時があるだろう香月泰男のことばより。アルバム日本海側。だけども、なんだか明るい雰囲気の山口県2日目は寒かった遊覧船で世界遺産、萩の町香月泰男美術館

  • 04May
    • 松本で安田くんに会えたこと。

      昨日、シリアで拉致され帰還した安田純平さんの講演会に、信濃毎日新聞時代の元同期と一緒に行った。会場は人が溢れかえり、予定数の倍近い700人を越える入場者数だった模様。少し遅れて行ったため、会場の外で立って聴いた。安田君は信毎の文化部時代の同僚。隣の席でしばらく働いていた。私がオリンピックに初めて出た翌年頃に、彼は辞めたと思う。私は会社にしたいことが認められ少し成果もあげた。一方、彼は認められなかった。なんか申し訳ない気持ちがどこかにあった。講演では、現地に出向いた経緯だけでも、一時間にのぼっていた。現地の状況を刻々と、時間は足りない。戦場の悲惨さを伝えなくてはという生かされたからこそのミッションを果たさなくてはという必死の思いが、淡々と語っていても感じて取れた。ネットではさまざまな批判がされている。彼の行動は、突き動かされる魂に従ったものだと個人的にはずっと思っていた。自分の直感を確かめたい思いもあって、この日足を運んだ。無責任な軽い気持ちで戦場に向かったという要素は微塵も感じられなかった。むしろ、本当に大変な中で生きなくてはならない遠い国の人達であっても、日本の政治ともどこか繋がっていることを真正面から考えていた。彼の場合はあの戦場に自分自身の重荷を感じたという事なのでは…無責任の逆で、気付いた自分が何かしなくてはならないといった責任感から起こした行動だったと私は思っていた。本人の表現の仕方、その時の世の中の空気なども手伝って誤解を招くことがあったこと、また先端を行き過ぎて、理解されなかったりしたのではないか。それは、本人を間近で目の当たりにして、核心に近づいた。途中休憩の折に、たまたま安田君と話が少しできた。うまく言葉にはできないけど、極限を経て、以前と大きく雰囲気が変わったなという何かが、柔らかな表情や声からひしひしと伝わって来た。先が全く見えず、死に向かい合った監禁中に考えたことも講演で語っていたが、それは当たり前のことの尊さだった模様。普通にやっていた日常の小さな動作も、もっと味わっていたら良かったなとかいうことだったという。普通の暮らしでは些細と思われることなどがつらつら走馬灯のように浮かんだそうだ。お世話になった人にお礼も言えなかったとか、後悔しか出てこず、やれる時にしっかりやれば良かったとか。考えてもどうしようもできず死に向かうような絶望感は苦しみだったという…安田君のした経験の意味を、世間が理解するのは少し時間がかかるのかもしれない。これからもいろんな批判をされるのかもしれない。組織に守られずに先端を走り、伝えるべき真実を語るというのは、並大抵ではないだろう。自分自身も何をどうしていくのか、簡単には答えは出てないかもしれない。監禁された三年半の体験を、ひとりの人間として消化するのは大変だとは思う。ゆっくり自分の心身を大切にすることを第一としてほしい。それが真のジャーナリストで在り続けることに繋がるだろう。世論は時間と共に、並行してついてくる日がいつの日かくると思う。以上、全部が全部合ってるかわからないが、私が令和元年初めての憲法の日に安田君と再会して感じたことである。https://ameblo.jp/olympic-skeleton/entry-12416192396.html海のその向こうでは、どんな世界があるのかな…

  • 23Apr
    • 卒業30年目 平成最後に

      土曜日のこと。高校を卒業して30年目の同窓会があった。卒業した1989年は、1/8に昭和が終わり平成になった年。その最後の年に同窓会ってのは自分を振り返る意味でも感慨深かった。卒業して一年間は松本で浪人生活を送り、東京に四年、長野に二十年、松本三年、そして東京に。自分探しの旅をし、気付くと今、原点に戻って来ているような…人生が決まらない感じで、卒業後の自分とあまり変わってないような気すらする。私が卒業した松本県ケ丘高校は、おそらく同窓会活動を盛んにやっていると思われ、卒業30年目の代が創立記念日に在校生に対して何らかの出し物を行う「愛のリレー」というならわしがあるのと、30年の祝賀同窓会、更に結婚式場みたいなところを貸し切り行う全体での東京同窓会の幹事を、東京在住の卒業30年目が取り仕切らされる。私は競技末期に、同窓会に世話になる機会があり、また、私の学年の生徒会長が鉄工所の社長で、そりを直してもらいだいぶお世話になった際に愛のリレーでの講演を依頼された。色々めんどくさい慣習だなと思っていたが、終わってみると、あまりにもおもしろかった!このところ休みも寝たかったり、何もしたくなかったり、そんな地味な気分の方が先立っていたけれども、心から子どもの時のワクワクにかえれたというか!ただ楽しいっていうことがどれだけ貴重かとあらためて。古くて新しい友達が増えたような。愛校心のカケラもなかった自分。あまりに作業量も多いし、同窓会って何のため?とか思ったりもしたけど、腹据えてやった分戻ってきたものは、予想以上に大きかった。4/19の満月も重なり、興奮で寝不足続いております…4/20の松本。桜が🌸満開🌸でした

  • 04Apr
    • ウォーターサーバー衝動買い

      3週間ほど前、行きつけのヨーカドーで買い物がてら水を汲んだ。水の機械の横でキャンペーンをしていた天然水のウォーターサーバーの販売員に声を掛けられ、まんまと引っかかってウォーターサーバーを契約。あーまたやってしまった…この買い物どうなんだろ…と、キャンセルが効く期間を通じて色々と調べてみたが、サーバー購入、欲しい時に水を注文コースでいいかなと決め、この間の日曜日に遂にサーバーが届いた。買うに至った決め手は、①お湯を飲みたいことが多いけど、沸かすのがつい面倒で水になることが多かった②水をよく飲むようになり、健康になると販売員に言われた③飲み水をヨーカドーで時々汲むほか、2リットルのペットボトルを購入するためゴミ捨てが面倒なのと、時には1週間飲み続ける事もあるので非衛生の可能性④災害時の備蓄水となる。東京はなんか備えたくなる⑤水道が民営化するらしい中、特に東京の水道水は飲みたくないこんなところか…ただ安くはないよね…この衝動買い、高いオモチャで要らなくなるかな…とよぎり続けていましたが…日曜日、配達後にすぐに設置、半日暮らしてみて、心置きなくお湯が飲め、しかも美味しかった!「これはよい買い物!」と気持ちは切り替わった!私が購入したのはフレシャスとかいうブランドの最新モデルdewoとかいうやつ。割にスタイリッシュなのと、水が7リットルのパックでゴミが出ないというのも特徴。一袋7リットルの水を4日で消費してしまったのでビックリ。今週は料理で使ってないことを考えると、これまでの5倍くらい水飲んでた!健康はよくわからないけど、肌に潤いが増えた気はする。備蓄する水を置く場所を取ることを考えると、とにかく便利だし、いずれにしても、よい買い物だった!と嬉しくなった。1か月くらいで健康面の変化はあるかしら。

  • 02Mar
    • カルガリートラックの閉鎖

      冬季競技も最終章、そり種目も今週末カナダウィスラーで世界選手権らしい。数日前、フェイスブックの選手仲間の投稿を見ていると、カナダカルガリーだのラストラン、信じられない…と書かれているのを見つけた。選手本人が引退を決めたのかなと思いきや、どうもそうではないらしい。まさかのまさか、カルガリーのトラックが、3/3をもって結氷終了とのことだった。カルガリークローズの記事Wikipediaより抜粋ネットで調べていくとどうも本当らしく、26年のオリンピック招致が州民投票でNGとなったことで、維持するお金の出所がなくなった模様だ。カルガリーは1988年のオリンピックに合わせてコースが完成、それから30年、冷却システムの老朽化が進み、全て取替えないと維持不能の状況となった。コースがあるカナダオリンピックパーク周辺は、日本のJSCにあたると思われるWinsport が、冬季競技の強化を目論み、ここ10年ほどで施設そのものが増設されていた。オリンピック招致をイメージし計画的に行われているように見えた。謎なのは、あまりこのニュースが大々的に業界内で報じられていなかったことである。カルガリーのトラックはそり競技者にとっては世界一開かれたコースだった。そり競技はヨーロッパ発祥だ。特に昔はドイツとか自国の選手優先で、練習させてもらいにくかった。ヨーロッパ以外の選手にとって、また、そり競技を始める人たちにとってカルガリーはかなり開かれたコース。誰でも平等に受け入れてくれた。母なる場所で、ある意味聖地といっても過言でなかった。空港から40分程度というアクセスも魅力、物価も高くなかったのも魅力で、カルガリーの在り方はそり競技に大きく貢献した。そう、ジャマイカボブスレーを題材にした映画、クールランニングの舞台もカルガリーだった。それだけに、関係者の衝撃は、昨年の長野のスパイラルのクローズ以上に大きいのである。私も夏に冬にトレーニングに良く足を運んだ。選手としてもあの地には鍛えてもらったし友達もたくさん出来た。最後の海外での滑走もカルガリーだったなぁ…とにかく寂しい😞残念…長野のクローズ、カルガリーのクローズ。試合に出る選手の数も世界的に減っている。そり競技の先行きヤバくないか?そんな空気を感じてしまうのは気のせいではないように感じてならない。