中山英子 スケルトンが止まらない・・・!
  • 02Oct
    • 今後を想う

      聖火リレーから全く書いていなかった。2016年末にスケルトン選手を引退した直後に早稲田スポーツの後輩からオリパラ業務のお仕事のお話をいただき、2017年6月から東京に繰り出して4年半、途中コロナになり辞めようかと真剣に悩んだものの、流れで最後まで走り切った。わたしはレガシープロジェクトに繋がることをしていたので、オリパラ本番以降からが更に本番な気持ちで、終わったけれども終わっていない。実に11月にもう一つ大きなものを残している。1998年、記者として長野大会で感じたオリパラへの違和感。オリパラにこだわっていたつもりはなかったけれども、選手となり、更に運営サイドに携わった。仕事の契約もここで切れ、この先のことが気になってるけれどもまだ見えない。ジタバタしてもどうしようも無い。競技者でやり抜いた時と同様のやり切った感だけが私を支えてくれている。やり抜けば次は必ずや見えてくるものだ。でも、まだ仕事が残っている。少しだけ休息したから、11月に向けてまず頑張って行こうと思う。

  • 17Apr
    • 聖火リレーの画像

      聖火リレー

      4/1に長野県の聖火リレーを走った。2年前に応募して、コカコーラのスポンサー枠で野沢温泉村に割り当てられ、1年の延期を経て無事に行われたと思うと、感慨深さもあった。ただ、コロナ禍のこの状況で、増して自分の今の立場で言葉を発することについてはどうしても重さがある。オリンピックとの付き合いについては、98年以前からの長い月日に思うところがありすぎて、消化しきれずにいたが、野沢温泉で快晴の中、ウエアを着てトーチを手にして走った感想は、思いのほか楽しかった。ということ。ソルトレークの開会式、入場の際のスポットライトの眩しさや、2本滑り終えたゴールでの温かい歓声に、滑りのひどさを忘れて、というか、拭って、手を振った時の感覚、その時のキラキラした空気?光と、あの野沢温泉でトーチを片手に走り?歩き?抜けた感覚は同じだった。私の聖火リレーライブストリーミング私は19年の選手生活の中、5回のオリンピックを挑戦することになったが、あり得ない処遇を受けながらも、会社を辞めてまでしてチャレンジを続けてしまったのは、今思うとあの光にもう一度触れたかったのかもな?と、ふと聖火リレーを走っていて感じざるを得なかった。動画で観てくれた人たちや来てくれた家族友人が、思いの外楽しんでくれたり、若見えしたとか言われたのは、おそらく選手として出たオリンピックで受けた感覚を私があの時に体現していたからなのではないかと思えてならない。たったの200m、2,3分のトーチランだったが、オールアウトした感じで、終わって数日神経が上がったまま落ちてきてくれず、試合の後みたいな感覚に驚いた。あぁ、選手だったんだなと今更ながらに思った。ちなみにチームコカコーラだった私はトーチを無償でいただきました。無償でない方々も多いようだったからとてもラッキーでした。

  • 02Jan
    • 2021年正月

      年が明けてしまった。学生の頃から箱根駅伝の取材やら、選手になってからは遠征やら出掛けることが多かったので、お正月に慣れていない。何となくいつも落ち着かない。初詣には特に興味がないけれども、最近、おみくじを引くのが趣味みたいになっている。近所でパワースポットと呼ばれる四柱神社は、行列だったのでお参りせずにおみくじ引いたら大吉だった。とりあえず、いいことを言われたら全部信じることにしている。12月に出雲ツアーに行った際も多くの神社でおみくじをひいた。性懲りないなと思うのだが、いくらいいことを言われても、すぐに不安になったり心配になるらしい。信仰心が足りないのか…若いころから目的を遂げるためとか、いろんな理由で確固たる何かを得たくて、神を探求してきた。キリスト教に傾倒したときもある。10年近く凝りまくり、宗教の中には神はいないな~と悟って6,7年くらいになるか。無心でいるときに来る直感というのは、人生の中で何度かあり、大きいものから小さなものまで、それを啓示と呼ぶならば、自分の中の感覚を子供のころから大事にしてきた。誰が何と言おうとも、そこに従ってきたら、普通から外れた人生になってしまっている。それなりに孤独と不安を感じる日も少なくない。だからと言って、深いところからくる声を無視することはできない。人の言うことなんか聞けない、自分が思ったようにしか生きられないくせに、絶えずぶれたり揺れたりめんどくさい。常識的な思考に合わせて辻褄合わせて行動すると大概失敗する。コロナで迎えたこの夏も、諸々失敗した。ぼんやり「こうなればいいなあ」とふわっと思っているとうまくいったりする。選手してる時のイメージトレーニングも、しようと思ってやっても全くうまくいかず四苦八苦した。張り切ってやろうとすればするほどにうまくいかないというループにはまる。まあ、必要な時までにはやってるよね、私はやれる子だよね、くらいに思っているのがちょうどいい。少し遠くになりたい自分を「セット」して、具体的に必要な項目をピックアップしておくと、必要な時に自動的に実行してる。不要なものはなくなって、大事なものは必ず自分のところに残る。そう信じてれば何も怖くないはず。2021年したいことメモ→過去やってたことやるだけ1)ピアノの練習(芸術で精神の均衡を保つ)2)本を読む(老化対策に頭を使う)3)文章を書く(あふれる思考の整理と書く技術を鈍らせない)4)歩き続ける、できたらLSD(体力の向上)5)英会話(夏の仕事のため)オリンピックやれるといいな。

  • 25Nov
    • もうあと1ヶ月での画像

      もうあと1ヶ月で

      クリスマス🎅🎄というか、すぐに12月じゃん会社からおうちへの帰途、銀座のイルミネーションであぁ冬かぁ…と。ここ数日の中では少しだけ肌寒く…2日ばかり寝不足だからか眠くてたまんなかったけど頑張って歩いてみた一万歩今年一年、何してたのかなぁもがきまくりつつ、身体はゆっくりしてたかなと強いストレスはあったけど、そのおかげで病まなかったただ選手の時にコツコツ貯めた筋肉が激減し、私にしては女子っぽいモードになってきてる感じ…いーのが悪いのか…微妙来年の今頃、どうしてるかな何を考えて、誰とごはん食べてるのかなちなみに今日はお昼も夕飯も会社のお気に入りな同僚が付き合ってくれましたな、昼の部のOさん、夜の部のYさんありがとう😊昼は蕎麦と海老天、夜は星乃珈琲店でナポリタンとオムライス結局は人だよねと、年取るほどに思う好きな人に囲まれてるのは良いできるだけ心穏やかに過ごしたいもの

  • 23Nov
    • 深川アートパラの画像

      深川アートパラ

      50になって、文章書くこと再開しよーと思ったのに中々続かないスケルトンのことも、やってたことすら忘れるくらいになり、このブログも名前変えるとかしようと思うけど、次の名案が思いつかず…近所、深川界隈でアートパラをやってて、先輩の娘さんが賞を取ったというので、最終日になってしまったけどお散歩がてら観に行ってきた障害をもつ方々の作品をパラアートと呼ぶんだと思うけど、そういうカテゴリは必要なのかどうなのか?という議論にもなるのかな、とも思う。かわい〜スポンサーもつけて…藤木君みたいな、字も絵も文章も良かった神山さんの娘さんの作品偉大な世界のアーティストたちも多く、いわゆる普通でない方々も多いだろうし…とは言えなんらかのハンデを持ち、社会に出にくい方々も沢山いらっしゃるであろうし、意味はあるように感じる。ひとつのきっかけでもあり、今の世の中の流れのひとつかもしれないし、いいことなのではとは感じた。アートは叫びでもある。心からの叫びがなければ生まれないという側面も持つであろう…ステキな作品沢山あったな二会場あるようだったから二つとも行ってみた。最初に行った娘さんの作品が並んでいたところは、オシャレな雰囲気だった。もう一つは深川不動尊の奥の方でなんとなく地下っぽい靴脱がないといけないところで、作品がたくさんありすぎた感じ。展示する場所ってのも大事だよね、当たり前だけども…

  • 27Sep
    • 40代最後の日の画像

      40代最後の日

      😱ショック過ぎるけど受け入れるしかないのだ今年は思いもよらないコロナ騒動で将来が急に怖くなって私もジタバタしてしまった49で転職して、次のステージにと思ってたのに、50って…と…一般論にあてはめて、フツーの思考が働いて焦りまくり…そもそもフツーな人生じゃないのに、急に慌てふためいた自分。50で職なしはどーなのか???ってとりあえず、来年延期のオリパラは、やるって感じで動き出したから、後一年、頑張るというか、やり切ろうと、腹が決まった。これまでもそうだった。精一杯を生きてれば、なんとかなってきてるからベストを尽くせば何とかなるさー数字は忘れることにしよーたまたま会社の保養施設が当たってたので、母親と蓼科で過ごす40代最後の日。人生これからってことで…占いによるとモテ期が来ると何人かに言われたし、期待して年取ろう!まずは体力強化から…

  • 07Sep
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      ””初めての看取り””

      振り返りの振り返り。4年前に飼い猫が亡くなり看取った翌春に私は東京に出てきた。実家の親には常々、ネコ飼ってよとお願いしてたけど、母親が、爪研ぎで家がダメになるのを嫌がってた。まぁ、両親も70後半になるから、もう難しいかなとは思っていたが…先週急に電話がありネコを飼うことにしたと連絡が来た。今年の夏の暑さは異常なうえ、ウチの仕事がイヤに忙しそうだった。私はコロナの影響で外出が減り、体力が落ちていることを痛感してたこともあり年老いた両親が早朝から夜まで暑い中働いてることを、バテて死ぬんじゃないのかと本気で心配してたのだが、そんな折にネコを飼うなんて…どうも工場の人から話があってとペルシャの子猫だと私は血統書とか種類には興味はないが、昼間の留守宅に子猫一匹で可哀想過ぎると思って大丈夫なのか?と言うと、飼いたいって言ってたじゃんと…いやいや、それはそれでしょうが…写真が送られてきた。ぬいぐるみのような可愛い子猫だった。数日再考したらしく、やっぱりやめたと連絡が来た。ホッとしたけど、かなり残念にも思った。毎日スマホで、動物の写真や動画を見て、いいなぁと思うんだけども、自分で飼う勇気はない。でも、一生のうちでもう一度だけでも動物と暮らしてみたいなぁというささやかな夢を抱いてしまうのである🐈みんなの回答を見る

  • 14Jul
    • 一年前のいま…の画像

      一年前のいま…

      コロナがなかったら今頃、東京はどうなっていたのだろう・・・というか、オリンピックで各国が入ってきていたんだよね去年の今頃、イタリアの競泳チームが韓国での世界選手権のプレキャンプと2020年の本番準備のために所沢に入ってきていたな、ということを思い出し、仕事仲間と振り返った。食事は大丈夫かオペレーションの漏れはないか、ボランティアをどう運営していくのか・・・などなど本番に向けてのトライアルを悪戦苦闘しながら、泊まり込んで現場作業に没頭していた。競泳が来ているうちは梅雨の期間中で、結構涼しかった。プールの水温と気温が課題だったが、涼しかったから本番と同じ状況ではなく、練習会場の早稲田大学のプールのトライアルとしては少し物足りなかったが、問題なく世界選手権に送り出せ、それなりの結果をイタリア人が残したということで、ほっとしたことを思い出した。競泳が来た直後、イタリア競歩チームが来日し、お盆前まで所沢で合宿を張った際にも対応していた。このころは猛暑。本番に向け、日本の夏を体験して備えるというトライアルにはもってこいの時間となった。競歩は2年連続での来日だった。しかしこの後、マラソン・競歩が、札幌市に会場を変更される…そして、まさか、オリンピック・パラリンピックが延期になるなんて思いもよらなかったわけで。本当に何が起こるかなんてわからない・・・来年の今頃、私はどこで何をし、誰といて、何を考えているのだろう・・・食べていかれているだろうか…不確定要素があることにへの不安というよりも、目標をどう持ったらいいのかというのがなかなか難しい。2020年を目指していたアスリートも尚更だろう。競技を辞めたほうがいいんじゃないか、とか、普通に思うだろうし、辞めたところでどう生きていったらいいのかとか、悩みだらけなんだろうなあ…今、まだ、お給料をもらえているだけありがたいけど、就職できるのだろうか…動きを止めずに行くしかないのかな、何とかなる、今までだってそうだったし、自分を信じるしかないと言い聞かせる今日この頃である。

  • 27May
    • コロナつれづれ ①スペース

      いろんな事情から、文章書けなくなっちゃってて、どんづまっていたが、ようやく頭が少し整理できてきたので、また少しずつ綴ってみようかと…コロナで在宅勤務になったのはいち早くて2月25日。それから3ヶ月が経過した。それまでに会社に出社したのは、ペーパーワークした2日のみ。オリパラの仕事をしているから、いろいろと思うところはあるわけで、そして、じかに影響もあるわけで、日々アップデートされていく社会情勢と、将来の自分を思いながら、休む間もなく頭を動かし続けてた。疲れたら、休んでを繰り返していた気がする…4月末に会社の許可を取り、勤務地を実家方面に移して疎開、都内の様子と田舎の様子のあまりの差に驚いた…東京では25平米のマンションに住んでいる。空間も立地もとても気に入っている。最初のうちは、一日一万歩以上の散歩や片付けや料理を楽しんだ。ぬか漬けとか浅漬けとかしたり、花を定期的に飾ってみたり普段できなかったことも楽しかった。家仕事のだいご味を初めて知った気分で満足していた。4月に入って、緊急事態宣言が出てからというものの、近所のでっかい都立の公園に人が密集するようになったマスクをしていないランニング族が呼気盛んに近づいてくる。そもそも人混みが苦手という習性に加えて、スペースがないことのストレスがじわじわと迫ってきた。実家方面で地震が頻発していたこと、今度いつ帰れるのか一年くらいここに閉じ込められて無理なんじゃないか…という中、単独隔離を突然思い立ち、自己完結できるならそれでいいかなと、思い立って3日で決行し、コロナ疎開。人と人との間が広く、スペースがいっぱい。澄んだ空気と山々に心は癒された。人に会えないということではなく、どうも空間の問題だったらしい…思えば子供のころから人混みが苦手だった。遊園地とか映画館とか無理だった。お祭りも嫌い大学時代も貧血起こしたこと、時々あったもんな…都会、無理な体なのかもな、私。

  • 01Apr
    • 聖火リレーの画像

      聖火リレー

      コロナの社内感染により、在宅ワークが始まったのが2/25かれこれ一か月を優に超えた。この間、世界的に🦠蔓延し、聖火リレーの中止やオリパラの延期、目まぐるしく情勢が変わり、揺さぶられながら日々を過ごした。体力が落ちないように、毎日10000歩を確保するように心掛けてはいるものの、引きこもらざるを得ない日も週に数日出てきている。人と関わらずにいること、動かずにいることが、極めて不得意な方だし、普通にできてたことがどれだけありがたいかと言うことを痛感する。本来ならば明日から長野県の聖火リレーが行われ、私は野沢温泉を走ることになっていた。一年後に延期が決まっているけれど、ホントにオリパラできるのか…できればそれに越したことないし、やってほしいけど、怪しいなと思う。一番気掛かりなのは、この先どうやって生きていこうかということ…不安定な身分ゆえ、こうなってから毎日考えているけれど、何を軸に考えたらいいのか、難しい…普通に生活が営まれていてのスポーツで、芸術で…とまぁ、本当に、こんなことになっているけど、まだ働けていることや、食事ができたり、お家に住めたりできて、とりあえず健康でいられてることに感謝して、収束を祈るしかないのかな。オリパラのために開いた道路

  • 13Feb
    • 10年前の今日の画像

      10年前の今日

      10年前、2010年2月13日、バンクーバー五輪が開幕したらしい。このオリンピックでの体験ほどに衝撃的だったことは人生振り返ってもなく、思えばここから回復するまでに8年を費やしてしまった…第3の人生を始めてもうすぐ3年、競技をしてたころの刺激的な出来事に、もはやあまり心も動かなくなるほど時間が経過した感はあるけれど、あらためて思い返すと、かなり痛かった…今更言うのもなんだけど、決められて発表されてた選考方法を、12月に突然覆されて、当該していた私が選ばれず、別の選手が出場。そして、その選手が、本番時につまらないルール違反で失格したという出来事があった。近い、と思っていた人に、自分の気持ちを理解してもらえないかもしれないことにおののいたり、仲の良かった選手に対して心を開けなくなったり、見たくなかった人の本質にぶち当たったり、色々な事があったけど、根本的には人を嫌いにならなかったな。逆に心は更に真っ直ぐに向かった。競技で不利にならないように本音を言わなくなっていた自分が、子供の頃からの性分でもあった意見をきちんと述べる自分自身へと少しずつ戻っていった。日本の社会では、ものをはっきりいうことは正直嫌われるかもしれない。でも、わかってもらえる人に分かってもらえればいいし、自分が自分でなくなる方が嫌。10年前の今頃は、本来の自分自身に戻るターニングポイントだったのかもしれない。当時と比較して最近色々と考えることが減ってきた。頭を使うより、感じたことに自信が前より持てるようになったのかなと思う。これからはより、そうなっていくのかもな。想いと、キラキラ感を大切に、自分が大事なものを本当に大事に扱って生きていこうと思うのである。

  • 17Jan
    • 10000歩の画像

      10000歩

      年末からなんとなく歩けるようになり、10000歩をノルマに日々歩いてる。日によっては20000歩行った日もある。3週間近くになるが、体調が思わしくなくても歩けるので、少し筋力がついてきたのかなと感じる。三年前に競技から離脱し、疲れ果ててたのか運動する気がどうしても起きなかった。一昨年、仕事のストレス発散でランニングを始めたが、公園で階段を見るとダッシュしたくなり、選手の時のようにやってたら強度の筋肉痛になり、そこから風邪をひいたりした。そして中断。ホットヨガとかも行ったけど、運動量が足りず全然スッキリしない。ジム通いが性に合わないこともあり中々やりたい動きにたどり着けない日々だった。とあることをキッカケに歩くことを続けていたら、なんとなく身体の力が抜けてきたのを感じ、マッサージへ行きたいと思わない感覚になってきた。スケルトンを突然始め、トレーニングをした頃、脳が活性化して仕事が捗って一石二鳥だと思った時のその感じが甦ってきた。毎日無理やりにでも10000にこだわった挙句、会社からの帰途、ひとえき歩いたのが引き金になり、実家に戻る高速バスに目の前で乗り遅れた🚌発券してたから4000円捨てた…節約のために無理やり頑張って今日バスで移動したのに〜こんなことなら明日ゆっくり電車にすればよかったなと。久しぶりに駅の階段をダッシュしたら、息が切れて酸欠になり頭痛がするし、汗だく💦💦で着替える羽目に。まぁ、間に合って乗ってたら、着替える時間もなくて風邪ひいてたかも。明日間違いなく筋肉痛だなぁ…いつまで続けられるか分からないが、50歳になるのを前に、体に目を向けられるようになったのは、良かったのかもしれない。ま、いつまで続くか分からないけど〜年始に行った岩室温泉♨️の小径

  • 31Dec
    • 聖火リレーの画像

      聖火リレー

      12月中旬に聖火リレーランナー当選したと、コカコーラから連絡が来た❗️4/2長野県にて。自分の地域にはオリンピアン少ないし可能性あらかもなとノリで応募。まだどこを走るのかとかわからないが、どうやらその日は東北信らしいし平日だから知り合いも来てもらえそうにないかなー長野市付近だといいな。200mしか走らないみたいだし、トレーニングするもないけれど、そろそろ運動したくなってきているので、新年は少し考え直そうかなと。このところ、神社とか⛩行く機会があったりして、おみくじを面白がってひきまくっているが、大吉とか出ると嬉しい。聖火リレーの当たりもそんな感覚だ。とは言え大きなイベントだし、自分なりに色々考えて整えて臨もうと思う。あ、会社とかコネとか、全くないです。★コカコーラからの発表画像シンマイ12/13 スポーツ面

  • 28Oct
    • ”宇都さんとの再会”

      トレーナーとして苦しい時代に関わってもらっていたカナダ•ウィスラー在住の宇都さんと、日本橋にて本日2年ぶりに再会。2009-10の頃のことを再び振り返った。あーもう10年になるんだ!30代最終盤だったけど、私は元気いっぱいで、疲れるという感覚は今ほどになかった。そして、競技的にも絶好調な時間が多くて、なのに、結果を残す自信がどうしても持てないというメンタルと身体の状態のほんの少しのズレを修正できなくて、結果を残すどころか泥沼にハマって行くことになった時期である。集中力は有ったけど、逆に視野の狭さと相反してもいた。あるところにはまり込むと俯瞰することが難しくなり、そこに入り込んで苦しんだ。当時宇都さんとワールドカップを転戦していて、「10位は簡単に入れる状況です。経験も体調も備わっているし、自信を持って。」といつも励ましてくれていた。深い部分では理解してた。体はできることを知っていた。なのに自分に吹いていた逆風を敏感に感じ取っていたその恐れを拭えずに、悪い方へと自分を追いやってしまった。「あの頃、たしかに力は持ってたし、力がある事も感じていた。今の自分のメンタルなら、あの頃私に起こった大変な状況は受け止められたし回避して、成績出してバンクーバーも難なく行けたと思う…」40歳を迎えた2010年以降は、年齢的なものからか、ストレスからかグンと体力が落ちたのを感じた。「あのストレスは選手にとっては、有り得ないものだったと思います。狂ってしまうのは仕方のないことでしたよね」だいぶ時間は経過したし、ある程度越えたし、記憶も薄れてはいるけれども、その時の傷みみたいなものをあらためて思い出した。ただ、孤独なつもりが一緒に戦ってもらってた人がいて、今一緒に振り返ることができていることは、とても豊かなことだなあと、充実した気持ちになれたひとときに、とても心が満たされた。この時の体験、さらにはその後7年ほどかけて克服したことは、残念ながら競技結果には反映させられなかったけれども、今からの人生にもおそらく役に立ってくるとは思う。ドツボにハマっていく習性は、いまだにあるし、回避の方法も知ったから。苦しみ抜いて体得したことを残りの人生で活かしたいと強く思う。東京大会も近づいて、選手も選考過程終盤に差し掛かり、見えないところでいろんなことが起こっているんだと思う。大舞台で輝ける人はほんのわずかだけども、一人一人にドラマがある。良くも悪くも、今の体験をしっかりと受け止めて、メンタルを太く鍛錬されますこと、心より祈ります✨

  • 21Oct
    • ”そりと時差”

      3年経つのね、そりやめて。身体が最近小さくなってきて、てか、太かったところが痩せてきて、寂しい気持ちに。太りたくはないけれど、小さくなると妙に寂しくなるものだ。しかし、今思うと、よく競技やってたな、どこからエネルギー出てきたのかなと、我ながら感心する。絶対無理。ラグビー選手の運動量ってすごいな。みんなの回答を見る

  • 02Oct
  • 27Sep
    • 休暇にてカナダの画像

      休暇にてカナダ

      長めの休みを推奨されているので、心置きなく夏休みが取れる、というより取らないとマズイ雰囲気すら会社に出てきていて、このタイミングでカナダ🇨🇦に遠征中。カナダはちょうど3年ぶり。選手最後のシーズン前の調整に行ったのが最後。旅での初カナダ。カルガリー、バンフほかロッキー方面、バンクーバー、ビクトリアを巡りいよいよ最終局面を迎えるが、絶賛時差治らず、もはや、なおしたくない。いくつか目的はあったが、知り合いや友達、知り合いの知り合いに会いまくるというか、結果そうなったが、中々の珍道中というか期待を上回る出来事が多くて、頭が追いつかないでいる。リラックスしに行ったはずが、刺激が多い旅となっている。私の人生、ここ20年総まとめみたいな感じか…朝が来たら、初ビクトリア、水上飛行機で行くがお天気悪そう。なんとか持って欲しい!傘ないし。そしてもう一泊したら誕生日だけど、日本ではこの日は事実上過ごせないという!😅丸9日だけども足りない。追々書き残したい。

  • 18Sep
    • 青春の逆鉾の画像

      青春の逆鉾

      元関脇の逆鉾の訃報を、昨日の朝子供の頃からの友人からの連絡で知った。逆鉾関は私の子供の頃のアイドル。小学校高学年から千代の富士をキッカケに相撲に夢中になり、中1の頃だったか、井筒三兄弟を知って以来、熱烈なファンとなり、思いが通じ、一度千秋楽の打ち上げパーティーに参加させてもらった事がある。握手して写真を一緒に撮ってもらった。サインもどこかにあると思われる。逆鉾より数段かっこよかった弟の寺尾や、お兄さんの鶴嶺山より、なんで逆鉾だったのか…謎だ。無理やりに分析すれば、優等生然としていない型破りな振る舞いに魅力を感じていたのかもしれない。取り口も勢いがあったし、天才肌の力士だった気がする。本場所は全て観戦し、観戦記を書いていた。雑誌を読み漁った。結婚してもいいと、中学生の私は思ったこともある。まぁ、その頃は相撲に夢中で、力士名鑑に載る全力士の出身を記憶してたくらいだったから変人だったと思う。大学に入る頃にはなぜか熱が冷めたが、92年か93年に逆鉾の引退相撲を観に行った。その時自分で撮影した写真。私もこの頃、相撲ファンを卒業した。昨日友達の何人かから、逆鉾死んだねと。連絡が来た。千代の富士が亡くなった時は来なかったけど。アイドル全盛期の当時、相撲ファンしかも逆鉾というのはインパクト強かったんだなと再確認した。一緒に相撲を観戦していた同居のおばあちゃんが、星取表を付けながら私の学校からの帰宅を待っていてくれたことや、初めて国技館に招待された時のキラキラワクワクした、幸せだった子供時代を思い起こし、気持ちがタイムスリップした。人生初めて夢中になった相撲から、好き、楽しいを追い続けてここまで来た面もある。そんな自分も50まであと一年だけど、心の中身は子供の頃とさほど変わってないなぁと、いいような悪いような…逆鉾関のご冥福をお祈りいたします。

  • 04Sep
    • ”初めての看取り”

      今日は飼い猫はちの3回目の命日だ。早いもので3年も経つんだ…読み返すと、あの日のこと、克明に思い出す。もう一度、はちに会いたい。猫のいる暮らししたい。3年前の今、最後のシーズンを真近に控えて、必死に競技に向かってた。今思うと、すごかったな私。今は無理。あの頃も気力だけで持ってた気すらする。何かに本気で向かうって、すごい力だと思う。これからこんなこと、できるのだろうか。なけなしの力を振り絞っていた私を、さりげなく支えてくれていたのが、小さな家族のはちだった気がする。みんなの回答を見る

    • ””「キアヌ・リーブスのメッセージ☆」””

      9月に入った。何かが切り替わった感覚がする。自分の季節!!!なんとなくご飯も食べられる感じになってきた。ただ、眠い。会社から帰ると、ベッド直行。電気つけたまま何もせずに寝てしまい、夜中に目を覚ますという、ヤバイ感じである。最近とらわれていること。はたと気付くと、あと一年で50って…という現実である。よく考えるとどうって事ないのかなとは思うのだけど、積み重ねてきたなという感慨深いものと、こんなに子供の頃から変わってなくていいのかというのと、いろんな気持ちが押し寄せる。年齢とかやってることとか、比較的とらわれずに生きてきた方だとは思うけど、このところ、なんとなくとらわれている自分がいて、それはそれで受け止めて、いい意味でそれも含め活用すれば良いかなとか考えている。なんか、良いこと書いてあったからリブログってやつをしてみた。