言われたことをきちんとできるだけの日本人から、自分にしかない個性も出せる日本人になる<4> | Olive Twigs

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言われたことをきちんとできるだけの日本人から、自分にしかない個性も出せる日本人になる、というテーマを考えると、これは集団の中でどううまく振る舞うか、その中でなるべく失敗しないためにも、単にその集団をリードする人のいうことをとにかくきちんとやり遂げられることに邁進するようになるのが多いのではないでしょうか。そして自分の一人の人間としての価値やあり方について、考えることには触れるチャンスも持てないくらい、というのも多いのだと思います。

例えば前回にも触れた、日本の学校のブラスバンドや楽団の中では、周りが望む音楽、特に指導する人がイメージして作りあげるために指示する音楽、その仲間の間で影響力の強い人が他に押し付ける意見や指示をそのまま飲み込んで、それを形にできることを目的にしてしまうことが往々にしてあり得る気もします。全体としてきれいに形は整えられていて、聴き映え、見栄えは良いので、それを良しとしてそれで押すにとどまる、という状態にもなり得るのでは、とも思えたりします。

でもそこから一歩踏み出して、そのメンバーだからこそできる、一人一人が豊かに貢献した唯一無二の音楽を作れるようになることは、どの楽団にとっても大きなチャレンジになるのだろうなとも想像します。

指導する人、楽団をリードする人だけではなくて、実際に音を出す本人たちがどういう音楽を作っていきたいと思うのか、周りをよく見つつも、その中でそれぞれが持てる様々な種類の特別な才能、知識や技能を、自信を持って差し出して、貢献していこうとすることがあったら、もっと内側から、豊かに、そのメンバー構成でしかできない唯一無二のものが出来上がるのだろうと思います。そこにはきっと個々の自信と同時に、互いへの尊敬もあることだろうと思えます。

これは一つの舞台、エンターテインメントを作る場を通して見た例でしたけれど、それ以外の場、一番身近な家庭や親戚の間、職場や同じプロジェクトのグループ、コミュニティー、学校や何かのお稽古事やサークル、ボランティア活動など、色々な集団的な活動の場に当てはまることだと思います。

集団という軸と個人という軸の間で揺れ、どのようにしっかりとした立ち位置を見出すかというチャレンジは、なかなか取り組まれることのない、ある意味一番後回しになりがちなものだと思います。でも、自分にしかない才能、技能、経験、力、知識、知恵、、、といった特別な宝物のことを、純粋なレンズで見直して、洗い直して考えてみたときに、謙虚な気持ちで大事にして、磨いて、それで周りに積極的に貢献して、自分を活かすことができるのではないかと思います。そしてそういう貢献が増えていったら、ものすごくそのグループやコミュニティーのあり方やエネルギーのレベルもぐっと変わるのではないかと思えます。

日本人一人一人には本当に世界でも稀に見るレベルの才能や技術や知恵が山のようにあふれています。大抵はそれらがとても見過ごされ過ぎていて、残念すぎます。もちろんそういうものが、日本の外にもたくさんインパクトを与えるものとして出ていっていいとも思います。でもそれよりまず日本の中で、そういう各々の持つギフトを、周りに対して高慢に振りかざすのではなく、人と比べるでもなく、それぞれが大事にして、純粋な良い自信を深め、目の前にある自分が関わる人たちのためにそれらをもって貢献していってもいいのではないか、と思わずにいられません。