自分の母国語以外の言語で会話できるようになる一番のコツは | Olive Twigs

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前回の、カナダ人でも必修の第二外国語を学ぶには、日本人と同じようにチャレンジを感じているということについての続きです。

 

「どうしたら自分の母国語以外の言語を話せるようになるの?」

 

それを知り合いに聞かれた当時は、私も外国語のうまい習得方法をシェアするほど、自分の英語力というものには自信なんて持てておらず(今だって全然完璧じゃありませんよ)、一応「うーーーん。。。そうねえ。。。」なんて言いながら、その時は自分のそれまでの英語を学んできた経験からそれなりに話しました。でも、自分でもそれを話しながら、「あんまり助けにならない感じがする、、、ごめんね。」という気持ちでした。

日本の義務教育から始まって、おきまりの英語教育を受けて、実際にある程度英語を扱えるようになるまでの道のりを振り返っても、どう考えてもその教育の方向性は、英語をツールとして使えるように、生活の中で使えるように教えるというよりは、アカデミックな見せ方をされてしまっているというか、学校の試験をパスするためにあるかのように思えますね。

そうなると、体育だとか音楽や技術家庭のように生きて生活の中に役立てていくもの、生活や世界を広げてくれるもの、というよりは、他の知識的な科目と同じように、苦手意識が芽生えてしまう人も多いと思います。(個人的にはそういう知識的な科目も世界を広げたり、生きる糧となるためのものだと思っていますが)どうしても、試験をパスする、通過することがゴールになってしまっています。

そうすると、頭で学ぶものになってしまって、体で習い覚える、経験や実技を通して体得していくようなものではなくなってしまうと思えるのです。

話は戻りますが、その知り合いとそんな話をしたその後の自分の歩みを振り返って今言えるのは、言葉というのは、実際にその環境に身を投じて、成功と失敗を繰り返しつつ、「感覚」でつかんでいくものだなということです。

頭であれこれと単語と文法をこねくりまわして文章をでっち上げて、それを外に出していく、というのではなく、その言語が話されている環境の中に身を置き、ある意味学校で辞書を引きながら日本語と対比して覚えた単語や、公式のように覚えた文法みたいなものもみんないったん水に流してしまうといいのではないか、くらいに思います。

その場所に身を置き、人が話すのをそのまま感覚を開いて受け止め、いちいち単語やら文法やらを思い出すことも自分に「禁じる」くらいにして(それくらいしないと、日本人は気になってしまうことが多いと思われます)その会話、そこで表現されていることをなんとなく感覚で大きく掴んでみる、それがいいと思います。そしてそれをひたすら繰り返す。

そうしていくとそのうちにそれまでに習った単語やら文法やらも少しずつ思い出されてきます。例えば、いわゆる過去形と過去完了形の違いなんていうものも、感覚でわかるようになります。ああこういう感じで使い分けるのね、と実感されてきます。そして自然に自分も使えるようになっていきます。

be going toとwillの違いも、自然にはっきりと使い分けのラインが見えてきます。

英語を勉強していた時に意味が似ていて間違えやすかった幾つかの単語も、それぞれの概念がくっきりと見えて、間違えずに使い分けられるようになります。

日本人は"Sorry."という表現を、日本語の「すみません」という感覚で、あちこちで多用しがちです。でもsorryという言葉が実際

どうネイティブの人々に響くかもわかってきたら、本来の意味を込めて、使う場面をわきまえつつ、きちんと使えるようになると思います。

「ありがとう」、"Thank you."と言われたら、「どういたしまして」、という意味で"You’re welcome."とおうむ返しのように使うのは、実は感覚的には違っています。"You’re welcome."は語感的には、「どういたしまして」、「私は何もしていないですよ」、「なにをしたでしょうか?」という感じでは全くなく、「私はあなたのことを歓迎しているよ」「あなたからお願いされることに、私はオープンだよ、受け入れるよ」みたいな感覚なのです。

そういうことだらけです。その連続で英語が体に、骨身に浸み渡ってくるという感じです。

「頭で考えることを手放して、感覚を開いてそのまま受け止めることを続けていく」それを今の私ならその知り合いに伝えると思います。