これまでの私のJourney <自分が自分でいられる場所を探して> | Olive Twigs

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日本にいても、世界のどこにいても、自分を生きる

 

数回にわたって英語の壁をどう乗り越えられるか、というお話をしてきました。

これからも英語や外国語をどう扱うかにとどまらず、海外に移住した経験から身にしみて理解できたこと、海外でどうやって人とつながっていけるのか、日本にいながら世界に自信を持って出ていける者になるにはどういう道があるのか、実際に海外に行ったり住んだりしなくても、どういう風にお互いを尊重し深い関係を作っていけるのか、、、もちろん完璧な完全な答えがあるとは思っていませんし、どういう方向に膨らむかまだ可能性は無限大だなと思うのですが、とにかく、みなさんにとって何かインスピレーションになるようにと願いつつ、色々なトピックをシェアしていきたいと思っています。

 

そこで、みなさんが私がどうしてこういう考えにたどり着いたのか、どうしてこんな視点を持つようになったのか、これまでの背景も知りたくなるのではないかなと思いました。

というより、多分その背景を少しでも知っておいていただくと、きっとみなさんが「そうそう!」とか「わかる!」と思えるような、共感できて、近く感じられる部分がいくつも出てきて、私が話していることともっとすんなり繋がりやすいのではと思ったので、今回は私自身のこれまでの英語や外国語との関わりや海外経験にいたる道のり、私のJourneyについて少しお話ししたいなと思います。

 


最初にお話ししたように、私も普通に英語教育を通ってきました。親の計らいで、家の近所に新しくオープンした英語学習教室に小学校の5年か6年かから少し通いましたが、その後中学からは普通に3年間英語教育を受けました。

でもその後に進んだ高校は、かなり特殊だったとは思います。
外国語を専門に勉強する、普通科ではなく職業科で、元々卒業後に貿易業務を即行える者を養成する外国語科でした。英語や外国語に関する授業が3年間のカリキュラムのかなりの部分を占めていて、先生たちもネイティブの英語やその他外国語を話す方もそれなりに多く、帰国子女や帰国子女の枠には入らなくとも海外経験がそれなりにある生徒、海外からの留学生も多かったです。

その後大学での学業を終えてからも、職場環境や友人関係において、続けて英語が比較的身近にある環境にいたと思います。

そのおかげで、日本にいながらも、かなりアンテナは日本の外に向かって広げることができていたと思います。

日本の外にある生活や文化や社会に身を置いてきた人に、明らかに単にずっと日本にだけいる人とは違った価値観、常識、物の見方や捉え方、自分自身の表現の仕方があることに、とても興味を覚えました。

一番心が惹かれたことの一つは、そういうバックグラウンドがある人といると、自分が決められた枠に入ろうとしなくてもいい、相手がどう自分を見るか、自分を判断するかを気にしなくていい、自分が自分でいられるし、むしろ本当に自分が思っていることを表現していける気楽さがある、ということでした。
きっとそういう感覚を覚える人は私だけでなく、結構多いのではないかと感じますが、どうでしょう。

今振り返ると、確かに若さゆえの?若いからこその?気持ちだった部分もあるかもしれませんが、当時は日本の社会の中では、どうしても「こうあらねば」という、周りからの期待やあるべき形みたいなものにいつもどこかで縛られるような息苦しさがありました。いつも人の目を気にしていないといけない、人がどう思うかに気を配っていないといけない、というようなプレッシャーですね。

確かにそういう日本独特のソーシャルプレッシャーを、必ずしもすべて悪いと否定するわけではありません。良い部分もたくさんあると個人的には感じています。(実はこれについてもまたいつかお話ししたいと思っています。)でも、実際の日々の日本の生活の中では、ほとんどの場合うまく良い意味で機能しておらず、残念ながらむしろネガティブな効果を生み出している気がします。

そんなわけで、仕事を始めると、なにかきっかけを見つけては海外に度々出かけていました。それは単にリゾート系のハワイやグアムだとか、数時間のフライトで飛べるアジアの街々であったり、海外あちこちに住む友人を訪ねて出かけることもあったり、今では自分でもどのようにスケジュールをやり繰りしていたのかわかりませんが、日本で働きながらも、計算すると一年のうち一ヶ月くらいは海外にいた年も多かったです。

日本の社会や生活で息苦しくなってくると海外に息抜きをしに行く、というのが、思えば私なりの、日々の生活で生まれてくる気持ちや感覚や自分自身のリセットの方法だったような気がします。

人によって色々な息抜きの方法や、自分がほっとできる、価値観を共有できる、リラックスできる居場所みたいなものの種類があると思います。
私の場合はそれがどうやら日本の外にありそうだなと、アンテナがキャッチしたのでそちらの方向に足が向かったわけですが、自分でもどうしてそちらに心が惹かれるのかなど、当時は深くは意識したり考えていませんでした。
でも結局自分がそのままの自分でいられる、受け入れてもらえるような場所を探していたのだな、と思います。英語で言うところの"A Sense of Belonging"を感じる場所、というのでしょうか。


私の場合は英語を介して海外に足を伸ばしていくということでした。いきなりなようですが、前々回前回にわたってお話しした東洋医学の先生も、25年以上もカナダにいながら、まったく英語を話せないまま、中国人のコミュニティーの中に安定した自分の居場所を見出した、作り出した、と言えるのだと思います。

ただその先生もきっとそうであったと察しますが、そういう場所を見つけ出すのは簡単なことではなく、その過程には山のように葛藤があると思います。

今回は、まだほとんど日本の中にいるだけだった頃の私のJourneyについてお話ししました。次回は日本を出てから、のお話です。