『イギリスからの手紙』

(東京堂書店、2014年3月22日発行)

 

『ルーシー・ボストン

 ――館の魔法に魅せられた芸術家』

(国書刊行会、2022)収録の

林望の講演録を読んでいたら

次のような件りがありました。

それが私がボストン夫人に出会った最初で、その辺のことについては、先般『イギリスからの手紙』(東京堂書店)という本を出しまして、そこに掲載した、家族へ宛てた手紙に詳しく書いてありますので、今日は深入りはいたしません。(p.410)

こういわれると

同書を読みたくなる

というのが人情で

さっそくAmazonで検索し

(オビ付き初版にこだわってw)

購入したのを、昨日

読み終わりました。

 

 

ルーシー・M・ボストンのマナーハウス、

通称ザ・マナーについての記述は

第3章に入って少ししてから

(225ページから)になります。

 

第1〜2章は

イギリスに到着してからの

あれやこれやが書かれています。

 

つまらなくはありませんが

手に取った動機が動機ですから

早くザ・マナーの話にならないかなあ

とか思いながら読み進めました。

 

 

そんなふうに気がせきながらも

divorced wife(p.209)とか

「わけではいなが」(p.223)

といった誤記・誤植に気づきました。

 

divorced wife の方は

「出戻り」という意味だろうか

と思いつつ辞書を調べて

誤植だと気づいた次第です。

 

これらは

原文がそうなっているのを

そのまま残したのかどうか

分からないんですけど

まあ、ちゃんと読んだ

という証拠も兼ねて

メモっておきます。( ̄▽ ̄)

 

 

ボストンが出てきてからも

ボストンの話ばかり

というわけではありませんが

ボストンとのやり取りなどは

いずれも興味深いものでした。

 

音楽関連の記述では

筑波大の山形和美教授と知り合い

その娘でフルーティストの

山形由美の演奏会が

ザ・マナーで開かれた

という件りがあって

これはちっとも知らず、びっくり。

 

その演奏会に

ゲストとして来ていた

ジェラルド・ギフォード Gerald Gifford

というハープシコード奏者が

1階に置かれていたハープシコードを弾き

のちにボストンと共に

自宅でのコンサートに招かれて

演奏を聴いたということも

書かれています。

 

ザ・マナーで開かれた

デリック・アドラム Derek Adlam の

クラヴィコード・コンサートはもとより

コリン・ティルニーが弾く

チャンバロ・コンサートについても

もちろん書かれています。

 

 

ティルニーのコンサートでは

フレスコバルディ、バッハ、

モーツァルトのほかに

「何とかいうイタリアの作曲家」(p.429)

の曲が演奏されたそうですけど

その「何とかいう」作曲家の名前を

失念しているのが惜しい。

 

演奏の前か後に

「この人が宮廷で活躍しているとき、

 J. S. Bach は School Boy だった」

という説明があったそうですが

これだけでは

すぐには見当がつかず

ちょっと宿題を出された感じ。

 

 

ところで

届いた本には

下のようなペーパーが

はさまってたんですけど

 

『イギリスからの手紙』+見取り図

 

これは『ルーシー・ボストン』収録の

林の講演録のページに載っている

ザ・マナーの見取り図(p.415)と

まったく同じものであることに

気づきました。

 

見取り図自体は講演会当日に

参加者に配布されたもののようですが

ということは今回入手した本は

その講演で話を聞いた人

ということになりましょうか。

 

『イギリスからの手紙』+見取り図(部分)

 

ホチキスで綴じられた痕が

残っていますから

当日配布された

レジュメか何かの

一部なのかもしれず。

 

いずれにせよ

講演を聞いて興味を持って

この本を購入した人が

栞代わりに挟んだもの

と想像されます。

 

 

そんなものが手に入るとは

思いもよらず。

 

『ルーシー・ボストン』に

掲載されているものは小さくて

細部が分かりにくいところも

あったんですけど

今回、たまたま挟まってたおかげで

分かりにくいところがよく分かり

たいへんありがたい。

 

遅ればせながらでも

ボストンの作品を読み

関心を持ったことへの

ご褒美でしょうかしらん。

 

『イギリスからの手紙』には

人と人とがつながって

どんどん良い結果を出していく

そういう運の良さへの嬉しさが

綴られていますけど

そういう運の良さの

おこぼれに与った気にも

なったりするのでした。