『ついさきの歌声は』

(中矢一義訳、中央公論社、1981.9.20)

 

以前(9月16日)ご紹介した

ディスクユニオンで購入した方の

収穫のひとつです。

 

その時の記事にも書いた通り

漫然と読み始めてたんですが

先月末、読み終わりました。

 

 

ドナルド・キーンの音楽本は

『わたしの好きなレコード』(1977)

という文庫本を10年前に読んでいて

そこそこ面白かったという

記憶があったので購入した

ということは前にも書いた通りです。

 

第1部が「ついさきの歌声は」で

副題に「大歌手への十五の讃歌」とある通り

若い頃からレコードや舞台を通して

耳にしてきた歌手のうち

自分の好きな15人を取り上げ

その良さについて語っています。

 

1980年に雑誌『音楽の友』に

1年かけて連載したものです。

 

オビ背に

「オペラ好きの音楽エッセイ」

と謳われている通り

 

『ついさきの歌声は』カバー背

 

ドナルド・キーンは基本

リートよりもオペラの方を好むので

取り上げられた歌手はいずれも

オペラ歌手として名を残す人が中心。

 

そういう意味では

当方の趣味とは合いませんが

知っている名前があったり

古楽とも関わりのある歌手がいたりして

今回もそれなりに楽しめました。

 

 

第1部の

ジャネット・ベイカーを取り上げた章で

ラモーの《イポリュートとアリシー》に

ベイカーが出演した盤を取り上げた際

次のように書いています。

 

ラモーのオペラを好む者ででもなければ、この作品を最初から最後まで意識を集中して聴き通せるものではない。わたしの場合(ラモー・ファンではないので。でも、ラモー・ファンなんているのだろうか。)自分の注意が、不意に物語と音楽に引き戻されるのは、ベイカーが歌うときだけである。(pp.116-117)

 

「ラモー・ファンなんて

いるのだろうか」とは

バロック音楽好きに

喧嘩を売っているようなもので

思わず苦笑しちゃいました。

 

 

同じベイカーについて書いた

続くページでも

以下のように書いています。

 

ベイカーは、リサイタルをヘンデルかハイドンのソロ・カンタータで開始することが多い。聴衆のほとんどだれもが知らないと思われるような作品であり、たいていは、愛する男に捨てられた不幸な女の苦悩を歌ったものだ。それは“通”のための音楽であって、ただ何となくコンサートにやってきたといった人たちを相手にしたものではない。にもかかわらず、ベイカーは、捨てられた女の感情を実にあざやかに描き出すので、(果てしなく続く繰り返しを含めた)常套的表現は超越されて、聴き手はその心をうたれることになる。(p.118)

 

ヘンデルのカンタータは

「“通”のための音楽」

といわれているところが

印象に残った次第です。

 

まあ、自分にしても

ヘンデルのカンタータを

聴くようになったのは

最近ですし

そう書くのも

分からなくはありません。

 

それもあって

ベイカーがヘンデルを歌った録音が

残っているのであれば

聴いてみたくなったことでした。

 

 

本書の第2部「音楽つれづれぐさ」は

その時々のメディアの注文に応じて

書かれたものを集めていますが

その中に「バッハと趣味の変遷」という

『バッハ叢書』第6巻(1980)の

月報に寄せられた文章があります。

 

「今日の音楽愛好家たちの好みを

推測する」にあり

「主として自分自身の体験に

基づいていた」というキーンは

次のように書いています。

 

現代の若者たち(略)も、最初は、チャイコフスキー、ドヴォルザーク、ショパンに代表されるような、愁いを帯びたメロディーで聴き手の心を捉える作曲家たちに引き込まれたのち、複雑な形式構造を持ち、メランコリーとはほとんど縁のないバッハへと進んでいくものだとばかり思っていたのである。(p.204)

 

キーンの趣味というのが

よく伺われますね。

 

キーンは続けて

「このおよそ二十年間のバロック音楽復興が、

 ポピュラー音楽における、

 メロディーからリズムへ

 という好みの変遷と

 軌を一にしていることは間違いない」(p.205)

と書いています。

 

それなりに納得できる考察ではありますけど

だからあなたはラモーを好まないんだろう

とか思ったことでした。( ̄▽ ̄)

 

 

やはり第2部に収録された

「ニューヨーク音楽日記

 ―― 一九八〇年春」には

スミソニアン室内楽団による

古楽器演奏を聴いた感想が

以下のように記されています。

 

プログラムは主としてモーツアルト、ヘンデル、ハイドンの曲によって構成されていた。どの作品も快い演奏だったが、古楽器の響きは、聴き始めは何とも魅力的なのだが、やがてだんだんと退屈になってくる。(略)抜きん出た作品が一曲だけあった。それはヘンデルのカンタータだったが、歌謡を受けもった異才ジャン・ガエタニの力によるものだった。ガエタニ嬢は、二十世紀音楽の歌い手として有名であり、わたしにとっても彼女の歌うバロック音楽は初めて聴くものだった。彼女は、それまでこの曲しか歌ったことがないかのごとく、目覚ましい歌唱を披露した。(略)だが、十八世紀の楽器は、わたしには無用のぜいたくに思われた。幸いなことに、人間の声は、世紀が変っても、おそらくほとんど不変のままである。(pp.226-227)

 

今度は古楽器演奏ファンに

喧嘩を売っておりますなあ。( ̄▽ ̄)

 

この感想もまた

ドナルド・キーンが

メロディーと声を楽しむ人だ

ということを

よく示しています。

 

と同時に

古楽とは無縁の人であること、

少なくともこの時点では

そうであったことが

よく分かる文章でもあります。

 

20世紀音楽の歌い手が

バロックを見事に歌うことの

意味をこそ考えてみて欲しい

と思わざるを得ませんでした。

 

 

今回の本は

以前読んだ『わたしの好きなレコード』

元題『ドナルド・キーンの音盤風刺花伝』の

(以前の当ブログの記事で

 「風姿花伝」と誤記してしまいましたが

 正しくは「風刺花伝」なのでして

 謹んで訂正しておきます。m(_ _)m )

姉妹編かと思っていたら

3冊目の音楽本のようですね。

 

雑誌『レコード芸術』に連載した

「続・音盤風刺花伝」というのがあり

それを改題したものが

本として出ていて

そちらが2冊目の音楽本のようです。

 

調べてみたら

文庫化されていることが分かり

検索してみると

Amazon に出品されていたので

さっそく注文しました。

 

つい先日届いたので

例によって漫然と

読み始めています。

 

そちらの感想はまた

読み終えた時にでも。

 

 

以下、蛇足。

 

オビには

本体定価1204円

税込定価1240円と

記載されてますけど

これはおそらく

消費税導入(1989年)後に

処理されたものでしょう。

 

それが証拠には

奥付の値段はシールで消してあり

本体の値段もシールで訂正されています。

 

『ついさきの歌声は』カバー値段シール

 

本が出たのは

1981年ですから

その間8年

初版のままだったのか

とか思っちゃいました。

 

オビは古本マニア的には

いわゆる「あとオビ」

ということになるのかなあ。

 

ちなみに上掲写真で

オビの裏に何か貼ってあるのは

オビが破れていたところを

自分が補修した痕です。