(東京エムプラス CHR-77399、2016.4.23)
リリース年月日は
タワーレコード・オンラインに
拠りました。
原盤レーベルは Christophorus で
録音は2015年10月6〜9日。
器楽演奏は
カプリコルヌス・コンソート・バーゼルで
ヴァイオリンのペーテル・バルシが
指揮も務めています。
以前、当ブログで取り上げた
ミリアム・フォイアージンガーの
《バッハ:カンタータ集》と同じ布陣ですが
その7年前の録音になります。
こちらを購入したのは
バッハのソプラノ独唱カンタータとして
第51番とともによく知られている
《わが心は血にまみれ》BWV199 が
収録されているからです。
前回ご案内のカンタータ集と合わせて
フォイアージンガーが歌う
ソプラノ独唱カンタータの代表作が
これで揃うなあと思い
タワーレコード・オンラインで
在庫があった新譜を購入したのでした。
バッハ以外に
カンタータ《わが心は血にまみれ》
ヨハン・クーナウ作曲
カンタータ《心から憂いを消し去れ》
というふたつの声楽曲と
テレマンの器楽曲
四重奏曲 ト短調を収めています。
前回ご案内の盤とは違い
ついているのは
日本語のタスキ(オビ)がだけで
日本語解説はついてません。
それでもまあ
ネット時代なので
検索すれば
馴染みのない作曲家でも
だいたいのことは分かりますけど。
クーナウは
バッハ以前に
聖トーマス教会で
カントールを務めていた
前任者に当たります。
クーナウが亡くなったあと
ライプツィヒ市が
新しいカントール職を
募集したんですけど
最初にテレマン
続いて、クーナウの弟子筋の
グラウプナーを指名した
という経緯は
バッハ伝の有名なトピックです。
テレマンが辞退し
グラウプナーは雇用先の主君が
許さなかったために
第3候補だったバッハが
職を得ることになったのでした。
こういう因縁のある4人の曲を
1枚に収めているだけでなく
グラウプナーのカンタータは
バッハとタイトルが同じ
というわけで
両者の聴き比べという趣向も
凝らされているわけです。
ちなみに Wikipedia によれば
バッハがカントールに決まると
グラウプナーはライプツィヒ市に
バッハが優れた音楽家であり
カントール職にふさわしい
という手紙を送ったのだとか。
バッハとグラウプナーは
別に仲が悪かったわけではなく
この二人の同タイトル曲を並べたのも
音楽性の傾向の違いを示すため
という純粋な(素直な)
意図からでしょうけど。
7年前の録音だけあって
前回ご案内の盤よりも
声が若々しい! というのが
最初に聴いた時の感想です。
前回のカンタータ集では
おっとりした歌い方が
なかなかいいのではないか
というふうに書きましたけど
今回の盤は全体的に
耽美なところが感じられました。
さすが7歳若いだけのことはある
というと
差し障りがありそうですが(笑)
特に冒頭の
グラウプナーのカンタータは
その耽美性が極まっていて
フォイアージンガーの出世盤である
《グラウプナー:カンタータ集》を
聴いてみたくなったほどです。
《わが心は血にまみれ》は
《わが心は血の海に漂う》
という邦題もあります。
現在は後者の訳の方が
主流のようですけど
いずれにせよ
すごいタイトルには違いなく。
ルカ福音書・18章・9〜14節の
パリサイ人と徴税人の譬えを
ふまえた歌詞だそうですが
別に、本当に血の海を漂ったり
血にまみれていたりするわけではなく
宗教的な意味で罪に汚れている
ということです。
原文ライナーには
悔悟の歌 penitential song
と書かれていました。
以下、バッハの曲の
感想になりますけど
2曲目のアリアの途中で
短いレチタティーヴォが
挿入されているのが珍しい。
4曲目のアリアは
『バッハ事典』(東京書籍、1996)で
「ヘンデル的なおおらかさをもって
迫ってくる」と書かれており
カンタータ第82番の3曲目
子守唄的ともいわれるアリアに
匹敵する美しさです。
6曲目がアリアではなく
コラールが挿入されているんですが
フォイエルジンガーが歌うと
途端に、素朴というより
耽美な感じになります。
神との和解の喜びを歌う
8曲目(終曲)のアリアは
ジーグという舞曲のリズムを
採用しているそうですけど
フォイエルジンガーが歌うと
軽快さよりも美しさが
目立つ気がしたり。
以上は個人の印象ですが
BWV199 で
とにかく美しい歌唱を
求める方には
おすすめの1枚に
なっているかと思います。
下の写真は
封入されている
ライナーの表紙です。
ライナーの表紙は
ジャケットと同じ場合が
多いかと思いますけど
製作者側の方で
ライナー表紙の写真も捨て難い
と思ったのかもしれませんね。