少し前

渡辺一夫随筆集

『寛容は自らを守るために

不寛容に対して不寛容になるべきか』

という本を読み終えました。

 

『寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか』

(三田産業、2019.11.18)

 

三田産業というのは

いわゆる「ひとり出版社」で

その出版趣旨は

こちら↓に詳しいんですけど

 

 

どうやら本書以降

新刊が出ていないようです。

 

この渡辺一夫随筆集は

近所の新刊書店

いわゆる町の本屋さんで

見かけたのだと記憶しています。

 

収録されたエッセイは

岩波文庫で読んだものが

ほとんどでしたけど

渡辺一夫推しということもあり

思わず買ってしまっていたのを

つい最近、就眠儀式用に読み出して

先月の上旬に読み終えたのでした。

 

 

表題のエッセイは

1951(昭和26)年に

発表されたものですし

そのほかのエッセイも

だいたいその前後に書かれたもので

前回の吉田健一の文章と同様

歴史は繰り返しすものなのか

日本人が変わらないのかと

考え出すと黄昏てきますが

それはともかく。

 

1948(昭和23)年に発表された

「文法学者も戦争を呪詛し得ることについて」

というエッセイに

クリストフ・ニーロップの

『戦争と文明』(1917)という

戦争反対の本が

紹介されています。

 

自分の知る限り

ニーロップの本自体は

翻訳されておらず

渡辺一夫のエッセイを通し

孫引き的に紹介されることが

多いように思いますけど

それはそれとして。

 

ニーロップがその本の中で

ドイツのモルトケ将軍の

戦争賛美論に反論するために

モーパッサンの『水の上』の一節を

引用しているという件りが

今回、目にとまりました。

 

ニーロップの本は訳されてませんが

モーパッサンの本は幸い翻訳があり

岩波文庫に入っているというので

いい機会だと思い

ネットで古本を購入して

読んでみた次第です。

 

モーパッサン『水の上』

(1888/吉江喬松・桜井成夫訳、

 岩波文庫、1955.9.25/1997.3.6. 第6刷)

 

モーパッサンの『水の上』といえば

怪奇小説としても知られている

同題の短編が有名ですけど

ここで言われている『水の上』は

モーパッサンが晩年に発表した紀行文です。

 

1886年にヨットを所有し

執筆活動のかたわら

ヨット帆走を楽しんでいたようで

地中海沿岸を帆走した時の経験を

紀行文として書いたものが

上梓されたらしく。

 

紀行文かあ、うーん

とか思いながら読み始めたんですが

ニーロップを通して渡辺一夫が紹介している

戦争論(戦争反対論)だけでなく

文士に単純な感情は存在しないという芸術家論や

俗衆嫌悪に基づく群集心理論の他に

サント・マルグリット要塞刑務所から

バゼーヌ元帥が脱獄したエピソードとか

モナコ公国の殺人犯に関する挿話など

ミステリっぽいネタも含まれていて

意外と面白く読み終えました。

 

 

肝腎の戦争反対論ですが

近年のイスラエル兵士の

ガザのビルを破壊する前に

自分の娘に捧げると言うような振る舞いや

ガザの人々の財産を略奪する行為、

人間が人間に対してする行ないとは

とうてい思えないような虐殺行為などを

X(旧Twitter)でのポストを見るにつけ

モーパッサンの時代と何ら変わっていない

と思わずにはいられません。

 

モーパッサンは

普仏戦争(1870〜71)に従軍して

戦争嫌いとなったわけですが

その時に見た兵士たちの振る舞いと

今回のガザ侵攻における

兵士たちの振る舞いとは

本当によく似ている

と感じずにはいられなかったからです。

 

モーパッサン自身はそれでも

プロシアに対する復讐意識を

捨てきれていないわけですが

それを割り引いても

その戦争批判の言説には

感銘を与える力があると思います。

 

 

モーパッサンの『水の上』は

昭和30年前後に、本書も含め

3種類の邦訳が出ていました。

 

それが現在では

1997年に岩波文庫が復刊したものが

古本で比較的容易に入手できるだけで

まったく読めない状況。

 

ジェノサイドの終わりが見えず

ル・ボンの『群集心理』が

改めて話題となる昨今

新しい訳が出てもいいのに

とか思ってしまうのは

自分だけでしょうか。