『皆川達夫先生の思い出』

(音楽之友社、2023年7月31日発行)

 

編者表記は

「皆川達夫先生追悼文集編纂委員会」

ですけど

ブログのタイトルに書くと

長くなりすぎるので

書名だけにしました。

 

タイトルの

Dona nobis pacem

(ドナ・ノービス・パーチェム)は

「われらに平和を与えたまえ」

という意味のラテン語で

ミサ通常文のひとつです。

 

バッハ作曲、ロ短調ミサ曲の

最終曲のタイトルとしても

知られているものですね。

 

 

内容は

編者の名称からも分かる通り

2020年4月19日に亡くなった

皆川達夫の追悼文章です。

 

自分にとって

皆川達夫という存在は

『ルネサンス・バロック名曲名盤100』

を通して親しんだ

自分のバロック音楽愛好の

初期の指針であるのみならず

いまだに指針となっている

導きの糸です。

 

これについては

当ブログでも何度か

折にふれて

言及してきた通りです。

 

それくらいの存在でありながら

本書の刊行を見逃しておりまして

最初に見たのはつい先月

塾の会議の前に

大宮のジュンク堂に寄った時でした。

 

ところが

同店の棚にあったものは再版で

どうしても初版で持っていたい

と思っていたところ

四谷のオフィスからの帰りに

新宿の紀伊国屋書店によって

幸い見つけることができたのでした。

 

その後、読み始めてからは

いろいろと原稿仕事や

採点仕事が舞い込んで

一気に読み終えることが叶わず

ようやく昨晩、読了した次第です。

 

 

NHK・AM第1放送の

『音楽の泉』パーソナリティーとして

最晩年まで(死の1ヶ月前まで)

担当していたことを知らず

結局その肉声に触れることなく

済ませてきてしまったのが

惜しまれてなりません。

 

今回の本を読んで

立教大学で教鞭を取っており

一般教養で音楽を教えていた

ということを知って

立教大学の方々を

羨ましく思ってしまいました。

 

もっとも

かなりの人気講義だったようで

受講するための

試験があったようですから

仮に立教に通っていたとしても

受けられたかどうか

かなり怪しい(苦笑)

 

それに

自分が大学の学部生の頃は

クラシックに興味がなく

文学一辺倒でしたから

仮に通っていたとしても

選択したかどうか

かなり怪しいものです。

 

古学に興味を持ったのは

これも何度か書いてますが

1992年にレオンハルトによる

チェンバロ演奏を聴いてからですから

まったくすれ違っているわけで

結局、著書を通して

その謦咳に接するしか

なかったのでした。

 

本書に収録されている

佐々木勉の回想を読むと

その謦咳に接したかのように

背筋が伸びる気がされます。

 

その一方で

長女が書く思い出を読むと

いいお父さん、

お祖父ちゃんだったのだなあ

と、ほっこりした気持ちにも

なれました。

 

 

水戸藩氏の家系の出で

幼少期から謡曲を習い

能や歌舞伎にも親しんでいた

という記述を読むにいたり

文化資本のレベルが違うよなあ

とか羨んでみても

それはそもそも無理な話。

 

そういう話を聞く一方で

193ページに載っている

立教グリークラブの合宿での

懇親会における写真や

個性的な直筆の筆跡など

衝撃的なものも

ちらほら見受けられ

ダンディで完璧な存在

というばかりでもなく。

 

偉業ばかり語られるのではなく

そういう面も垣間見えるところは

ほっとさせられる感じでした。

 

 

そうそう、皆川センセーは

推理小説が好きだったらしく

論文は優れた推理小説のようで

なければならない

と言っていたのだとか。

 

どんな推理小説が好きだったのか

ちょっと気になるところです。

 

 

巻末には

雑誌『音楽芸術』の

中世・ルネサンス特集の原稿と

雑誌『レコード芸術』で担当していた

月旦の仕事を降りる弁が

再録されています。

 

もちろん略年譜も付いてます。

 

学術的な本ではなく

人柄を伝える本ですが

著書を通じてしか知らない

市井の老書生としては

それゆえにこそ

貴重な一冊だと思うのでした。

 

 

 

●訂正(翌日10:45ごろの)

 

最初に見つけたのは

「立川のジュンク堂」だと

書いていたのを

「大宮のジュンク堂」に

修正しました。

 

細かいことですが

いちおう「日乘」なので

正確に記しときます。