『ネガティヴ・ケイパビリティで生きる』

(さくら舎、2023年2月10日発行)

 

副題「答えを急がず立ち止まる力」

 

ネガティヴ・ケイパビリティ

Negative capability という言葉を

初めて(?)目にしたのは

レベッカ・ソルニットの

『暗闇のなかの希望

 ――語られない歴史、手つかずの可能性

 増補改訂版』

 

『暗闇のなかの希望』増補改訂版

(2004、2016/井上利男・東辻賢治郎訳、

 ちくま文庫、2023年4月10日発行)

 

の小川公代による解説

「ネガティヴ・ケイパビリティのなかの希望」

においてでした。

 

解説本文中には

次のように書かれています。

(ウルフはヴァージニア・ウルフ、

キーツはイギリスのロマン派詩人)

 

不確かな現実のなかを、絶望するでもなく、楽観視するでもなく、「私たちの為すことに意味があると信じ」続けること(二〇頁)、このソルニットの思想の根幹には、ウルフにも影響を与えたキーツの「ネガティヴ・ケイパビリティ」という考え方がある。この言葉は。一八一七年一二月二一日の弟たちに宛ててキーツが書いた手紙に言及されている。「短気に事実や理由を手に入れようとはせず、不確かさや、神秘的なこと、疑惑ある状態の中に人が留まることができるときに表れる能力」を示す。すなわち、価値判断を留保する、宙づりになるという意味でもある。ソルニットは、キーツが「あてなくさまよい歩く」(unpredictable menander)ことに特別な意味を持たせている。暗闇のなかを歩くことは、想像世界のなかでさまようことと分かち難く結びついている。(p.315)

 

これだけでは

ネガティヴ・ケイパビリティが

どういうものか

分かりにくいので

この言葉を広めた帚木蓬生の著書

『ネガティヴ・ケイパビリティ

 ――答えの出ない事態に耐える力』

 

『ネガティヴ・ケイパビリティ』

(朝日選書、2017年4月25日・第1刷発行

 上掲本は2020年7月30日・第12刷)

 

も古本で購入して読んでみました。

 

そして

「ネガティヴ・ケイパビリティ」で

検索した際に

帚木蓬生の本と並んでヒットしたのが

今回タイトルにあげた本なのでした。

 

 

いちおう「ほしい本」として

チェックしておいたんですが

大宮のジュンク堂書店に立ち寄った際

人文書だかなんだかのコーナーに

平積みにされているのを見つけ

「おおっ」と思いつつも

その場は買わずにスルー。( ̄▽ ̄)

 

先週、前期最後の会議に行った時

ようよう購入したのでした。

 

そして先週

就眠儀式のために

何気に手に取って読み始めたら

止まらなくなって

あっという間に

読み終えてしまいました。

 

 

前置きが長くなりましたが

何が面白かったかといえば

いろいろと問題が起きている

社会情勢にも言及しつつ

現代を生きる人は

どういう事態に巻き込まれて

どういう振る舞いを強制されており

それにどう対処すればいいか

ということが分かりやすく

示されているところです。

 

論文集ではなく

三人の若い(30代の)学者による

サクサクと進むキレッキレの鼎談

というスタイルで

それが読むスピードの

疾走感を高めるのに

与っているかと思います。

 

論文集だとめんどくさいなあ

と思って買い控えていただけに

実際は鼎談だったこともあり

意外とサクサク読めて

びっくりでした。

 

逆にいえば

キレッキレの議論とか

サクサク読めるとかって

ネガティヴ・ケイパビリティとは

真逆なんじゃないかとも

思うんですけどね。( ̄▽ ̄)

 

鼎談メンバーはもちろん

そういう「矛盾」を意識して

喋ってはいると思うものの。

 

 

ネガティヴ・ケイパビリティ

という考え方を

日本で最初に取り上げたのが

帚木蓬生という

ミステリも書く作家だと知って

ミステリとの相性はどうなんだ

むしろ本格ミステリと

対立する考え方なんじゃないか

ということを考えさせられたり。

 

謎を解く、綺麗に説明する

ということ自体が問題なのではなく

拙速に真相を掴もうとすることや

真相はこれひとつであり

それ以外にはないと断言すること、

そうした姿勢とは

対立するものではありましょう。

 

優れた本格ミステリであればあるほど

検証可能性を許容するというか

間違っているかもしれない

ということを引き受けつつ

真相を提示しているはずなんですね。

 

自分が中学生の頃だったか

『金田一耕助さん

 あなたの推理は間違いだらけ』

とかいう本が流行りましたけど

推理の絶対的正しさを描くのが

本格ミステリであるということを

信じている人が多い。

 

それを突き詰めると

後期クイーン的問題というものを

生じさせたりもするわけですが

推理の絶対性や真実の絶対的正しさを

ついつい求めてしまうのは

ネガティヴ・ケイパビリティ

という能力が乏しい

ということになりそうです。

 

……とまあ

そんなことを

考えたりしたことでした。

 

 

いずれにせよ

さくら舎の本はおすすめです。

 

ソルニットの本は

訳文が固くて

晦渋な印象を与える気がしますし

そもそもネガティヴ・ケイパビリティを

意識した本かどうかは微妙です。

 

帚木蓬生の本は

いろいろなところに

応用していく手つきが

失礼ながら

かえって胡散臭い感じを

醸し出している気がしました。

 

紫式部に

ネガティヴ・ケイパビリティの

力を見ることができる

とか書かれてもなあ

という感じ。

 

さくら舎の本も

ネガティブ・ケイパビリティって

結局なんなのよ!

といいたくなるところが

多分にありますけど

(ダメじゃんw)

現代社会論のところは

膝を叩くところが多いのですね。

 

 

これを読み終えてのち

先日、ジュンク堂に行った時

鼎談者の一人・谷川嘉浩の

『スマホ時代の哲学』

(ディスカヴァー・トゥエンティワン)

という一般向けに書いた本が

平積みになっているのに目がとまり

思わず買っちゃったことでした。

 

最初に手に取った本は4刷で

びっくりして他の本を確認したら

初版があったので、そちらを購入。

 

ネットで注文しようかと

思っていたところで

ネットで買ってたら

4刷の方が届いたんだろうか

と考えてしまい

店頭で買ってよかった

と思ってしまったのは

ここだけの話です。( ̄▽ ̄)