『古い画の家』(中公文庫)

(中公文庫、2022.10.25)

 

昨年出たときに買っておいて

年末あたりから

少しずつ読んでたんですが

本日、読み終わりました。

 

 

かつて彌生書房から

「推理小説傑作選」の1冊として

刊行予定だった作品集に

収められていたであろう作品を

まとめたものです。

 

彌生書房・推理小説傑作選の

既刊分の鮎川哲也や

中村真一郎の作品集には

いずれも5編収録されているので

小沼丹の場合も

雑誌『宝石』が初出となる

「クレオパトラの涙」「古い画の家」

「リャン王の明察」「ミチザネ東京に行く」

「王様」の5編を収める予定だった

と推察されます。

 

中公文庫版にはそれに加えて

「手紙の男」「二人の男」

「奇妙な監視人」「赤と黒と白」という

未知谷版全集に既収の4編と

単行本初収録の

「海辺の墓地」「花束」

という2編を収録しています。

 

このうち「花束」は

妻を亡くしてのちに

書き始められた

私小説のシリーズ

大寺さんものの一編。

 

 

小沼丹のミステリといえば

『黒いハンカチ』が有名ですが

それ以外にも

チェスタトン風の作品を書いている

と聞き及んで

ミステリ雑誌の掲載作品を漁り

読んでみたことがあります。

 

そのとき読んだのが

上記『宝石』掲載の5編と

『推理ストーリー』掲載の

「赤と白と黒」ですけど

どこがチェスタトン風なのか

と首を捻ったことを

よく覚えています。

 

あえていえば

架空の王国を舞台にした

「リャン王の明察」と「王様」が

それっぽいかと思ったくらい。

 

それでも

チェスタトン風の逆説論理が

炸裂するというわけでもなく

ちょっと物足りないと

感じたものでした。

 

 

今回、久しぶりに

ミステリ雑誌に載った6編を

読み直したことになりますが

やっぱりチェスタトン風ではないよなあ

とか思いつつも、それはそれとして

小沼丹の小説としては

充分に楽しめました。

 

現代を舞台にした作品で

ユーモアを醸し出している文体は

どことなく夏目漱石を彷彿させるなあ

とも思ったり。

 

それにしても

「ミチザネ東京に行く」のような

東京に出てきた田舎者が

財布をすられて云々

というような話型はもはや

昭和は遠くなりにけりだろうなあ

と、しみじみ思った次第です。

 

 

実をいえば

いちばん面白かったのは

単行本初収録の「海辺の墓地」で

大寺さんものと同じような

普通小説だと思っていたら

最後にどんでん返しがあって

びっくりさせられました。

 

いや、この結末を

ミステリでいうところの

どんでん返しといっていいのか

微妙なところですけど

その曖昧なところも含めて

印象に残った次第です。

 

ユーモア・タッチではないので

ミステリめいたところのある普通小説

例えば『村のエトランジェ』や

『懐中時計』に収録されている

いくつかの作品を思わせますが

ちょうど『宝石』に書いていた頃に

『北海道新聞』に載ったものですから

少しはミステリを意識していたのかも

とか思ったりもしたり。

 

本書には『宝石』に載った時の

江戸川乱歩のルーブリックを収め

三上延の解説までつけているのに

乱歩の紹介がないのは

しょうがないとはいえ

解説では「海辺の墓地」について

一言も言及されておらず

これには閉口させられた次第。


 

ところで

「リャン王の明察」には

以下のような記述があります。

 

リャン王はかなり頭が良かったらしい。また、謎解きを好んだと云われている。後世、唐の則天武后なる途方もない女傑の時代になると、ディ・レンジェ(狄仁傑)と云う名探偵の宰相が現われる。彼は他人の手に負えぬ夥しい数の難事件をつぎつぎと解決した人物として甚だ有名であるが、このリャン王はディ・レンジェには及ばぬものの、棕櫚の葉を敷いたと云われるくらいの資格はあるかもしれない。(p.282)

 

ディ・レンジェが

狄判官[てきはんがん]

あるいはディー判事として

海外ミステリ・ファンに知られており

今では全作品がハヤカワ・ミステリに

収められていますけど

この当時はまだ1〜2作ほどしか

知られていなかったはず。

 

それはそれとして

引用箇所に出てくる

「棕櫚の葉を敷いた

 と云われるくらいの

 資格はあるかもしれない」

という言い回しの意味が分からず。

 

検索してみたところ

イエスがエルサレムに入城する際

人々が自分の上着を敷いたり

葉のついた枝を敷いたりしたという

マルコやヨハネの福音書にある記述に

由来するようです。

 

もっとも

近年では棕櫚ではなくて

棗椰子[なつめやし]と

訳されるそうですけど

それはともかく

そうした聖書の記述に基づき

ここではリャン王が

エルサレムに入城する

イエスくらいには偉い

ということを意味するのかどうか。

 

そう解釈すると

畏れ多いような気もしますので

「ディー判事の露払いをした

 と云われるくらいの資格はある」

というような意味でしょうかね。

 

 

いずれにせよ

『黒いハンカチ』以外の

小沼丹のミステリがまとめられ

文庫で手軽に読めるのは

ありがたいことです。

 

最近は

いわゆる純文学作家の

ミステリ作品集を出すことに

意欲的な中公文庫の中でも

ひときわおすすめの一冊

といえるでしょう。

 

 

●追記(同日、23:45ごろの)

 

彌生書房・推理小説傑作選

第1巻の巻末広告によれば

収録予定作品は

「古い画の家」「クレオパトラの涙」

「リアン王の明察」

「バルセロナの書盗」「二人の男」

となっていました。

(国会図書館のデジタルコレクションで確認)

 

「バルセロナの書盗」は

初出はミステリ雑誌ではありませんが

後に『宝石』の増刊号に

再録されたこともある作品です。

 

実話に基づく話で

幻戯書房の銀河叢書

『井伏さんの将棋』(2018)に

エッセイ版が収録されており

それで今回の本からは

外されたものでしょうか。

 

だとしたら残念だなあ。

 

 

●さらに補訂(翌日、0:50ごろの)

 

「イエスくらいには偉い」

という解釈だけでは

やはり畏れ多いかと思って

「ディー判事の露払いをしたと

 云われるくらいの資格はある」

という解釈を足しておきました。

 

まずそういうあたりでしょう。