(1967/矢永 槇[やなが まき]訳、
ハヤカワ・ミステリ、1979.10.31)
『やとわれインターン』(1966)に続いて
ハヤカワ・ミステリから訳出された
もう1冊のオリオール作品です。
第3作『やとわれインターン』の邦訳は
奥付上は1969年1月15日ですから
すぐ訳されたといってもいいでしょうが
第4作『殺人は少女を大人にする』になると
実に、ほぼ10年後に訳出されたことになります。
どうしてこれほど遅れたのか、というより
なぜ10年後に訳されたのか
よく出たなあ
という想いが強いのですけど
自分も自分で
『殺人は少女を…』は出た当時
新刊書店で買ったんですが
今回が初読だったりします。(^^;ゞ
買ってから
実に、ほぼ40年経って
読了したことになるわけで
これはこれでどうかと思いますけどね。( ̄▽ ̄)
ヴァカンスで
両親とともにカンヌにやって来た
8歳の少女ソフィは
ある夜、浜辺からの帰り
殺人の現場に遭遇します。
被害者は
両親に同行するメンバーの1人で
殺害者もまた、同行する人間の1人でした。
ソフィは犯人の名前を告げることができず
警察の訊問をやりすごした後
滞在先から失踪してしまう……
というお話。
殺人の瞬間を目撃したとき
ショックのあまり頭が上手く働かず
言葉も出てこなかったため
読者にも犯人が誰なのか不明という状態で
ソフィの行方をめぐるサスペンスと
犯人探しの興味で読ませる作品
というふうにまとめられるかと思います。
クローズドな人間関係内における
男女の心理分析に嗜癖し
前景化させることをせず
事件の背景に押しやられているためか
比較的、読みやすかったですね。
もっとも
そうした心理分析への嗜癖が
背景に押しやられているためか
被害者の性格が充分に描かれていない
嫌いがあります。
それもあって
どうしてこの人たちが
揃ってヴァカンスを過ごしているのか
今ひとつよく分からず
人間関係の背景が書き込み不足
という印象が拭えなかったり。
英米のミステリなら
関係者への訊問場面などを通して
被害者の人物像を
浮かび上がらせるような気が
するんですけどね。
犯人の正体を示唆する伏線は
直接的には張られていませんし
人間関係の背景が曖昧なまま
ストーリーが進行するので
読み手は、一般的な本格もののように
犯人を当てることはできないと思います。
ですが、最後に
ある人間関係が明らかになったとき
小説の冒頭で
ソフィが父親に投げかけていた質問が
彼女のこまっしゃくれた性格を示す
ユーモア描写ではないことに気づかされ
やられたっ! と思ってしまいました。
謎解きに寄与するといえば
寄与するのですけど
その他の伏線が曖昧なため
これだけでは謎解きにつながらない
にもかかわらず
背負い投げ感を抱かせるあたり
実に心憎い書きっぷりで
この点において
『やとわれインターン』よりも
出来が良いように思います。
また、ソフィの祖父が
ソフィの行動に基づいて
関係者内から殺人犯を絞り込む
一種の推理を展開するあたりにも
感心することしきり。
この点をとってみても
『やとわれインターン』より
優れているように思います。
ソフィの祖父母の関係や
祖母の心理に対する
書き手の辛辣な視線も印象的でした。
特にソフィの祖母の豹変ぶりにはびっくり。
英米の作品なら
読み手が納得するように
書き込むと思うんですけど
『殺人が少女を…』の場合
まさに豹変としかいいようがなく
いろいろ解釈させる余地があり
ここらへんは小説としての面白さかなあ
という気もしています。
事件を担当する警視が
殺人犯と思われる人間にさらわれた
ソフィを探す手立てをとってから
そのやり方を人々が批判するのに対して
次のようにボヤきます。
映画や探偵小説に毒されて(略)
われわれがいくつかのボタンを押して、
サイレンを鳴らせば、
人を追跡するぐらい児戯に等しい
と心得ているのさ。(p.128)
こうしたボヤき自体は定番ですけど
確かに本書における手立ては
ちょっと珍しいかもしれません。
「アメリカでは、どいうふうにして
犯人たちを追いつけるか知ってますか?」
と関係者の一人が問い詰めると
「そういう報告書を見たことがないもので」
と警視が静かに答える
という場面(p.138)もあります。
この場面から
先に引用した箇所にある
「映画や探偵小説」は
アメリカのものであることを
示唆しているようにも思えますけど
第2次大戦前のメグレものの映画
例えば『署名ピクピュス』なんかを
思い出したりしました。
原題は Un meurtre, ça fait grandir で
「殺人、それは(人を)成長させる」
というような意味になります。
少女「だけ」を成長させる
というニュアンスはありません。
殺人事件のあとでは
人は無垢ではいられない
というようなニュアンスだと思いますが
どうでしょうね。
それはそれとして
『殺人は少女を大人にする』よりも
『殺しは少女を大人にする』の方が
座りがいいと思うんですけれども。