『アンクル・アブナーの叡知』

(1918/吉田誠一訳、

 ハヤカワ・ミステリ文庫、76.8.15)

 

ちょっと必要があって再読。

 

メルヴィル・デイヴィスン・ポーストという

シャーロック・ホームズの

ライヴァルたちの時代に

アメリカで健筆をふるった作家による

代表作。

 

アメリカの第3代大統領

ジェファーソンの時代(1801〜1809)

別の説によれば

南北戦争が始まる10年前、1850年代の

ウェスト・ヴァージニアを舞台に

アンクル・アブナー(アブナー伯父)

という土地の名士が関わった

18の事件を収録した時代ミステリ集です。

 

 

と、今なら

こういう説明が必要になると

思うのですけど

この本が出た当時

アブナー伯父といえば

「ドゥームドゥーフ事件

(ズームドルフ事件)」という

密室ものの名作に登場する名探偵として

海外ミステリの愛読者であるなら

知らない人がいないくらい

有名な存在でした。

 

それでも当時

この本が出る前に

実際に読めたのは

上記した「ズームドルフ事件」と

「ナボテの葡萄園」の

2編くらいではなかったでしょうか。

 

両方ともアンソロジーに採られていて

自分も「ズームドルフ事件」の方は

創元推理文庫の

江戸川乱歩編のアンソロジー

『世界短編傑作集2』で読みました。

 

「ナボテの葡萄園」の方は

ハヤカワ・ミステリの

『黄金の十二』に入っていたのかな。

 

そちらでは読んでいません。

 

新刊書店になかったか

あっても高くて買えなかったか

『世界短編傑作集』との

ダブりが多かったから買わなかったか

いずれかの理由で

読めなかった/

読まなかったのだと思います。

 

それもあって

ハヤカワ・ミステリ文庫で

短編集がまるまる1冊訳された時は

まさに飛びつくようにして買い

貪るようにして読みました。

(たぶんw)

 

 

この刊本には

収録作の原題すら

どこにも表記されていませんし

もちろん、各編の初出年月なども

記されておりません。

 

原題と発表年は

その後に創元推理文庫から出た

『アブナー伯父の事件簿』(1978)の

解説を読んで

初めて知った次第です。

 

ただ、その創元推理文庫版でも

初出の判明していない作品が

あったんですけど

今では海外での調査も進んでおり

ネットで簡単に調べられます。

 

(たとえばこちら↓

 http://www.philsp.com/homeville/fmi/0start.htm

 

そこで今回は

単行本の収録順ではなく

初出順で読んでみました。

 

そうすると面白いことに

アブナー伯父を中心とする

キャラクター相互の関係性だけでなく

ちょっとした時間の流れなども見えてきて

シリーズの統一的な世界観のようなものを

楽しむことができました。

 

特に

「ズームドルフ事件」でしか

知らなかった

ランドルフ治安官のキャラが

くっきりとしてきたのには

ちょっと驚きました。

 

この読み方はおすすめですね。

 

 

せっかくですから

以下にタイトルを初出順に

あげておきます。

 

カッコ内は

創元推理文庫『アブナー伯父の事件簿』の

収録作品と邦題です。

 

「ズームドルフ事件」のみ

同じ創元推理文庫でも

『世界短編傑作集2』に

収録されています。

 

 神の使い(天の使い)

 手の跡

 死者の家

 第十戒

 金貨

 ナボテの葡萄園(ナボテの葡萄園)

 黄金の十字架(悪魔の道具)

 神のみわざ(不可抗力)

 黄昏の怪事件(私刑[リンチ])

 ドゥームドゥーフ事件(ズームドルフ事件)

 魔女と使い魔(地の掟)

 藁人形(藁人形)

 血の犠牲

 神の摂理(偶然の恩恵)

 宝さがし(海賊の宝物)

 奇跡の時代

 養女(養女)

 禿鷹の目

 

 

で、本が出た当時は主に

トリックや犯人探しの手がかりなど

謎解きミステリとしての興味に引かれて

読み進んでいったと思います。

 

ですから、たとえば

「神のみわざ(不可抗力)」

という短編に対して

ハワード・ヘイクラフトが

偽の手紙の本文が読者に示されていないから

完璧な作品になりそこねた、と

評価を下している点についても

なるほどその通り

と思っていました。

 

今回、読み直して思ったのは

これを挑戦型のミステリと見るなら

アブナー伯父が

偽の手紙だと見破った理由を

読者が推理する話として捉えるべきで

そういうふうに考えれば

アンフェアでも何でもないのではないか

ということでした。

 

こういう読み方が

できるようになったのも

経験を積んだおかげ

……というより

飯城勇三の『エラリー・クイーン論』などを

読んだりしたためかもしれませんけど

従来の読み方とは

違う視点を得られたので

それだけでも再読した甲斐があった

というところでしょうか。

 

 

また今回は

初読時とは違い

アメリカ民主主義の教科書

とでもいえそうな内容に

惹かれました。

 

特に「ナボテの葡萄園」は

感動的な物語です。

 

特に感動したのは

アブナーが法廷を批判して

賛同する有権者の規律を促したとき

旧教の神父とカルヴィン派の信奉者、

メソジスト派の牧師

それぞれ異なる教えを信奉する者が

共に起立する場面。

 

「これらの人たちは互いに

 相手の説くところを信じようとしないが、

 正義を信ずることでは同じ立場に立ち、

 一線の画されるときには、

 ひとしく正義の側に立つのだった」(p.370)

 

歴史上、明らかな通り

宗教的対立が

もっとも悲惨な結果を

生むことが多いのですけど

にもかかわらず

上記のような場面を描くところに

ポーストの理想と

真骨頂をうかがうことができる、

そんな名場面だと思います。

 

昨今、見られるような

国民の負託の授受に対する誤解

ないし、日米の権力者が示す

民主主義に対する勘違いを

仄聞するにつけても

「ナボテの葡萄園」の素晴しさは

いくら称賛してもし足りないくらい。

 

 

そして「黄昏の怪事件」の

「立派な人間が法を破ったら

 つまらぬ人間どもがその例にならい、

 (略)

 復讐や略奪のためにそいつを利用するだろう。

 かくして、法はめちゃくちゃになり、

 法を頼りにしている、

 弱い、罪もない人間が、

 法の保護をうけられなくなるだろう」(p.143)

というアブナー叔父の発言。

 

また「第十戒」の

「法はかなずしも正義とは限らん」(p.183)

「法のもとでは(略)

 弱き者や無知な者は

 その弱さや無智ゆえに損をし、

 抜け目のない者や狡猾な連中は

 その抜け目なさや狡猾さゆえに得をする。

 その点、どうしようというのかね」(pp.184-185)

と言うアブナー伯父に対して

対話者が

「そいつをどうにかするには、

 世の中を作り変えなければならんでしょうよ」(p.185)

と返答すると

「おそらくそれも可能だろうな、

 みんなが力を合わせて努力すればね」(同)

とアブナー伯父が答える場面。

 

こうした、

法をめぐる発言や対話は

日本の自己責任論への再考を

促すものがあるように思います。

 

 

「藁人形」では

神の前では人間の知性など

不完全なものであり

だからこそ「理性」が必要なのだし

「推理」する必要があるのだという

イギリス保守思想的なものとも通じる

アブナー伯父の思想に接することができて

改めて感心させられた次第です。

(ポーストは純粋なアメリカ人ですが)

 

ミステリ論の視点からは

「神の如き」名探偵という存在の

不完全性を指摘している

とも解釈できるわけですけど

まさに古きを温ねて

新しきを知る思いでした。

 

 

日本では

1918年に出た短編集の

これが唯一の全訳になるのですけど

現在、新刊としては品切れのようです。

 

シャーロック・ホームズや

ブラウン神父のシリーズとともに

ミステリ・ファン必読必携の短編集

というだけにとどまらず

民主主義の原点を知るという意味でも

今こそ読みごろの1冊だと思う次第。

 

古書価は

そんなに高くないみたいですけど

ぜひとも再刊を望みたいですね。(^_^)

 

 

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