以前、パトリック・クェンティンの
『巡礼者パズル』(1947)を紹介した際
ピーター・ダルーズとアイリスのシリーズは
このあと、未訳の Run to Death と
『女郎ぐも』(1962)があるだけだ
と書きました。
『女郎ぐも』は
当時、絶版でしたが
昨年になって
『女郎蜘蛛』と改題の上
新訳されました。
そしてシリーズの残り1冊
Run to Death が
『死への疾走』という邦題で
この4月、ついに翻訳されました。

(1948/水野恵訳、論創社、2015.4.30)
これでダルース夫妻シリーズは
すべて訳されたことになります。
とはいえ本書においてアイリスは
電話でちょっと顔出しするくらいですけど。
『巡礼者パズル』の事件が解決したあと
夫婦の危機を乗り越えて
よりを戻したピーターとアイリス。
アイリスは仕事の都合で
一足先にニューヨークへ帰り
しばらく観光を楽しもうと
一人メキシコに残ったピーターが
巻き込まれた事件の顛末を描くのが
今回の『死への疾走』になります。
『巡礼者パズル』に続いて
メキシコを舞台としており
遺跡に観光に行く途中で
何者かに追われている
若い娘と知り合ったピーターでしたが
ふと眼を離している隙に
当の娘が殺されてしまいます。
自責の念に駆られて
犯人を突き止めようとするピーターでしたが
逆に、犯人から
娘から何か預かっていると思われて
命を狙われるはめに陥る
というお話です。
今回は
フーダニットの本格ものというより
スパイ・スリラーのようなストーリー。
信用できると思った人物が
疑わしくなり
疑わしいと思っていたら
やはり信頼できる人物だった
かと思えば……
というふうに
誰を信用していいか分からない
攻守がくるくる入れ替わる意外性と
疑心暗鬼がメインの
サスペンスものですが
ひとつ、気の利いたアイデアがあって
最後の方でちょっと驚かされます。
あと、最初に殺された娘が
ピーターに宛てたメッセージの謎解きが
ちょっと暗号解読めいた興味があります。
登場人物間で相互に誤解することで
信頼と裏切りのドラマが成立するという
プロットの組み立ての面白さが
キモでしょうか。
本格ミステリの書き手として人気のある
アガサ・クリスティーには
『秘密機関』(1921)や
『チムニーズ館の秘密』(1925)
『なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか?』(1934)
など、スリラー系統の作品がいくつかありますが
クェンティンの本作品も
その系統に属するといえるでしょう。
クリスティーと違って
信頼し合ったカップルの冒険
という形はとらず
ピーター・ダルーズ単独の冒険
ということになるわけですが。
なかなか鮮やかで
印象的なカバー・イラストは
本作品の第2部が
メキシコのお盆に相当する
(ピーターは作中[pp.78-79]で
ハロウィンと比較していますが)
死者の日に沸くメキシコシティを
舞台としていることに
基づくのでしょう。
もっとも、具体的に何なのか
よく分かりませんけど。
供え物として作られる
頭蓋骨を模した砂糖菓子か
「死者のパン」だろうと思って
検索してみたら
ちょっと形状が違うようだし。
第1部ではユカタン半島の
マヤ遺跡に点在する
セノーテ(生贄の泉)に
被害者が突き落とされますし
第2部では
ロス・レメディオス聖母教会や
ソチミルコの浮島庭園
クイクイルコ遺跡などが
事件の舞台となります。
いってみれば本作品は
これもクリスティーが得意とした
『メソポタミヤの殺人』(1936)や
『ナイルに死す』(1937)といった
いわゆる中東ものと同じタイプ。
メキシコを舞台とした
トラベル・ミステリでもあるわけです。
というわけで
トラベルもの+スパイ・スリラー
といったタイプの作品
もっといえば
ヒッチコック映画が好きな方には
おススメかもしれません。
本作品と同時に
クェンティンが
ジョナサン・スタッグという
別名義で発表したシリーズの第1作
『犬はまだ吠えている』が出ました。

(1936/白須清美訳、原書房、2015.4.30)
アメリカの小村が舞台ですが
冒頭の狐狩りのシーンは
まるでイギリスが舞台かと
見紛わんばかり。
『死の疾走』と比べると
フーダニットという観点からすれば
こちらの方が
端正な出来ばえを示しています。
もっとも
本格ミステリを読み慣れた読者なら
メイン・トリックに
すぐ気づくのではないでしょうか。
その意味では典型的過ぎて
ちょっと物足りないかも。
念のため付け加えておくと
メイン・トリックに気づいたからといって
真犯人がすぐに分かるわけではありません。
ただ、登場人物の誰一人として
(探偵役ですら)
あることを疑問に思わないのは
現代の読者目線からすると
シラケるのではないかと思ったわけです。
ただし
シリーズ・キャラクターである
やもめのウェストレイク医師と
その娘ドーン(10歳)とのやりとりは
ちょっとほのぼのした感じがあって
いいですね。
特にウサギをめぐるやりとりは
読んでいて楽しくなります。
冒頭のシーンが狐狩りですから
犬と馬が重要な役割を果たします。
動物の話題が多い小説が好きな方には
ポイントが高いかも。
もっとも馬好きの方には
ちょっとつらいかもしれない
シーンもありますけど。
いかにも謎解きミステリらしいミステリ
あるいは
コージー・ミステリのような
キャラ読みを楽しみたい方には
こちらがおススメかもしれません。
なお
書影をよく見ていただけると分かる通り
お互いの本のオビで
お互いの本の同時刊行を告知しています。
会社の枠を越えたコラボレーションが
ちょっと珍しく
印象に残りますね。
その心意気を買って
こちらのブログでも
2冊一緒に紹介した次第です。(^_^)

●補足(翌日3:00ごろの)
『犬はまだ吠えている』の感想につきまして
「念のために」以下7行ほど
追記しておきました。
この作品のメイン・トリックは
それを知らない素朴な読者を騙そうと思うか
それを知っているマニアな読者も騙そうと思うか
マニアな読者といっても
作者がどのレベルを意識して書いているのか
判断に迷うところでして。
もしかしたら
作中の登場人物のレベルで自然でありながら
そこそこミステリを読みなれている読者も騙す
という難しいところを狙っているのかも知れないと
3時間ほど経って思い至ったものですから。
頭悪くてすみません。m(_ _)m
『巡礼者パズル』(1947)を紹介した際
ピーター・ダルーズとアイリスのシリーズは
このあと、未訳の Run to Death と
『女郎ぐも』(1962)があるだけだ
と書きました。
『女郎ぐも』は
当時、絶版でしたが
昨年になって
『女郎蜘蛛』と改題の上
新訳されました。
そしてシリーズの残り1冊
Run to Death が
『死への疾走』という邦題で
この4月、ついに翻訳されました。

(1948/水野恵訳、論創社、2015.4.30)
これでダルース夫妻シリーズは
すべて訳されたことになります。
とはいえ本書においてアイリスは
電話でちょっと顔出しするくらいですけど。
『巡礼者パズル』の事件が解決したあと
夫婦の危機を乗り越えて
よりを戻したピーターとアイリス。
アイリスは仕事の都合で
一足先にニューヨークへ帰り
しばらく観光を楽しもうと
一人メキシコに残ったピーターが
巻き込まれた事件の顛末を描くのが
今回の『死への疾走』になります。
『巡礼者パズル』に続いて
メキシコを舞台としており
遺跡に観光に行く途中で
何者かに追われている
若い娘と知り合ったピーターでしたが
ふと眼を離している隙に
当の娘が殺されてしまいます。
自責の念に駆られて
犯人を突き止めようとするピーターでしたが
逆に、犯人から
娘から何か預かっていると思われて
命を狙われるはめに陥る
というお話です。
今回は
フーダニットの本格ものというより
スパイ・スリラーのようなストーリー。
信用できると思った人物が
疑わしくなり
疑わしいと思っていたら
やはり信頼できる人物だった
かと思えば……
というふうに
誰を信用していいか分からない
攻守がくるくる入れ替わる意外性と
疑心暗鬼がメインの
サスペンスものですが
ひとつ、気の利いたアイデアがあって
最後の方でちょっと驚かされます。
あと、最初に殺された娘が
ピーターに宛てたメッセージの謎解きが
ちょっと暗号解読めいた興味があります。
登場人物間で相互に誤解することで
信頼と裏切りのドラマが成立するという
プロットの組み立ての面白さが
キモでしょうか。
本格ミステリの書き手として人気のある
アガサ・クリスティーには
『秘密機関』(1921)や
『チムニーズ館の秘密』(1925)
『なぜ、エヴァンズに頼まなかったのか?』(1934)
など、スリラー系統の作品がいくつかありますが
クェンティンの本作品も
その系統に属するといえるでしょう。
クリスティーと違って
信頼し合ったカップルの冒険
という形はとらず
ピーター・ダルーズ単独の冒険
ということになるわけですが。
なかなか鮮やかで
印象的なカバー・イラストは
本作品の第2部が
メキシコのお盆に相当する
(ピーターは作中[pp.78-79]で
ハロウィンと比較していますが)
死者の日に沸くメキシコシティを
舞台としていることに
基づくのでしょう。
もっとも、具体的に何なのか
よく分かりませんけど。
供え物として作られる
頭蓋骨を模した砂糖菓子か
「死者のパン」だろうと思って
検索してみたら
ちょっと形状が違うようだし。
第1部ではユカタン半島の
マヤ遺跡に点在する
セノーテ(生贄の泉)に
被害者が突き落とされますし
第2部では
ロス・レメディオス聖母教会や
ソチミルコの浮島庭園
クイクイルコ遺跡などが
事件の舞台となります。
いってみれば本作品は
これもクリスティーが得意とした
『メソポタミヤの殺人』(1936)や
『ナイルに死す』(1937)といった
いわゆる中東ものと同じタイプ。
メキシコを舞台とした
トラベル・ミステリでもあるわけです。
というわけで
トラベルもの+スパイ・スリラー
といったタイプの作品
もっといえば
ヒッチコック映画が好きな方には
おススメかもしれません。
本作品と同時に
クェンティンが
ジョナサン・スタッグという
別名義で発表したシリーズの第1作
『犬はまだ吠えている』が出ました。

(1936/白須清美訳、原書房、2015.4.30)
アメリカの小村が舞台ですが
冒頭の狐狩りのシーンは
まるでイギリスが舞台かと
見紛わんばかり。
『死の疾走』と比べると
フーダニットという観点からすれば
こちらの方が
端正な出来ばえを示しています。
もっとも
本格ミステリを読み慣れた読者なら
メイン・トリックに
すぐ気づくのではないでしょうか。
その意味では典型的過ぎて
ちょっと物足りないかも。
念のため付け加えておくと
メイン・トリックに気づいたからといって
真犯人がすぐに分かるわけではありません。
ただ、登場人物の誰一人として
(探偵役ですら)
あることを疑問に思わないのは
現代の読者目線からすると
シラケるのではないかと思ったわけです。
ただし
シリーズ・キャラクターである
やもめのウェストレイク医師と
その娘ドーン(10歳)とのやりとりは
ちょっとほのぼのした感じがあって
いいですね。
特にウサギをめぐるやりとりは
読んでいて楽しくなります。
冒頭のシーンが狐狩りですから
犬と馬が重要な役割を果たします。
動物の話題が多い小説が好きな方には
ポイントが高いかも。
もっとも馬好きの方には
ちょっとつらいかもしれない
シーンもありますけど。
いかにも謎解きミステリらしいミステリ
あるいは
コージー・ミステリのような
キャラ読みを楽しみたい方には
こちらがおススメかもしれません。
なお
書影をよく見ていただけると分かる通り
お互いの本のオビで
お互いの本の同時刊行を告知しています。
会社の枠を越えたコラボレーションが
ちょっと珍しく
印象に残りますね。
その心意気を買って
こちらのブログでも
2冊一緒に紹介した次第です。(^_^)

●補足(翌日3:00ごろの)
『犬はまだ吠えている』の感想につきまして
「念のために」以下7行ほど
追記しておきました。
この作品のメイン・トリックは
それを知らない素朴な読者を騙そうと思うか
それを知っているマニアな読者も騙そうと思うか
マニアな読者といっても
作者がどのレベルを意識して書いているのか
判断に迷うところでして。
もしかしたら
作中の登場人物のレベルで自然でありながら
そこそこミステリを読みなれている読者も騙す
という難しいところを狙っているのかも知れないと
3時間ほど経って思い至ったものですから。
頭悪くてすみません。m(_ _)m