『これよりさき怪物領域』
(1970/山本俊子訳、ハヤカワ・ミステリ、1976.4.30)

上掲の写真は
1990年3月31日発行の
再版の際の表紙です。

14年後に再版というのもすごいですが。


題字部分のペタッとした青緑色は
1990年代のポケミスの
特徴かと思います。

1976年ごろのポケミスは
また違った色合いでした。


本作品は、発表順からいうと
『心憑かれて』(1964)に続く長編ですが
あいだ、6年空いてますので
久しぶりの長編ということになります。

だからということもあってか
アメリカ探偵作家クラブ賞・最優秀長編賞の
最終候補にもなりました。


自分は今回初めて読むというか
実は持ってなくて
(今までブログで紹介してきたように
 作品を読み続けてくると)
ここまで来たら読まずにはいられない!
というわけで
今回「日本の古本屋」を通して購入して
すぐ読み終わった次第です。

200ページほどですので
3時間ほどで読めちゃいました。

もったいない……


ただ、出来映えはといいますと
今までよりは、やや落ちる感じ。

基本的に、裁判所における
夫の死亡確認審議が中心となります。

こういう設定の法廷ものは
珍しいと思いますが
ミラーが得意とする
日常の人間関係の描写から
じわじわと事件や謎に迫る
という書き方ではないので
何となく物足りない感じがします。

ミラー自身は
会話だけで進む小説が書きたいと
インタビューで話してたことがありますので
それを目指したのかもしれませんが
法廷の会話は、そういうのとは
違うだろうという感じで。


あと、メインとなる事件の解決は
あることはあるものの
そのメインの事件以外の部分は
やや説明不足というか
読み手の想像や補完に
委ねているようなところがあり
読者によっては
不親切だと思うかもしれません。

エンディングの一文も
考えれば考えるほど
身震いするような怖さがありますが
考えるのがめんどくさい読者には
何があったの?
という感じではないでしょうか。

その意味では、かなり
読み手を選ぶ作品だと思いますね。

エンタメだからといって
読者を甘やかさないというか。


この作品に関しては
題名にもなっている
「怪物領域」をめぐる部分が
ミラーの作風を象徴するものとして
解説などで、よく引かれます。

まだ地球が平面だと思われていた
中世の地図に
未踏の地域ということでしょうか
「これより先怪物領域」と記されていて
それを気に入った息子が
自分の部屋のドアに
そういう文句のプレートを付ける
という思い出を語った母親が曰く、
昔は(中世の頃は)
「人の住む場所と、
 怪物の住む場所を
 きちんと区別していました。
 その世界がほんとうはまるくて、
 場所はみんなつながっており、
 怪物とあたしたちをへだてる
 何ものもない、と知ることは
 たいへんなショックなのよ。
 あたしたちは空間の中を
 一緒にぐるぐるとまわっていて、
 そこから下に落ちることすら
 できないんですものね。」(p.139)

ミラーのこの認識は
誰だって「怪物」になりうる
ということを示しています。

つまり「これよりさき
怪物領域」なんていうのは
ないということをいっているわけで
これは昨今の
凡庸なタイプのサイコ・スリラーとは
違う認識だと思いますし
だから『心憑かれて』のような作品も
書けたんだなあと思うわけです。


あと、本書のポイントは
166~167ページで
ある登場人物が言う
「証言が何です?
 たかが、人の話じゃありませんか。
 人はウソをつきます。
 自分を守るため、よく見られたいため、
 お金のため、
 いえ、ウソをつく理由なんか、
 いくらでもありますよ。
 判事の前であろうと、聖書に誓おうと、
 そんなことは何の拘束にもなりはしないわ」
という台詞にあると自分は思っていて
というのも、これがラストで
(メインの事件の真相とは別の部分で)
効いてくるんですよね。

また、上の台詞を吐かせた作者が
書いているわけですから
本作品はアンチ法廷ミステリでも
あるかもしれないと思うわけです。


また、本作品の読みどころは
いろいろな登場人物のストーリーが
ポリフォニックに絡んでいるところであって
単線的な心理サスペンスでないところ
だと思いますが
それがどういうふうに
読みどころといえるのかを詳しく書くと
ネタを割っちゃうことにもなりますので
これ以上は書けない……( ̄▽ ̄)

そのポリフォニックな構成の中で
失踪した農場主ロバートの心理だけ
内面に分け入って書かれていないのが
話を分かりにくくしているようにも
思います。

そこらへんは、あえてそうした
作者の計算だと思いますが
はて、いかがなものでしょうか。


その他の読みどころとしては
カリフォルニアの
農場の空気感というのがよく出ていて
ハゲタカやフクロウの描写とか
乾季には干上がる河とかが
雰囲気を高めるのに与ってますね。

それ自体は良かったかもしれないです。


ただ、翻訳の語感はやや古くて
バーボンをブルボンと訳しているのには
自分的には頭の中で変換できるにしても
ちょっと興が殺がれる感じでした。

山本俊子の訳業自体は
今まで読んできたものから考えても
信頼できるものだと思うんですけどね。

その意味では改訳を望みたいところです。


ペタしてね