以前、感想をアップしたことのある
カナダの女性作家による
ガマシュ警部シリーズの第4作です。

(2008/長野きよみ訳、RHブックス+プラス、2012.7.10)
題名には
スリー・パインズ村が謳われていますが
今回の事件が起きる主な舞台は
ガマシュ警部が妻とともに
結婚記念日を祝うために毎年訪れている
ロッジ風のホテルです。
そこで、やはり毎年開く
家族親睦会のために
集まってきていた一族の内の一人が
彫像に押しつぶされて死ぬ
という事件が起きます。
彫像は人間一人の力では
とても動かせそうにないほど重い。
なのに被害者は逃げもせず
押しつぶされている。
折からの嵐による
事故のようにも思われましたが
ガマシュは殺人だと断定して捜査を始める
というお話です。
殺人事件は150ページになるまで起きません。
その間、被害者が属していた一族の描写や
家族間のわだかまりや葛藤が
丁寧に描かれていきます。
そうやって緊張を高めていって
緊張の糸が限界まで絞られた
あるいは引き延ばされたところで
殺人事件が起こるという書きっぷりは
堂々としたものでした。
こういうタイプの作品こそ
「黄金期の探偵小説」という言葉が
ぴったりしっくりきます。
ただ、「現代版」といえるかどうかは
微妙なところ。
作品世界はきわめて古風であり
アガサ・クリスティーのミステリを
読んでいるような気分になります。
前作『スリー・パインズ村の無慈悲な春』は
ガマシュの組織内における
微妙な立場をめぐる陰謀と
メインの事件の進行とが
上手くリンクしていて
まさに「現代風」という印象を受けましたが
今回は古い一族ものを超える何か、が
描き込まれているように思えません。
それだけに安心して読めるので
クリスティー風のミステリが好きな方には
おススメの作品です。
彫像をめぐるハウダニット
(犯人はいかにして行なったか)
については、伏線が張られていますが
まあ、こんなもんだろうな、という感じ(苦笑)
また、あえて彫像で殺す必然性までは
考えられていないように思いました。
(当方の読み逃しでなければ)
象徴的な動機でもいいから
一言ふれられていればなあ、と
思わずにはいられません。
それがあれば、古風なだけではない
「現代風」謎ときミステリに
なっていたでしょう。
そうしたハウダニットの興味よりも
登場人物に対する興味の方が
勝っているように思います。
被害者の一族だけでなく
ガマシュの父親をめぐって起こる
一連の葛藤にも
感心させられるものがありました。
一族の死んだ父親と
ガマシュの父親との両方を描くことから
父と家族(子ども)の関係が
作品の通奏低音になっていると思われます。
一族の死んだ父親が抱いていた想いについては
やや分かりにくい気もしますが
『火焔の鎖』で描かれていた
母親のありように対する説得力よりは
マシかなあという感じがします。
あと、フーダニットに関してですが
犯人の隠し方は実に巧妙でした。
フーダニットがらみで感心した点を
ひとつ書いておくと、
ある人物のキャラクターを際立たせるために
描かれる過去の回想だと思っていたら
犯人の動機を示唆する伏線だったことが
最後の謎解き場面で分かり、
これには膝を打つ思いでした。
本書と同じ年に第5作が出ていて
そちらがアガサ賞を取っているようですので
向こうの読者は第5作の方を
優れていると判断したことになります。
そちらが翻訳され、読める日がくることを
楽しみに待ちたいと思います。
そう思わせるほどの出来映えではありました。
カナダの女性作家による
ガマシュ警部シリーズの第4作です。

(2008/長野きよみ訳、RHブックス+プラス、2012.7.10)
題名には
スリー・パインズ村が謳われていますが
今回の事件が起きる主な舞台は
ガマシュ警部が妻とともに
結婚記念日を祝うために毎年訪れている
ロッジ風のホテルです。
そこで、やはり毎年開く
家族親睦会のために
集まってきていた一族の内の一人が
彫像に押しつぶされて死ぬ
という事件が起きます。
彫像は人間一人の力では
とても動かせそうにないほど重い。
なのに被害者は逃げもせず
押しつぶされている。
折からの嵐による
事故のようにも思われましたが
ガマシュは殺人だと断定して捜査を始める
というお話です。
殺人事件は150ページになるまで起きません。
その間、被害者が属していた一族の描写や
家族間のわだかまりや葛藤が
丁寧に描かれていきます。
そうやって緊張を高めていって
緊張の糸が限界まで絞られた
あるいは引き延ばされたところで
殺人事件が起こるという書きっぷりは
堂々としたものでした。
こういうタイプの作品こそ
「黄金期の探偵小説」という言葉が
ぴったりしっくりきます。
ただ、「現代版」といえるかどうかは
微妙なところ。
作品世界はきわめて古風であり
アガサ・クリスティーのミステリを
読んでいるような気分になります。
前作『スリー・パインズ村の無慈悲な春』は
ガマシュの組織内における
微妙な立場をめぐる陰謀と
メインの事件の進行とが
上手くリンクしていて
まさに「現代風」という印象を受けましたが
今回は古い一族ものを超える何か、が
描き込まれているように思えません。
それだけに安心して読めるので
クリスティー風のミステリが好きな方には
おススメの作品です。
彫像をめぐるハウダニット
(犯人はいかにして行なったか)
については、伏線が張られていますが
まあ、こんなもんだろうな、という感じ(苦笑)
また、あえて彫像で殺す必然性までは
考えられていないように思いました。
(当方の読み逃しでなければ)
象徴的な動機でもいいから
一言ふれられていればなあ、と
思わずにはいられません。
それがあれば、古風なだけではない
「現代風」謎ときミステリに
なっていたでしょう。
そうしたハウダニットの興味よりも
登場人物に対する興味の方が
勝っているように思います。
被害者の一族だけでなく
ガマシュの父親をめぐって起こる
一連の葛藤にも
感心させられるものがありました。
一族の死んだ父親と
ガマシュの父親との両方を描くことから
父と家族(子ども)の関係が
作品の通奏低音になっていると思われます。
一族の死んだ父親が抱いていた想いについては
やや分かりにくい気もしますが
『火焔の鎖』で描かれていた
母親のありように対する説得力よりは
マシかなあという感じがします。
あと、フーダニットに関してですが
犯人の隠し方は実に巧妙でした。
フーダニットがらみで感心した点を
ひとつ書いておくと、
ある人物のキャラクターを際立たせるために
描かれる過去の回想だと思っていたら
犯人の動機を示唆する伏線だったことが
最後の謎解き場面で分かり、
これには膝を打つ思いでした。
本書と同じ年に第5作が出ていて
そちらがアガサ賞を取っているようですので
向こうの読者は第5作の方を
優れていると判断したことになります。
そちらが翻訳され、読める日がくることを
楽しみに待ちたいと思います。
そう思わせるほどの出来映えではありました。