これまた、今年の1月に出た本を
今ごろ読み終えたわけですが
作中では例年にない暑い夏の季節な上に
放火事件が起きたりする
ホットな内容なので
今、読んで、ちょうど良かったかも(^^;ゞ

(2004/玉木亨訳、創元推理文庫、2012.1.27)
作者名が、なんだかどこぞの
ジュエリー・ショップを連想させる(苦笑)
イギリス作家ジム・ケリーによる本書は、
イングランド東部の沼沢地帯を舞台として
地元紙の主任記者ドライデンを主人公とする
シリーズの2作目です。
ストーリーは
ざっくりと説明しがたいというか
最後の最後まで
メイン・プロットが奈辺にあるか
分かりにくい書き方をしていることもあり
今回は省略(苦笑)
以下、ストーリーと直接関係しない
細部について先に書いておくと、
ドライデンの妻が入院している
病院の管理人(雑役夫?)が
いつも口笛でクラシックを吹いていて、
ベートーヴェンの「歓喜の歌」や「皇帝」
ラヴェルの「ボレロ」は分かったけど
ブルッフのヴァイオリン協奏曲は
知らなかったー(>_<)
こうした細部に
イギリス人のクラシック好きが
よく感じられて面白いっす。
ちなみに、ドライデンの妻は
「閉じ込め症候群」という
精神的な脳死を思わせるような
珍しい病気で入院しているのですが
今回の作品では
COMPASS(コンパス)という装置で
たどたどしくながらも
意思を伝えられる(かの)ような状況
ということになってます。
それが要所要所で
ドライデンに示唆を与えるだけでなく
洒落たラストにも貢献しているのですが
どう洒落ているかは
読んでのお楽しみということで。
で、ここからが本題
というか備忘的な感想になります。
ちょっとネタ割り的な記述もありますので
ご注意ください。
上にアップした写真でも分かるように
オビには「現代版『黄金期の探偵小説』」
とありますけど
今回、読みながら思ったのは
「黄金期の探偵小説」というより
地方都市を舞台とする私立探偵小説
といったノリではないか
ということでした。
なるほど小説としては
「黄金期の探偵小説」というか
ある作中人物の言葉を借りれば
ディケンズ的な背景を持つ話なのですが
プロット自体は「黄金期」っぽい感じを
受けません。
「黄金期の探偵小説」って何よ
ということを説明しないと
どうして「黄金期」っぽくないか
説明したことにはならないのですが
長くなるので省略したい
というが、正直なところ(苦笑)
ひとつだけ思いつきでいっとくと、
主人公ドライデンの調査行が
行き当たりばったりで
作者のプロットのための狂言回しにしか
なっていないのではないか
と感じさせるところがあるからです。
「黄金期の探偵小説」の探偵役は
作者が用意した事件に対して
自分なりに論理的にアプローチしよう
という意識がある(かの)ように
作者も書いていたと思うのですが、
ということは、だからつまり
事件が中心だったわけですが、
ジム・ケリーの書き方は
プロットを中心に
それを解きほぐすガイドとして
探偵役のドライデンを使っている
という感じなのですよ。
だから探偵役が、ある人物に
この時点で訊問しようと思う必然性が
余り感じられないし
事件について思考するキャラではないから
行き当たりばったりな調査になっちゃう。
それはリアルといえばリアルですけど
「黄金期の探偵小説」の探偵役の捜査とは
似て非なるものだと思うわけです。
もちろん個人的な印象にすぎませんが。
ですから
「現代版『黄金期の探偵小説』」
として読み始めるよりも
地方新聞の記者を調査主体として
ヴィクトリア朝の大衆小説
いわばセンセーション・ノヴェルを
現代風にアレンジした小説だと思って
読み始めた方が、楽しめると思います。
だってこれって
(ここから
ちょっとネタ割りになって
恐縮なのですが)
チェンジリングの現代バージョンでしょう。
仮に、本書の謎が
何故ある人物が昔そんなことをしたのか
という点に絞られるとしたら
もうちょっとその人物が
そんなことをするキャラだと
読み手に説得的に感じられるように
描かれなければならないはずですが
それに関しては
うまくいってないと思います。
現代のストーリーで
デート・レイプなどの事件を絡めて
読み手を心情的に説得させようという
プロット上の工夫は感じられはしますが
これは計算違いだったような気がします。
もちろん、そのキャラの方ではなく
さまざまな父親的存在の悲劇を
重層的に描くことを作者が意図したのなら
そちらの方はプロット的にも
興味深い成果を上げていると思いますけど
(どう興味深いのかは
いえば、さらなるネタ割りになるし
まあ、面倒くさいこともあり
詳述しませんがw)
そういうドラマ部分と謎ときの部分とが
やや乖離傾向にあるのではないか
というのが正直な感想です。
自然描写とかで
上手く誤摩化してるというか
読み手の気をそらしてますけどねー(藁
何か悪口を書いてるようですが
出来の悪い小説ということではなくて
「現代版『黄金期の探偵小説』」
とかいわれなければ
ちょっと重いけど
そこそこ面白い
謎とき興味もある小説として
素直に読めたのではないか
と、いいたいわけです。
露骨にネタ割りしていないので
読んでない人には
分かりづらいかと思いますが
まあ、今年の1月という
ずいぶん前に出た小説だということもありますし
こういう個人的な備忘録的感想で
ご容赦くださいまし m(_ _)m
今ごろ読み終えたわけですが
作中では例年にない暑い夏の季節な上に
放火事件が起きたりする
ホットな内容なので
今、読んで、ちょうど良かったかも(^^;ゞ

(2004/玉木亨訳、創元推理文庫、2012.1.27)
作者名が、なんだかどこぞの
ジュエリー・ショップを連想させる(苦笑)
イギリス作家ジム・ケリーによる本書は、
イングランド東部の沼沢地帯を舞台として
地元紙の主任記者ドライデンを主人公とする
シリーズの2作目です。
ストーリーは
ざっくりと説明しがたいというか
最後の最後まで
メイン・プロットが奈辺にあるか
分かりにくい書き方をしていることもあり
今回は省略(苦笑)
以下、ストーリーと直接関係しない
細部について先に書いておくと、
ドライデンの妻が入院している
病院の管理人(雑役夫?)が
いつも口笛でクラシックを吹いていて、
ベートーヴェンの「歓喜の歌」や「皇帝」
ラヴェルの「ボレロ」は分かったけど
ブルッフのヴァイオリン協奏曲は
知らなかったー(>_<)
こうした細部に
イギリス人のクラシック好きが
よく感じられて面白いっす。
ちなみに、ドライデンの妻は
「閉じ込め症候群」という
精神的な脳死を思わせるような
珍しい病気で入院しているのですが
今回の作品では
COMPASS(コンパス)という装置で
たどたどしくながらも
意思を伝えられる(かの)ような状況
ということになってます。
それが要所要所で
ドライデンに示唆を与えるだけでなく
洒落たラストにも貢献しているのですが
どう洒落ているかは
読んでのお楽しみということで。
で、ここからが本題
というか備忘的な感想になります。
ちょっとネタ割り的な記述もありますので
ご注意ください。
上にアップした写真でも分かるように
オビには「現代版『黄金期の探偵小説』」
とありますけど
今回、読みながら思ったのは
「黄金期の探偵小説」というより
地方都市を舞台とする私立探偵小説
といったノリではないか
ということでした。
なるほど小説としては
「黄金期の探偵小説」というか
ある作中人物の言葉を借りれば
ディケンズ的な背景を持つ話なのですが
プロット自体は「黄金期」っぽい感じを
受けません。
「黄金期の探偵小説」って何よ
ということを説明しないと
どうして「黄金期」っぽくないか
説明したことにはならないのですが
長くなるので省略したい
というが、正直なところ(苦笑)
ひとつだけ思いつきでいっとくと、
主人公ドライデンの調査行が
行き当たりばったりで
作者のプロットのための狂言回しにしか
なっていないのではないか
と感じさせるところがあるからです。
「黄金期の探偵小説」の探偵役は
作者が用意した事件に対して
自分なりに論理的にアプローチしよう
という意識がある(かの)ように
作者も書いていたと思うのですが、
ということは、だからつまり
事件が中心だったわけですが、
ジム・ケリーの書き方は
プロットを中心に
それを解きほぐすガイドとして
探偵役のドライデンを使っている
という感じなのですよ。
だから探偵役が、ある人物に
この時点で訊問しようと思う必然性が
余り感じられないし
事件について思考するキャラではないから
行き当たりばったりな調査になっちゃう。
それはリアルといえばリアルですけど
「黄金期の探偵小説」の探偵役の捜査とは
似て非なるものだと思うわけです。
もちろん個人的な印象にすぎませんが。
ですから
「現代版『黄金期の探偵小説』」
として読み始めるよりも
地方新聞の記者を調査主体として
ヴィクトリア朝の大衆小説
いわばセンセーション・ノヴェルを
現代風にアレンジした小説だと思って
読み始めた方が、楽しめると思います。
だってこれって
(ここから
ちょっとネタ割りになって
恐縮なのですが)
チェンジリングの現代バージョンでしょう。
仮に、本書の謎が
何故ある人物が昔そんなことをしたのか
という点に絞られるとしたら
もうちょっとその人物が
そんなことをするキャラだと
読み手に説得的に感じられるように
描かれなければならないはずですが
それに関しては
うまくいってないと思います。
現代のストーリーで
デート・レイプなどの事件を絡めて
読み手を心情的に説得させようという
プロット上の工夫は感じられはしますが
これは計算違いだったような気がします。
もちろん、そのキャラの方ではなく
さまざまな父親的存在の悲劇を
重層的に描くことを作者が意図したのなら
そちらの方はプロット的にも
興味深い成果を上げていると思いますけど
(どう興味深いのかは
いえば、さらなるネタ割りになるし
まあ、面倒くさいこともあり
詳述しませんがw)
そういうドラマ部分と謎ときの部分とが
やや乖離傾向にあるのではないか
というのが正直な感想です。
自然描写とかで
上手く誤摩化してるというか
読み手の気をそらしてますけどねー(藁
何か悪口を書いてるようですが
出来の悪い小説ということではなくて
「現代版『黄金期の探偵小説』」
とかいわれなければ
ちょっと重いけど
そこそこ面白い
謎とき興味もある小説として
素直に読めたのではないか
と、いいたいわけです。
露骨にネタ割りしていないので
読んでない人には
分かりづらいかと思いますが
まあ、今年の1月という
ずいぶん前に出た小説だということもありますし
こういう個人的な備忘録的感想で
ご容赦くださいまし m(_ _)m