金勝寺古墳2(吉野川市山川町)2021年12月21日
おもむろに玄室に潜入すれば天井が抜けているので明るい。内部は天井がぶち抜かれている以外はわりあいに整った印象です。
羨道部の側壁は結晶片岩の板石や河原石を積んでいる。天井付近
の石をもち送って積んで天井石で蓋をしている。さらに羨道と玄室の境にある両袖式の袖石も立派に残存する。玄室部は胴張りで四隅が丸く、石材を持送りによってドーム状に構築されている忌部山式石室の特徴を示しています。
忌部氏祖神である天日鷲命を祀る忌部神社の裏山が忌部山です。
この一帯は麻植(おえ)郡と呼ばれ、阿波忌部族の本拠地とされ、
8世紀の「続日本紀」や9世紀の「日本霊異記」などの書物にて、
麻植郡一円に忌部氏がいたことが記されており、6世紀後半に忌部
山古墳を築いた集団は、阿波忌部一族であると推定されます。
吉野川中流域の日本最大の川中島は粟島(善入寺島)と呼ばれたがそれは阿波忌部氏が粟を植えたところ、よく実ったので粟島と名付けられ、それが粟国(阿波国)の由来になったと伝わります。
阿波忌部は、天日鷲命(あめのひわしのかみ) を祖神とし、麻や
榖(楮)の殖産に長けていた。古代において阿波忌部が得意とした
麻や榖は生活産業文化の基盤でした。古代産業コンビナートやね。
天日鷲命の初出は『日本書紀』の天石屋戸神話で、綿(ゆう)作りをしたと記録される。同書の天孫降臨神話では作木綿者とある。
ちなみに筆者の近在つるぎ町貞光に木綿麻(ゆうま)温泉という冷泉があります。障がい者手帳ご提示の方は200円は破格の料金はともかく、貞光川の別名木綿麻川にちなんだお風呂で、このエリアには古来、大麻の栽培で栄えた歴史があります。
この作木綿者の歴史が現在にも生き続き、天皇の即位に際して、大嘗祭に供える麻織物=麁服(あらたえ)麻を献上する伝統が今も守まれています。