建布都古墳2(阿波市市場町)2023年11月9日
『延喜式神名帳』に掲載されている建布都神社の論社の一つで、
阿波市土成町郡には建布都西宮神社もあります。
927年に編纂された延喜式神名帳に「阿波国阿波郡建布都神社」
と記された神社があります。この延喜式神名帳に記された神社は、当時そこに確実に存在し、朝廷から幣帛(へいはく)を奉献されていたとされるまことに格式のある神社のことです。
創建年は不詳。江戸時代までは「平治権現」または「平地の祠」と称し「おへーしさん」の愛称で知られていた。市場八幡神社との
式内論争の末明治に現社名に復称。境内には直径17m程度の円墳
が存在する。 もとより神社の前身が古墳なのは自明である
建布都神の名は古事記のみに登場します。伊邪那美命(いざなみ
のみこと)は火の神である火之迦具土神(かぐつちのかみ)を産んだ傷がもとで亡くなります。嘆き悲しんだ伊邪那岐命(いざなぎのみこと)は十拳剣(とつかのつるぎ)で火之迦具土神を切り殺す。
十拳剣の先から滴り落ちる血から最後に生まれた神様が建御雷之男神(たけみかづちのをのかみ)。別名を建布都神(たけふつみ)
あるいはまた豊布都神(とよふつのかみ)と書かれています。
さらに、建御雷之男神を刀剣を鍛えるときの火の働きを称えたる神であろうと古事記は見做しています。
後世の神武東征においては、建御雷の剣が熊野で手こずっていた神武天皇を助けている。熊野で熊が出現したため神武も全軍も気を失い萎えきってしまったが、高倉下(たかくらじ)が献上した剣を持ち寄ると天皇は目をさまされ、振るうまでもなくおのずと熊野の悪神たちをことごとく切り伏せることができた。
神武がたずねると高倉下の夢枕に神々があらわれ、アマテラスやタカミムスビ(高木神)が、かつて「葦原中国の平定した経験あるタケミカヅチにいまいちど降臨して手助けせよ」と命じるいきおいだったが、建御雷は「かつて使用した自分の剣を授ければ事は成るぞ」と言い、(高倉下の)倉に穴をあけてねじ込み、神武のところへ運んで貢がせたのだという。
その剣は布都御魂(ふつのみたま)のほか、佐士布都神(さじふつのかみ)、甕布都神(みかふつのかみ)の別名でも呼ばれている石上神宮のご神体である。
かくも由緒正しくも延喜式神名帳に列せられたほどの神社でありながら、建布都神社は現在どこにあるのかよくわかっていません。
たくさんある候補のひとつが阿波にあること自体が誇らしいではありませんか。