古墳巡礼・近畿編 103 百舌鳥古墳群33 | ロック古典主義

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 百舌鳥古墳群33(大阪府堺市)2024年1月19日 

 

 田出井山古墳は反正天皇陵とされるが、実際の被葬者が誰なのかは分からない。古墳は宮内庁管轄になり、宮内庁は古墳を掘り返すのを認めていないため確かめようもありません。 

反正天皇陵(田出井山古墳・百舌鳥耳原北陵) [大阪府]-人文研究見聞録

 「ニサンザイ・ミサンザイ」という呼称は「陵(ミササギ)」が訛ったものだと言われていて、この地域はかつて「楯井たてい」と呼ばれ、江戸時代までは楯井陵と呼ばれていました。楯井が転じて「田出井」になりました。 

 百舌鳥耳原北陵(モズノミミハラキタノミササギ)とも呼ばれ、 
考古学的には「田出井山古墳」は反正天皇が被葬者ではない。
とも言われていて、ならば反正天皇はどこに眠っているのかというと、 

その次の候補の古墳が「土師ニサンザイ古墳」です。 

[48]18代 反正(はんぜい)天皇 

 多遅比瑞歯別天皇(たじひのみつはわけのすめらみこと)とは、淡路宮(不詳、淡路島?)で生まれ容姿美麗であった。生まれながらにして綺麗な歯並びであったので「瑞歯別」の名があるという。  

 『古事記』によれば身長は9尺2寸半(約3m)、水歯別命の名は歯の長さが1寸、広さ(厚さ)は2分(4ミリ)で上下等しく整っており、歯を褒め称えて「水歯」と名付けられたことによる。 SONY DSLR Family - View topic - 8月8日 合歡山昆陽攝星賞鳥記

 反正天皇・本名“多遅比瑞歯別尊”は、5世紀前半に実在したとされ

れる天皇らしい。大鷦鷯(おおさざきのみこと)天皇(仁徳天皇)の第三皇子らしい。Ingredients Red Beans Coarse Grains Powerpoint Background For Free ...

  反正天皇の治世は安定しており、日本書紀にも「五穀実りて人民賑わい天下太平」とあるぞ。2mを越す長身で、容姿美麗の男性であったと書記は記録しているようです。 反正 - YouTube

 これだけ大絶賛されている多遅比瑞歯別尊の漢風諡号が「反正」などと蔑称は侮辱けしからぬ話のみならず、150ⅿに満たない前方後円墳に治定するとはもってのほかです。江戸幕府のお墨付き:古代の天子葬の場捜査指図

 そもそも天皇陵の所在については、『日本書紀』の天武天皇元年(672)7月の条には神武天皇の陵とされるものが存在し、その場所がわかっていたようで巨大前方後円墳などでなかったらしい。

 その後、国がみだれ、天皇陵の位置は不明になっていく。幕末に尊王倒幕の声が高くなるとともに、幕府は朝廷対策のひとつとして天皇陵の補修を実施する。谷森善臣 - JapaneseClass.jp

 この時、天皇陵調査の学術顧問団の筆頭であった谷森善臣という人物は、勤王の志が篤く水戸学に傾倒し、山陵の荒廃を嘆いて畿内Yahoo!オークション - 「諸陵説 山城国紀伊郡/乙訓郡 葛野郡/大和国山...各地の陵墓を踏査し、嘉永4年(1851)『諸陵徴』を、安政2年(1855)『諸陵説』を著すなど治定?通であった。孝明帝 - Emperor Xiaoming of Northern Wei - JapaneseClass.jp

  当時、孝明天皇が大和に行事する計画があり、天皇の神武天陵の参拝が決定された。幕府は、それにあわせて天皇陵の場所を定め、修復事業を実施する必要があった。<奈良>洞村の「強制」移転 〜100周年で集いひらく:最新情報|部落解放同盟中央本部

 ところが、日本書紀に記す洞村の地には、当時、およそ千人の人々が住んでおり、神武天皇陵を整備するためには、それらの人々を、立ち退かせざるをえなかった。しかし、それは、きわめて無理な事情があった。洞村の人たちは、祖先は、九州から来た人たちで神武天皇陵の守戸(墓守り)の子孫といわれていた。 明日香村、近鉄飛鳥駅から岩屋山古墳_貝吹山_白橿 : ryokutyaの山行備忘録

 そこで谷森はかなり無理な論理により、神武天皇陵は白橿村山本の地にあったとし、それを押し通した。

  谷森善臣は、「能吏的」な側面をもつ人であり「全体的な判断」をしたとみられている。undefined

 谷森善臣という人物を責めるつもりは全くない。そもそも天皇陵の治定そのものが、この程度の匙加減で決定されていたことが残念でならない。激動の時期にはたかが天皇陵だったのだろう。

 初代神武天皇陵が斯様な仕儀であるならば、ほかの天皇陵の治定は推してしるべしです。