百舌鳥古墳群29(大阪府堺市)2024年1月19日
いたすけ古墳は、昭和30年(1955年)頃に土取り工事で破壊の危機にひんしましたが、市民による運動で保存が決まり、昭和31年には国指定史跡になりました。
この橋は土砂の採集と住宅造成のために作られた橋だろうか。
この工事の際には、土砂を取る重機を入れるため周濠に橋が架けられ樹木の伐採が行われた。伐採は半ばで中断されたものの、古墳の半分ほどがはげ山となった。
現在も濠の中に残されている橋げたは土取り工事が行われようとしたときの名残だという。市民運動により計画が中止された後も橋の残骸を負の遺産として残されている。
たまにこの橋の部分にタヌキが大勢出てくるようだが、今は完全に地面が雑草に覆い隠されているのがわかります。
ただ、何故に入ってはいけない古墳に指定されているのか。
そもそも立ち入れないはずの古墳に橋をかけ、土砂を切り出していたこと自体が問題ではないのか。どう考えても釈然としない。
手も足も出ない というのが市役所なら判るが、宮内庁は黙っていたのか。そんなことが見逃されるのか。
それにましてあれだけ「御霊の安寧と静謐(せいひつ)を守る」
として、“陵墓参考地”に指定し管理する宮内庁が、70年前には陵墓
を切り崩されているのを放置していたのだから不可思議だ。自分の
頭がおかしいのだろうか。どうにも理解ができない。
それとも市民運動の結果、保存の観点からそのままにされているのだろうか。その意味では負の遺産としてのありのままを残そうと
それでも、この古墳には明るい空気が流れていて、見ているだけで気持ちが明るくなってきます。よく古墳には「気」が流れていますがまさに明るい「気」に満ちたスポットです。