百舌鳥古墳群22(大阪府堺市)2024年1月19日
昨夜アップしていたつもりでしたが、「投稿する」を押し忘れていました。お恥ずかしい。
さて、百舌鳥古墳群の西南端まで来て、再び大仙公園東隣り二つの古墳をお邪魔します。
御廟山古墳へは北へ府道197号を1㎞ほど走る。いったん百舌鳥
駅近くに向かい、踏切手前の交差点を左折すれば、ほとんど御廟山の前方部に近づいている。戻ってきた感あり。
手近の進入路に入るが、どの道も住宅地の囲繞地に行き詰まる。
前方部の右辺に沿う細道に入れば「百舌鳥古墳群周遊路」という
案内杭があり、ここを鋭角に曲がり込めばお堀端に出られそうだ。
ありました。住宅地の隙間から垣間見た御廟山古墳の全貌が明ら
かになります。宅地に囲まれたお堀端にはきれいなレンガ調の舗装が施された遊歩道。広大なお濠の一角に住宅が張り出し、あたかも造出しの相方のようにも見えるが、そんなのは聞いたことがない。
前方部方面に出ても遥拝施設らしきはない。土師ニサンザイ古墳と同様に、宮内庁により「百舌鳥陵墓参考地」(被葬候補者:第15代応神天皇)としてに治定されている。
そんなわけか例の「魚取とるな」宮内庁高札らしきが対岸の墳丘の麓に見える。ということは、あそこまで近づけるということか。
御廟池と呼ばれる巨大なお濠には雑草は繁り、水質も今一つ芳しからずなるも、水鳥や田ガメのような生物の楽園だ。江戸期までは御廟池は周辺の田畑を潤す灌漑ため池と活用されていたらしい。
四周に給水溝が張り巡らされており、さっきは宅地の間に流れていた排水溝もその名残りなのかもしれない。
どおりで天皇陵にあるよそよそしい雰囲気はみじんもなく、周囲の住宅にぴったりと寄り添っています。このあと珍妙なものを目にします。