百舌鳥古墳群16(大阪府堺市)2024年1月19日
こうして墳長第1位の大仙陵古墳と3位のミサンザイ古墳を拝見
して大きな違いが判りました。
大仙陵古墳は、非常に等高線が乱れており、現在は美しい構造と
はいえない。専門家によるとこの等高線の乱れは人為的なものでは
なく、地震による地すべりが原因だそうです。
ところが、すぐ近くの上石津ミサンザイ古墳は全く等高線に乱れ
がありません。なぜ、このように違うのでしょうか?
大仙陵古墳の等高線の乱れは、地震によるとのことだが、百舌鳥
古墳群の配置模式図にあるように上町断層帯が古墳群西側を海沿い
に走っている。むしろ上石津ミサンザイ古墳のほうが断層帯に近い
のに無傷です。近いほうが安全なのか。そんなことはないだろう。
考古学的調査によると、上石津ミサンザイ古墳は百舌鳥古墳群で
最初に築かれた超巨大古墳であり、大仙陵古墳のほうが半世紀ほど新しい造営です。それなのに現在の状況は、逆転しているのです。
大仙陵古墳は、少なくとも五回も地滑り状の崩れ痕跡があるのに
対し、上石津ミサンザイ古墳はまったく地滑りの痕跡がない。
大仙陵古墳の規模が地震の波動周期にバッチリ共鳴してしまった
という考え方もあります。しかし、何度も何度も大仙陵古墳ばかり
周期が合ってしまうしょうか。それもありえない。
周期の問題だけに要因を帰する説には、どうしても納得できん。
そういう面もあるだろうが、むしろ造成構造に最大の原因があると
考えます。
要するに、ミサンザイ古墳のほうが丁寧で慎重に造成されている
のです。最大の要因は古墳造営の丁寧さ・緻密さということにある
のです。大仙陵は規模だけにこだわり手抜きではないのか。それは西暦502年に梁の武帝が王朝樹立に伴い、倭王武を「征東大将軍」に進号する前夜にあたり、突貫工事で見栄えを整えたと観ます。
つまり日本書紀の語る仁徳帝が生前に行幸し、長い時間をかけて頑丈に造られた「寿陵」は、現在、履中陵と治定されている上石津ミサンザイ古墳がふさわしいのではないでしょうか。