(リマスター版)
三ツ城古墳その2(東広島市西条 )2020年2月5日
ここ三ツ城古墳は前回もご紹介したように、西条盆地の南縁、 八幡山からのびる丘陵の末端に築かれた巨大な前方後円墳です。
墳丘は3段築成で、斜面上は葺石で覆われ、テラスには円筒埴輪、形象埴輪が並んでいました。衣蓋形埴輪も各所に立てられ、古墳全体では1800本余りの埴輪類が使われているとのことです。
墳丘くびれ部には四角い造出しがあり、須恵器、土師器が出土。古墳を取り囲み深さ1m前後の周溝が巡っています。
埋葬施設は後円墳頂に3ヶ所あり、1号埋葬施設からは女性人骨とともに、 銅鏡、首飾り、鉄製の 刀など、中心にある最大の2号埋葬施設からは男性の人骨とともに首飾り、櫛、銅製のブレスレット、鉄製の刀などが、3号埋葬施設からは首飾り、鉄製の剣、鉾、 鏃が出土しています。
古墳時代中期(5世紀前半)に築かれた古墳と考えられ,安芸国最大の規模からすると,安芸国を統一する首長の出現を示す古墳であるとされています。
また、スケールはふた回り小振りですが、吉備の造山古墳と相似形との説があるほか、ヤマト王権と密接な関係を有した古代の安芸の国の大豪族の墓と推測されていてここにも安芸国を統一する首長の出現を暗示されています。
1号墳の西隣には円墳があります。
この2号墳は直径約25m、高さ約4mメートルを測り、こちらでも墳丘表面で葺石が認められますが、埴輪は確されていません。埋葬施設は墳頂部における箱式石棺1基ですが、早い段階で石棺は失われているため詳細は明らかではありません。
築造時期は古墳時代中期の5世紀前半頃で、1号墳にやや先行すると推定されています。
さらには、2号墳の西側において、南側丘陵と2号墳を区切る溝の中に3号墳があります。
墳形は楕円形で、長径約8m、短径約4m、高さ1mの可愛らしい古墳です。
埋葬施設は箱式石棺で、長さ約1.5m、幅0.2、0.5mを測り、 石棺内で副葬品は認められていません。築造時期は古墳時代後期の 6世紀前半頃と推定されます。
何ゆえに楕円墳となったのかは定かではありませんが、用地不足の窮余の策とも考えられます。
また、三ッ城近隣公園管理棟内には「三ッ城古墳パネル展示室」があり、古墳についての解説パネルや埴輪のレプリカなどを展示が行なわれていて、総合古墳公園ともいうべき楽しい空間が提供されていました。
(追記)
ただいま河内堺の百舌鳥古墳群を巡礼の帰途にあり、淡路島からの配信です、明日からは宇摩巡礼を一時中断し、百舌鳥巡礼の緊急連載の予定です。