経ヶ岡古墳4(四国中央市下柏町)2023年6月16日
本古墳からは石室内と墳丘くびれ部から遺物が出土しています。 種類については石室内からがはるかに多く、くびれ部からは須恵器のみの出土とされます。
この横穴式石室内からは、金銅装「f」字鏡板などの馬具や胡禄片歩遥付銅版、鉄剣や鉄鉾等の鉄製品が出土しており、当時の被葬者
を示す貴重な資料であると言えます。
また、玄室および羨道内からの須恵器の出土状態からは、複数回の追葬が想定されています。
石室外からの出土遺物として注目されるのは、墳丘のくびれ部に置かれた須恵器大甕と、横穴式石室・天井石上部の版築土中に破砕されて見つかった大型の四耳壺です。
これらの出土状況は、古墳構築に伴う祭祀行為を表しているものと視られています。
「梅雨になると虫はどんな気分になる?」
「男が失うととっても悲しい棒ってなーに?」
「家電に行ったら女の子が付いて来た、なーぜだ?」
さらに、昭和57年12月20日、通称四ツ手山頂部の経ケ岡古墳の前方部にあった石棺中から1 個体分の人骨が発見された。副埋葬物から埋葬は6世紀初頭と推定されています。
本古墳は四ツ手山の丘陵の頂上部に位置しており、宇摩平野全体
をみわたせる所である。古墳形態は前方後円墳であり、規模は全長30mと小型で内部主体は8mの横穴式石室で盗掘をまぬがれていた
ことより多くの副葬品が出土した。
この結果、経ヶ岡古墳は古墳時代後期(6世紀代)に当地域を掌握
していた有力人物の墓であるだけでなく、墳丘形態や豊富な副葬品
等の総合的な評価からも、周辺地域との関係を示す貴重な考古学的資料であると思われます。