佐紀古墳群16(奈良市山陵町)2023年11月9日
宮内庁では佐紀石塚山古墳は成務天皇陵に比定されていますが、
実際の被葬者は明らかではありません。
佐紀石塚山古墳は、墳丘長220mで、全国第26位という大きさを誇る古墳で、被葬者が大きな権力をもっていたことが窺える。
墳丘は3段築造で葺石が多用されているため、石塚山古墳の名前が
つけられたようです。
佐紀陵山古墳の東面に接しており、周濠の幅が全体的に狭いのが特徴ですが、東側では特に狭くなっていて、佐紀陵山古墳の周濠がこちらの古墳のくびれ
部に食い込んだ状態となっています。
「まだ出来上がっていない果物ってなあに?」
今年2月初に奈良市埋蔵文化財調査センターが航空レーザー測量を実施しました。 初めて古墳群全体の精密な測量図が得られたほか佐紀石塚山の造り出し部が段を持つ特異な構造なのも判明。
なぜこのように接近させた状態で古墳を作ったのかわかっていま
せんが、もしかすると、2つの古墳の被葬者に親族関係など特別な
つながりがあったのではないかといわれています。
周濠外には3基の陪塚があり、それぞれ「い号」「ろ号」「は号」と名付けられています。こちらは臣下の墓でしょう。
4世紀後半には東北から九州まで広い範囲で大型古墳が造られ、墳丘構造は佐紀古墳群がモデルになったとする説もあるようです。